ゴマと暮らす

非常に可愛いダンナと暮らす日々。
私の結婚生活はこんな感じ。

ゴマと暮らしてる

2007年12月23日 | 当直ナイト
というか、暮らせるようになった


めちゃめちゃ久しぶりの更新ですが、
サクット理由を書きます。きっと時々覗いてくださってる方々、
「ああ、無理ないね」と思ってくれるかな、どうかな。

結婚式と披露宴がおわり、念願だった、入籍して初めての結婚式関連以外でのおでかけ(デートじゃ)などもでき、平和な日々もつかのま、
これは全国共通の8月の暑さがやってきて
九州育ちなのに暑さに弱すぎる私は、ダンナと自分が夏ばてで食欲が減退しないことだけを念頭に来る日も来る日も料理を作り続け、ようやく乗り切ったところに、
ダンナの4年ぶりの仕事の研修の日々がやってきて、
12月13日まで約2ヵ月半、
ゴマさんは研修所に泊り込みで家に帰宅できない日が続き、
仕方なくなく私は実家へ帰って遠距離新婚生活(ゴマ命名)を送っていたけれど、
これがちょっと不思議な生活で、

現在うちの父、ゴリラさんはテレビはなくっていいや~っていう
アンチテレビな生活をガンコにつらぬいており、
とりあえず、私は二ヵ月半ほとんどテレビは見なかった。

さらに、以前私が実家で暮らしていた頃に使っていたマックはある日寿命を全うして(前もっていたHPのもとデータごと)廃品回収されており、後継もなく、
とりあえず、私は二ヵ月半ほとんどネットにはつながらなかった。

それから、さらにさらにこれが私としては一番堪えたんだけど、
現在うちの実家、自分のききたいときに音楽が聴ける状況にない。
父はピアノを弾きたいときに弾くからいいんだって。
母はコーラスに行って歌ってるからいいんだって。
それはそれで素晴らしいことで、現在の実家は父と母の生活の場だから、
ゴマ家を生活の拠点としている私には何も言えないし、言わないよ。
でも、でも、実家に眠っているほんとにたくさんのレコード(LPディスク達)が、なんだかもったいない気がするのは、わたしだけでしょか。
世界の歌や童謡や、ミュージカルのレコードを好きなときにかけていつも聴いていた幼い日々にノスタルジィを感じているのは、巣立っていった娘である私の勝手なわがままなのかもしれないけれど。

まぁ、とりあえず大阪のゴマ家と九州の実家を行き来して、
ゴマさんとは二週間に一度くらい週末に逢い、
毎晩必ず電話して(これはゴマが偉い!!)、
新聞をくまなく読み、家事を手伝い、母が保育園での仕事があるときにはご飯を作り、音楽が聴きたくて禁断症状が出る前に車でちょっとドライブしてラジオを聴き、時々高校時代や育児休暇で帰ってきている近所の友達と会い、

というような生活を送ってたんだけど、
東京で働いてたときの元上司がある日電話で言ったように、
「え~嘘だろおまえ、また披露宴やるのか??!!
もういいだろ!?あんだけやったんだから・・あ、いい披露宴だったよ」「あ、ありがとうございます」
というようなことも、あったわけで。

つまりうちのゴッドマザー的存在だったおばあちゃんが高齢でとても神戸の式にはいけないから、
地元の福岡でも、もう一度、披露宴をやったわけで(純?)。

その準備がどうだったかっていうのはもういいんだけど、
私は福岡でのその披露宴前後に嘔吐下痢の症状を伴うロタウィルスっていうやつをもらっていたらしく(おそらく母を通して保育園の園児から)、披露宴の準備の疲れだろうと思って終わってからも一週間くらいガマンしていたら、カラダ中に菌がまわってエライことになっていたらしく、
ポカリスエットもうけつけず、スープを一口すすってでんぐりがえるお腹の痛みに近所のお医者へ行ったら、救急車で以前地元で働いてた病院に搬送されて、そのまま入院し、二泊三日点滴とつながっていました。

よかったこと。

・安静養生中にチェスを覚えた。
・両親のありがたみを知った。
・ゴマと暮らせる喜びを心のそこのそこから感じた。
・その他たくさん

てな感じで全快二週間で、
時期を同じくしてゴマさんの大変だった研修も終わり、
ようやく大阪のゴマ家に帰ってきて、
今、夫婦二人の日常に戻れました。


うれしかったこと。

ちょうど研修が終わったゴマと私が我が家に帰宅した、その日に、
フィンランドにいる大好きな友人からの幸せのハガキが届いた。

二人、大げさかも知れないけど涙出ました。
めっちゃめちゃ、嬉しかった。
ここ、見てくれてるかな。
返事を書きます


昨日は私達が出会った大学合唱団の定期演奏会に行ってきた。
音楽って、ええなぁ~