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魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

今日という日。

2012-07-01 23:09:19 | 日々のこと

少しつぶやかせてください。

神戸の震災。

私は兵庫県にいて、被災しました。マンションはめちゃくちゃ、近くの小学校の体育館に避難しました。

しばらくして自衛隊の皆さんが来てくれ、東京に避難した私たちは東京の公団住宅を無料で借りることもできました。

その公団住宅の部屋は、結局2泊ほどしただけで、生活はしませんでしたが、部屋には東京都のマークがついた毛布がありました。

その時、「国って助けてくれるんだなあ」と感じた。

わたしのなかで「国は守ってくれるもの」と思えた。

でも、今夜、どうも違う・・・と311から感じていたことがはっきりした気がしました。

福島の4号機の冷却装置が止まるなか(復旧しました)、大飯原発が再稼動。

私は311の時、すごい恐怖を感じました。

「あの、世界が変わってしまうことがまた起こる」

と。神戸の震災で「明日は来ないかもしれない」と分かってしまった私は、長い年月をかけて、それを押しやって生活してきました。

親族が亡くなったわけでもない、家が潰れてしまったわけでもない、それなのに、ダメージは長く、深かった。

「誰もわかってくれない、震災を経験した人以外は」

という気持ち。世間から震災のニュースが忘れ去られていくのを、見ていました。

東京で働いて、人生を楽しんでいる人たちのなかで、世界のなかの東京で暮らして、このままの生活は続く、東京は大丈夫、そう思っている人たちのなかで暮らして、結婚して、子供が生まれて。

でも311で、また思い出した。

「明日は来ないかもしれない」

「自分だけは大丈夫なんて、違うんだ」

ということ。

ものすごく怖かった。

地震と津波だけでなく、原発事故。

東京にいるきょうだいたちも、東北にいる両親も、たくさんの大切な人たち。

パニックになりかけた。

地震のような自然にではなく、人が造った原発で。

福島の人々は、生活を奪われたまま。

人が、そういう危険なものは、人が止めなきゃいけない。

わたしは、国は守ってくれるものだと思っていた。

危険なものは防止してくれる、と。

でも、水俣病だって、原爆症だって、そうじゃないってことを、証明している。

そして今、また原発が再稼動した。

山岸涼子さんの「パエトーン」という漫画で、大飯原発のことを警告している。

大飯原発が爆発したら、小浜市は100パーセント死亡だと。

チェルノブイリ事故のあと汚染がはげしかったヨーロッパのの女性が「始めは汚染された食べ物を一生懸命とらないようにしていた。でも今年に入ってから汚染度がますます激しくなったのにもかかわらずそれを口にしてしまうのです」と。

最初に読んだ時、わたしは「汚染された食べ物を、分かって食べてしまうのはなんでだろう?」と疑問に思いました。

山岸涼子さんはセリフで「明日食べるものがなければ10年後に癌になろうともそこにある汚染食料を食べてしまうのは人情」と言っています。

そう、今まさにそれが私たちの現状。

福島にそう遠くない県に住む私たちは、恐れながらも口にしています。だってそれしかないから!

でも、わたしは考えてそれを避けるようにします。

できることをやらなければ。

始まったばかりの娘の人生のこの先何十年。責任は親にあります。

「国は守ってくれるものではないかもしれない」

今はそう思います。

311から続く、この物悲しさは、それをなんとなく悟りつつあったことからかもしれない、と今は思います。

 

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感じろ、黄金週間!④

2012-06-16 00:39:41 | 日々のこと

連休中、姉の家にお世話になっていた私に、夫から電話がかかってきました

何事かと思ったら、私もお世話になったことがある上司の奥様が、くも膜下出血で3ヶ月前に倒れずっと入院されている、とのことでした。

奥様は50歳。上司は毎日病院に行って出勤しているとのこと。

上司と奥様は職場結婚で、当時わたしが勤めていた時、聞いた人すべてが「あの奥さんはとても良い人。上司も彼女と結婚して変わった」というほどの評判の良い人でした

わたしもちらっとお会いしたことがあるのですが、一目で「感じの良い人だな」と分かる方で、賢い方だと感じました。

上司は今は部長職まで上り、内助の功とも評されていました。

奥様も辞職せずに育休を取り、勤め続けていらっしゃったのです。

夫もお世話になり、それだけに信じられない思いで聴いたそうです。

部長本人から聞いて、まったく知らなかった夫。びっくりして電話をかけてきたという訳です。

「まだ若いのになあ・・・本当にいい人で、俺もほんとに良くしてもらった。引越し手伝いに行ったときも優しくしてくれてさ・・・」

とショックを受けている夫。

そして

「リツコも倒れたら困るから、働かなくてもいい!」

と言い出しました。「働かないなら離婚だ」と言っていたのにね、先日・・・

しかし私もいろいろと考えてしまいました

ショーコも「部長は奥さんラブで有名だったから、お気の毒だね・・・」と言っていましたが、本当に、悪く言う人を聞いたことがない奥様であり、部長も奥様をよく褒めていたり、おしどり夫婦として有名な2人だったのです。

それなのに、どうしてなんでしょうね。

神様っていないのかしら・・・と思ってしまいます。

それで、東京大神宮にお守りを買いに行ったのです。娘を連れて、アイフォン、あれ便利ですね!ちょっとうろ覚えだったけど辿り着けました

東京大神宮は霊験あらたかで、なにをかくそう私もここで縁結びのお守りを買い、結婚できたのです(良かったのか悪かったのか

大都会の真ん中なのに、清浄な気があふれるお宮には、若い女性が朝早くからたくさん参拝していました。

その近くにある元職場に顔を出し、社長にことの顛末を少し話したら「戻ってくれば?」とサラリと言われたり・・・心がぐらっとくる魅力的なお申し出。リップサービスでしょうけど

帰宅してから夫に託したお守り、夫は忘れていきやがって次の日部長に渡しました。

とても喜んでくれたそうで、「来週からリハビリで転院するんだ、朝渡すよ」と言ってくれたのですが・・・。

その数時間後、信じられないことに、奥様の容態が急変し、亡くなられたとの報が社内を駆け巡り・・・。

お守りは奥様の手に渡ることなく。

夫は数時間前に部長と話したのに、なんであんなに若くていい人が、とショックを受け、

「お葬式に行きたくない、そんなの見たくない」

などど言うので

「この日に行かなくてどうするのきちんとお別れしてきなさい

と渇を入れ、葬儀に送り出しました。

お子さんはまだ高校生と10歳。お母さんが亡くなってしまうには、早すぎる年齢です。

どんなにか、心を残して逝かれたことだろう・・・と思うと、私もなんだか呆然として心が落ち着きませんでした。

夫婦ともにショックと悲しみを受け、数日たったころ・・・。

夫がこんな事が社内で噂されている、と話してくれたのです。

「奥さん、鬱病だった」

「通院して、カウンセリングしてもらうとすっきりする、と話していた」

など。

あの仲の良い夫婦でも悩みがあったのか・・・とまたそれは衝撃でした。

部長職につくまで、上司は恨まれるようなこともしてきていて、それを逆恨みして奥さんにあたった人もいたらしい、とも。

・・・なんとも心中複雑に感じる出来事でした。

いろいろな夫婦がいる。

別れる夫婦、死別する夫婦。

いろいろな想いを自分の伴侶に抱いているのだろう。

いろいろな結末があるのだろう。

私と、夫にもそれは訪れるのだろう。

それはどんなものなんだろう?

私たちはどんな形をつくっているのだろう?そもそもかたちを作っているのだろうか?

 

今年の黄金週間は、わたしにとって「夫婦」というものを考えさせられる時間でした

姉夫婦、弟夫婦の夫婦の形。

家族ってなんだろうな・・・。あらためて考えた5月のはじめ。

初めて娘と行ったディズニーランドは、とっても楽しい、まるで本当に幸せな家族のような時間に魔法をかけてくれたようでした

 

 

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感じろ、黄金週間!③

2012-06-15 23:49:53 | 日々のこと

お久しぶりです

3歳過ぎたらあっという間にオムツが取れたわが娘が寝たあとに、PCを立ち上げると夫が登場または娘・ベッドから落ちたり・寝ぼけてぐずったり・・・という悪循環

やっとこうして座っております。

さて、ゴールデンウィーク、上京して中学からの親友と新宿高島屋で待ち合わせ

きらびやかでまぶしいわ~なんかずっと工事してンのね、ここ。

久々に会ったお友達と、子供服売場にある子供のためのレストランでランチ

下に電車が行き交うのが見られるスポット娘は大喜び

そして積もる話をし始めたのですが・・・。

彼女の妹さんは、6歳と2歳のお子さんがいる主婦なのですが、今なんと離婚調停中だとか

これには本当にびっくりしました

20代前半で結婚して、あっという間にお子さんが産まれて、旦那さんの両親と二世帯住宅に住んでいると聞いていた妹さん。

仕事も、正社員で少し働いたことがあるらしいですが、ほとんどアルバイトの経験しかなく、自分で生計を立てていける感が乏しいので、専業主婦になったと聞いて、「合ってるな~よかったなあ~」なんて思っていた私なのですが。

いろいろあったとは聞いていたのですが、お子さん2人は旦那さんの家にいて、妹さんだけ実家に帰ってきて、週一回だけ面会しているとのこと。

そこに至る経緯は、考え方の相違、少しずつの甘え、双方に過失があるのではないか・・・と思えるものだったのですが・・・。

以前、妹さんのご主人が、夜帰宅したあとに飲みに行ってしまうことが多くて、口論になった際に妹さんが夜、家を飛び出して1時間ほど外に出てコンビニで買い物して帰ってきたら、「育児放棄だ」と旦那さんとご両親から責められた、ということがあったと聞いていました。

でも、それってよくあることじゃないかな~

ママ友も「あったまきたから家出したことあるよ、すぐ戻ったけどね」という話を聞きます。

もちろん、パパは家にいるわけです。そして1.2時間の外出ののち、頭を冷やして戻る。

そんな話、よくあることだと思いました

私は外に出るのはもっぱら夫のほうですがね私は次の日、ばっちり荷物つめて子供抱いて家出しますけど

それを育児放棄とか言われてもなあ・・・。

この間「すくすく子育て」でくわばたえりさんが「赤ちゃんの時、すごく助かったのが夫に1時間くらい赤ちゃんを預けてお茶飲みに行ったこと」と言ってました。

その気持ち、分かる~1時間で、いや30分でもいいんですよ。

「ひとりで歩ける身軽さ」、それをやりたい。それだけで清々するのです。

子供は愛しています。でも、たまにはひとりになりたいんです。

考えてみてください。24時間365日、トイレもお風呂も付いてくる人と一緒にいたらどうですか?どんな好きな人でも「たまには一人にさせて?」と言いたくなるのではないでしょうか。

赤ちゃんがいるママには、それが一番のプレゼントだと思います。

そしてなぜ家を飛び出してしまうか。赤ちゃんの世話がいやになったのではなく、「それを分かってくれない夫への苛立ち」が、ママに家を飛び出させてしまうのです

4歳と赤ちゃんのお世話していたら、飛び出したくもなるよね~

友達のお母さんは何回も旦那さんの両親に呼び出され、妹さんが実家に帰るきっかけになってしまった時も、夜中にタクシーでかけつけたそうです。

そしてそこで2歳の子だけでも連れて行こうとしてもみ合いになり、「子供に危害を加えた」と警察を呼ばれてしまったそうで・・・妹さんは連行。信じられます?

そして今は子供とも離れ離れ。妹さんは資格を取るために今は学校に通って、子供たちを引き取れるように基盤作りをしているそうです。

さらに驚いたのが、妹さんの旦那さんにはもう次の女性がいるそうで

もう子供たちにも紹介済みで、だから「早く離婚してくれ」って言われているとのこと。

実は彼はバツイチで、多分奥さんを取り替える感覚で結婚しているような感があり・・・。

友達は「もう仕方ないから妹は新しい道を歩いて欲しいし、今度は自分の足で歩けるように頑張って欲しい、それをどこまでも私も母も応援するつもりだから」とスッキリした感じで(彼女のお父様は亡くなられています)

彼女の表情を見ていて「そうなんだ・・・」と私も内心、自分のことと照らし合わせていろいろと去来する想いがあったのですが。

お話を聞いて思ったのが、

「友達にとってもたった一人の大切な妹、そして子供たちにとっても世界で一人だけのお母さんである妹さんなのに、まるで取替えのきく部品のような扱いを受けている。それが悲しいな」

ということでした。

人には感情がある、だから傷つく。立ち直れないくらい。そして「みんな誰かの愛しい人」であり、「大切に、生まれ育てられてきた」という背景があるはずなのに、なんでそれを想像できないのかな、ということ。

自分の邪魔になったら「育児放棄のひどい母親」というレッテルを貼って追い出してしまおう、自分の息子のことを悪く言われたなら孫を置いて出て行けと言える。(←これワタシの義母)

悲しいなあ、と。

思わずちょっと泣いてしまいました

わたしにも親やきょうだいがいて、こうして長くお付き合いして、案じてくれるお友達もいるのだ。

大切に思ってくれる、支えてくれる人たちがいるのだ。

なのに、なんで自分の役に立たないとなると、そこまで出来るのか。

いろんな思いが渦巻いていました。

友達に

「私たち、今年で40歳になるよね。だから求人とか、難しくなると思う。

だから別れて再スタートするのは、今回が良いチャンスだと思う。

でもそれを見送って、自分が選んだ人だからしょうがない、なんとかやってくしかないと思っている」

と話したら、友達はそれをとても「もったいない」と言ってくれました。

「妹は全くスキルがないけど、りっちゃんはやっていける人だから、惜しい」

と。なんかしきりに「惜しい、惜しい」と惜しがってくれてましたけど

娘はだだこねながらも母に付き合ってくれて、ばたばたのままお別れになりましたが、とても良い時間を持てました

調停はまだ続き、時間がかかるだろう・・・という話ですが、離婚って大変なんだな・・・とあらためて感じました。

数年前、私が友達の結婚式に出席した時に、ホテルのエレベーターで乗り合わせたのが当時お腹の大きかった妹さんと旦那さんで、彼らは私に目もくれず、手をつないでお互いを見合っていました。

人見知りだという旦那さんは、終始妹さんのそばを離れず、寄り添っていた姿が思い出されるのですが、その夫婦の結末が、遠くない未来、上書きされることなく離別してしまうのかな・・・と思うと、なんともやりきれない思いがします。

 

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感じろ、黄金週間!①

2012-05-12 23:39:53 | 日々のこと

お久しぶりです

連休、いかがでしたか?

わたしは姉のところに行かせてもらっていました

首都圏近郊は見るもの、行くトコ、たくさんありますね~

連休の予定はまったく未定だったのですが、連休前に大喧嘩がありまして・・・

「こんな状態なら少し離れていた方がいい」との判断もあり・・・また顛末は後ほど

当初は東北の両親のところに行こうと思っていたのですが、実家に帰ったらもう帰ってこられないかもしれないな・・・なんてこともあり、ちょうど弟のお嫁さんが里帰りするので弟のマンションの部屋に滞在させてもらってノビノビ過ごさせてもらいました☆

せっかく東京に行くのだから・・・とかねてから行きたかった三鷹のジブリの森美術館のチケットを、ネットオークションで探してみたら・・・あった

日にちが近かったせいもあり、ほぼ定価でゲット

2枚落札したのだけど、姪はあまり興味なし・・・そこでちょうど休みを一日取っていた夫に「行く?」

「行くりおちゃんとなら行く

と、予定外でしたが一家で新幹線でゴー

朝7時の新幹線、乗り遅れずに乗車できたのですが、眠い・・・しかし早く起こした娘は寝る気配もなく。夫は先に寝てしまい・・・。

そしたら、同じ車両に夫の友達が乗っているのを発見

その友人は以前就職を紹介したのに蹴られた、という経緯がありまして、夫も先方の顔も丸潰れ、わたしとしてはあまり接触しないほうが良いのでは・・・と思う人なのですが、夫は嬉々として話に行き、もう降りる駅に着く直前まで帰って来ず・・・

私はまったく休めず

怒り心頭の旅が始まり

それでもジブリが近づいてくるとだんだん期待に胸がふくらみ・・・

ジブリ行きのバス、キターーー

それからはもう、娘はネコバスに2回乗り、レストランでランチをし、思う存分散策し、ジブリ美術館を出たのは3時でした

娘は「動き始めの部屋」の動くトトロやメイちゃんたちにくぎづけ

わたしは直筆のナウシカやハウルのラフを見て、ウルッと・・・

13歳の時にナウシカのビデオを父が借りてきて、観ながら涙が止まらなかった。

「なんなんだ、このアニメは」

親友と「ラピュタ」を観に行った。

就職してから東京に来て、「魔女の宅急便」のビデオを買って何回も観た。

一人で「ハウル」を観ながら、夫のことを思い出していた。当時、夫は私にとってハウルだった。

そんなことを思い出した。

いつもそばにみんなが居た。思春期のやわらかかった心に強烈に焼きついた物語のヒロイン達。

ジブリ映画はなくてはならないものだった。

宮崎駿さんという人の頭の中から生まれた巨大な物語たち。

それが三鷹に出現している。

ロボット兵を観た時は感無量だったなあ・・・

夫は先日初めてテレビで「ナウシカ」を観たそうで・・・「いい映画だねえ」と言っていた。

静かに熱狂しつつ、くまなく回った。

そして私たちは姉のところへ、夫は帰宅の途に着いた。

娘は寝てしまった。

ネコバスで遊ぶには、子供がちゃんと並ばなくてはいけない。

娘は我慢できなくて、木の柵を乗り越えて落下してしまった

そんな子、いなかった。

2回目並んでいる時も、我慢できなくてぐずぐず言っていた。

小さい方だと思うけど、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいる子はちゃんと並んでいた気がする。

ここでもちょっと心配だな、と感じた。

駅まで姉と姪が迎えに来てくれた。

楽しいゴールデン・ウィークが始まった

嬉しかったなあ。

本当に嬉しかった。

 

 

 

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Around40

2012-04-08 11:43:37 | 日々のこと

先月末から思わしくない自分の体調

きっかけは義妹が近くに越してくるかもしれないということだった。

ぐるぐるめまいは軽減されたのだけど、4月に入ってもまだ寒いこの気候、朝起きたら雪まで降っている

冷えるとだめだ

この冬、首の後ろがぞくぞくして、あ、あぶないな、と思うことは数回あった。

肩にカイロを貼って、生姜湯をや葛根湯を飲んで、寝込むまでいかないようにやり過ごす。

ここ数年で「病気はならないように予防する」ことが一番大事だな、と思うようになった。なってからでは遅いのだ。

去年入院したのが2月。

出産前から朝までずっと眠ることがなく(お腹が大きいと膀胱が圧迫されてトイレが近くなるので)、出産してからもそれは同じで、慢性の寝不足が3年は続いている

今も眠りは浅いし、娘がぐずるとすぐ眼が覚める。

「いや~寝ちゃったよ、りっちゃんオレ寝てた?」

と呑気なことを言う夫に殺意を覚える日々寝てたから、目覚めたんだろうが

夜になんとなく、頭が痛くなる予兆があり、ぞくぞくしたので葛根湯を飲んで寝たが、朝になっても頭痛は治っていなかった。

セデスを飲んで、横になっていたけど治らず、娘の観ているDVDの音や窓からの光さえも刺激になるくらい痛くなってしまい、ついに以前病院で頓服として処方された薬を飲んで、やっと痛みが治まった。

数日前から肩が痛くて、仕事をしていた時もここまでなるとマッサージに駆け込んだというレベルよりひどくなった

お風呂も、娘と一緒ではなかなかあったまらない。

以前は1時間も入ってあたたまっていたのだから、当然だ。

ゆっくり入ってほかほかになった夫が「暑い」と言って裸でぶらぶらしていたり、ベランダに出たりしているのを見ると(以下略)

しかし、40にさしかかって、身体も変わってくる時期なのだろう。

なるべくストレスになりそうなことからは遠ざかって、自分を守らないと娘が大きくなるのを見守れない気がする。

この波が静まるまで、きっとちょっと長くかかるだろう。

長いスパンで物事を見ないと、心が折れてしまうような気がする

35歳で妊娠したわたしのカルテには、「高齢出産」というスタンプが押してあった。

その時は「ああ、わたしは高齢出産なんだなあ」と思ったけど、そのスタンプの意味は重かった

夫が若ければいいだろうが、うちは夫も40過ぎだから大変だ

加えて、娘はこの冬、医者にかかったのは1回だけだった。彼女は夫のインフルエンザも伝染らなかった。

滅多に発熱することはなく、突発性発疹以外に1回だけ38度以上の熱を出したが、それも一晩で下がった。

つまり、とても丈夫で元気

それは喜ばしいことなんだけど

わたしは3人姉弟なんだけど、姉は小児喘息でしょっちゅう寝込んでいて、弟はとっても大人しい性質の男の子、元気だったのはわたしだけだったが、わたしも丈夫とは言えない子供で、母の日記にはいつも誰かしら具合が悪かったと記されていたそうで。

それは3人子供がいても、そんなに動き回らないし、誰か寝ている、という状態(それはそれで大変だろうが)だから、若い母は3人育てられたのであろう。

元気な娘の相手をするために、休みの日はもっぱら午前中はわたし、午後からは夫、というようにどちらかが娘を連れて外出し、互いに休まないともたない

よく「二人目は?」って聞かれるけど、無理本当に無理

ちょっと未練はあったけど、ここのところの体調の悪さを考えるとふっきれた。

「りおにきょうだいができました、でもママはいなくなってしまいました、じゃ困るから」

と夫がよく言うのだけど、それもうなずける

今はりおのために、長く生きなくては。

この、「休みの日の分業」にはメリットが他にもあって、夫と顔を合わせないから喧嘩しないということだ。

夫が娘を見てくれるから、感謝の気持ちもわくってなもんで

ただ、疲れたパパに怒られて娘が泣きながら帰ってきて、ママにべったり、お風呂でおっぱいを吸う(もう断乳して1年以上たつというのに)、ママ家事できない、という事態になることもあるのだけど

35過ぎて出産、というと親も高齢なわけで。

そうすると、親に子どもをお願いするってこともなかなか難しくなる。下手すると介護と育児が重なる恐れさえあるのだ

姉が出産した頃は、両親も若くてまだ父も現役で働いていた。だからいろいろ買ってもらっていたし、姉もしょっちゅう実家に帰っていた。

そしてわたしも独身だったので、姉の育児をサポートして、休みの日は一緒に出かけたり、病院についていったり、姉が具合が悪いときは会社を休んで(社長が姉の先生だったので理解があった)姪をみたり、週一回休みがあるかないか、土日は仕事、という義兄のほとんど代わりをしていた。

その姉でさえも、わたしがそばにいなくなった今

「命削って育児している」

と言っている。

でも、今わたしには助けてくれる人はいない。

そして誰かにお金を払って預けるほど我が家には余裕がない。

1日、一時保育にだすと2300円、そのお金さえもしぶる夫だ。(それなら自分が娘を見たい、という気持ちも大きい夫でもある)

こういう風に具合が悪いときは、本当に、困ったなあ、と思うだけだ。本当に助けてくれる人はいない。

入院したときはさすがに夫の母が娘を見てくれたけど。

 

今回、夫の妹が近所に住むという話になり、近くのマンションを契約して1週間もたたないうちにキャンセルした。

それについて、土地勘のあるわたしが相談に乗ったり、夫が休みの日に物件を一緒に見に行ったり、いろいろ調べてアドバイスして、遅くまで時間をさいていた。

彼女は契約の直前になって

「近くに住むことでリツコさんがイヤな気にならないか、それで夫婦仲が悪くならないか」

と心配している、と夫から聞いた。そんなの、最初に考えるもんじゃないか?

でも別にかまわない、と話した。

ママ友の実家がその不動産屋さんで、一応挨拶したりした。

それで急なキャンセルである。

理由は「隣が同じ会社の人だから」「隣が外国人だから」。

前者の理由は、契約前に調べれば分かることだろう。(実際、彼女はある伝手から調べられたからキャンセルしたのだ)

後者の理由は・・・個人個人の考え方だろう。

キャンセル料は多分数万円。彼女は「東京に行ったと思えばいいくらいの額」だそうで。

これに夫が怒って何回も何回もグチグチ言っている。

まあ、夫はかなり自分の時間をさいていたのだから気持ちは分かる。

「そんな金があったらりおにアイパッド買ってくれればいいのに

とか見当違いなことを言っている

短大出て、ずっと親と暮らして、月3万円入れてあとは全部自分のお小遣い、車はキャッシュで買い、関東までゴルフ旅行、義母の作ったお弁当を持って会社に行き、飲み会の時は義母が駅まで送迎するのである。

うらやましい限りである。

そんな生活してみたいものである。さぞ仕事に打ち込めることであろう。

しかしそのお金は、ご両親のサポートがあるから出せるお金であり、貯められたお金である。彼女一人の力ではない。

築40年近い家に住み、共働きで60歳まで勤め上げて、家の修理さえ自分でやる義父が貯めた爪に火をともすようにした蓄えがあってこそである。

その彼女は懲りもせず、ハウスメーカーに同級生が勤めているからそこで捜してもらい(だったら最初からそうすればいいじゃないか?)、契約するそうである。

今回の彼女の行動は腑に落ちない。そんなに軽率な人には見えなかった。

何かあるのかな、と思う

 

最近、よく聞くのが「卵子も老化する」ということ。

情報番組で何回か取り上げられているのを観たが、産まれてから女性の卵子は、同じく老化していく。

それなので、どんどん自然妊娠する確立も減っていく。

40歳だかそのくらいになると、人工授精の成功率は1割ほどだとか。

「卵子も老化する、ということを知っていたら、もっと早く考えていた」

とインタビューで言っていた、不妊治療をしている女性。

「結婚したら子供なんて自然に出来ると思っていた」

という人がほとんどだろう。

でも違う。

芸能人で40歳過ぎても出産、などと聞くと、ああまだ大丈夫なんて、独身の頃は思っていた。

でもそうではないのだ。

地方都市のわたしの周りでは、20代で産み始め、30代前半で2.3人産み終わり、40代は大体仕上がっている、というのが普通だ。

だからわたしのように「30代後半で出産、今40にして育児真っ最中」、しかも「実家のサポートなし」なんてのはまれだ。

転勤族で、同じ年代で出産して、という人もいるが、そういう人はしょっちゅう実家に帰っていく。

いいな、とは思うが、自分は自分、やるしかない。

子供が欲しいから結婚した。

35過ぎまで結婚しない、出産しなかったのは自分。実家やきょうだいの近くにいられる人を選ばす、遠くに住むこともわかっていたこと。

全部自分で選んだこと、やるしかない。やるしかないのだ。

そして「自分だけは大丈夫」はない。

当事者になることはいくらでもありえる。

注意深く、生きていかなければ、その身に降りかかったとしても備えが出来ていれば。

わたしは今までの人生、行き当たりばったりであったが、ここにきて、慎重に、計画的にとやっと考えを、生き方を改めようと努力している。

義妹、40を目の前にして、どういう生き方をするのだろう。

一人で行くなら、すべて自分でやる、という覚悟をしなくてはならない。

誰かパートナーを、と願うなら、これからのライフスタイルをよくよく考えて欲しい。自分のことだけでなく、親、また相手の親のことも出てくる。

今まで助けてくれた親は、こあれからは助けを必要とする年齢に、なってきているということを、わたしたち40代はキモに命じておかなくてはならない。

もし、20代のわたしにアドバイス出来るのなら・・・

「出産はなるべく早いうちにしておいた方がいいよ

と強く言いたい。

もし、わたしが20代、せめて30代前半だったら・・・娘にもきょうだいを作ってあげられたのに。

若かったら、無理もきくし、もっと育児を楽しめたのじゃないかな、と思う。

後悔はしても仕方ないが、人生の中で残念なことベスト3に入ることだ。

もし、子供が欲しいと思っているなら、なるべく早く出産するか、サポートできる人の近くに住むか、サポートをお金で買えるくらい豊かな経済力のある男性と結婚することをおすすめする。

そうでないなら、育児・家事に協力を惜しまない男性。しかし、いくら夫が手伝ってくれても夫婦2人での育児はキツイ、ということは確かである。

今を愉しむのは良い。しかし今が楽しいだけではいけない。

見たくないものを見なくても、いつかそれは否応なく目の前に、避けることが出来ない現実としてやってくる。

それは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

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2012年の金環食

2012-04-08 09:50:17 | 日々のこと

大学生の頃、秋田にいる従姉妹のところに遊びに行った

東北の夏は輝かしく、秋田の海は美しかった。

従姉妹は来年大学を卒業する年下の彼との結婚を控え、とても嬉しそうだった

そしてわたしを車に乗せて、いろいろな名所に連れて行ってくれた

その時、ドライブしながらヘビロテでかかっていたのがドリカムだった。

「あなたがいれば 他愛ないこんな時間も 泣けてくるほどしあわせな気持ちになれる」

従姉妹はそういう気持ちだったんだろう。

「未来予想図」は大学時代の親友と彼氏のテーマ曲のようなもので、知っていたけれどドリカムをよく聴いたのはこれが初めてだった。

「2012年の金環食」まで待っているから、とびきりの太陽のリングを贈って、という歌詞の歌は印象強くのこっている。

「2012年ってすごい先だな・・・そんな先ならこんなわたしと一緒にいてくれるひとがいるかもしれない・・・」

くらいしか思ってなかった自分は、永遠に20代が続くような気持ちの若者であり、バカモノであった。

そして2012年。やってきた・・・。

 

吉田美和さんが結婚された

年末の紅白は体調不良で出演せず、とても残念だったのだが、こんな嬉しいニュース(古くてスミマセン)を聞かせてくれた

最近は化粧品のCMで、輝く美しい彼女を見ることが出来て嬉しい

わたしは、あまたいるシンガーの中で、彼女自体が「神様の楽器」だと思うひとりである。

彼女がNHKだったと思うが

「私自身、音楽の力というものを信じられなかったときもあったけど、今は歌を届けたい」

というようなことを言っていたのを聞いた。

本当の闇の底に立ったとき、そこに光なんてない。そう思うものだ。

どんなことばも、響かない。聴こえない、見えない。

そんな場所に立ったことのあるひとなら分かる。

音楽なんて。そう思う。

でも人は回復する。

しみわたるように、音は降ってきて人を癒す。

それを知っているひとだ、と思った。

その彼女がまた歌い、そして人を愛し、一緒に歩いていける人を見つけた。

しみじみと、嬉しいことだ。

彼女の「なんどでも」や「朝がまた来る」にどのくらい励まされ、立ち上がれたか。

わたしはドリカムの熱心なファン、とは言えないが、つらいとき、涙が止まらないとき、隣で肩を抱いて歌ってくれるような彼女の声が支えになった。

彼女の声に音楽の力を感じた。

美和さん、おめでとう。

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めまい・その後

2012-04-03 22:56:52 | 日々のこと

体調は、なんかイマイチです

めまいはないのですが、なんかふわふわするというか

下を向いたり、疲れてくると「キーン」と耳鳴りがする

わたしも今年40、姉に相談したら「更年期もあるんじゃない?」とのこと。

そうだよな~、身体も変わってくるだろう。

どんどん「出来ることが増える」娘とは逆に、「出来たのに出来なくなってくる」ことが増えてくるだろうわたし。

規則正しい生活を送って、粗食、適度な運動をして、無理せず身体を使ってくことだ。

 

さて、きっかけになったと思われる、義妹の近所への引越し

なんと、出張している夫からメールがきて

「物件キャンセルした」

そうで

今日、おばあちゃんに電話したら何にも言ってなかったけど

なんか同じ会社の人がそのマンションに住んでいるとか、駐車場が狭くて車が心配、とかは聞いてはいたけど、キャンセルとは

不動産屋さん、ママ友の実家なのにまあいいけどさ

いろいろと夫もわたしも時間をさいて、わたしは悩んでいたのだけどね~。

夫が帰ってきたら詳細聞いてみます

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また、めまい

2012-03-27 19:19:15 | 日々のこと

夫の妹が歩いて5分という近場に、一人暮らしのために部屋を契約した

夫は最初、一人暮らしをメールで相談してきた妹に

「近い方がいいから、こっちに住め」

と軽く電話で言っていた。わたしには何も相談せず

そして休みの日には物件を見に行って(頼まれてもいないけど)、着々と準備をすすめ、契約したのは一週間もなかったかも。

義妹は、「一人暮らしをするのは自由な時間がほしいから。両親とも生活時間帯が違うし、一緒に生活するのは厳しい」とのこと。

彼女が具合が悪かったり、何かあったりしたら、すぐ行ってやるのは兄であり、実際はわたしだろう。

それは兄妹だから、協力し合っていくのはいいことだと思う

でも、これから風邪で寝込んだりしたらおかゆを作って持っていくのは私であろう。

そういうことを考えずに安請け合いする夫に抗議した

その後、妹に対して

「何かあったら面倒見るけど、俺達が困っている時にお前が助けてくれたっていいんだぞ」

と夫が言ったら、彼女は黙っていたそうだ。

「自由な時間が欲しくて一人暮らしするのに、あてにされても困る」

と。

どこまでも人の世話になろうという人は、ずっとそうなんだなあ、と思う。

夫は休みの日に身体も休めずに妹のために時間を割いて動いたり、これから引越しも手伝うつもりである。

住むにあたって土地勘のない妹に、地図を見ながらアドバイスしたり、お世話になる不動産屋さんがママ友の実家だったりして、わたしもいろいろと動いた。

いいけど、う~んという感じで。

契約前日になって妹が

「近くに住むことで、リツコさんが嫌がらないか、夫婦仲がおかしくならないか」

と心配しているから、電話で話してやってくれ、と夫に頼まれた。

契約する間際になってそんなこと考えるつーか、近くに住むって考えた時点でそう心配しないか

「子供が小さいから、そんなにやってあげられないし、出来る範囲で困った時は手助けします。

うちは8時といえばもうお風呂入って寝るし、そんなに会うこともないと思うし」

と話した。

それで次の日契約。

そして昨日、夫が早く帰ってきて、娘が甘えたのかご飯を食べなかった。遊びをやめない。

いつもならこんなことはないのだけど、パパがいるから怒られないと思ったのか

テレビ観るならご飯食べる、というのでテレビを見せたのだけど、ご飯をなかなか飲み込まず、40分たっても食事は進まず。

それで怒ったら娘は案の定「パパ~」と夫のほうに行き、私は「は~」っとため息をついて後ろに頭をそらしたら、めまいがぐるんぐるんした

あ、やばい、まためまいだ、と思ったら、もう立ち上がるときもぐるぐる、横になってもぐるぐる、寝返りぐるぐる、頭を動かすとぐるぐるだ

以前もなったなあ~。病院行ったんだっけ?目眩で一度行ったことがあるけど、妊娠してたから薬飲まずにいてしばらくしたら治ったんだ。

次の日は娘の習い事と、義理実家に行く日だったのだけど、これは行けないな、と思って夫に言ったらすんなりいいよ、行かなくて、ということになった。

血圧がちょっと高いような気がするし、多分怒ったのが悪かった

姉が目眩に悩まされているので、電話をしていたら、ベッドルームに夫と行った娘が来て「おしっこ」というのでパンツを下げてあげたら一人でトイレに行っていたので、夫に声をかけたのだが

「今片付けてるから」

補助便座を一人でセットしようとしていた娘は、間に合わなくておもらししてしまった

娘が頑張ってトイレに行こうとしたのに、また夫は片付けだ

わたしが具合が悪いと言っているのに、なんで娘をみていてくれないで、また片付けなのか

ひとのテリトリーにまで、自分がやりたいようにおき場所を変える夫。

それでどのくらいイラッとさせられているか

夫と暮らして、本当にストレスがたまる。

娘は「寝ない、食べない、生まれない」の三拍子揃った赤ちゃんで、今も夜は必ず起きる。

ギャン泣きするときもある。

ほんと、朝までぐっすり寝たことなんて、入院したときしかない。

姉も娘に手を焼いていて「命削って子育てしてるよ」と言っていた。

義理実家には娘と夫で行った。

わたしは一人で生姜湯とおせんべいや果物をかじって、横になっている。

こんな日って初めてではないか。

でもぐるぐるする

結婚生活がこんなにストレスフルなものだとは思わなかった。

わたしには子供は一人しか無理だ。

娘はとても可愛い。でも四十路の育児、サポートのない育児はつらい。

姉によると抗うつ剤を処方されたが、あまり良くならず、酔い止めを飲んだほうがきいたそうだ。

ああ、まためまいがする。

前回は義理実家に行ったあとになったんだよな。

わたしにとっては鬼門なのかも

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「おふくろは恥かしがり屋で」

2012-03-11 14:14:07 | 日々のこと

一年前の震災についての今日の新聞記事をを読んでいて、一番心に響いたのがこれだった。

南三陸町 介護職員 大屋和人さん(33)
「ばあさんとおふくろが家ごと流されてしまった。
 おふくろは恥かしがり屋で、まだ出てこねんだ。
 俺は一生懸命生きて、死ぬときに、俺がんばったよな、って思いたい。
 踏ん張ってやっぺし。」

まだ見つからないお母様のことをそんな風に言い表した息子さん。

この短い記事に、彼のお母様への想い、これからに対する想い、亡くなったすべての人への想い、一日一日を生きる想いがあると感じた。

わたしも、神戸の地震のあとにこんな風に思った。わたしも死ぬときそう思いたい。

行方不明者はいまだに3155人。
一人でも、一日でも早く家族のもとに帰れますように。

 

 

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春は別れの季節

2012-03-04 10:54:43 | 日々のこと

厳しい冬がようやく終わる兆しを見せてきました

寒の戻りがあと何回かあると思いますが、3月に入ればあとわずか

春が来るって、本当に嬉しいです

11月からずっと寒くて、年明けると雪がどかどか降ってきて・・・

「1年の半分は寒いじゃん

と関東に脱出したのですが、逆戻り冬はとてもつらいです

転勤族の方々も多いこの県は、春は別れの季節。

「秋田に転勤になりました~

あらら、さらに寒い地域に・・・でも海も山もあって楽しいよ食べ物も美味しいし

「大阪です~」

あったかくていいな面倒見がいい大阪人、楽しいよ~大阪にまずいものなしです

「沖縄に転勤になったよ

え~いいね~リゾートじゃん

13年異動がなかったのに、4月から沖縄に。

子供たちはあと1年で小学生、そして4月から幼稚園。

そういう時期を沖縄で過ごせるっていいね、とみんな口々に言います。

沖縄の基地問題とか、違った文化に直に触れることが出来る機会。

ママは編集者なので、「ホットな記事をお伝えするわ」と意欲的。

春は喜びの季節でもあり、寂しい季節でもあるのです

でも先日、サークルに行ったら

「ここにずっといるわけじゃないから旅行に来たと思ってあきらめてる。」

と言い、この地方のびっくりしたことを話しているママがいた。相手も転勤族のママ(この人は知り合いでした)

電車のドアが手動だった(豪雪地帯で寒いので、手動になっている)とか、駅前なのに真っ暗で、自分の地元に帰ったら街がまぶしかったとか。

ずっとここに住んでいる&住む人がほとんどなのに、聞こえるように話しているママたち。

ホームパーティの席で、あるパパが「ほんとここは田舎者が多くて仕事がやりにくい」と言っているのを聞いたことがありますが

(でもそのパパも地方出身なんですよねそして話しているママも、聞いていたらふたりとも神奈川のはずれでした

わたしも「あ~こんなとこイヤ~」と思うことも多い(特に冬)し、愚痴を言っているけど

なんか感じ悪~と思って離れました。

転勤して来るママは、たしかに不本意かもしれないけど、子供が小さいうちは地方でのびのび育てるのもいいと思うし、地方の良いところを知ってもらいたいなって思います。

沖縄に行くママ友は、ここで過ごした数年で郷土の料理をたくさん習って覚えていました

ここを「子育て県と言われるくらいの行政のバックアップを」とタウン・ミーティングで知事にうったえたり。

彼女は沖縄に行ってもここってわかるあのお菓子を作ってくれるかな

わたしは、夫の転勤はまずないので、ずっとこの地方にいることになります(離婚さえしなければ

最初は本当に「帰りたい」と思っていましたが、ここにいる、と決めた以上、自分の住むこの地域を良くしたいと思っています。

「ここに住んで良かった」、そして若い人たち、つまり今こどもである人たちが「ここにずっと住みたい」と思って、一度進学や就職で出たとしても、また帰ってこようと思えるところにしたい。

私が東京にいた時に、満員電車にランドセルを背負った小さな子供たちが乗ってきて、私立の小学校に通っているのを見たとき、

「こんな子供たちに地方でのびのび遊んでいる子供が勝てるわけないよな~

と思いました。こんな小さい時から、良い大学に入って大きな会社に入って・・・そういうことを目標としているわけですから。

でも、そういう子供ばかりでなくてもいいよね、とも思いました。

一極集中の時代はもう終わりに近づいている。

わたしが東京にいた頃、「いずれ首都は那須に移転するよ」とわたしに言った人がいました。

そういう時代が、来るかもしれません。

日本の人口の10人に1人が東京に住んでいる異常な過密地帯。

行き過ぎていることに、だんだん皆気付いてきている、そんな時なのかなって思います

 

 

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