ゴマと暮らす

非常に可愛いダンナと暮らす日々。
私の結婚生活はこんな感じ。

なんてことないはなし

2008年10月31日 | 当直ナイト
私「ねーねー、ゴマさん」(お風呂あがりに寝室でゴロゴロしている。)
ゴマ「ん?」(ガサガサ)(キッチンにいる)

ゴマ「なあに」(来てくれる)
私「あ、何かやってた?」
ゴマ「うん、お茶をつくろうかと思ってね」
私「あ、じゃあいいや、たいした話題じゃないから」
ゴマ「なあに?言ってごらん」
私「いや、いい、ほんとたいしたことじゃないから、あとで」

-のちほど-

(お茶を沸かしおえた)ゴマ「なぁに」
私「あのさー、アラレちゃんにDr.マシリトっていたじゃんねー」
ゴマ「あー、あのオボッチャマンくんつくった・・・」
私「鳥嶋さんっていう編集者がモデルの」
ゴマ「うんうん」
私「あの鳥嶋さんって今集英社の取締役らしいよ」
ゴマ「えー ほんま?!」
私「出世したねー」
ゴマ「取締役って言ったら集英社のトップってことか」
私「でもわかんない、代表取締役とは書いてないから、取締役って何人かいたりするのかも」
ゴマ「そうやなー。大きい組織やもんなー」

ゴマ「でもよー考えたら鳥嶋取締役なんやね」
私「おー!でも言いにくいね。呼ぶときは取締役でよくない?」
ゴマ「でも何人かいたら。『取締役!』『どの取締役かね、太田取締役なのか鳥嶋取締役なのか。はっきりしたまえ!』」(寸劇)
ゴマ「本人もすまなく思ってるやろね。『あー呼びにくいだろうね、すまないな』」

ゴマ「そうか、もっと偉なったらいいんちゃう、代表取締役に」
私「まあそしたら『社長!』でいいもんね」

私「ね、たいしたコトない話題だったでしょ」
ゴマ「アハハ、しかしけっこう豆知識やったなー」
私「あれ?こないだもなんかこういうことあったね」
ゴマ「あー、なんかあったあった!・・・なんやったかいなー。」
私「なんだっけ、あー、全く思い出せん!」
ゴマ「細い、太い、とかそういうのだったような・・・」
私「なにそれー」

(ムズムズ)(ゴマ、歯磨きに洗面所へ)

-しばらくして-

ゴマ(戻ってきて得意そう)
ゴマ「思い出した?」
私「ううん」
ゴマ「フフン!」
私「あー思い出したのかー。」
ゴマ「教えてほしい?」
私「ヒントをくれ」
ゴマ「今の世相に関係あるかな」
私「ユーロ安?」
ゴマ「お!」
私「円高ドル安?」
ゴマ「ちょっと関係あるなー、それと?」
私「小麦高?」
ゴマ「おーーー!」

私「あーーーーー思い出したーーーく、くだらないーー」(悶絶)
ゴマ「オレもさっき歯磨きしてて思い出してくだらなすぎて苦笑いした」
私「うまい棒かぁ~~~!!!」(腰に力入らない)

私「しかしよく思い出せたねーもうむりかと思ったよ」
ゴマ「オレも今夜気になって寝れへんと思った」

数日前に、うまい棒は発売当初(結構古い。何十年も前)から値段が変わってないらしいという話をした。でも物価や原材料価格の変動だってあるのにいったい元はとれるのか?どうやって赤字にならずに売り続けているのか、という話。

興味を持たれた人はうまい棒で検索するか、ゴマに聞いてください。

フィンランド日記、更新中

2008年10月24日 | 当直ナイト
今夜は夫ゴマの当直の日なので、明日の一人分のお米を用意しながら、お米って、すごいよなぁ~、と思う。
一人だったら一合で二食分はいけるのに、一合っていったら研いでいても手ごたえが少なくて、すかすかしてしまうくらいの量なのだ。
だけど、ほかほかと炊けてしっかり一食の主食になって美味しく食べさせてくれて、栄養とエネルギーを与えてくれる。一握りのお米がねぇ。
しゃこしゃこ、しゃこ。

フィンランド日記、9月にさかのぼってぼちぼちと更新中です☆

進歩したぞ

2008年09月06日 | 当直ナイト
本当だ、エストニアって合唱大国だったんだね!

http://www1.plala.or.jp/Napraforgo/choir/estlaul.htm

今日はゴマさん当直の日。
朝、送り出して、
はじめて、一人で合唱へ行ってみた。
とはいっても、
私鉄→JR→私鉄 と乗り換えのりかえしている間に、
もうこんな時間・・・果たして行く価値ありなのか?
というような時間になってしまった。
私は時間の逆算が非常に苦手です。
でも、行く価値はあった。。

私は今入っている合唱団のひとたちがとても好きだ。
歌っている歌も大好きだ。
ちょうど、遅れに遅れて練習部屋に入っていくと、
合唱団の指揮者の一人であるMさん(ゴマと私の大学の先輩)が曲をやっていた。
エストニアの作曲家Urmas Sisaskという人の曲だ。
これがまた優しくてあたたかい感じのする、とても歌っていて心地よい曲なのだ。

偶然だけど、もうすぐ私たち夫婦はフィンランドとエストニアに行く。

意図したわけではないのに、エストニアの曲を歌っているときにちょうどエストニアに行くことができる。すごく幸せだ。
そもそも、いつかは行ってみたい、とそれぞれが心に秘めていた国(フィンランド)に、こんなに早くいけることになったのは、
私たちの友人のAちゃんが、文化庁派遣芸術家(でいいのかな?)として彼(か)の国に暮らしているから。
もし、そうでなかったら私たちが北欧に行くのは、
もうちょっとヨボッと←× おじいちゃんおばあちゃんになってからだったかもしれない。
旅も、人も、縁ってすごく大事だって思える。


そういえば、今夜NHKのBS1で、こういうのをやるらしい。


http://www.j-cast.com/tv/2008/09/04026229.html

ここに出てくる日本人(関口宏の息子さんじゃないほうの)は、
私たちの団の指揮者の知人らしい。

うちにはBSはないのですが、もうすぐ始まります。。
興味のある方で間に合った方はぜひどうぞ!


ちなみに私たちはエストニアでちょっとしたミッションをおおせつかっている。
別にできなくてもなんてことはないミッション。
でも私はこのミッションがとっても楽しみである。


今夜は、当直ナイト、
でも往復ひとりで(はじめてのおつかいのようだが)、
電車で迷わずはじめて合唱の練習に行けた日。

エライぞ、自分(笑)!

うちから練習場所までは1時間半かかった、念のため。
しかも大阪(梅田)すごい人だった、いつも以上。なんで?
いつもゴマと外出すると、電車のややこしい乗り換えはすべて頼り切ってしまう。
やっと最近土地勘が出てきた。かも。

ふつうこんなんで誰も褒めてくれないから、褒めとけほめとけ。

エライぞ!自分(笑)!!

あせった(^^;

2008年08月17日 | 当直ナイト
お盆ということで、
一昨日、昨日と神戸の実家へ帰っていました。

けっこう久しぶりやったけど、帰れてすごくよかった。

ゴマのおかあさん(ゴマえかあさん)の美味しいおいしい手料理と、
ゴマしげとうさんと皆との楽しい語らいで、
すごく素敵な時間を過ごし、けっこう夜更かししちゃった。

ゴマしげとうさんと話すのは、私にとってかなり楽しい。
結婚した当初、お家に伺ってもあまり私のほうを見てくれなかったので、夫ゴマに
「おとうさん私のこと気に入ってないのかなぁ?」と訊いてみたら、
「なんで!?めっちゃ気に入ってるで!」
「でも目を合わせてくれないよ」
「あ~(笑)、ああ見えてシャイなんや。男とかにはそんなことないんやけど女の子と話すときは恥ずかしがって目ーあわせへんねん」

え~~~(笑)
すごく社交的な人で話もうまいし、まさかそんなだとは思わなかった私はそれをきいてすごくホッとした覚えがある。

今は、チラッ、チラッと目を合わせながら、いろんな素敵な話をしてくれるので、
本当に楽しいのだ。話題が豊富で、しかも私の興味があることをたくさん知ってはって、行くたびにいい刺激を受けるし、なによりもかわいらしい(と言ったら失礼かもしれないけど(笑)おとうさんだ。
今回も息子に言わせるとすごくごきげんだったそうだ。
私にはわからないごきげんシグナルをたくさん出しておられたらしい。

ゴマえかあさん(この呼び方はちょっとへんやけどもほかに書きようが私の中ではないのでこれでいいや。ブログででもゴマ母とか呼びたくないもんなー)
には、7月の終わりにあった合唱コンクール(そういうのもあったのだ、暑くてブログ更新していなかったが)にも来てもらってたのでわりと最近会っていたが、
今回も、すごくすごくいろんなことを話せて、すてきだった。


私は自分の母にもこれまでにたくさん影響も受けてきて、
いろんなことを相談できてたけど、
ゴマえかあさんは、私の今の悩みに、柔らかにすごく的確な言葉で相談に乗ってくれて、
しかも全然押しつけがましくない(※うちの母も決して押しつけがましくない。まぁ論理的に話すのはちょっぴり苦手なひとだけど(^.^))。

それは、女の人が誰もが通る道なのよ、と言ってわかってくださって、
わかってもらえる存在がいてくれることが嬉しくて、ありがたかった。

そのうえで、これからの道筋のたすけになるようなことをさりげなく、心強く示してもらえて、本当にほんとうに、感謝だ。


私たち、お互いの両親にすごくたすけてもらってる。
けっして二人だけでがんばってるんじゃないんだ。


周りの友人やいろんな人たちにだってそうだ。
本当、いろんなものの中でたすけられながら暮らしている。


そうして昨夜帰ってきて、
今日は夫ゴマは当直なので、送り出し、
そのたすけられてる存在のひとつ、の合唱団の練習に行く前にちょっと練習予定のメールが来てないか見ようかと思ってパソコンを開いたら、
なんと、予約とれているはずだったフィンランドのホテルがとれていなかったので、あせった。

「な~に~!」やっちまったぁ。って気分だったが、

また探しまくって前より若干高めだがそこに近いホテルを、今度は確実に予約とれて、
とりあえず、安心。

合唱の練習に行けなかったのは残念。



ごはん2

2008年07月18日 | 当直ナイト
実家の母が自家製の枝豆を送ってくれた。
夕飯の支度がちょうどできて食べよう!としていたときだった。
電話でゆで方を聞いてさっそくゆでる。
母「ごーしごしと洗うんだよ」
ゆで具合は・・・
私「あ!思い出した、鮮やかな緑になるまでだね!」

残った生の枝豆は茹でて、冷凍しておくといいらしい。
そしてまた食べたいときに自然解凍だ!


その日の献立
「豚キムチ」
「人参と大根の酢の物」
「玉ねぎとあげとお豆腐のみそ汁」
「真アジのお刺身(半額)」
そして「枝豆」

う、うまかった!!!


枝豆が詰められていた小さな箱をかたづけていた夫ゴマ。
「あれ?送り主、本人って書いてあるよ」
母ちゃん・・・、きっとジャマくさかったのでしょう。

 じゃまくさい・・・上沼恵美子の番組を見ていて覚えた関西弁。
          めんどうだな~、みたいに使っていたので、
          私もまねして使ってみた。あってるかな?


ゴマと幸せを感じながらいただいたあと、
お礼のメールを送ったら、
「次は桃だよ」
と返ってきた。なんと!!!
その日、母たちは桃狩りに行ったらしい。

そして数日後、桃が送られてきた。
8個。
聞いたら実家には私たちに送ってなお、15個あるらしい。
父が張り切ってどんどんもいでカゴに入れてたらしい。

でもゴマは桃大好きらしいので、
たいらげる自信まんまんだ。

今日も当直にふたつ持って行きました。

おっちゃんちの紫陽花

2008年06月08日 | 当直ナイト
大好きな紫陽花の季節になった。
町のあちこちで咲いている。

出かけ先から帰ってきて、
いつもの路地に鮮やかなピンクの紫陽花をみつけた。
一度は行き過ぎたが、思い直してもう一度携帯を取り出して戻る。
そこは道端だけど、ひとんちの軒先で、
夕涼みをしていたらしいおっちゃんが、
「ん?」という顔でひょこりと顔を出した。
人がいるとは思わなかったのでちょっとどぎまぎして
「あ、写真をちょっと」「きれいなんで」
おっちゃんは「あーうん」と承諾してくれた。

撮りおわって通り過ぎるときに
「ありがとうございました」と声をかけたら、
おっちゃんは「ん」と言ってちょっと嬉しそうにみえた。
私もうれしかった。


きれいなものが好きだ。
って言ったらあたり前すぎるかもしれないけど、
きれいなものは、素敵だ。

美しいものに感動するけど、
美しすぎるものには少し動揺してしまう。
この気持ちは畏怖っていうんだろうか。

今日は難波で友人の旦那さんの芝居を観てきた。
前もって書くけど美しすぎることはなかった(この書き方は多分失礼じゃないと思うけど(笑)。
だからさっきの畏怖とかの話じゃない。
私は人柄やその人の人となりが表れるようなたたずまいの役者さんに惹かれる。
その彼は、多分会って話したことがあるからとかじゃなく、
そういうたたずまいの持ち主のように思えた。
友人の旦那さんだからとかじゃなく、少し際立ってそうみえた。
観に行ってよかったな、と思えた。


芝居が終わったあと、
その彼の奥さんである友人といろんな話をして、
情熱を捧げたり、それを支えたり、一緒にやったりするのって、
すごくいいなぁと思った。


そして、私はきれいであったかいものが好きだなぁと思った。
美しすぎなくて、優しいもの。
地味にも見えて、目立たずそっとそこにあるもの。
ないと寂しい、あるとホッとしてそこにあるのを忘れてしまうくらい安心していられるもの。
攻撃したりしないけど強くてこわれないもの。
もちろん大事にしてないとこわれそうになってしまうけれど。

そういうのプラス、いろんなことをやっていけたらきっと素晴らしい。なんて思ったりした。

合唱魂

2008年05月20日 | 当直ナイト
南海からJRに乗り継ぎをしていたら、
どう見ても、南米の中部の懐かしい感じのする体型、顔立ちのグループと一緒になった。
男性数人と、奥さんらしき女性たち、そして幼い子どもたち。
私はワクワクして、そっと近くに立ち位置をキープした。
そして耳をすます!

まずどっから来たのか、何してる人たちなのか、旅行者か住んでるのか知りたかった。
あ~、このアクセント、訛り、どこやどこや!?
しばらく会話を聞いていたら、ペルー人だった。
そっかぁ!やっぱり!!

それから彼らが駅で降りるまで私は彼らの会話に聞き耳を立てまくった。
南米の生の仲間うちのスペイン語を聞くのはわりとほんとに久しぶりだったから、
うれしくて!めっちゃ楽しませてもらった。

「あー。自転車ほしいわ~」
「何の話や、いきなり」
「自転車の話やん、欲しいねん。今自転車ないから朝6時起きで会社行くのに徒歩で駅まで通ってんねん、ほんで8時間もこき使われんねん、ほんまたまらんわー」

日本に住んでて働いてるってことがわかった。

「そういや、東京って行ってみたいよな~」
「東京はええでー。あれ?そっかお前行ったことなかったっけ」
「ないねん」
「東京はええでー。めっちゃ遊べる、めっちゃ踊れる」
「飛行機で行った方がええんやったか?」
「そうやなー。それが多分ええと思うわ。伊丹?うん、伊丹から乗ったらええよ、ミゲールが詳しいけどな、あいつ今日来てないからな」

みたいな会話の間に、
ベビーカーに乗った幼い娘が、
友人の持っているコンビニの袋をいじろうとしていて、
友人は優しく「それは僕のやで」みたいに言って、
「大きなったなぁ~」と友人に微笑む。

南米の人たちは基本的にめちゃめちゃフレンドリーだから、
私がもし声をかけてもすぐに話に花が咲くだろう。
よっぽど声をかけようかと思ったが、
いやいや、この人達は今仲間同士で盛り上がってるから、と思って我慢した。

降りてから一緒に乗っていたゴマに報告!

ゴマ「そっかぁ。あの人たちも俺達と同じような話題で話をするんやな~!」
夫ゴマによればそのグループが降りたのは広い河川敷のあるあたりらしく、
彼らはサッカーボールを持っていたからきっとそこでピクニックみたいにお弁当とか食べながら一日中サッカーするんやろうな、って私達は想像した。

その想像はきっとあたってる。
南米の人たちは寄るとさわるとサッカーしてる。
ボールさえあればサッカーしてる。なくても布を丸めてもサッカーする。

そして、ゴマと私は先日入団した混声合唱団の、
練習に参加して、
日本や、アメリカや、南アフリカや、ゲール人の歌を皆でみっちり練習した。


お腹から声を出して、みんなで歌ってハーモニーをつくるって、
なんて楽しいんやろう!!!!!


練習後には団員さんたちがいつも行ってるという、
焼き鳥や鶏料理のお店で美味しいものをいっぱい食べて、
美味しいお酒をたくさん呑んで、
私たち夫婦の入団を温かく迎えていただいた。。
前回の練習を見学して一緒に練習させてもらってその日に入団して、
今回が二度目の練習だった。
なんだか、ほんとに入団したんだなぁ、としみじみ実感した。

歌で出会った私たちが、また一緒に歌を歌える。
ここにたどり着くまでスムーズだったわけじゃないぶん、
余計に幸せなことに感じる。

快く受け入れてもらえた団の人たちに感謝したいし、
なにかと心遣いをしてくれて、私たちが自然な感じで団に入れるように温かくサポートしてくれた、先輩に本当に感謝してる。

余談だが、その団には外大でスペイン語を専攻していた方がいて、
私はついうれしくて朝の電車のペルー人の話を情熱的に話した。


帰りの電車ではまたなにか懐かしい匂い(笑)のする外国人の3人組に出会う。
聞き耳を立てたがさっぱり分からんかった。
ただ時折、
「ブラズィール!」と連呼していたので、
どうもブラジル人っぽい。



主婦のメリット

2008年04月09日 | 当直ナイト

「幸せになるためのイタリア語講座」
デンマーク映画だとは知らなかった。
(なんとなくフランスやと思って観てて、最後のほうで知った)
誰もが満たされた生活を送っているわけではなく、
うまくいかなかったりやりきれなかったりする自分をなんとか変えたかったり、
すてきな方向へ進みたかったりして、
なにかを求める。

ないものねだりじゃなくて、
ほんの少し勇気を出して動いてみる。
大人になれば、若い時よりも勇気がいる。
でも、前向きに考えて、支えあって、一歩ずつ歩いていく。周りの人とプラス(マイナス)の影響を与えあいながら。
少しずつ物事がいい方へ動く。人々が(自分が)それを信じるから。

実は、この映画はちょうど二週間ほど前に観ていて、
それで、今夜夫ゴマが当直なので、
借りてたDVD(当直のおとも)を観たんやけど、
「しゃべれども しゃべれども」が、
期待を裏切らない感じの、とても、いい感じの映画で、
去年の夏に文庫で読んだときと、雰囲気はそのままに映画ならではのアレンジがあって、それがまたよくて、嬉しくなって、
なぜか冒頭の「幸せになるための・・・」を思い出してここに書いた。

私はここのところ、
いろんなことに動いてみていた。たとえば仕事。
でも、なかなかうまくいかなくて、
条件があわなかったり家庭を犠牲にしなければいけなかったりで、
たとえば履歴書や職務経歴書を送って面接で採用された仕事が、
ハローワークではパートタイムで募集していたのに、
採用されて研修に行ったら「フルタイム」でないといけなかったりした。
夫ゴマと少しずつ二人で築いている私たちの家庭を、
すれ違いの日々にすることは絶対イヤなので、
そういう条件で働いて無理になって迷惑をかける前にさっさと断った。

条件が違うのだから断っても当たり前なのだけど、
あとになってだんだんガッカリした。

だって、主婦だと、できる仕事が限られることや、私は続けたいと思って真剣だったのに、結果続けられない、という状態はやっぱりくやしい。


でも、時期を同じくして夫ゴマの仕事が超、忙しくなって、
あの時期に私も外での仕事を始めて二人でクタクタになっていたらとてもやっていけなかった、というのはあるので、きっと時期ではなかったのだろうとも思う。


そのあと、いろいろと考え直して、
私は今の生活で、できること(できやすいこと)をやっていこう。
という風に思うことにした。

つい、欲張っちゃうんだ。
まったく未知の世界だった家事の世界に足を踏み入れた最初の頃は、
苦手なこと(であり最も大切なこと)からモノにしようと毎日がチャレンジで、
ひとつずつ、やれたら自分を褒めていた。

今だって、家庭の主婦をしながら何かダブルワークに挑戦するっていうのは、
初めてのことでけっこうなチャレンジなんだ。
だから、独身時代だったらできたことでも、ハードルを低めに設定して、
段階をふんでやろう、と思った。


今の生活だから、主婦だからできやすいことだって、ある。

独身時代だって、たとえば留学時代だって、そうだった。
今、ほかの時期よりもやりやすいことを探して、メリットでやっていきたい。
あまりよくばらずに、あせらずに。
私はすぐよくばるから。


ビバ、圧力鍋!

2008年03月28日 | 当直ナイト
夫ゴマの両親に、以前カタログギフトをもらっていた。
ゴマしげとうさんからの結婚祝いのひとつだった。
ゴマと二人で選びに選んだあげく、
「圧力鍋」に落ちついた。
容量3リットルの小ぶりのものだけど、
これが(使ってみて分かったんだけど)すごく使い勝手がいい。

ほんというと、届いてから使うまでけっこう時間があった。
うちにあるお鍋やフライパンは例によってゴマや私の一人暮らし時代から変わらず使っているものばかり。近所のスーパーで直径18センチの片手鍋が安かった(なんと!298円!ありえないくらい安いのに、すごく使いやすい。ガラスのふたつき)ので買い足したくらいで、あとは、ほとんど以前からあったものか、いただいたものだ。

この、いただいたもの、というのが、今回とっても重要だった。

というのは、ゴマさんの勉強仲間の方たちから、
ルクルーゼのお鍋をいただいたことが、圧力鍋が活躍する大きなきっかけになったから。

「ルクルーゼってええらしいねん」
とは前に夫ゴマが言っていたこと。
私はルクルーゼって何だか知らなかった。
「へ~、そうなんやー」
と二人でデパートに行ったときに見てみたら、
いろいろ種類があって、たしかに使いやすそうやし何ともいえず可愛い。
値段は・・・と見たところ、
「あ!」
「うちにはまだムリやな」
でもそのうちに、もしも買えるときがきたらいいね、と話して帰ってきたが、
正直のところ、当分縁がないと思っていた。

そしたら、なんとなんと、最近になってから先の勉強仲間さんたちが、
仲間うちでウチともう一人が結婚したので、
みんな(6~7人)で出資してルクルーゼのお鍋をプレゼントしたいので(!!!)「何色がいい??」というメールが届いた。

なんということでしょう!私たちは文字通り小躍りして、ルクルーゼのホームページに行って色を選んだ。
見てるだけでわくわくした。まさかうちにこの素敵な雰囲気のお鍋が来るときがくるなんて、とまだ半信半疑で選んだ。ちなみにもう一人の方へのプレゼントにはうちも出資した。高いものにはこういうプレゼントの仕方もあるんだなぁ!
みんなの気持ちがすごく嬉しく感じる。もちろんどういうかたちであれ心のこもったプレゼントというものはすごく嬉しい。


そして、3月の初めにそのお鍋は本当にやってきた。
そのお鍋が私の台所にいる様子は、ほんとうに夢みたいに素敵だった。

ふたも本体もホウロウ鉄鍋なので使い方が独特らしくて、
私は使いこなしたくてレシピ本をネットで探して購入した。
そのとき、圧力鍋のレシピもついでに一緒に選んで買った。

やっときた、このついでに買った圧力鍋のレシピが超重要だったのである。

私は圧力鍋が実家で時々活躍している様子は見てきたが、
見てるだけだったので、いちおうビーフシチューは絶対作ろうと思っていたが、そのほかの料理についてはまったくゼロ知識だった。
しかも実家でもあれはかなりシュッシュポポいってたので、少し抵抗があった。
だから最初の日はダンナと一緒の休日にした。

記念すべき、うちでの圧力鍋デビューメニューは、
「ゆで豚」
これって書くだけだと「ゆで豚」。
だけどその実、メインディッシュとだしのきいた野菜と穀物のスープ、
そして次の日の煮物のかくし味(ゆで汁)まで含まれてる!

しかも、圧力鍋は火を止めたあとに真の力を発揮する(なんかカッコイイな)。
下ごしらえをして、材料を入れて沸騰して弱火にして加圧して、火を止めて自然放置しているときに、
ゴマと私はお散歩に出かけたりするんだ。
そのあいだも圧力鍋はシュシュポポと料理をしてくれている。
帰ってきたときのいい匂い!


そういうわけで、私は圧力鍋の世界に足を踏み入れた。
先日は「豚の角煮」を作った。
あのトロッとするほど柔らかくてジューシーな角煮が、
まさか自分ちで作れるなんて思わなかった。
泡盛の代わりに日本酒をつかったけど、美味しくて大好評だった。
いつか泡盛も入れてみたい。

そのきっかけとなった、
ルクルーゼの世界にはたぶん今週末踏み入れる予定。
なにごとにも時間のかかる私だから、
「ボナペティ、ルクルーゼ!」wとかいうタイトルでこのブログを書き出すときが、来るかこないか、不明だが、
ルクルーゼのお鍋にはそこにあるだけで嬉しくなるような、そんな雰囲気がある。この雰囲気だけで満足してたり、圧力鍋があまりに奥深いのでなかなかルクルーゼを使うにいたらなかったが、
この雰囲気なんかも、もしかしたら世界中で愛用されておばあちゃんからその子ども、孫まで受け継がれるという所以なのかなぁ。
↑まだ未使用のため、現時点では私はここまで。使いこなしたいものである。


ヤッター!

2008年03月05日 | 当直ナイト
やった、やったー!
瞬間移動ではないよ(あれ観たいな)、
髪を切った。やってやった。18センチくらい切ったった。
史上最高に長かったうしろと横、披露宴で日本髪結うために伸ばしてた前髪、
へたすると貞子みたいで怖かった、冬は暖かかった。
切ったぞ~~~~~~~~!
やったぞ~~~~~~~~~!
ずっと様子をうかがってた近所の美容院、
入ってみたらめちゃめちゃ、感じがよかったぁ!
もう、うちには春が来たな。

ゴマよ、帰ってきて驚くなかれ。

※写真はイメージで実際の人物とは全く関係ありません。

Hi5

2008年02月18日 | 当直ナイト
当直ナイトがやってきた。
もともとこのブログは当直の夜のために始めた。
結婚して、私は生活がかなり変化したから、
その変化した部分をたのしんだり、
変わらない部分を確かめたり、したかった。
まあ、それは本当いうと後付けな理由で、
始めた動機は、とにかく圧倒的に当直の夜が心細かったこと。
当直というものはたいてい「当直明け」というものがあるようで、
夜勤するかわりに翌日の朝には帰れるというイメージがあったが、
ゴマさんの場合は、翌日も引き続き通常勤務がある。
まる二日近く、家を留守にするわけで、
本人も、妻も、けっこうダメージなので、
私たちは今も、何とかダメージを減らそうと工夫をこらしていて、
試行錯誤の日々だけど、一年くらい経った今、けっこううまいこといくようになった気がする。
私の「当直のおとも」も、いろんな分野にわたってきている。


でもほんとに、生活が変わった波に押されて忘れかけていたことを気づかせてくれた友人の存在はとても大きい。
書いたり、話したり、表現したりすることは、欠かせないことでとっても大事なことだった。日々の暮らしと同様に。
彼女たちや、彼たちがいたから、
私は自分にとって大切なことが、独身でも結婚してもかわらず続いているのだという、嬉しい事実に気づくことができた。


それにしても最近になってやっと言葉にできた=はっきり自覚できたことがわりとあって、
そのひとつなんだけど、

独身時代、私は漠然と「結婚したらきっと幸せで余裕があるんだろうなぁ」
と思っていた。でも、
私たち、初めてのことばかりで、幸せだけど余裕なんてなかった!

という事実に気づいた。ほんと最近。
周囲や自分との葛藤はほとんどこのギャップからうまれてたような気がする。


まぁともかく、今夜は当直ナイトなんだ。


Hi5のことを書こっと。
ちょっと前なんだけど、
エクアドルにいた頃の、大好きな友人から、
Hi5のお誘いをうけていた。
私は最初ウィルスかなにかだと思って怪しんでたけど、
ネットで調べたらmixiの世界版みたいなものだとわかり、
mixiのほうは苦手で未だに使い方よくわかっていないんだけどちょっと覗いてみたところ、これけっこう楽しくて、私も始めてしまった。

http://ritmo21.hi5.com

私がエクアドルと南米にいたのは2002年の一年間だからもう5~6年前になるんだけど、当時14歳だった、私の大好きな友人の娘のおませなカティ(Cathy)が、もう19歳ですっかりお年頃になっていて100人くらい友達をつくって青春なやりとりをしていたりするんだ!すごい感慨深い。
まぁカティからすれば、
「失恋したり痛い目に遭ったりして私のママの胸で泣いてたあのちっちゃなジュンキートが、結婚したんだなぁ~」と感慨深く思ったりしてるかもしれないけど!

彼女が最近贈ってくれたカード。

"Las personas dejan huellas en tu vida,
los amigos,las dejan en tu corazon
(人々はあなたの人生に足跡を残し、友人たちは心に残していく)"


彼女の母親であり、私のスペイン語の先生であり、のちに大切な友人となった、
Cisa(シッサ)は、実は私と同じ誕生日である。
日付は一日彼女の方が早いんだけど、エクアドルと日本とは14時間の時差があるので、実は同じ日なんだというややこしい偶然の一致に、気づいたときはちょっと興奮した。

CisaがHi5にくれたメッセージに、
私も忘れかけていた大事な思い出のことが触れてあった。
彼女はそのことを今もとても、大切にしてくれていた。


南米滞在の後半で、私は旅をした。
ナスカに行ったときに、
地上絵を観察するための高い塔(ミラドール)の上で、
ペルー人のガイドとアルゼンチンから単車に乗って旅をしている男の子二人と、日本人の女の子である私、の4人がたまたま一緒になった。
その塔は地上絵の研究のためにドイツ人の女史が建てたもので、現在その一部が観光客にも開放されているが、けっこう急な階段で高さもわりとあるので、その時一緒に旅していた私の連れは上まで登らなかった。
研究用に建てられたものなので大人が4人も立てばぎゅうぎゅうになるような、そんな塔の上で、私たち4人が偶然、全員「射手座」であることを知ったとき、ペルー人のガイド(名前はJesus:ヘスス)が印象的な話をした。
これは射手座以外の人にはあんまりおもしろくない話かもしれないので(?)ここでは詳しくふれずにおくけど、
エクアドルに帰ったとき、私は親愛なる射手座の人、Cisaにこの話をして、
ナスカの地上絵で射手座のシンボルと現地の人に信じられている、
ハチドリの姿を象ったネックレスをプレゼントしたのだった。


Cisaはこのときの話をずっと覚えてくれていてそれを大切にしてくれていた。


宝物を、見せるのは私にとっては勇気がいる。
それが大事であればあるほど、
見せられる人は限られる。
私は、夫であるゴマさんに、私にとっての宝物のひとつをその数日前に見てもらって、大事な思いを共有していた。


ナスカの布と共にある私のハチドリのネックレス。
ガイドの名前がJesusだったってことはこの際気にせずにおこう!!



エウロパ、ずるい

2008年01月26日 | 当直ナイト
もう、何だよこの雰囲気!そのまんまじゃん!
猥雑で乱雑で気楽で退廃的で毎晩パーティー、仲間に声かけては街にくりだす。
でも勉強があったりいつもハイテンションにはついていけなくて、
でもやっぱり行っちゃう、そして羽目をはずしちゃう娘なんかがいて。
映画(DVD)「スパニッシュ・アパートメント」の話です。

でもずるいよ、エウロパ(欧州)。

「君はフランス人だろ、スパニッシュとのほうがうまくいくんじゃないか?」
「彼女はイギリス人、彼はイタリア、僕はドイツ、ベルギーの子もいるよ、そして彼女が唯一スパニッシュだ」と英語で喋るドイツの男の子。
イタリア人とスペイン人はイングリッシュが下手で有名だけど、
それでも共通している単語はたくさんあるし、何よりアルファベット圏だし。
スペイン留学していてもやはりリンガフランカはイングリッシュ。
そしてフランス人はみるみるうちにスペイン語をマスターしてく。
さらに、独自の恋愛観で”ドンファン”になり、
勝手に自分の周囲をややこしくして、傷ついてケンカしたり落ち込んだりする。
情熱的やなぁ・・・。
空気の読めない無駄にハイテンションなアメリカ人の若い子は、
微妙な、触れちゃいけない人種や歴史の問題を無神経に(というかなにも考えてない。よく言えば悪気がない。)逆なでして怒らせたりする。ドイツ人のドイツなまりの英語のマネしたり、ドイツ人にヒトラーのことを言ってからかったりね。ここにアジア人がいると、国籍に関係なく「アチョー!ハチャッ」とやられる。これをドイツ人がやったりもするからどっちもどっち。

でもずるいのはやっぱりみんなヨーロッパってこと。
んも~、やっぱずるいよ。

「スパニッシュ・アパートメント」の話をしているようでそうじゃない話もしてますが、映画の話に戻ると、
まず冒頭で、フランス人が泣く。
スペインに留学するのに。
地続きね。隣の国ね。ピレネー挟んでるだけね。容姿変わらないね。文字、読めるね。単語かなりの部分で共通してるね(重複)。文法、ほぼ一緒ね。通貨一緒ね。ユーロね。
一年間行ってきます、でもすぐ帰れるね。

なぜ泣く。

ここに、日本人は出れないな。出してほしいよ。
でも、難しいんだよな。
日本語と韓国語は、言語学上、
他の言葉と非常にかけ離れてる。孤立しているって言い方さえできてしまうけど、あまりしたくないけど、ほんとだ。
まあ、漢字は中国語と共通しているから、それは心強い限りだし、
単語や文法(語順)が韓国語と重なる。
スペイン語とは発音が近い。
英語はいちおう日本人、中学生(今は小学生)から必修だ。

いやいや、でもエウロパとは比較にならないよ。


だから同じ量勉強しててもフランス人やイタリア人やブラジル人にスペイン語かなうわけなくて、
それがまた悔しかったりするんだ。
リンガフランカの英語が日常会話程度では認めてもらいにくくて、
スペイン語に英語のダブルスクールに通ったりして、
そこにオーストリア人や、スイス、フランス人(一部の地方で使われてる)とベルギ-、そしてもちろんドイツ人が一大勢力としてドイツ語をひっさげてやってくると、ただでさえいっぱいいっぱいの脳は大混乱だ!

でも、そうやって、いったん一つの言語を身につけてしまえば、
ヨーロッパの主言語には共通点が多いから、
思った以上に役に立ってしまうという、美味しい点もあるのでした。


以上、当直の夜は結構淋しいので、DVDで日常から離れてちょっと懐かしい思いをしてみました。

言語への情熱は消えたり決してしないけど、
今日みたいに無駄に燃え上がる日もあるのだよなぁ。

コーヒータイム

2008年01月23日 | 当直ナイト
そんなわけで、日曜は、
ゆっくりと過ごした。

私とダンナはコーヒーがかなり好きだ。
ゴマと結婚してよかったことはいろいろあるけれど、
ゴマさんが、コーヒーすきな人で本当によかったなぁ!と思う。
苦手な人もいるからそれだと、支障はないけど、
この時間を共有できないので。

私がまだ妹と住んでいた頃に、妹の知人で美味しいコーヒー豆を定期的にくださるありがたい方がいて、最初は粉だったのだけど、ある日、ちいさなコーヒーミル(豆挽き)と豆が送られてきて、妹と二人で挽いて飲んでみたらこれが美味しくてやみつきになって、もともとコーヒーは好きな方だったけれどますます好きになった。

私の実家で父母はコーヒーはあんまり飲まない。
外出先で出されたら飲むけど、うちで淹れてまでは飲まない。
私が実家に帰るとコーヒーを自分用に買う。
そんなだから私が結婚するときに、実家にあったコーヒーメーカー(コポコポとやるやつ)を母がくれた。そして神戸の実家で長年使われていたコーヒーミル(豆を挽くやつ)をおかあさんにいただいた。
「子ども達が小さい頃はよく豆を挽いてコーヒー淹れてたんやけど、もう今はなかなか挽かないから、どうぞ、もらってちょうだい。」
ゴマ口家とゴマ田家の、コラボレーションやぁ~!(すんません)
うちにあるものはこんな感じが多く、食器など、愛着があって馴染みの深いものばかりだ。


我々も、入籍して一年くらいはなにかと忙しかったので、
たまに淹れるとしても粉からだったが、買い置きの粉を飲みつくしたので、
新婚旅行先で買ってきていた豆を、ここにきてはじめて開けて、
ゴマさんが挽いてみた。
キュル、キュル、キュル。
「あ~この音、小ちゃい時にやったなぁ!」と、
挽くごとに香りがひろがってきて、もう、た、ま、ら、ん!

さらに、コポコポ、コポと淹れて、注いで、
ふたりで一緒にすする。
ゴマ「!こ、これは!」
ゴマ「って美味しんぼみたいやけどこれは、もうたまらん!」

そんなで、夢心地を味わう二人の後ろでは
「Music from the coffee lands」というCDが流れているのである。





神戸デート

2008年01月22日 | 当直ナイト
土曜日、ゴマさんの仕事が休みだったので、
久しぶりに二人で神戸に出かけた。
ちょっとお洒落をして、電車に乗って。
ゴマの実家は神戸だけれど、
我々がいま住んでいる町は、大阪の南の方、ミナミよりも南のほうなので、
神戸に行くのにはだいたい1時間半くらいかかる。
結婚式の準備のときはほぼ毎週末ごとに通っていたけど、
今はイベントもすんで、二人の生活が落ち着いてるので、
神戸に行くのは実家に帰るときくらいだ。
久しぶりに行くと、
やっぱ、神戸の街並ってきれいだなぁ~!!!と感心する。

坂道、駅のこっち側向こう側、
どの通りを歩いていても街路樹や、花々や、店のたたずまいに"普通に"心惹かれる。
京都も、また違った意味でそうやけど、神戸は異国の香りが漂うのが、たまらない。
私は九州の山あいのちいさな町出身で、いくつかの場所に行ってそこで暮らした。街を歩いていて、わくわくするとか、しっくりくるとか、そういう風な街(あるいは町)の雰囲気ってどういうところからうまれるんだろう、と思う。

港があったりだとか、果たしてきた役割とか、地形だとか、
どういう人たちが主に集まってきたかだとか、どういうことが過去に起こったかだとか、
新しいのか古くからあるのかとか、もっともっとたくさんの要素が雰囲気をつくっていくんだろうけど(もちろん行政も!)、
魅力的な町っていうのはあるよなぁ。
もちろん相性もあると思う。ゴマと私の住む町(のある地域)は、「陸の孤島」なんていう人もあるけど(笑)(←これは私の大学のサークル仲間のある男の子が言って、私がひそかに気に入っている表現である)、私たちにとってなんだかすごく居心地よく、暮らしやすくて落ちつける町で、できれば長く住みたいと思ってる。

でも、神戸はやっぱりきれいやなぁ~!


ダンナが用事を済ませるあいだ、
私は適当に街を歩いた。
本当はハンズで待っている予定だったが、
あき足らずになんとなく通りに出て、結局ゴマが電話したときには
私はロフト(あとで二人で行こうと言っていた場所)にいた。
「え!もうロフトにおんの?!よう一人で行けたな!」と褒められたが、
ただの偶然である。適当に歩いてたら着いたのだ。
「もう、庭やなぁ!!」とほめられたが、私はまだ全然地理わかってないです。

神戸(や、海のある地域)(我々の町でも)で普通に使われている、
「海側」
「山側」
デパートの案内表示でも、工事中の道案内でも、
東西南北を表示する代わりに、ふつうに使われている。
私は海のない地域に育ったのでこの表現はとっても興味深くて最初びっくりした。
ちなみにゴマたちの少年時代に明石海峡大橋はまだ建設中で、青年期(ええ今もですけど)に完成した。
中学の友達やゴマは自分らのもののように「はし」と呼んでる。
「あれは、はしができる前やったかなぁ?」
「はし、できてからちゃうか?」
何かにつけて基準にしている。
最初聞いたときはどんな近所の小川の橋なんかと思ってた。
海も、橋も、すごく身近なんだな。

私にとって海、は未だに「果てしなく憧れ」だからなぁ。。。