ゴマと暮らす

非常に可愛いダンナと暮らす日々。
私の結婚生活はこんな感じ。

ああ、やっぱりそうか。

2013年08月05日 | Weblog
久々にのぞいたら、
更新をしていなかったので、お気に入りのデザインをとりあげられていた。
余裕ができたら考えたい、書きたいことはあるけれど、いまは、やばいくらい余裕がない。
理由は、出産後からの全力の育児と、極度の睡眠不足。
とりあえず、寝る。

更新。

感傷的になるのは早すぎる

2013年04月27日 | Weblog


3年と数か月前、
派遣会社からの急な電話で、3週間だけの仕事が決まった。

3週間限定だったから引き受けたはずの仕事が、縁に縁を呼んで、まさか同じ建物で3年以上も働くことになろうとは、当時の私には思いもよらなかった。

ましてや、その間に、
派遣から、扶養内勤務、フルタイムへと勤務形態が変化し、
引越し、入院して手術し、
新しい命を授かることなんて、
誰も、私も、想像できるはずがなかった。

そんな未来が、いまの現実。

あらゆる意味で、ゴマ家(我が家のこと)のかたちが築かれた共働き生活だ。

知り合いが増え、友達に出会い、情報(ああ、なんて貴重なもの)を得て、大阪という見知らぬ土地が、夫婦共にアウェイから、ホームへとかわった。


私はもうじき産前休暇に入る。
そして、出産をする。

育児休暇を取得する。
病気と手術を経験しても、
…無理をしても仕事に復帰していたから得ることのできた、決して当たり前ではない(すべての人にとって当たり前になればよい。)権利。
心ある上司や周りのひとたちの助けもあって、やっと取得できた。
「勝ち取った」と言っても実は少しも過言ではないことを、夫ゴマと私だけが心底から思い知っている。

そうだった。

私は仕事を少し離れるけれど、
辞めてしまう訳ではなく、
大事な人生のもうひとつの大仕事のために、休暇に入るのだった。

感傷的になるのは、早すぎる…

いや、

感傷的になる必要はない。

少し、離れるだけだから。

次のステップを歩むために。


今まで失ってきた大切な命を、
取り戻すことはできないけれど、
私たちは、
新しい命に出会うことができる。

ありがとう。
大変なときに、助けてくれた、
すべての人たち、すべてのものたち。



やはり…どうしても…
感傷的には、ならざるを得ないみたい。





カルメン

2013年01月26日 | Weblog
たとえば、
職場でうちの課長が、なにか重要な案件を抱えていて、私もシェアさせてもらいたくても、それは管理職だけが知るべき情報で、公に教えてもらえるものではない。私は、興味があるから、精いっぱい身体全体を耳にして、断片的に聴こえてくる単語や人の様子から、想像やこれまでの傾向やらで、すきまを埋めていく。

考えてみたら、人と人とのコミュニケーションはいつもそんなものだ。
何処かの惑星にいるかもしれない触手をもったものたちが、
お互いの触手を絡ませて、
出会った瞬間に全てをわかりあえるように、人間にも出会ったときに、まる裸になって、一緒にいなかったすべての時間に起こったことや、その動いた心を交換できる、わけではない、もちろん。(まる裸になったところで全て理解しあえるわけではない、もちろん。)

『カルメン』を観てふとそんなことを思った。

常に個々人の時間は動いていて、ハードディスクみたいにそれをそっくりそのまま誰かにコピーして移行することはできない、もちろん。

仮に素晴らしいダンスをできる人がいて、(なんて素敵なんだろう…!!!)と感激し憧れて、しかし、その気持ちは伝えない限り、自分の中で赤ちゃんのように温め育まれるだけで、たとえ、行動力を持ってしてそのダンサーを探し、
「あぁ、私、貴女のダンスに魅了されたんです」と伝えられたとして、
ダンサー「あぁ、ありがとうございます。よかったら、こんなのやってますんで、また観にきてくださいね」
そして、ダンサーはダンサーの日常を生き、私も、私の日常に戻っていく。
ダンサーにはそのファンの人生なんて知る由もない。私もダンサーの人生を知ることはできない、きっとほとんどの場合。

私たちはいつも、壁のむこうの様子を伺いながら壁のこちらでそっと心動かしているのかもしれない。時々誰かといるときに、壁が大きく開いたり、また閉じたり。

自分の壁を取り払ってすべてを伝えてしまうことは、できない。
私たちにはそれぞれの立場があり、増えてきたしがらみや、大事にしたいものがあるから。


私が職場で働いていて、仮に、そこに家族や、大学時代や高校時代の友人が訪ねてきたとする。
私は嬉しいが、戸惑う。
なぜなら、職場で私が築いている壁の高さ厚さと、家族に開いている部分はまったく違うし、そこに親しくしていてしばらく会わずにいた友人との壁は、開こうにも不可能だ。

ただ、開くことはできる。
しがらみのない場所と時間を合わせて、数年の時空間を一気に縮めることができる。
それを知っているから、私は大人でいられる。子どもの頃から変わらず温存している部分をそっと職場では壁のこちら側に大事にしまったままで。

つまりね、その作業が、過程が、おもしろいってこと。乱暴に言いきってしまえば、そういうこと。
壁があって、あちらとこちらでもどかしく、駆け引きや、やりとりがあって、誤解もうまれるし、思わぬ相乗効果もときにうまれる。思いがけずすき間がぴったりと合ったときに、そこからの温かな喜び、あるいは爆発的な感情の高まり。

悲劇にもなりうる、そのすき間の適合をどう進めていくかが、私たち個人に委ねられていて、その狭いすき間の自由が、私には幸せでとてつもなく面白くて興味をそそられる。

運命や、偶然という要素は、もはや、巨大な遥か遠くの存在で、見えやしない。ちっぽけな私に加味する余力がない。あぁ、でも、忘れた頃に時々感じるのかもしれない。


そんなことや、いろんなことを考えさせてもらえた、本当に素敵なお芝居。


カンパニーデラシネラ

『カルメン』
演出:小野寺修二
テキスト:山口 茜(トリコ・A)〈プロスペル・メリメ原作「カルメン」より〉

http://www.onoderan.jp/website/

http://kavc-carmen.blogspot.jp/?m=1

2012-12-31 17:28:08

2012年12月31日 | Weblog
お正月さん。


実家に帰省して、のんびりしています。
お父さんは若返っており、
お母さんはにこにこしています。
お母さんがたくさんつくってくれるお惣菜と、お父さん手づくりのお味噌汁で朝餉をいただき、
何やかにやとおしゃべりし、お昼にはこれぞ、本物!ってくらい美味な、
「たまら~んっ!!!」馬刺しをたらふく食して、
それから、もはや帰省時恒例かな?やぶれた障子の張り替えを初めて夫ゴマと二人でやりました。

八女伝統の和紙を使って、学生時代に今はなきホテルフジタ京都のバイトで培った、技!を活かして、楽しい張り替え。

この障子張りは、達成感がたまらないのです。

張り替えた障子を眺めてみんなでにこにこ。


お正月さんが、やってくる気がしてきました。

2012-12-30 00:54:24

2012年12月30日 | Weblog
ぴょんぴょんハウス。


----
いとこのお姉ちゃんが、福岡の久留米市でやってるうさぎ専門のお店。
今年届いてた年賀状を見直したら、ブログをやってると書いてあったのを発見し、こないだから覗くようになりました。

うさぎちゃんたちが!
もう、もう可愛すぎ♪───O(≧∇≦)O────♪
年末、仕事で大変だったりしたけどぴょんぴょんたちに、か~な~り、癒されました~。

あと、いとこ姉のキャラがよすぎ!
身内ながら、ついつい言わずにはいられないほどなので相当です。

あぁ、うさぎちゃん飼いたくなってくる。。。
けど、今のおうち、ペット禁止なんだよな~(泣


http://m.blogs.yahoo.co.jp/pyonpyonhouse



休暇突入。

2012年12月29日 | Weblog
やったぁ~☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
オフだ、お休みだ、待ちに待った休暇突入だぁ~~~!

今年は二年ぶりに福岡の実家に里帰り!
職場でゴマは、
「福岡?!それってもう旅行じゃないですか^_^」って言われたらしい。

旅行、りょこう、いい響き~。

アレもしたい、コレもしたいがいっぱいあるぞ~!

まず、筑後の美味しいおうどんを食べるでしょ?
あと、やっぱ長崎ちゃんぽんも!
あと、温泉は外せない~(≧∇≦)
うなぎのせいろ蒸し、食べられるか?
あとはこたつでの~~~んびりしてお母さんとなんてことないおしゃべり、
一昨年の3月に千葉で慌ただしい中で会ったきりのお父さんの顔と、足もみてあげなくちゃ。
(うちのお父さんと私は足のかたちがまったく同じ!相似形で、これお父さんのお気に入り)

実は今日、ゴマは出勤なのでうちの本格的な休暇は明日から。

でも、嬉し~~~~~い!!!!!

そらとりとめもなくブログも更新するわー。

そうだ、そうだ、そういえば、長年敬遠していたFacebookを始めた。
ほんとはエクアドルの友人と繋がるのが目的だったけど、
やたら知り合いと繋がりまくっている親友に見つかってしまい、
もう覚悟、っていうか諦めて彼と友達登録しちゃいました。

でも、絶対に仕事とプライベートははっきり分けたいから、
そのへんは気をつけるつもり!

うーんお腹すいてきた。
なんか食べよ!っと。

休みって自由だ~。のび、のび。

友達に美味しいお蕎麦やさんを教えてもらった。
めちゃめちゃ雰囲気よくて、ほんと、に美味しい隠れ家的な場所。
しかも実はうちからも近かったから、また家族や大切なひとたちと行きたいな!

あー本格的におなかへった。

今すぐに、なんか食べる!







2012-12-23 15:26:28

2012年12月23日 | Weblog
今頃。


2010年の大河ドラマ「龍馬伝」の、撮りためた最後から3話め、『土佐の大勝負』を観て思ったこと。

世界を旅して見てまわれるような、今の世の中をつくってくれた、先人たちに感謝したい。しなくてはならない。

そして、私も、いろんなことばを勉強したり、様々な危険の避け方や、旅のかたちや方法、今まで身につけたものを私だけのためではなく、まずは身近な家族やまわりのひとや、いろんなひとが、もしも望むならば、微力ながらできるかたちを見つけて役立てられればと願う。

世界をバーチャルでいくらでも旅できる今の時代だからこそ、なおさら。

きっと、そのためにも私は言葉や文化や歴史を学び、身につけようとしてきたんじゃないかな。

そして、すべての人間が必ずしも努力さえすれば身につけられるものではないことも、肝に銘じたい。

私の敬愛する近藤長次郎は、今の時代に生まれていたならばどれだけの世界をその目で見て、自分の糧にし、日本の役に立てたことだろう。

尊敬してやまないジョン万次郎は、時代の波にも、文字通りの波にも、流され、しかしその境遇を持ち前の愛嬌と努力と、言葉に尽くせぬ苦労で乗り越え、自分の路を拓いた。

名前を残した偉人や、名もなき偉人たちが今の世の中を私たちにのこしてくれた。

名もなきひとりとして、受け継ぐものを受け継ぎ、のちのちに未来へ渡したい。

それは、きっとなんらかのかたちをとって、私たち誰にでもできることだ。

2012-12-22 11:53:12

2012年12月22日 | Weblog
ひとの幸せ。


大切な友人が、すごい賞を受賞した!!!!!

http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/media_geijutsusai_121221.pdf


受賞理由を見てゾクゾクした!

ゴマと、
「うれしいね」
「嬉しいねぇ」
と喜んだ。
昨夜、眠りにつく前の、できごと。
その日にあったコトを吹き飛ばしてくれて、私は薫りたかい南風が吹き渡る国の夢を、みたのか、みなかったのか。。。

私たちが観に行こうとしていて、どうしても訳あって行けなかった舞台だったけど。

ゴマ「こうなると観ておきたかったなぁ~」
私「うん」

↑こういう現金な?人たちもいるから、そういう意味でも、どういう意味でも、受賞ってものすごい大きなことだと思います。

あぁ、ひとの幸せは、
なんだか幸せ。

2012-12-21 22:41:47

2012年12月21日 | Weblog
愛のある家族。

私はいま、ゼロから築いてきた大切な家族と暮らしている。
けんかもたくさんして、その度に理解を深めてこれた家族だ。(この家族は元・親友だ。)

私を産んでくれて、産まれた時から優しく、厳しく?守られつつまれてきた家族もいる。
これまたけんかをたくさんして、反抗も山ほどして、いいところもわるいところも承知して、その上で理解しあっている家族だ。

そして、愛する人とめぐり逢えたことで出会えた家族がいる。
最初はどこの馬の骨?かもわからない存在だったかもしれない私を、理解しようとしてくれて、お互いに理解しあえるように、心地よい距離を探して、誤解があればその都度解いて、信頼を積みあげてこれた家族だ。

愛のある家族。

そして愛を繋いでいく、家族。

家族が、私に勇気と力をくれている。多少のことでは負けない、強さをくれる。

愛のある家族が味方だから、ときに心ない人間と渡りあわなくてはならないときでも、私は大丈夫。
自分ひとりのちからではなく。


なにしろ、心ない人間が愛のある者に勝てるはずがないものね。
くさいこと言ってるかもしれないけど、これは真実。

夜更かし厳禁!

2012年11月26日 | Weblog
いけない!と、分かっていながらついつい。
久々に携帯を機種変してやっとスマホデビュー😁
。。。で、iPhone練習してたらヤバイ時間に・・・。
夫ゴマにバレる前にはよ寝よ!
明日も仕事!
て言っても夜ふかしはホントに久しぶりなんだけどな(≧∇≦)

あら大変だ

2012年10月27日 | Weblog
久々に自分のブログをPCで見たら、

お気に入りのデザインじゃなくなっていた。
30日以上更新がないと、取り上げられちゃうらしい。

私みたいに1年とか平気で更新しない輩がいるからだな!きっと。

というわけで、テンプレートを取り戻すために、更新。

もう少ししたら、書きたいと思ってることはわりにあります。

術後診察

2012年04月27日 | Weblog
本日、術後診察を受けてきた。
予後は良好、これでほぼ普通の生活に戻れる。

東京にいた頃によくランチに行っていた、職場近くにあったパスタ屋さん。病院の近くにもあったのでそこに入り、ゆっくりトマトソースのパスタランチを食べた。

食後のコーヒーも頼んだ。
そうそう、こういう味。
ここはコーヒーが好きで来てたんだったっけ。


主治医が急患対応のため遅れていた診察の待ち時間に、外に出て本屋を探して買った「1Q84」BOOK2を開こうとしたが、
……、今までの私の日々を思うと、そのほうが少しだけ感慨深くて、
文庫本を閉じた。


1月28日(土)(この日付は忘れられない。)に卵巣に腫瘍が見つかってから、まだ3ヵ月だということに今思い当たり、とても信じられない気持ちでもう一度数えなおした。
やはり間違いなく3ヵ月なのだった。

なんと永遠にも思える期間だったことだろう……!!!


カフェに流れる
「シェナンドゥー」に気持ちを預け、しばし茫然とした。


昨年度は私にとって、
とても、大変な年だったが、
その最後に人生の一大事(少なくとも私にとっては)とも言える出来事が起こるなんて。

もうドラマティックな生活は充分なんです。
神様なんで?どうしてですかと何度も問うた。


それから、
現実的な、事務的な処理や決断に追われた。

事務的なことなら得意だ。たとえそれが自分の身体のことでも、感情はひと時 傍に置いて処理するのは私の得意とすることだ。


病気をするという非日常には、今まで見えていなかった真実が見えることがある。

ひとの優しさ。
信頼できる大切なひと達。
それまで大事だと信じて疑わなかった事が劇的に変化するのを目の当たりにしたり、たいして感謝もしていなかったことが有り難いことであったのに気づき、今までそれに気がつかなかった自分を恥じたりする。
愛して心配してくれる人たちがいることに、気がついたりする。


私の病気は卵巣腫瘍だった。左の卵巣にどでかい腫瘍ができていて、お腹全体それしかないくらいだった。
卵巣は沈黙の臓器のひとつと言われる。症状はないに等しいので、私は全くその存在に気がつかず、
「私も太ってきたな!(ポーン!!)」とお腹を叩いて鳴らしたりしていた。


病気が見つかって、入院まちや、入院や、手術や、退院や、退院後の安静期間や、職場復帰してからや、
今日の術後診察の前に、
何度もブログを更新しようかと考え、その度に断念した。


やっと、いろんな時を経て今日、腫瘍が100%良性であったことを主治医から正式に伺い、手術前の生活に戻れると保証された今日、今までのことや自分の気持ちを文章にして表すことができそうだ。

携帯からブログを更新し、すっかり冷たくなったけれど美味しいコーヒーを飲み乾して、カフェを出て、ひとまず家へと歩いて行こう。


(ほぼ一年毎のブロガー=私)

ゴマとわたしはいそがしい。

2011年05月29日 | Weblog
心を亡くしているわけではないが、
現在、ゴマ家はたいへん忙しい。

今週末は久しぶりに二人そろった二連休だった。
金曜日に焼肉を食べて、
土曜日にぐーぐー寝て、
日曜日にグーグー寝て、
英気を養った。おかげで二人ともお肌ツヤツヤ?だ!


ここしばらくの状況は、本当に書ききれない。

いやでもひとつを除いては書けるかもしれないので、
トライしてみよう。

試験勉強。

就活。

引越。

母方の祖母骨折するも祝・快復。

扶養から抜けて祝・就職。

本格的な共働き生活真っ只中。



書けたね。でも、きっとちっとも伝わらないと思う。

なぜなら、こうして箇条書きで書くだけでは、
行間の、大事な部分(それこそが本当に大事な部分なのに)が
伝わらない。しかも、重要なひとつが書けていない。

それでも、こうしてここに文章を書いているのは、
いまの段階での何かを残しておきたいからだと思う。


ほとんど推敲しないままの文章を送信することは、
わたしはあまり好きではないが、
(批判的にいうと今の特にネット上には推敲なんて言葉が存在しているのかどうかすらちょっと謎)
だからって発信せずにいることが必ずしも常にいいことじゃないと思うから。

回りくどいな。


10年前に、わたしは大事な家族をなくした。

そして、この3月に、大切な理解者のひとりが、
くも膜下出血で急に倒れ、3日後になくなってしまった。

まだ53歳の、わたしの母の弟である。


喪主はまだ24歳の従兄弟が務めた。
次男は21歳、末っ子の従姉妹は19歳だった。


震災直後の千葉での看病と通夜と葬儀に、
まだ温かい、脈のある叔父の手に
母を間に合わせることができたのは、わたしの誇り。

超アナログな父を通夜に間に合うように送り込めたのも、よかった。


家族だけではつらすぎる、別れの前段階のときに、
わたしもそこにいて、いとこや叔母と時間をともに過ごしたこと。
ビジネスライクに進む儀式に、絶対的な安心をくれる存在、夫ゴマが来てくれたこと。


できることはすべてやった。



そして今、
わたしはある官署の事務吏員兼秘書として働いている。
今までの職場と同じ建物なのだが、フルタイムになったこともあり、
仕事はやりがいがあり、
引っ越した新しい家(おもしろい素敵な家)もほんとうに、住み心地がよい。
ゴマとわたしの、新しい巣。


仕事と家庭が充実していることで、
この喪失を、わたしはいつもは考えずにいられる。
これが、一緒に暮らしていた愛するひとをなくしたときとの、
おおきな、おおきな、差だと知った。



考古学と落語と千葉ロッテマリーンズが好きで、大好きなことを仕事にして、
穏やかに逝ってしまった、わたしの大好きな叔父。


孝一おじちゃんがライフワークのひとつとして携わっていたという、
勾玉づくりの教室、
その昔、それこそ飛鳥やそれくらいの時代に、
勾玉づくりの職人さんが住んでいたという土地に、
わたしたちは2月に引っ越した。
倒れる直前に、福岡に帰郷していた叔父と、
電話で話した。
メールを送った。

「順子がこんなメール書いてよこしたよ。
俺をなんだと思ってんだ、そんなの知ってるよ」

と嬉しそうに笑っていたという叔父。


思い出すと泣いてしまうから、
わたしは仕事と家庭を充実させて、
いつもは考えないようにしている。


ただ気を紛らわせているだけなんじゃないかと思っていたが、
かなしい出来事を乗り越えるにはそれしかないのだと、
あるひとが言ってくれたので、私は今回はそれを信じることにする。


ゴマとわたしはいそがしくしている。

そして、

ゴマとわたしは元気。