ゴマと暮らす

非常に可愛いダンナと暮らす日々。
私の結婚生活はこんな感じ。

ゴマとのなれそめ。~フラレタ~

2007年06月26日 | 結婚式
私は告白した。そして見事にふられた。


鴨川の河原で、ゴマさんと座って話した。
チョッピーはそっと傍にいてくれた。

私は、今までの人生でたぶん最初で最後、一世一代の告白をした。
このひとしかいないと思ったから、
自分の思いを、余すことなく全部伝えようとした。
自分のいいところもセールスポイントも、伝え損なっちゃいけないと思ったから、
すべて、すべて、伝えたいことはすべて伝えた。
ゴマさんのどんなところにひかれたか、自分の中にある思いをぜんぶ、言葉で伝えた。
ゴマさんは聞いてくれた。
きちんと全部、聴いてくれた。
考えてくれた。
結論は出ない。
夜が明けてきた。5時だ。
次の日にまた会う約束をした。
ゴマさんはホテルに帰った。
私とチョッピーはウィークリーマンションに帰った。
次の日、お昼頃にゴマさんがマンションのある四条大宮に来てくれた。
三人で喫茶店に入り、
真剣に話しあった。
5時間くらいいた。笑ったり、泣いたり、深刻に話した。
店の人は何度お冷のおかわりを注ぎにきただろう。
気にならなかった。迷惑な客だけど、
人生の一大事だった。
真剣に、真剣に、真剣に、考えて、考えて、考えて、
「わからへん」
と何十ぺん言ったかわからないくらい言って、
ゴマさんは、答えを出した。


私はふられた。


ゴマとのなれそめ。~上洛~

2007年06月25日 | 結婚式
私はゴマに告白することに決めました。
でも、電話やメールじゃダメだ。
会って、きちんと伝えたい。

ちょうど、5月にサークルの友人の結婚式があり、
私たちはそのときに会えることになっていました。
そのときに言おう。
そう決めました。


メールではなんだか二人はいい感じに思えました。
私は
「結婚するならゴマさんのような人がいいです」とメールしたこともあったし、
とにかくこの人だ!と思ってしまったから伝えずにはいられなくて、
その先のことは楽しい未来ばかりを思い描いていました。
結婚する当人を祝福する気持ちももちろんあるけれど、
早く、早くゴマさんに会って、気持ちを伝えたい。
そんなワクワク感と甘酸っぱい気持ちに包まれていました。私は恋をしていました。
でも・・・GW頃を境になんだかゴマさんが一線を置くようになったような、気もしていました。
それまで「僕」と書いていたのに、なぜか「オレ」って変わったことも少し不思議でしたが、
私は恋をしていたから、そんな小さなことは小さなことでしかありませんでした。


大好きな友人の結婚式はとっても感動的にすすみ、
友人は本当に素敵に輝いてました。
笑顔が、花嫁ってこういうものかと思わせました。
二人にとって特別な日、というのがひしひしと伝わってきて、
この友人は、こういう未来を選んだんだな、と私は初めてそのとき納得できたような気がしました。
私にとってその友人は、大好きな、大切な人だったから、
結婚式は複雑でもあったのです。

ゴマさんが幹事をしていた二次会も終わり、
サークルの仲間は三次会の会場に流れました。
告白が近づいてきた心地よい緊張が、恋する私をまた後押ししました。
ゴマさんは広いテーブルの向かい側の席に座って、ほかの先輩達と話していました。
私とゴマさんは仲が良かったから、
席がバラけたら一緒にいろんな話ができることは二次会でも約束していました。
そのとき、
「ゴマ、21歳の彼女の話はどうなったん?!」
「え~!ゴマ、彼女できたんか!しかも21?!」












アタマが真っ白になるってこういうこと・・・。
マッシロになったあと真っ暗にもなった。
頭なぐられてるみたい。
向こうでゴマさんが照れて笑っている。
笑顔を作ろうとするがこわばる。
事情を知っている隣の親友(仮にチョッピーとする)が、
困ったような哀しい笑顔で手を握ってくれていた、ような気がする。



ゴマさんはそのあと私とチョッピーのところに来てくれた。
妹さんが家を出て東京で一人暮らしをしたいと言っている。
一度も家から離れたことがないのに、東京で一人暮らしなんかでけへんやろう、
仕事をしながら一人で暮らしてしかも、夢である演劇をやっていきたい、ゆうとるんやけど、
オレも一人暮らしの大変さとかめちゃくちゃわかってるから、心配やねん。
歌舞伎町とかでカラダ売るような職業につくんちゃうか、って父親と二人で猛反対してんねん。
母親は行かせてやりたい、ゆうとんやけど。
今それでちょっと意見がわれててな。


私とチョッピーは真剣に意見した。
私も妹が東京にいるけど、きちんとやってる。
それだけやりたいって思ってることを押さえつけるのはよくないと思う。
ご両親が心配なのは分かるけど、
お父さんとお母さんの意見がわれてるんだったら、
ゴマさんは中立でいたらどうやろう。
ゴマさんにまで反対されたらつらいよ。


三人で真剣に話し合ったあと、ゴマさんが、
納得したような感じだった。
一段落して私は失恋のことを思い出し(忘れられるはずがないのだが)
また、アタマがマッシロになり、かなしくなった。
ゴマさん「どうしたん?」
チョッピー「自分の胸に手を当ててきいてくださいよ」
ゴマさん「え?え?」

しばらくは何の話をしていたのか覚えていない。
たわいもない話をしていたんだろう。

私は何度かトイレに行った。
アルコールがはげしく分解されていた。
何度目かにトイレに行って、戻ってきた私はその勢いで、言った。

「だって私、ゴマさんが好きなのに!!!」

辺りが静かになった気がした。
ゴマさんの顔が、急に、真剣になったからかもしれない。
かわらずみんなは賑やかに飲んでいた。


「外に出よう」

私たち三人はそっと外に出た。






ゴマとのなれそめ。~地震、文章、恋~

2007年06月25日 | 結婚式
卒業後私もゴマさんも実家に帰り、福岡と神戸とで離れた私たちは、
年に1回くらいサークルで集まる以外は会えることもなくなりました。
お互い仕事や勉強や、夢に向かってそれぞれの日々を過ごしていました。
ゴマさんから年賀状が届くと私も出し、
時々どうしてるかな、と思い出し、
久しぶりに会えばまた嬉しくて、離れていた日々などなかったかのようにその時を過ごしました。仲間と一緒に。


2年前に福岡で地震があったとき、
ゴマさんから仲間うちのメーリングリストに九州に実家のある人の安否を気遣うメッセージがよせられ、そのときたまたま東京の妹のうちにいた私に、それを私の親友が知らせてくれました。
1995年の神戸の地震ではゴマさんの実家は多大なダメージをうけていて、
ゴマさんはそれを明るくネタ的に話してくれていましたが、
生まれ育った家や地域が揺らぎ、崩れるという体験をゴマさんはじめ神戸、関西の人はしていたのでした。

幸い福岡の場合は大きな被害もなく、実家も大丈夫だったので、
私はゴマさんにそれを知らせるために個人的にメールを送り、
それからメールのやりとりが始まりました。



文章で接するゴマというひとのイメージは、
私がそれまで思い込んでいた、
「まじめな話ができない」
というものとは大きくかけ離れていました。
明るくユーモアがありあたたかい、サークル時代のゴマさんの人柄はそのままに、
家族を大切に思い、自分の人生をしっかりみつめて、
私の言葉を聴いて真剣に考えて、飾りのない自分の言葉で伝えてくれる。
メールを通して、思いやりや気遣いや、本当に優しいゴマさんの心が伝わってきました。


私は、今までこういう人に出会ったことがありませんでした。
いいえ、出会っていたのに、気づいていませんでした。
こういう人に出会いたいといつも願っていました。
ずっとずっと探していました。
遠くまで行きました。
でも会えなかった。
やっと出会えた。
この人だ。


私は、ゴマさんに恋をしました。

                 →ゴマとのなれそめ、つづく

ゴマとのなれそめ

2007年06月25日 | 結婚式
結婚式の準備もほんとに大詰め。
先日、夫ゴマは主賓挨拶をしてくださる施設長さんに
「妻とのなれそめ」を提出しました。

私も書きます。ゴマとのなれそめ。
司会者さんに伝える事柄を整理するついでなのですが。。。

***

 ゴマさんと私は12年前、1995年4月に初めて出会いました。
私は生まれ育った福岡から、両親にわがままを言ってどうしても行きたかった土地、京都の大学に進学しました。
大学入学当日に、混声合唱団のサークルに勧誘されて、
練習を見学に行ったらいきなり新入生は自己紹介をすることになり、
そのとき司会をしていたまるい顔の大きな声の人が、ゴマさんでした。
ゴマさんの第一印象は、
「すごいテンションたかいなぁ!これが関西の大学生のノリってものなんかな?
・・・でも、なんだか、この人とはまじめな話はできなさそうやなぁ。」
この私の予想はのちのち、いい意味で裏切られることになりました。

合唱団の副幹事長をしていたゴマさんとは最初はあまり話す機会はなかったのだけど、
私がサークルの夏合宿に行かないと言いだしたときにゴマさんが立場上説得にあたりました。

甘えん坊のくせに自由を求めて遠くへ行きたがる私は、
最初は休みのたびに実家に帰っていました。
九州と関西とでは言葉も会話のノリもまったく違ううえに、
私は家では料理はまったくしたことがなく、
一人暮らしの寂しさも初めて経験しました。
友達もでき、サークルで過ごす時間は楽しかったのだけど、
大好きな京都にいても最初はすぐに家に帰りたくなったものでした。

そんな甘ったれの私にとって夏休みに実家に帰るのは必要不可欠で、
ごく当たり前のことだったんだけど、
きちんと活動している音楽サークルの副幹事長であるゴマさんにとって、
コンクールへ向けて練習を強化する夏合宿への団員の参加は必要不可欠でした。

何時間も何時間も説得され、私は
「なんてガンコな人だろう。私はもう帰るって決めてるのに。」
と思い、ゴマさんは、
「ガンコなコやなぁ!!!しかしかなしいなぁ、オレ、新入生に好かれる先輩でいたかったのに、これで嫌われキャラになるんちゃうかな・・・」
と思ったそうです。
結局私は夏合宿を休み実家に帰ったのですが、
不思議なことに、コンクール前ぐらいから私を含む友人たちと、ゴマさんを含む先輩たちは、よく遊ぶ親しい仲間になっていました。

ゴマさんはまったく恋愛下手で、
ゴマさんを好きな子も結構いたのにそんな子をことわって、
エー!その人は絶対無理やろ!今はアカンやろ!好きな人おるってわかってるやろ!
という相手にばかりアタックし、振られてばかりいました。
私はそんなゴマさんをけしかけたり、なぐさめたりしながら、
よかったまた一緒に遊べる!と思ってホッとしたりしました。
いつも楽しく笑っているゴマさんと一緒にいると楽しくて、遊ぶ仲間にお互いがいるとうれしくて、
合唱団の練習は真剣にやり、学科の勉強はまったくせず、
本当に仲良くみんなと一緒にバカなことばかりしてました。
でも、私はゴマさんに恋愛感情はないと思っていました。
ハートの隅っこにほんのちょっぴりくらいは「いいな」と思う気持ちがあったけど、
私はゴマさんとは真剣な話はできないと、決めつけていました。
ゴマさんを好きな子もいたし、ゴマさんも好きな人の話を相談してくれました。
そして私は周りが応援して盛り上げてくれた相手に告白され、好きになり、つきあいました。
ゴマさんと私は、相変わらずにお互いを大切な仲間のまま、卒業しました。


                       →ゴマとのなれそめ、つづく