今度の4月で 透析歴が丸11年を迎える。
98年5月末から04年11月半ばまで 透析専門の病院に通院し、05年5月末に在宅透析に
切り替わり、現在に至っている。
在宅透析を選択したのは、別に透析効率がうんぬんとか、長時間透析が可能とか
そういうものが理由ではなかった。
理由はたくさんあるけれど、一番の理由は1日おきの通院が困難になってきたから。
もし通院が困難にならなければ、今でも普通にHDで通院していたと思う。
2002年の秋頃、色々なストレスや体調不良で過呼吸の発作を頻繁に起こすように
なってしまい、喘息の気がある私は当時 てっきり喘息の悪化だと思っていた。
でも喘息は苦しいだけだけど、過呼吸の発作は苦しさと恐怖感がダブルで襲ってきて、
喘息とはちょっと違うと感じていた。
ある夜 また呼吸が苦しくなり、市立病院の夜間救急に行って血液検査(静脈からの採血)
をしてもらったところ、二酸化炭素不足による発作だと診断された。
10代~40代くらいまでの若い女性によくある発作らしく、「この発作が起きると
とにかく部屋の中にいられなくて窓を開けて外の空気を吸いたくなったりするでしょ?」
と言われ、確かにその通りだったのでビックリしたのを覚えている。
治療方法は心療内科に通うことと言われ、早速翌日メンタルクリニックへ。
結果、パニック障害という診断結果だった。
とりあえず2種類の安定剤を服用することになったけど、すぐによくなる病気では
ないので、しばらく(かなり) しんどい日々が続いた。
今も完治はしていないけど、それでも普通に生活できるようにはなっている。
当時は本当に日常生活に支障をきたすほどで、エレベーターに乗ることができない・
映画館に入ることができない・車の運転ができない・助手席に乗っていても、渋滞に
ハマったりトンネルに入ったりすると過呼吸になったりして、一番ひどい時はスーパー
で買い物している最中に発作を起こすようになり、もう家から出ることが苦痛になる
くらいひどい症状だった。
今思うと、密室や逃げられない状況というのが発作を引き起こす要因だったようで、
でも何より一番困ったのが、車の運転ができなくなってしまったことだった。
車の運転だけでなく、バスや電車にも乗れなくなっていたので、週3回の通院が
本当に困難だった。
まぁ当時は夜間透析で夜7時頃までに病院に入ればよかったので、ダンナが帰宅する
のを待って、毎回送り迎えをしてもらう日々が1年半ほど続いた。
いつ発作が起きるかとビクビクしながら過ごす日々というのは 本当にストレスで、
何とか抜け出したいと毎日毎日思っていた。
そんな時、ネットでふと見つけたのが在宅血液透析。
名古屋の病院で行なっていることを知り、いろいろ調べたら 透析導入前まで長年
かかっていた市内の病院でも在宅透析を受け入れていることを知った。
そして幸運にも、長年主治医だった先生が 在宅透析を担当していたため、とりあえず
話を聞きに外来予約を。そして今現在に至っているけれど、あの辛かったパニック障害も
今はかなり落ち着いていて、もうエレベーターも車・電車やバスなどもへっちゃら。
そして過呼吸が良くなった要因も、在宅透析のおかげだった。
在宅透析の指導は本当に厳しくて、(まぁうちらの出来の悪さが一番の原因だけど。)
過呼吸の心配なんてする暇はなかった。
何より良かったのは、腎臓や透析に対する知識をたくさん教えてもらえたこと。
それにより、今まで透析は煩わしいとしか思わなかったのに、一転 透析のすごさや
ありがたみを感じるようになった。
過呼吸発作が一番ひどかった時は、透析中も発作が起こることがよくあったけど、
在宅透析の指導を受け、装置の操作方法や透析の仕組みを教えてもらったことで、
透析に対する不安感がなくなり、透析中に過呼吸を起こすことは一切なくなった。
そしてそれ以来、他の場面でもパニック発作を起こすことが少なくなり、一人で
バスや電車に乗ることも出来るまでに回復した。
(2002年から2004年の約2年間は、パニック発作との戦いで、本当に毎日辛かった。)
でもあのパニック発作にかからなければ、多分(てゆうか絶対) まだHD通院していたと思う。
そう思うと、あのパニック発作も 悪いことばかりじゃなかったのかもしれない。
(当時は死ぬほど辛かったけど。)
きっかけがこんなカンジだったので、在宅透析をさせてもらえることになった時は、
これで一日おきに通院しなくてもよくなるんだという安堵感でいっぱいだった。
(以前かかっていたクリニックには 車で15分くらいだったけど、発作を起こして以来 とにかく通院が困難だった。)
でも実際に在宅透析が始まると、1日おきの通院がなくなるというだけでなく、
さまざまなメリットがあるということを、身をもって実感することができた。
それにより、精神的ストレスもかなり減り、今の生活はあのパニック発作で苦しんだ
当時とは 比べものにならないくらい快適だ。
いろいろあったけど、こうして思い起こしてみると、在宅透析ができたのも 今平和に
毎日暮らせているのも、ダンナのおかげだったりする。
感謝しなければ・・と思うものの、つい奴の普段のバカぶりに腹が立ってしまい、感謝の
気持ちを忘れてしまう。C= ( ̄ー ̄;;) ハー