ゴマと暮らす

非常に可愛いダンナと暮らす日々。
私の結婚生活はこんな感じ。

充実、の中のちょっぴりの不満

2010年05月21日 | 日々のつれづれ
ああ、放置した。

いつから書いてないんだっけ。
英語のクラスのことは書いたから、そのあとくらいなのかな。

英語のクラスは相変わらず楽しい。というより、私の中では、なくてはならないものに成長した。

ただ、週3日が週1になった。就職したからだ。
そうなのだ、私は今外で働いている。

2月に、二年前に登録されていた派遣会社(存在すら忘れていた!)から、いきなり5週間の仕事の依頼が入った。
私は正直、その時期に仕事を始めるという心構えや準備といったものは全くない状態で、ものすごく迷ったが、ゴマ(久しぶりだが相変わらず愛すべき夫のこと。)と相談し、行くことに決めた。
自信は、弱々しいくらいしかなかった。

3年のブランクと、初めての、電車を何回も乗り換えての市内での仕事。
今まではどの職場もせいぜい乗り換えなし、あるいは車通勤で20分ほどだった。
そして、日々進化する(であろう)PC事務の仕事に私の今までの積み重ねはまだ通用するのか。


すべては、杞憂だった。
嬉しいミスアンダースタンディングだった。


3週間が過ぎる頃、
私は次の仕事へ向けて就活を始めた。
3年間の専業主婦生活という期間を経て、意外なことに私の業務能力は以前より格段に進歩していた。修行(と、あえて呼ぼう)は無駄なんかではなかったのだ。
そういう嬉しい誤算もあったのだが、私にはもう同じ修行生活に戻ることは、絶対にできないと感じた。

きっと、今の段階では充分なくらい我慢した。
仕事でたくさんの人と接して話し、自分のやった成果が認められ、目に見えるかたちで返ってくるこの喜びを知ってしまったら、
もう修行生活には戻りたくなかった。
だから、私はある意味必死で就活に勤しんだ。

ありがたいことにたまたま運よく、派遣されていた同じ職場の違う課に扶養の範囲内で就職することができ、すぐに4月から勤務することになり、今に至る。


私は本当に幸せ者だ。
今年は英語以外でも、何か将来に繋がる、社会と繋がれる道を探すのが新年の目標だった。

自分ではまったく意図せずして、流れに従っていたら、早春早々からひとつ飛び越えた体でその道が見つかった。

飛び越えたハードルは、
私が用心しすぎて怖がっていただけで、越えてみたら、ひょいとクリアできた。


そんなわけで、
今は週4日勤務して1日英語という平日を送っている。


ちょっぴりの不満、そう書いたが、こうして経緯を振り返ってみると、本当にたいしたことではなかった。

むしろその不満のおかげでこうしてめずらしくも久々に、ブログを更新することになったのだから、不満はもう昇華されるべきだ。

なんのことだったかちょっとだけ書くと、
(ホントたいしたことない。)
私の今の職場はいろんな意味で固いところで、
私の勤務形態(扶養範囲内で働ける身分)では、いくら仕事が中途半端でも、定時に必ず帰らなくてはいけないということ。
残業ができない辛さを初めて知った。

でも、これによってまた学ぶこともあるはずだ。

私の、ついつい熱中して仕事してしまう、とか、
他人に自分の仕事をまかせるのが抵抗がある、だとかいう傾向が、
少し緩和されていき、
自分だけでがんばりすぎないようになれるかも、という予感がしている。
他の人にうまいこと仕事を振る(ある意味とっても必要な能力だといえると思う。)ことが、上手にできるようになるかもしれない。

母と私が足りなくて、私の愛すべき父と妹が秀でている能力。