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魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

春がきた!

2023-03-13 01:33:00 | 日々のこと

 

2023年、初のブログになっております!

暖かくなって来てやっとやる気が出て来ました

3月、一気に5月の陽気になりまして、自分の元気度が上がってくるのを感じます。

わたしは寒がりなので、朝はニット帽とスヌードを常備しており、靴下も先週まで2枚履いてました!

朝、外に出た時に感じる首筋に「ヒヤッ」とした冷気を感じなかった日、わたしのやる気は凄かったです

暖かさに誘われて公園にはたくさんの親子連れ、早咲きの桜が満開になり、世界は喜びで満ちていました

その日、わたしはプチ模様替えと衣替えをしちゃいました。仕事の後なのに、やる気が漲って。

そして分かってしまいました。

「寒さがすごいストレスになってた」

ってことを。

若い時は寒くてもそんなことは物ともせず出掛けられてた。でも「寒いからやめよう」っていうのが今は普通で、結果、車でしか出掛けてない。それか観劇に日比谷しか行ってない。(宝塚観劇)

と、気がついてしまった

寒い→体調崩す→しんどい→出掛けない

という予防パターンに流れていって。ほぼ休みはうちにいる、という生活でした。

しかしこの一日。わたしは身体の調子がすこぶる良く、気持ちも上がっているのを実感していました。

あったかいと身体がラク・・・

半世紀生きて来て、実感しました。わたしは寒いと使い物にならないと。

少し寒気を感じたら、葛根湯を飲んだりカイロ貼ったり、布団乾燥機でフカフカぬくぬくになったお布団に潜り込んだりしないとだめ。後で自分がつらくなる。数秒の薬飲んだりする時間を惜しむと、1日体調悪い中仕事するハメになってしまう。

だから予防に力を入れるようになりました。

老い。それは確実にやって来る。

若い時は朝の4時まで飲んでて朝入浴してまた出社したこともあったのですが、30過ぎて漫画の「デス・ノート」を一気読みしたくて漫喫で徹夜した後、めちゃくちゃリカバーが大変で、「ああ、もう徹夜なんてできない年齢になったんだな・・・」と老いを感じたのを憶えています。

この1月に東京公演をしていた星組。

突然に天華えまさんに目が惹かれ、また宝塚の歴史の中でわたしが観て来た中で身体能力が一番優れているトップ・礼真琴さんの凄さに改めて感服し、星担になったわたしは、星組の過去作を見返し始めてしまい休日前は深夜まで録画を漁る生活をここのところ送っていたんですが、やっぱり寝ないとだめですね

わたしは「規則正しい生活」という習慣が身についておらず、年齢がいってくると、これが本当に強いということが分かって来ました。

自分が使えるエネルギーがどのくらいなのか、それをどのくらい仕事にさけるか。その目処が立つ。そしてそれを一定化させられる。疲れを溜めない。パフォーマンスを保てる。

そういうメリットがあります。

若い人は、今から規則正しい生活を身につけていた方が良いですよ

この歳になってやっと実感したというか。賢い人はずっと昔からわかっているんでしょうけど、わたしはなまじ無理が効く、過集中なタイプなので、体力がついて行かなくなってから気付きました。

高校時代の担任の先生が、華奢な男性だったんですがご自分でも身体が弱いと仰っていて「自分はすぐ身体を壊してしまうので、学生時代も試験勉強で夜更かししたりしなかった。無理するとすぐ寝込んでしまうので、それなら勉強してなくても規則正しく生活して早めに寝ていた。そうしないと後がつらいから」とお話ししてくださったことを思い出しました。

今、その気持ち、めっちゃ分かります、先生

無理が効かない身体になってます、中年になって。

もう海外旅行とか行けないかな・・・国内旅行も億劫になっちゃってるな・・・定年になってから海外旅行行ってる人とかすごいな・・・この先定年(あるのか?わたしたち世代に?)になったとしても、わたしにその気力って残っているのだろうか?

わたしの両親は、父が63歳母が60歳の時に東北の実家に戻り定年後の生活を始めました。

両親が亡くなった後の家は、全く片付いておらず、なんなら10年前に転居してきたまま手付かずの段ボールとか多数あり。

しかも調べたら家の名義も祖父の名前が消えてないという。

家の片付けを始めて3年になりますがまだ2つあるお蔵の2階が手付かずです

10年間、何やってたんでしょうね???

でも自分が10年経って、10代前からある先祖のものと、自分たちのもの、両方を片付けなきゃいけないってなったら、やれるかは自信ないですね。体力も気力もないだろうと思います。

若い時とは違うんです。

そして若い人はそれを想像することは難しい。

なんであんなに○ルコサミンとか青○とか○んにく卵黄とかCMやってるのか、今なら分かる。失われたものをそういうもので補おうとしているんですよね。

体力。これがあれば、人間大抵のことは出来る。

健康もしかり。身体が健康でなくては、まずはそれから。

現状維持すること。

「今日が一番若い日」と聞くと、またまた〜なんて思っていたけどこれは本当、真実です。

今はこれ以上落ちないように、現状維持すること。

わたしが始めたのは筋肉をつけて現状維持するためにカーブスに通い始めました。なかなか良いです。体力がついたし、疲れにくくなりました。

とにかく「落とさないこと」です。無理はしない。

なんか切実な感じの2023年初のブログになりましたが、最近ふっと浮かぶ言葉は

「あとは死ぬことだけ、死ぬことだけね・・・」

です。

これは宝塚の「ベルサイユのばら フェルゼン編」で、捕えられて処刑を待つマリー・アントワネットのセリフです。

大抵のことはやってきて、子どもを一人で立っていけるようにすることだけが懸案なのですが、心境的にもうこれです。

また、最近異動になり、職場での新しい人間関係が構築されてきているのですが、わたしの身の上も少しずつカムアウトして、その上で言われるのが「まだ若いから出会い・再婚もあるでしょ」という言葉。

それに対して口をついて出た言葉が

「ないですね。もう誰とも出会いたくないし、関わりたくないです。」

でした。自分でもちょっとびっくりしたんですが、言葉にしてから自分のなかにあった気持ちがはっきりして、それにも驚きました。

もう誰のことも深く知りたいとは思わない。理解したいとも思わない。

本当に、そう思っている自分にびっくりです。

でも、新しい同僚のことは「この人はどういうひとなんだろう?なんでこの仕事に就いてるのだろう?」という気持ちはあります。

この先、自分の中に立ち入る人をつくりたくない。

そういう気持ちが強いです。

ああ、わたしは元夫との関係につくづく懲りているんだな、と思います。

そして傷付いたんだな、と自覚しました。8年近く経って、それを認められるようになったんだなと。

結婚生活は約8年でした。元夫と別れて同じだけの年数が経ったことになります。長いとは感じませんでした。子どもの成長と一緒に、あっという間だった気がします。

これから先、わたしが誰かを心の中に入れることも、誰かに自分をあずけることも、金輪際ないだろうと思います。

子どもとふたりの生活。それがいつまで続くか、子どもが大人になってひとりになっても、他の誰かに関わったり、生活を共にしたりすることは絶対ない。

それは寂しいことかもしれないけど、わたしには合ってるんだろうと思います。

孤独は必ずしも寂しいとは限らないんだと、健康の大切さと共に、今になって自覚した次第です。

みなさま、良い春を!

 

 

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良いお年を‼︎

2022-12-31 14:01:00 | 日々のこと
皆様、こんにちは。
お正月の用意は進んでいますか?
私の大掃除は、10数年ぶりに換気扇をピカピカにした事で終了〜としたかったのですが、流石にね…
掃除機をかけてお節を作り、カーテンを洗い、お風呂場を磨き上げ。力尽きました…
しかし‼︎今年は子どもが窓を‼︎拭いてくれました‼︎😭
そして洗ったカーテンもつけてくれました‼︎
教えたら、できる様になった…子どもの成長、すごい…お年玉奮発します☺️
年末の大掃除をすると、毎年思い出すのですが、結婚して2度目の年末のことです。
私はりおがお腹にいて、春に産まれるのでややお腹も大きくなってきた頃でした。
それなのに、今思うとやめとけ💦って思うんですが、テーブルに乗って天井の電灯を拭いたりしてたんですね。危ない😓
夫は年末年始も仕事なので、1人でやっていたのです、新居の大掃除。
それで換気扇も綺麗にしようとしていて、ファンの羽でザックリ掌な親指の下あたりを切ってしまったんです😢
結構深くて、なかなか血が止まらなかったのを憶えています。
今思えば、馬鹿だなー手袋してやんないと、新居なんだからそんなにしなくてもよかったのに。
その傷、ずっと残ってました。
でも、その時帰ってきたら夫は何も言いませんでした。
大丈夫?もなく、スルー。
「あれ?」と思ったのを憶えてます。1人で大掃除したこともスルー。
それでも、初売りの日、夫の下着と靴下を買って帰ってきたのも憶えてる。自分のものは何も買わずに。
なに?この奴隷根性。
ゾッとするね。

だからずっと換気扇掃除、してませんでした。
でも今年はふっと「やるか…」という気持ちになってやってみました。
洗剤につけて1時間半くらい?古い歯ブラシで擦ってピカピカ✨になった換気扇。
ふと、右手を見てみたら、2008年の年末に深く切った傷跡は、ほとんど分からないくらいに消えてました。

50代に入った私の人生。
結婚して出産して離婚して大病して事故にあって。行きたいところも行ったし、食べたいものも食べたし、大抵の事は経験したかな〜。
「あとはもう死ぬことだけね…」と処刑前のマリー・アントワネットのセリフが頭に浮かぶこの頃。
さあどう死ぬか?というのがここからの課題ですね。
20代は恋をして
30代は仕事して
40代は激動でした。
まあとにかく、りおを大きくしなければ‼︎それだけです!

皆様の来年が、より良い一年になります様、お祈りしております。
良いお年をお迎えください!
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地獄…鎌倉殿あと2回‼︎

2022-12-05 03:02:00 | 日々のこと
こんばんは‼️
今までも「地獄…」って思ってきたけど、今日は流石に声出たし、泣いた。
「ありえない」
と膝から崩れ落ちる政子に。
「頬紅さして可愛くしてね」
と強がる実衣に。
謀反を企てたとはいえ、実の妹の首を刎ねよ、と言い放つ小四郎。
おま、鬼か‼️
「鼻と耳を削いで流罪」
っていうのにうっそ…パッパでも伊豆に流しただけなのに…?ひど過ぎない??
「耳たぶだけに」
っつートキューサに、ここは笑っていいところなのか⁈と戸惑っていたら、それを突っぱねて面倒だ、首を刎ねよと言い放つ小四郎。
いや、もう小四郎は死んだ、こいつは義時。
あれほど手を引きたがっていた政子が、「死にたくない」と縋り付く妹を助けるために、ついに尼将軍へとバージョンアップを決意する。
実衣が言った通り、「政子が頼朝と一緒になったから」妹の夫も子も、自分の子も孫も死んだ。父親も流されて「みんないなくなった」。
政子には責任がある、そしてそれから逃げない強さと賢さ。
私の中で、「平清盛」で演じた杏さんの政子が、岡田将生・頼朝に「私を明日に連れて行ってくれ」と言わしめた、あの政子がつながった感があった。
やはり北条政子という人は稀有な人物だったんだな…
来週は待ちに待ったあの檄を飛ばす尼将軍が観られる‼️たぎるわ〜‼️
最近いつも斜め45度に傾いている黒義時。嫁との間も最悪、そしてついに菊地凛子のえさんが鬼の形相で涙をためている次週予告。
「俺たちの泰時」と嫁とのやり取り、微笑ましくて身長差に萌える…この夫婦はこのままいけるのか?
すべてが不穏。
そして「村」をもらったからって、強火担の平六は「知らねえよそんなこと」って言うんだろうな…この筋肉め。
あー地獄、また地獄。
ほんまに義時の物語はどう落とし前がつくんだろうか…
せめて来週の尼将軍でスカッとしたいなあ〜!
明日は寒いらしいので、皆様暖かくしてお休みください。
それでは、また☆



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ときめくモノ。

2022-11-09 01:20:00 | 日々のこと
今日の月は娘と見ました。
仕事が終わって見上げた月が、下の方から欠けていた。ああ、今夜だ。マンションの下に娘を呼んで、2人で見ていました。
娘は仲良し5人のLINEグループ通話をしながら、それぞれから見える月の画像を送り合っていました。
令和〜!
武士も「おぬし、見たでござるか?」とか言いながら見てたのかな。ロマンだわー。
この月、娘は憶えていてくれるだろうか。「お母さんと、友達と電話しながら見たな〜」って。
私は小学校の頃に母と見た日蝕は憶えてます。黒くしたガラスを持ってる方がいて、そこに透かして太陽を見せてもらったこと。
なんかあまり分からなかったこと。
うちに戻ってふたりで夕飯を食べていて、娘の口から出るのはスプラ3の話ばかりで少々うんざりしながら考えた。
わたし、この子の歳の頃なにしてた?
「ねえ、お母さんはりおの歳の頃に何してたと思う?」
「え?勉強とか言うんでしょ?」
「ちがいまーす!恋してました〜‼︎」
って言ったら
「うっわ、陽キャみたいな事言う…」
って嫌な顔されました。
本が好きで好きで、しょっちゅう図書館に行ってた中学生の頃。
そしてとても好きな人がいて、その人と毎日会えた幸せな日々を過ごしていた、実にラムネみたいな青春時代よ。
あの時、わたしは本当に「胸が痛くなる」という感覚を知った。
眩しくて、よく見れないというときめきを知った。
恋だったなぁ、と思う。

ときめき。
そろそろ半世紀を生きてきて、もう「見るべきものは見つ」
という心境になってきたこの頃。
何か欲しいと思っても、美味しいものもたくさんは食べられない。洋服もぱっと見てみても、ときめくものがない。
今日、ぶらっとショップを眺めて見たけれど、ときめくものがないな…
わたしはチェックが大好き芸人なんだけど、ときめく柄のチェックがないな…
無免許更新の際の写真に写る服を選んどくか…と無難に無印のライトグレーのニットでも買っておくか…とも思ったけど、ピンと来ない…
ふらふらしていたら、レンガ色のセーターに目が行った。
こういう色、最近あんまりないよなあ…と手に取る。
レンガ色でもミックスされた糸を使ってる。
鏡に映してみたが、好きな色だ。
でも素材がウール100%ではないな〜どうしようかな、お値段は高くはない。
一度置いて周りのショップも見たけど、あの赤はやはり良い。
ときめいた、あの暖かい炎の様な赤に。また改めて来るとかも面倒。
中年は体力もないから、動ける時間が限られているのだ。ウルトラマンみたいに。
よし!と購入。
店員さんに「お似合いでしたよ、良い赤ですね😊」と言われて良い気持ち。さらに気分、アガる
お世辞かもしれないが、レジでひとこと言ってくださるだけで、嬉しくなる。単純な中年だから。

最近、元夫といた時に買った服を処分している。
この頃は娘が小さかったから、いつま時間がなくて、目についた服をパッと買ってた時代。お値段も悩むほど高いものではなく、急いで選んだからときめきも少ない。
「汚れても洗えるもの、汚れても目立たないもの、汚れてもよいもの」というのが基準だった。
そういう服を見るのに嫌気がさしたというか。
(服には申し訳ないですが…)
そんな風に雑に選んだ服を、元夫との生活で着ていた服を、見たくない気持ちが強くなってきて。
3年くらいはかかってるけど、生きた戻りつで少しずつ処分している。
それを許せる様になった、やっと。
そう思う。
ときめくもので揃えてこう。
そして要らないものは処分していこう。ときめかないものは捨てる、とこんまりも言っていたではないか。
自分の居心地の良い場所を作って行こう。
強くそう思った。



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ふっと感じること

2022-10-07 23:48:00 | 日々のこと
朝、仕事に行くために自転車のサドルを握ってペダルを踏み出した時、
「あ、忘れた」
って思う時がある。
毎日じゃなく、ふっと、たまに。
忘れ物は何?
いや、忘れてないよ、私は何も。
あっ、アレだ。
マリッジリング。
左手の薬指に意識が向く。
あ、忘れちゃった、と。
いや、私にはもう必要ないんだよ。
もう着かなくなって7年になるのに、不思議だ。

銀座のティファニーで買ったリングは、いつしか枷みたいに感じる様になってしまった。
私を縛りつける枷。
指に着けるたびに喜びが込み上げた時もあったというのに。

どこにいったっけ?
プラチナだったかな。
売ればいいや、困った時は。

仕事で出会う高齢者のご婦人は、結婚指輪を外さない方もいる。
伴侶はとうに亡くなっているのに、100歳のその方は亡くなる時も着けていた。
その心は?
私には分からない。
きっと、夫を愛していたんだろうと推測する。
私にとって薬指のそれは、世間に対して「私は結婚していますよ」と示す意味合いが大きかったけど、相手との絆、愛の証として着け続けていく人もいるのだろう。

もう私はリングは着けないし、着ける義務もないんだ。
だからもう忘れて、私の左手薬指。


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芍薬がうちにある。

2022-06-13 23:04:00 | 日々のこと
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花

私は、牡丹と百合は知っていましたが、芍薬という花を見たというか、認識したのは、西村しのぶさんの漫画「Voice」に掲載されている「普通の恋ってやつ」という短編でした。
友達のパトロンを探す女子大生が、会社役員バツイチの彼氏からのプレゼントのリクエストに対して「芍薬の花が欲しい」と答える。
最初のページでその子は花の中に立っている。それが芍薬でした。
なんて華やかなんだろう。
数年後、育児真っ最中の私は、ふと花屋さんで見つけたのが、ピンクの芍薬。
「なんて華やかなんだろう」
幾重にも重なったドレスのような花びら。ふっくらとしたフォルム。
流石「立てばシャクヤク」と言われることはあるな…とつくづく感じ入った次第です。
少し迷ってその芍薬を二輪、うちに連れて帰りました。
その時、お花を買うという心の余裕を取り戻した気がします。
そして、今年も芍薬の季節。
芍薬が入るのは本当に短い期間です。
運良く手に入った芍薬。
うちに芍薬がある。
そう思うだけで私の心は華やぎます。




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コロナ陽性 その後

2022-04-15 01:03:00 | 日々のこと
こんばんは
少し間があいちゃいました💦
申し訳ありません🙇‍♂️
2月末から3月にかけてコロナ陽性が出て、大した熱も出ずに治癒した子ども、無事小学校を卒業し、中学生になりました。
あまりに症状が軽かったため、罹患したことさえ忘れがちになっていますが、春休みに気になった事が。
それが「めっちゃ寝る」ということ。
元々、睡眠障害がある子どもですが、春休みとにかく寝ている…
まあ朝は弱い方ですが、夜もそこそこ寝ているのに、昼過ぎても起きて来ない。
とにかく寝ている。
本人も「眠くて仕方ない」と。
これ、後遺症なのかな…
どうなんだろう…
SNSで見てみるとコロナ後遺症を患ってる方で「寝ても寝ても眠い」「怠くて疲れやすく眠い」という症状があるなぁ…
学校が始まってからも、早めに寝ても起きないし…学校でも少し寝てしまってらみたいだし💦
まさかのコロナ後遺症なのかもしれません。
とにかく❗️皆様は罹患しないようにお気をつけください
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親が去ること。

2022-03-19 21:31:25 | 日々のこと

こんばんは

この一週間で葬儀も終わり、やっと落ち着いて来ました。

姉の義父だったので、私は傍観者だったんですけどね

認知症のお義母さんのアテンドくらいで、姉夫婦のサポートに回っていました。歩行介助したり、車椅子押したり。

正直、父の時は悲しみが深くて、お骨も見れないくらいだったんですが、

今回は「いや〜、お義父さんのお骨、太くてしっかりしてるな」くらいな感じで。悲しくてもひとの親だから、やっぱり違うよね・・・と思いました

と思うと、私たちの両親が亡くなった時は、義兄や元夫も、こんな感覚だったんだろうな〜と。姉も言ってました。

そう考えると、私の母が亡くなった時、あまりにひどいことを言う元夫の心境が分からなかったんですが、今思うとまあ、彼にはひと事で、むしろ「うるさい母ちゃん(彼は私の母のことをこう呼んでいた)がやっと死んだ」くらいに思ってたんだろうな、と。

あまりにひどいことを言うので、私は「あなたも母親が死んだ時に、私の気持ちが分かるだろう」と言い返したことを思い出しました

さて、あれから7年。彼の親が生きているか死んでいるか、娘が手紙を書こうと、留守電にメッセージを残そうと、一切音沙汰ないので全く知りません。

なんかいろいろ思い出しちゃったんですが

今回、家族みんなに手を握られ、声をかけられ旅立った姉の義父は、幸せだったなあ、とつくづく思います。

コロナ禍で、病院に入ったらそうそう面会できなかったこのご時世に、自宅で看取れたのは、ちょうど定期通院で診察してくれたドクターの判断、すぐに動いてくれた病院側、ケアマネジャーさんのおかげです。

亡くなる3日前に自宅に往診に来てくださって、そのためにいろいろなことがスムースに運んだ。

(自宅往診していない方が自宅で亡くなると、警察が入ることになります。そうするとご遺体もしばらくかえってこない可能性があります)

訪問看護・介護も、ドクターの指示によって、ケアマネジャーがケアプランを立案し、それに基づいて看護や介護のケアが実施されます。

義父はこんなに早く、とは思いましたが、適切なケアを受けさせてもらった旅立ちでした。

それにしても、やはり親を看取った経験がある、なしでは違うなと思いました。

両親を見ていたので、様子を見ていると遠くないな・・・と思っていたのが姉と私。

でも義兄は「今週越したら仕事が片付く」、そのお兄さん(ややこしいですね)「今年は越せないな」と言っていたそうで、それは無理だろう・・・と。誰しも、親がいなくなるとは思いたくないものでしょうし。私もそうでしたが。

順番からいったら、親がこの世を去るのは当たり前のことなんですが、本当につらいものです。

父が亡くなってから2年が過ぎました。

やっと先日、父の衣類を整理し、綺麗なものは寄付しました。

まだ父の読んでいた文藝春秋は捨てられません。

葬儀で会った弟が「夢でお母さんがリッちゃんのことを怒っていて、『人のことをそんなふうに言うのやめなよ』って俺が怒ったら寝言がデカかったみたいで妻と子どもが起きた」って言ってました

「なんでお母さんが怒るの・・・」と思っていたら、先日の大きな地震の際に、和室に置いてあった母の遺影と分骨した小さな骨壺が落下していたのを発見したんですよね。そのせいかな?と思い当たりましたが、お母さん、何怒ってるんだろう・・・

私の夢に出てくる両親は、喋りません。いつも黙っています。

なんででしょうね?

母の声、父の声、今は鮮明に憶えていますが、いつか忘れてしまう時が来るんでしょうか?

 

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55年

2022-03-18 23:37:00 | 日々のこと
こんばんは。
ご無沙汰になってしまいました。、申し訳ありません
看取りは意外に早く終わりました。
10日前に、車椅子でしたが通院し、帰りに外食していた姉のお義父さん。
高カロリー飲料を一本飲んで「美味しい」「がんばる」と言っていたのですが、次の日から意識がなくなり2日たち、夜中に私が顔や手を拭いたりしていたら、血中酸素濃度が下がっていき、心拍数が120を超えてきて、これは…と思っていたところ,朝家族みんなに看取られ、人生の旅を終えました。90歳。
私が久々に姉宅に顔を出したら、眠っていたお義母さんが起きてからなり私の顔を見て泣き出して「お父さん、死んじゃった。55年一緒だったのに」と言うので、私も泣けました。
そして私が買ってきたイチゴサンドを泣きながら食べていました。
お義母さんは、お義父さんが亡くなった事を忘れてしまって夜探したり、事実を思い出して泣いたりしている様です。
認知症のため、ずっと悲しみに浸る訳ではないのが、切ないけど、お義母さんの悲しみを和らげてくれている感もあり。
しかし、55年か…長いですね。
夫婦2人でここまで一緒に生きられた事は、この上ない幸せなのでは。

私には配偶者がいないので、こういう悲しみからは自由なんだな、なんて考えてしまいました。
私はひとりで行くから。
孤独だけど、自由。
「自由と孤独はセットだ」って、誰が言ったんだっけ?

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看取りが始まった

2022-03-13 10:17:00 | 日々のこと
こんにちは
「看取り」って聞いたことありますか?
「最期をみとる」「その死を見とる」などと使われる言葉ですが、そのまま、死をみとる事を「お看取り」と言います。
私の母は7年前、父は2年前に看取りました。
お看取りがつい先日から始まったのは、姉の義両親、お義父さんです。
(ややこしいので「姉の」を略してお義父さんと表記します)
ずっと夫婦2人暮らししていた義両親の様子がおかしいので、見に来てほしいと市役所から連絡が来たのは3年半前。
それまでちょくちょく様子を見に行っていましたが、家がどんどん荒れていく様子でヘルパーさんを入れていましたが、市役所からの連絡。
すぐに姉夫婦は行きました。
そしてそのまま両親を自宅マンションに連れて帰って来たのです
これは私も驚きました。
それから地域包括支援センターに連絡してケアマネジャーにプランを作ってもらい、和室に介護用ベッドを2台並べて入れ、デイサービスに見学に行き、週数回行く様に契約。通院も近くの病院に紹介状書いてもらい手配。
そして子どもの受験期などはショートステイに行ってもらい、自分もレスパイトして3年半自宅介護してきました。
その、今年90歳になるお義父さんがここ2ヶ月ほど食が細くなってきたと聞いていたのですが、何しろ私が事故に遭い、子どもが陽性になってしまったため、しばらく会えない生活でした
そして先日、弟さんが急死したという連絡があったのです。7歳下の弟さんの急逝は、親代わりで弟妹を育ててきた惣領息子だったお義父さんには、大変なショックだった様です。
その時に自分の遺影を選んでいたと、夫婦で海をバックに写した良い笑顔の写真を見せてもらいました。
そしてその時、今の夫婦の姿を姉に撮ってもらってそれを見て
「こんなに禿げてるのか⁉️こりゃ老けすぎだな❗️」
と言っていたそうです☺️💦
そうこうしているうちに、「立つのが難しくなってきた」「トイレに支えて行ってる」「寝てばかりいる様になった」「食べなくなった」と進んで来ました。
そして私が久々に行った時は、ベッドから起き上がらず、何かを小さな声で話していました。
ハイカロリーの飲み物を姉宅に送っていたので、その中で「美味しい」と言っていたコーヒー味を少しずつ飲ませ、手をさすって、ずり落ちてきた身体を上げ、ポジショニングを整えて、手や顔を拭いてクリームを塗りました。
その間、お義父さんは今までの人生を振り返っていたみたいです。
そして私に
「人は許しあわなきゃいけない」
「言葉は難しい。誤解は解けにくい。だから自分から許さないと。許せば相手も許してくれる」
と話してくれたのです。
これは、今の私に刺さる言葉でした。
豪雪地帯の代々続いた家の長男として生まれたお義父さんは、育った土地に見切りをつけてまず自分が東京に出て、その後親兄弟を全員呼び寄せて大所帯を義母と一緒に養い、親を看取り、弟妹を学校に行かせた人でした。
たくさんの苦労をしてきた人。努力してきた人。
お義父さんは、手を握ったら
「がんばる…」
と言ったのです。
私の父は、そんな言葉を言ったことがありませんでした。
生きるのを、頑張る。
すごい人だな、と思いました。
身体は父の方が華奢に感じるくらい、屈強な身体をしていました。
頑張って頑張って、皆のために頑張って、リタイアして夫婦2人で仲良く暮らして、子どもに引き取られて同居して。
本当に頑張ってるお義父さん。
その人生は、もうすぐ終章の様です。




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