明日から普通の生活に戻ることになりそうです。
なんとなく以前のブログを見ていて「ここ抜けてるな〜」とか「就園前はテレビだけが楽しみだったんだね・・・」とかいろいろと思い出されていました。
しかし婚活からの結婚、妊娠、出産、育児、DV、離婚の流れがつぶさに見て取れて、大変興味深いですね・・・
これを見ていると元夫がなんとか結婚してくてあの手この手、甘言を弄してますね〜言葉はタダですからね・・・もう義両親が「若くて新しい奴隷が来た!」って感じ、すごいし。義妹、どうしてんのかな・・・。
もうラブラブな夫婦が、妊娠して逃げられなくなってからの変わり様がすごいですね。お互い。
元夫の「片付け」に対する執念とかあと浪費もすごいね
これ、娘が大きくなってきたらどうなってたんだろう・・・間違いなくぶん殴られてただろうな・・・などと思って読んでました。でも途中までしか読めてません。
やっぱり出産後はエントリーが少なくて。
出産の大変さは書き残してましたね。
出産の日、何があったか書かれてないことがあります。
ある意味、ターニングポイントになった日。
この日のことを思い出したのは、きっかけがあります。
「となりのチカラ」
https://www.tv-asahi.co.jp/tonarinotikara/story/0004/
このドラマの松嶋菜々子さん回の再放送が、偶然目に入ったんですね。
怪しい宗教に入信して、マンションの住人に水を売りつけようとする女性。どうも子どもを亡くし、もう一人の娘とも絶縁状態らしい。その娘の婿が訪ねてきて「仲直りさせたい」と言うので、また松潤演じるチカラがひと肌脱ぐ・・・という回。
良い人かと思った婿は、実は金をせびりにくるクズ野郎で、息子の墓前で鉢合わせした親子は思いを打ち明け和解する。そして婿に言い放つ。「二度と姿をあらわすな!」そして孫を迎えに行き、思わず娘が泣きながら言ったのが
「この子を産む時、一人で心細かったんだからね!」お母さんにそばにいて欲しかった、と。
そこで私の脳裏に浮かんだのは、トロのお寿司。
母が出産後に買ってきてくれたそのトロのお寿司は、誰にも食べられなかった・・・。
私の出産の際は、母親が出てきてくれて、そばに付き添ってくれた。腰をずっとさすってくれた。
そう、私はひとりじゃなかったのだ。
そう思い出したら涙が出て、止まらなくなった。
「ごめんなさい、お母さん。来てくれたのに、せっかく来てくれたのに、ごめんなさい」
ひとり、テレビを観ながら泣いていました。
私の出産に際して、退院後に手伝いに来てくれることになっている姉や、わざわざ姉の所によって姉を送ってきてくれる私の両親のために、夫はしばらく自分の実家に帰る、ということになっていました。
しかし、突然夫は「自分の親も泊めたことがないのに、なんでお前の親を泊めないといけないんだ」と言い出したのです。
姉が自分の子どもの幼稚園を休ませて一緒に連れてきて、退院後の私の面倒を一週間見てくれる。その姉を送るために、私の両親も来てくれることになっていたのです。
あちらの義母は、自分より実の家族の方がいいだろうということで何も申し出なく。(私はそれで良かったので、姉にお願いして来てもらうことになりました。)
姉だって、自分の家庭があります。でも「リツコには自分の時にお世話になったから」と義兄も賛成してくれて、来てくれることになってる。
それを再度夫に説明したのですが、夫は納得しませんでした。
夫が自分の親を泊めないのは、潔癖症だからです。
でも今回はお願いしてきてもらうのだから、夫も了解していたのに。
私はそう言われて困ってしまいました。
そしたら父は気を悪くしたようでしたが、ホテルを取るから大丈夫、心配するな、と言ってくれました。
そして迎えた出産。
私は妊娠高血圧症で検診からの入院になってしまいました。
それを両親に連絡したら、母は新幹線に飛び乗ってしまったとのこと。母は5時間もかけて駆けつけてくれたのです。
でも、私はそれに感謝できなかったんですね。「勝手に来てもらっても困る」と。
なんでそんな風に思ってしまったんだろう。今はそう思います。
夫と母は折り合いが悪くて、また夫の機嫌が悪くなるのが嫌だったんですね。事実、それを聞いてなぜか夫の両親が病院にやって来て、「お前の親が勝手に来るから、うちの親も来なくちゃいけなくなっただろうが」と夫に怒られました。
意味不明ですよね
そして夫の両親は何するでもなくただ私が陣痛で苦しんでるのを見ているだけで、帰って行きました。何しに来たんだ?
母が来てくれましたが、私は冷たい態度を取ってしまいました。
「夫婦でやるからいいのに」と言ったと思います。
母は帰りがけに「りっちゃん、お母さん来て迷惑だった?」と寂しそうに言いました。
今でも申し訳なく思います。本当に、あんな寂しそうな母の姿は初めてでした。遠くから、取るもの取りあえず駆けつけてくれたのに・・・
「自分たち夫婦で乗り越える」なんて、甘い見通しだったことを、私は次の日知るのです。
こんにちは☺️



こんにちは
この一週間、めまいとたたかい仕事に行って、全く他のことができません!今朝もぐるぐる回ってました!
もうぐったりですよ・・・
週8時間労働で5日って多すぎじゃないですかね・・・
朝8時から仕事がスタートして終わるの18時とか19時って長すぎじゃないですかね・・・
以前、父の介護していた頃に週4日5時間からスタートしたことがあったんですが、もうすぐに「えっ、もう終わり?早すぎない?」ってめっちゃ楽だったんですけど、むしろもう終わりで全然物足りないので少し残業してもいいですよ?」くらいで。
このくらいのスタンスでやれないもんですかね・・・
このペースだと、いろいろな事情も相まって、結構いいお給料になるでしょうが、何にしても身体が資本。
お給料は多いに越したことがない、いくら稼いでも足りないシングルマザーとしては(子どもの教育費のかかりようってすげーな!子ども産まないよ、そりゃ)嬉しいですが死んだら元も子もないですから・・・
(それにしても、これだけ働いても独身時代の年収にはまだ足りないくらいなんですよね・・・。国家資格必要な仕事とはいえ、キャリアの断絶と子どもの養育は大きい。いいよな〜元夫は何一つ変わらなくて〜)
周囲では中学受験が終わり、悲喜交々といった感じ。
私の子どもが通う公立小学校は、都内に近い・駅近であることも影響しているのでしょうが、中受する人が多く、噂ではいろいろ聞きます。
私の娘は「受験?やなこった」って感じで、一度都内の女子校の見学会に行ってみたのですが、とっても良い学校でしたが「都内のど真ん中のここで地震が来たら帰って来れないな」等思ってしまって。(震災被災者脳)
結局本人のやる気がゼロなので、近くの公立中が結構評判良く、越境希望もあるくらいなのでもうそこで頑張れ!と。
その中学を卒業して都内の高校に通っていた姪は、この春には付属の大学に進学することになっていて「大学受験なしでいいな〜」とつくづく思いました
今は「友達みんなそこでバイトしてる」という某コーヒーチェーン店で初のアルバイトを始めてますギャル・・・
さて、復帰して言われたことが「娘さんの卒業式出られますね!」という言葉。そうですね・・・3月の卒業式、保護者の出席できるのかわかりませんが・・・
結婚して配偶者がアレで、母親が亡くなって、離婚して、脳梗塞で入院して復活して、学校行って資格取って働いて、父親介護して亡くなって、正社員で働いていたけど自閉症スペクトラムの娘のために転職したら交通事故で車に跳ねられて3ヶ月休職って、なかなかヘビィですね
まあ私の友達が少し会えない間にこれだけのことがあったよって聞いたら
「え・・・すごく大変だったんだね、大丈夫・・・?」
としか言えないですよね・・・。
うん、大丈夫じゃないけど大丈夫!
なんでそう言えるかというと、やはり家族がいるから。
力になってくれる家族がいるから。ですね。
何かと助け合って生きてきたから。一人じゃないから。きょうだいがいるから。
きょうだいを産んでくれた母には感謝です
さて、なんか私、最近思ったんですが「私ってひょっとして運悪くない・・・?」って
普通車に跳ねられないよね?青信号渡ってるのに。
「車に跳ねられたよ」なんて友達、聞いたことないよ。
この間、事故後初めていつもの美容院行ったんですよ。9月から5ヶ月ぶりに。だって頭の傷が痛いから、ひとに触られたくないんですよ。余計な気遣いさせちゃうから、やっと治ったのと担当のスタイリストさんが産休でお休みに入っちゃうので、めまいで予約を伸ばし伸ばしにしていたんですけどやっと行けて。そしたらやっぱり
「自分で転んじゃった、とかは聞きますけど、車に跳ねられたとかは聞かないですね〜」
って言ってた。そうだよね、知ってる
そんなこんなのある日、100歳の方とお会いする機会がありまして。
その方は代々続く商店の跡取り娘として生まれて、今は代替わりしてゆっくり過ごされている方で。
(私感なんですが、ご長寿の方って
感情の波が緩やかで、忍耐強く、他人の感情に流されにくく、自分の心身の最適解を知っていてそれを実践している方
が多い気がします。
元々の身体の強さというものもあるかと思いますが、身体が強くない方でも、絶対に無理せず大事にして、体調悪かったら病院にすぐ行きますね。逆に丈夫な人ほど無理するし、身体のメンテナンスを怠りがち。だから大病してしまったりするのかもしれない。私の母のように)
事故に遭う前からのお付き合いだったので、事故後初めてお会いして、いろいろとどんな状況だったのか等、お話ししていたところ。
「まあまあ、あなたも大変だったわねえ。
でも生きてて良かった。
ニュースを見ていると亡くなる人も多い。生きてて良かった。」
そう言ってくださいました。
生きてて良かった。
・・・そうだよね、鉄の猪にぶつかったのに、こうして自分で歩けるようになったんだよね。少し足首は曲がらないけど、めまいもしてるけど
打ち所が悪かったら、ここにはいなかったかもしれない。
そうですよね・・・!
私、運が良かったですよね・・・!(パァァァ)
100歳の方に言われると、その気になっちゃいますね!
なんかそれからずっと「私は運が良かった。休職したけど会社クビにならなかったし、みんなも暖かく迎えてくれたし、支えてくれる家族もいるし、うちもあるし、子どももいるし(死ねって言われたけど)帰ればスカステ(タカラヅカ・スカイ・ステージ)観れるし」って思ってます。
プラス思考!!
とはいえ、めまいしているんですけどね・・・
私が人生の中で一番聴いたと思われるアルバムは多分これです。
彼が作る曲を初めて聞いた時「すごい!この人はすごい!」と興奮して、貸してくれた友達に語ったことをよく憶えています。
今考えるとまさに「沼に落ちた」状態だった25年まえ。
その後彼は姿を消し、日本から去った。
そして日本に帰国し、開催されたライブに一度、行きました。
東京タワーを見ながら恋に浮かれていた独身時代。
母の病気が分かった時に、仕事帰りの車の中で泣きながら聞いた「強い気持ち強い愛」。
結婚生活が上手くいかなくなって繰り返し聞いた「我ら、時」
長い階段を上り、生きる日々が続き、今も私は生きています。
いろんな時に支えてくれた曲をくれた小沢健二さん。
なぜか私はライブの終わりに、お台場のガンダムを見ながら
「もういいかな」
と思ったのです。
なぜだろう。あれだけ自分を支えてくれた曲を生で聴けた。
歌うオザケンを観られた。
でもなんか会場にいる人たちは、スタンディングでの元気で、踊ったり歌ったり、歓声を上げて彼に応えていた。
でもなんか、私は自分が場違いのような気がしていました。
ライブというものにあまり縁がなかったというのもある。
私が観てきたのは一番が宝塚で、観劇は自分が参加するものではないんです。
客席降りしてきてくれた演者とハイタッチはするけど、あくまで見る側。
ライブのノリというものに、戸惑いを感じたのかもしれません。
そして強く思ったのが「私はここにいる人たちより彼のことを熱烈に好きではないな」ということ。
その頃のオザケンは、日本に帰ってきて若い人からは「誰。セカオワとかがリスペクトしているあのおじさんは」という感じだったのではないでしょうか。
「オザケンって本当にいたんだ」っていうのが冗談としてツイートされていたかな。
でも私もそんな「オザケンて本当にいたんだ」と同じ気持ちでした。
あれだけ私の心を動かし、力付けてくれた曲たちをくれた小沢健二さんて、本当にいるんだ、いたんだ。そんな感じ。
それからなんとなく、アルバムは買ったりしていましたが、聞かなくなってしまいました。
その後、若いアーティストと共演したり、髪の毛を青くしたり緑にしたり銀色にしたり息子さんと共演したりしている姿を垣間見てきました。
良かったね、ワガママだから〜って歌ってたあなたが今家庭を築いて幸せになっていて、本当に良かったね。ひとりではなく、一緒に生きていける人と。
なんかそう思っていました。ほっとしていた、といっていいかもしれません。
「僕はずっとずっと一人で生きるのかと思ってたよ」
と明るいメロディでスッと孤独を忍ばせてくる、若さでコーティングした彼の孤独が、今は多分癒されている。
良かったなあ、と思っていました。
さて、奇しくも2021年8月東京オリンピックに小山田圭吾さんが関わると聞いて、おお、ついに日本を代表するポジションに、などと思っていたのですが、彼は降板することになるわけで。
日本中の人が小山田圭吾さんの名前を知ることになろうとは。
そしてその時期に重なって小沢健二さんも記事になるんですよ。
なんか笑ったw
まあ真偽のほどはどちらでもいいんですけどね、なんか「私の中の青春は終わった」って感じたんですよ。
青春なんて、とっくに「華原の朋ちゃんが小室哲哉と共演して、彼に挨拶してお辞儀した時」に終わってると思ってましたよ。
でもまだ残ってたんだなあ。
もういいや、って。
今まで本当にありがとう、僕は行くよ。
そんな気持ち?
今も聞きますよ、オザケン。
Amazon musicにも入ってるし。
スカイツリーじゃない、きらきらした東京タワーをダッフルコート着て歩いてる。
そんな感じの気持ちで聞いてます。
そして先日、残してあったロッキングオンとか、ライブで買った「魔法的」の本やら、欲しい人に譲りました。
ほほう、ということが書いてあった「魔法的」。
それも次に小沢健二という人を知りたい人の手に渡っていくのが良い。
ありがとう。今まで引っ張ってくれてありがとう。
お幸せに、お元気で。
こんばんは
間が空いてすみません!
今日は休職中に多大なご負担をおかけした同僚の方々に、感謝の気持ちを込めてバレンタインのプレゼントをお渡ししてきました
お会いできた方は直接お渡ししたんですが、男性、特に嬉しそうでしたね
やっぱりバレンタインというのは特別なんでしょうか
私は日頃お世話になっている方に、感謝の気持ちをあらわせる日だと思っています。
私が以前読んだ漫画では、アメリカでは男性が女性に花やプレゼントを贈る日と描かれていて、日本とは逆なんですよね。
日本でも、男性から女性に贈れば良いのに。というか、男女別にしなくても、好きな人に贈り物を出来る日で良くない?と思うのでした。
バレンタインの発祥・女性から男性へチョコを贈るのは日本だけ?始まりはモロゾフ?! |
ぐぬぬ・・・モロゾフのせいであったか・・・!
私の中では「日頃の感謝をあらわす日」に認定します!
さてさて今日は
①めまいはどうなった?
②BSプレミアム宝塚公演観ました?の2本立てで書いていこうと思います!
木曜日の雪、凄かったですね皆さん、大丈夫でしたか?
私はというと、仕事終わった6時半ごろに外にでたら、スキー場みたいになってましたよ!
自転車引いて坂を降りてきたところで足が痛くなってきて、心折れて自転車置いて、地下鉄で帰りましたよ・・・
マジ「転んだらまた休職だよ・・・」
上司は「リツコさんは休職明けの体なんだから、タクシー使ってください!」っていってくれましたが
「スキーで学校行くってほんと?」って聞かれる地方の出身の私には、この雪は危ない・・・って分かりましたね。こいつは積もる雪だ・・・ってね!
そしてこの雪は明日の昼には溶けるってね
しかし疲労のピークを今日まで引きずってしまいましたよ夜眠くて眠くて
さて、この一週間、結論から言うと、欠勤しませんでした
リハビリ後、少しふわふわしてましたが、なんとか仕事に戻れて。
それはこれをやってみたからなんですね↓
もうね、とにかくこのめまいを治さないと。
そう思って検索かけてみました。(早くやればよかった)
以前、耳鼻科から教えてもらった体操と似てるんですが、大きく違うところがあります。
それは頭を垂らすというところ。
私が教わった体操は床に寝て頭をしばらく同じ方法に動かさずにしておくんですが、これは頭を下にするんですね。
リハビリに行き、今回は気分悪くなっても大丈夫なように姉に送迎をお願いしていたのですが、やはりダメで
その日は休みなので良かったんですが、こんなんじゃダメだ、なんとかしなきゃと半ばヤケクソでめまいがする中、ベッドで寝転んでやってみたんです。
「80〜90%の人が治ります」
ってこの先生、仰ってるじゃないですか!そうするとこの「8〜9割の中に自分が入るだろう」と思うのが、私という人間なんですね。
めまいがしている最中に寝返りみたいなアクションをするって、結構つらいんですよ。おえええ〜ってなる(ごめんなさい)
でもこの時はもうなんでもやってやるわ!っていう気合いでやってみた。
そしたらその後、かなり良くなってるんですよ。
私は左の方を向くとめまいぐるぐるになってしまうので、左向きには寝ないようにしていたんですが、今朝気がついたら左に寝てて
そしたらやっぱりぐるぐるきたんですね。
だからまた体操して、吐き気留めとめまいの薬を飲んで仕事に行きましたが、大丈夫そうです。
おお・・・本当に効きましたよ、先生!
耳石、おさまってくれたみたいですね・・・
このまま大人しく、元いたところに戻ってじっとしていてくれ!
そしてさっきまで私がどうしてもこれの録画を観たくて、またこんな時間になってしまいました。
↑昨日の深夜、BSプレミアムで放送されていました、月組公演「桜嵐記」
宝塚の公演は、
①Blu-ray・DVD収録の映像
②タカラヅカ・スカイステージの映像
https://www.tca-pictures.net/skystage/
そして運が良ければ
③NHK収録のハイビジョン映像もしくは8K映像
で観ることができるのです。つまり、同じ舞台映像でもアングルが違う・・・ なのでそれぞれのバージョンを集めることによって、様々な角度から推しが観れるということなのですよ、奥さん!
今回はこの③の映像が放送されました!
NHK収録の映像の特徴としては、私感ですが「引きが多い」。
要は「全体を観られる」ということですね。
そしてハイビジョンならではのどアップが美しい
次の日仕事でリアタイ出来なかったので、先ほどざっとですが観てみました。
これが涙なくしては、観ることができないんですよ・・・
月組トップスターコンビ、珠城りょうと美園さくらの退団公演。
時は南北朝時代、楠木正成の遺児・正行と弁内侍の物語。
「ダンスの花組」「日本物の雪組」などと言われる中で、「芝居の月組」と称される、芝居校舎揃いの組。
雪・月トップコンビ退団作を立て続けに作・演出されている京大卒・座付き作家の上田久美子先生の作品。
これがもうね。素晴らしい作品でね・・・トップ・コンビ退団と重ね合わせてもう涙涙でマスクも濡れる。
「四條畷の戦い」といえば、足利尊氏と戦った楠木正行がどうなるか、歴史に残っているんですけども。
「命の使い道」「何のために戦うのか」
そういったことを突きつけられる。
ご好意で大千秋楽を観せていただけたんですが、こんなにも歴史上の人物が血肉を持って迫ってくるものかと思いました。
私が大好きだった楓ゆきさんも、この公演で退団されました。彼女の演じた阿野廉子というお役は、彼女が今まで演じたことのないお役。
このお役を楓ゆきという娘役の最期に当ててくださった上田久美子先生には、感謝しかないです。まさに集大成、というお役を演じ切ったたんちゃん。
まだこの「桜嵐記」という作品には、情緒がかき乱されてうまくまとめられません。
でもぜひ、観ていただきたい作品です。
私世代だとご存知の方もいらっしゃるかな?
惜しまれて早世した夏目雅子さんという女優さんの姪である風間柚乃(かざまゆの)さんが足利尊氏役で出演されています。
華があり、強い瞳でひとを惹き付ける男役さんです
ショーの「Dream Cheiser」も、キャッチャーなメロディの良作なので、ぜひ一度ご覧になっていただきたいです!
さて、この一週間ほど、感じたこと、思い出したこと、たくさんありました。
私はやはり、何か書くことによって自分の姿を鏡に映すようにしているのかもしれません。
いろいろ書きたいことがたくさんありました。
眠気と戦いつつも、徐々にアップしていきたいと思います。
今日はこれにて。読んでくださってありがとうございました
こんばんは!
最近、仕事復帰しました!
事故から3ヶ月余り、ようやく仕事再開することができました。
同僚はあたたかく迎えてくれて、段階的に業務を元に戻していく様に気遣ってくれました。
ありがたい・・・
復帰の朝まで、
「嫌だなあ〜起きたくないな〜朝ドラ観て、あさイチで華大の朝ドラウケ観たいよ〜」
とか思っていたんですが。
会社に行って、私がいない間に進んだ時間と業務を見て、ああ遅れてしまった・・・
という気持ちもありました。
でもやっぱり
「また仕事できて嬉しい」
という気持ちが湧き上がってきました。
大卒で働き始めてから今に至るまで、ずっといろいろな形で働いてきました。
働くことはずっと私の人生の中にあって、かなりの時間を占めてきました
仕事をすることは生きている限り当然であって、だから学校に通っていたことはあったけれど、妊娠・出産・育児以外で仕事をしていないことはなかったんですね。
だから今回事故でこんなに長い間お休みしたことは初めてで。
事故に遭った後
「私はまた働けるのだろうか?」
「仕事に戻れるのか?」
「こんなにめまいがひどくて、元に戻れるんだろうか?」
ずっと不安でした
当然、検索しても私の骨折が完全に治るかなんて分からなかった。
このひどいめまいも、果たして生活に支障がないくらいに治るのか。
このブログで、事故について記して行きますが、先に今の段階での私の身体の状態は、
端的に言うと事故前の7、8割です。
足のリハビリはあと2ヶ月ほど続きますが、理学療法士の先生は
「完全には元に戻らないかな」
と仰っていました。
そうでしょうね・・・と思う私。
でも、9割くらいまでは頑張れば戻るそうです!
ドクター「正座はやめといて。できないと思うけど」
はい・・・
ドクター「めまいはもう治らないので、今の状態に慣れてください」
ええ〜・・・
まあ仕方ないですね。
事故車みたいなもんかなと思います
でも生きてるし、また仕事に戻れた
宿題に苦しんでいる娘が
「もっと頭良く生まれたかった!」
ってよく言うんですけどね。それに対して私は
「今ある道具で戦っていくしかないの!」
って返すんです。
そう、今の自分で戦っていくしかない。
だから徐々に、無理せず。
でも、足少し痛いです〜
追記
帰宅して「ヴェラキッカ」大阪公演、宝塚博多座公演、宝塚大劇場、バウホールの公演中止、
雪組スター・綾鳳華さんの退団発表を知りました
でも公式の供給は止められてない。
今あるもので頑張る!!
お久しぶりです
なんと4年ぶりの更新になります。
ずっと、更新したかったのですがいろいろなことがありすぎて、gooのログインパスワードを忘れ、連絡先メールアドレスも変更しないまま、携帯電話を解約してしまい、ワンタイムパスワードも届かなくなってしまいまして。
詰んだ
いろいろ、やってみたんですよ・・・
相当、パスワード入れてみました。そうこうしている内にIDまで忘れてしまい、全ては忘却のかなたへ・・・
というところでしたが、ちょっと訳あって、思わぬ時間ができたのです。
唯一の手がかりは、ブクマしていたこのブログ。
そのURLをコピペしたところ、IDが表示されて判明!
そして心当たりのパスワードをいろいろと入れてみたところ・・・
ヒットしました!
お久しぶりでございます!
めっちゃ嬉しい!!!!
えらい!わたし!It's miracle!!
こんなことある?!
10年の蓄積がまた読めます!
この4年の間に、いろいろありました。
2018年の8月が最後の更新。
この時、まだ父は生きていますね。
一昨年の初春に、父は逝去しました。
もう2年になるんですね。
それからいろいろありました。
今は娘とふたり暮らしです。
まだ始めたばかりなのですが、こちらが別のブログ。
↑ここに思いっ切りネタバレしておりますが
神戸の震災に遭った時、出産の時、鬱になった時、脳梗塞になった時、
「これは死ぬかな」って思ったんですが、
5度目きました。
でも生きてる。
これからは更新していきます!
「鎌倉殿の13人」も始まったしね!
前からの方も、これからの方も、お楽しみに!(この絵文字も懐かしい〜!)
こんばんは。
あっという間に夏になってしまいますね!またまたご無沙汰しております・・・
この絵文字も懐かしい・・・もう10年もブログをやってきているので、長いおつきあいになります。
毎日来た球を打ち返しているうちに、半年がたってしまいました
1月に試験を受け、国家資格が取れ、仕事に就きました。
その後、インフルエンザが猛威をふるった冬をやり過ごしたのに、4月に入ってまた父が体調を崩し入院。
ついに急性憎悪を起こしてしまい、父の肺の状態はもう在宅で過ごせるギリギリの状態になりました。
そして今は自宅で訪問看護や往診を受けています。
今度、急性増悪になればきっと父は最期なんだろうなと思います。
ただ、薬の副作用で食欲が増進し、父はいまだかつてないほど真ん丸な顔になっています。
今までこんなに丸い顔になった父を見るのは初めて。いいのか悪いのか・・・あまり具合が悪いように見えないのですがね
何をするにも息切れがひどくなってしまい、食事を摂る、トイレに行くのもやっと、入浴は週一回できるかどうか、という状態。
先日もまた微熱が出てきて、これが続いて受診を拒否していると悪化して入院、というパターンなので用心していたのですが、熱が下がりほっとしました
息苦しい以外は普通に過ごせるのですが、いつ悪化してしまうか。
父とのお別れの日が、近づいているんだろうなと感じます。
しかし、「病院に行こう」と言っても「いい」、「看護師さんに来てもらおう」と言っても「いい、大丈夫」。
そうしているうちに悪化→入院とか、最悪の事態に。
今回も、入れ歯にヒビが入っているのを見て「これ直さないと。歯医者さんに往診してもらおう」と思い、訪問看護のナースさんに相談したら「いい、いい」と断る。
かねてから入れ歯をすぐ外してしまうので、外出してから「あ、入れ歯忘れた」ってことが多々ある父。
原因は「入れ歯を入れると痛いから」。じゃあ入れ歯もメンテナンスをしてもらわないといけないし、口腔ケアは自分で食べるために必須。
だからいろいろ調べて、父が外出するのはとても大変なので往診してもらえる歯医者さんをケアマネさんにお願いしているのに。
「いい、大丈夫」
判断能力がある人は、本人の意思を尊重する。それが基本。家族がいくら言ってもダメ。
だからその話も立ち消えになってしまった。
父の口癖は「いい、いい」「大丈夫」「なんとかなる」。
母がよく言ってたことが分かった。
今まで「何とか」してきたのは母だった。
よく母は「お父さんは嫌なことはとにかく見ない、聴かない、逃げ続ける。卑怯だ。みんなにいい顔してる」と言ってた。
母が亡くなった今、よく分かった。
そして今、「何とか」するのはわたしなのだ。
あーあ。
耳が痛いことを言うと声を荒げて黙らせる。「じゃあ好きにすればいい」「もうその話はいいって」。
丸投げで、嫌なことは聴かない、考えない。
でもわたしは娘なので。
そして、入れ歯がついに割れてしまった
だから言ったのに。前もって備えていたのに。
でもね、また父が「じゃあ好きにすればいい」と怒鳴るので、言いました。
ちゃんと判断能力がある人の意思は尊重されるので、家族が勝手には出来ない。
わたしが「好きにする」ことは出来ない。
「だからお父さんが決めて」
父に選択肢と、それを選ぶメリットとデメリットを説明した。
歯医者に行くのか、往診してもらうのか。
入れ歯は何かでくっつけて使うのか、それとも使わないか。
使うなら金具がゆがんだりする可能性があること。
使わないならお粥など歯茎で食べられるものを食べるのか。
ひとつひとつ、論理的に説明して、選んで答えてもらいました。
父の選択は「入れ歯はそのまま使う。往診をケアマネに依頼する。」
・・・今まで、すべて先回りしてやってあげてた。
好きな食べ物を買い、食べさせ、「いい」と言われればその通りにして、悪化すれば病院に連絡して、仕事を休んで病院に連れて行く。
入院したら姉と交代で毎日新聞を持ってお見舞いに通う。
退院前に介護用ベッドを入れ、業者を選定し、契約し、段取りつけて備える。
便秘がちの父のために毎朝野菜とバナナのジュースをミキサーで作り、白湯を飲ませ、ヨーグルトを食べさせ、乳酸菌入り飲料を飲ませる。
トイレに行ったあとの父は、状態が悪い時は布団をかけるのも出来ないくらいだから、父が夜3回トイレに起きる時は起きて布団を掛ける。夜様子を見に行く。
父はいつしか、「いただきます」も言わない様になった。
何か不都合があればわたしが調べて手配して。介護ベッド入れて手すりつけて、何不自由ないように退院を迎えた。
そして父の良いようにしようとしてもうるさそうに「いい」と言われて。
父の「いい」「何とかなる」に何も理由がないんだな、と最近分かった。
根拠のない拒否。身体がつらいから、面倒くさいからというのはあるだろう。
でも、わたしの提案に、根拠や調査があるなんて、思いもしないんだろうな。
それで結局やってみて「やって良かったな」という結果になるのだ。
その繰り返し。
最近分かったのだけど、わたしは「同じことを繰り返してる」っていうのが本当に嫌いなのだ。改善しない人が本当に無理。
元夫もそうだったんだけど、改善しないで何年も同じことをやって我慢だけをしているっていうのが、我慢ならない。
だからここ数週間、いらいらしっぱなしだった。
愚痴を言って姉にキレられ、「出ていけ、私がお父さんを見るから」とまで言われたりした。
でもね、実際毎日毎日、父のお世話をして健康管理をしているのはわたしです。
体温と血圧を測って、整容させて、食事を摂らせ、身の回りのことをする。
他の人には出来ないのです。だって、家庭があるから。
わたしは家事・介護・娘の世話、仕事をしている。
姉たちは手伝いはしてくれる。
でも、キーパーソンはわたしなのです。
これって、育児と同じじゃない?って思った。
パパやそれぞれの親やシッターさん、手伝ってくれる人はいる。
でも、結局、ママなんだ。
それと同じ。
いろいろ言えるよね、外野は。育児でもそう。「もっと愛情持って優しくしてあげたら?」
でもやっているのはわたしだ。毎日毎日、いつ終わるとも分からない介護をしているのは。
わたしは、わたしの負担も減らしたいから、訪問看護も調べて来てもらってるし介護用品もレンタルしてる。
でも「もう来てもらわなくていいんじゃない」と軽く言う。
ツィッターで流れてきたのだけど「自分で費用も負担するからシッターを頼みたい」と言った奥さんに対して「おれ、他人が入ってくるのいやだな」かなんか言って却下されたっていう漫画。
そういう感じですね。
利用者の生活の質を上げるためでもあるけれど、家族の負担を減らすこと。
知らない人には分からないかもしれないけど。
今、ちょっと買い物に行ってもゆっくりなんて出来ない。
いつも慌ただしい。自分の時間も取れない。
「あれ?前もこんなことやってたなあ」
と今日も思ったけど、「ああ、娘が小さい時だ!」って思い出した。
人に預けててもずっと気になってる、あの感じ。
・・・ほんと、育児と介護は似ている。
でも子どもは大きくなって、今実際娘はわたしを助けてくれる。
親は逆なのだ。出来ないことが増えていく。
これはつらいことだ。
医師からは「2.3年ももたない」と言われている父。
でも父は「肺移植とか出来ないのかな」などと口にすることがある。びっくりする。
「もういつ死んでもいいんだ」などと言い続けて、味の濃いものを好み、薄味の料理にしょうゆをぶっかけるのを止めない父。
父の人生の最期に生活を共にして、本当にいろいろなことを見せてもらっている。
ひとって、変わらないんだなあ、と。
そして、父の生き方は、高度成長期の日本のサラリーマンにはぴったりと合っていたのだなあ、と。
今、わたしは子どもがまだ手がかかる年齢で、自分も40代半ばになり、親の介護も重なってしまった。
20代で子どもを産む、ということは、親もまだ若いし、理に適っているんだろうな、と思う。
今30代のお母さんと、私とでは体力が違うしかし痩せることはない
育児と介護が重なるという事態になってしまっている。
しかも、仕事もキャリアを断絶させないためにしていかないといけない。もちろん生活もある。
きついです、正直
さーてどこまで持つかな・・・。
しかし、元夫もそうだったけど、自分が怒鳴りつけた相手が作ったご飯を、よく平気で食べられるものだな、と思います。
「ごちそう様」も言わず、わたしはまた父の汚れた入れ歯を洗う毎日です。
お久しぶりです。
あっという間に一年以上たってしまいました・・・申し訳ありません。
この一年、何をしていたかと言いますと・・・来たボールを打ち返して、一年。
昨年アップさせていただいたブログのあと、父が肺炎になり、危ないところでしたが持ち直し・・・そしてまた年末年始に体調を崩し、入院しました。
父の不調から不調への対処、そして娘の学校との対処、そして私の資格取得。そんな一年でした。
一年なので、何を書いたらよいか分からないくらい、いろいろと目まぐるしい日々で・・・
しかし一番は父のことでした。
昨年末、一晩にして高熱が出てしまった父は、年明けに病院にかかったところ、肺炎になっていました。
しかし抗生剤が効き、幸い入院せず(というか、入院を嫌がったので)自宅療養をしていました。
そして父がある日
「ちょっと見てくれ」
と言うので行くと・・・下腹部からなにかがぽこっと出ている・・・
これ、鼠径ヘルニアだよ・・・腸がね、出ちゃったっていうか・・・
そして手術です。
すぐ近くの病院に入院して、手術をして、10日くらいでしょうか、退院しました。
その時、姉弟3人で手術中、病院で待機しながら話し・・・思い出していたのは母のことでした。
母が亡くなって、父も手術か・・・そういう歳になったんだな・・・
手術が終わって出てきた父は、なんとなく意識が混濁しているようでした。
入院中も、たまにどこだかわからない様子で、見当識障害が起こっているのかな?と感じました。
なので、できれば今回も入院させたくなかったのですが・・・
でも、パルスオキシメーターで75という数値が出て、父も苦しくて体を横にして眠れなくなり、ついに入院を承諾しました。
通常、95~100という数値なのに、70台というのは、相当苦しかったと思いますが、そこは我慢強い父
頑として入院したくない!と言っていました。
でも・・・入院を承諾して、酸素を付けたら苦しくない
やっと在宅酸素療法を承諾しました。
今は自宅で療養しています。
入院中、医師から呼ばれ、「癌の終末期と思ってください。これからは、通院も負担になるだろうので、在宅診療に切り替えた方が良いです。」とのこと。
となって、
となりましたよ・・・。
「もうここで出来る治療はありません」
そして、週末が明けたらすぐに「明日退院してください」と言われました。
父の肺の状態は、ずっとあまり変わらないのに、急にもう治療法はないから他に行け、というのは、父が罹患していたもうひとつの病気があり、
その手術をずっと病院側はしたがっていたのですが、今回在宅酸素療法をすることになり、もう手術をすることが出来ないので、ではないかな・・・
と私は思いました。父の病院は、ずっと姉がついていっていたので、私もついていっていたら良かった・・・と後悔しました。
父は「ここが俺の死に場所か・・・」と言っていたのですが。
嘘でしょ・・・と思う気持ちもあります。
でも希望は捨てていません。
自宅に帰ってきた父は少しずつ元気になって、ボンベを引いて外出することも考えています。
食欲も戻ってきましたし、酸素をつけていれば普通に生活できます。
父の住所を移し、介護保険などの手続き、諸々に奔走する日々です。
これからのことを考えると不安です。
でも私には支えてくれる家族がいますので、大丈夫です
いろいろなことがあった1年、少しずつ記録していこうと思います。
はまっていたのは「女城主 直虎」でしたし、夏には家族旅行も行きました。
また近いうちにアップしますね!