goo blog サービス終了のお知らせ 

在宅血液透析Diary

日々の出来事や在宅血液透析(HHD)のことなど 書いています。
<2007年5月開設>

PTXから1年

2008-07-01 17:31:18 | 副甲状腺オペ

早いもので、もう7月。 PTX (副甲状腺オペ) からちょうど1年がたった。
透析導入当初からPTHの値が高く、初めて副甲状腺オペの話を聞いた時は
もう真っ青になった。

「透析患者さんたちはみんなよく行なうオペで、ココを切って米粒くらいの副甲状腺を
4つ取り出すだけだよ。跡もほとんどのこらないし。」と、看護師さんたちはさも簡単
に言っていた。

でも、「ココを切って」と言いながら首を指されれば、何も知らない患者はマジで!?
ってみんな思うだろうし、聞いただけで生きた心地はしない。

初めてオペの話を具体的に聞いたのが、確か透析始めてまだ2~3年くらいの時。
やっと精神的に「透析」を受け入れることが出来、日々の生活も安定してきた時に
こんなことを言われ、一体これから自分はどうなってしまうんだろう・・・と不安に
なり、また悪い癖で、どうして自分ばかりこんな目に・・・と鬱になったりした。

結局 内服薬で様子を見ることになり、そのまま4~5年が経過。
在宅透析に興味を持ち始め、2004年にそれまでお世話になっていたクリニックから
今の病院に転院し、無事HHD実現したあたりで、PTHの値がさらに高くなって また
オペの話が浮上。

自覚症状があるならまだしも、私の場合全く症状がなく、ただ血液検査の数値が
高いというだけだったので、なかなか踏ん切りがつかなかった。

PTXの必要性を理解してもらうためか、PTXのビデオを病院側が貸してくれたりした。
「見た?」と外来時に看護師さんが聞いてきて、「ハイ。」なんて答えてビデオを返却したけど、
実は全く見ていない。v(・∀・*) ←反省の色全くなし。(笑)
てゆうか、怖くて見る気がしなかった。それに、見れば余計にオペが怖くなると思ったのであえて見なかった。

でもいよいよPTHが800を超え、仕方なくオペ決定。
オペ後の入院やその後などは 以前書いたとおりだけど、あれからちょうど一年、
今はオペを行なったこと自体も忘れて、特に何事もなく生活している。


女性なら気になるのが、オペの傷跡。
PTXは跡が首のとこだし、隠すにしても隠しようがない。
でも気になったのは最初の2か月くらい。ちなみに7月にオペを行い、10月に帰省を
兼ねて旅行に行ったけど、その時にはもう全く気にならず、普通に胸元の開いた
洋服を着ていた。

私がオペを行なったのは7月だったので、そうすると退院後は一番暑い季節。
そんな時に首の傷跡が気になっていたので、着る洋服に苦労したりした。
でもそんなのちょっとの期間だけなので、秋や冬にオペを行なえば 洋服には
困らないだろうし、タートルなどで隠すのも容易。(経験上、夏はオススメできない。)

そうは言いながらも やっぱりオペは大変だし、できれば絶対避けたい。
私がPTXを行なって変わったことと言えば、薬の量と種類。
それまではレナジェルを飲んでいて、オペ直前にはレナジェル一日8錠だった。
もちろん副作用の便秘に悩まされ、サプリメントがなければきっと便秘で死んでいた。

そのレナジェルが、オペ後はタンカルに変更。
最初だけタンカル1日12錠・一週間後にCaの数値が高かったので半分の6錠・そして
腹痛で倒れ、検査の結果、タンカル減らしたにもかかわらず Ca値が異様に高かった
ので、腹痛もそれが原因と判明し、タンカル無しに。

それから除々にタンカルを増やし、ここ半年はタンカル一日5錠で落ち着いている。
結局私の場合はオペ後の変化は内服薬の変更くらいだったので、あまりオペの
ありがたみを実感できないままでいる。

でも、何年も拒み続けてきたオペを行なったことで、もうこれで大役を果たした・・・
というような安堵感はかなりある。C= ( ̄ー ̄;;) ハー


あれから一年。よくみんな、「長いようで短かった。」と言うけど、私の場合は
「短いようで長かった。」というカンジ。逆に、まだ1年しかたってなかったんだ!
と、今 書いていて感じる。やっぱり大変な思いをした時期は、実際は短い期間でも
長く感じるのかもしれない。( ̄~ ̄;)ウーン・・・


PTX後の検査値

2007-09-04 16:24:46 | 副甲状腺オペ

前回 8月後半の外来日、採血の結果でPTHの値が400だったことが判明。
オペ後すぐの検査では、PTHの数値は10しかなかったのに、なぜ???と先生も
首を傾げていた。

でも 透析中に回路から採る採血ではなく、病院で右腕から採った採血の結果なので、
もしかしたら、採血した箇所が 移植した部位のすぐ近くだったためにこんな高い
数値だったのかもしれない・・・ということで、前回の外来日に、中央採血室ではなく、
透析室で シャント側から採血してもらった。

その結果を 今日の外来日に先生に教えてもらったら、PTHは200だったとか。
(超微妙な数値・・・。)


「副甲状腺は4つ全部摘出したはずだし、右腕に移植した副甲状腺の一部も、まだ移植
して間もないため、こんなにすぐにこれほど数値は上がらないと思う。もしかしたら
5つめの副甲状腺があるのかもしれない・・・。」と末恐ろしいことを言われた。


小さな副甲状腺は、シンチでも発見することが出来ず、大きくなってきてやっと5つ目
の副甲状腺の存在がわかるというケースもあるらしい。

大きくなった副甲状腺を4つ全て摘出すると、5つ目の副甲状腺がある人は、その働きが
活発になって大きくなる場合もあると聞き、正直冷や汗が出た。( ̄◇ ̄;) ハゥー


もちろんまだ様子見の段階だけど、数値が500くらいになるようだったら もう一度
シンチを行い、他に副甲状腺がないかどうか調べるらしい。

ただ、二度も切る人は稀らしく、大抵は200まで上がったとしても そのまま横ばい
というケースが多いらしい。


私の場合、4つ目の副甲状腺がなかなか見つからず、結果4時間以上にも渡る長時間
オペになったわけだけど、摘出した4つの副甲状腺をダンナに確認してもらう際、
「ホント、最後の1個が見つからなくてすごく大変だったけど、何とか全て摘出できたので。」
と、先生に説明されたらしい。

せっかく先生が苦労して摘出してくれた4つの副甲状腺。
どうか5つ目なんて存在せず、何とかこのまま横ばいで落ち着いてくれることを祈る
ばかりです。 (5つ目だなんて、今日初めて聞いた。もうこれで全て済んだと思ったのに、マジ想定外。)


入院中ムカついたこと Best5

2007-07-25 09:52:25 | 副甲状腺オペ

~はじめに~ (今日はただの個人的なグチです。)

今回の入院。ムカつくことや唖然とすることの連続でした。
会計受付でも毎回カンジ悪くてムカつくけど、やっぱり市や県の病院はお役所
なんだなと、今回も改めて実感です。

まずはベスト5
夜中の看護師の見回り。こないだも書いたけど、夜中の2時にドアをノックして
見回りにくるのはマジありえない。
ただでさえ寝つきが悪いのに、あれで結局朝まで眠れませんでした。
そぉっと入ってくるのが普通だし、ノックされたのは今回が初めて。

ベスト4
頭が痛いとずっと訴えているのに、医師の指示がないからと言い張って、薬を出して
もらえなかったこと。これもこないだ少し書きましたが、使えない看護師だな~と
正直ビックリして呆れました。マジで脱走してウチに帰るつもりだった。

ベスト3
私はもともと若い看護師は好きではありません。(使えないから。)
今回ムカついたベスト5も、全て若い看護師です。
(看護師さんはやっぱり中堅どころに限る。話もすぐに理解してくれるし、対応もすばやく、処置も的確で安心。)

透析から帰ってきて 部屋のベッドで漫画読んでいたら、午後の血圧測定や熱を測り
に若い看護師が来て、「透析って大変ですかぁ??」なんて質問してきた。
そんなの大変か大変じゃないかって聞かれれば、大変に決まってんじゃん!
何言ってんのコイツってまずそこでムカついた。
でも大人な私(笑)は、「まぁ大変ってゆうか面倒くさいですね。透析に休みは
ないので。」と返答。

そしたら、「透析が終了する頃、患者さんは40キロ以上のフルマラソンを完走した
くらい疲れるって聞きましたけどぉ。。?」とまた質問。
てか、何十年前の話をしてるんだよ??と、その知識の無さに唖然。
「最初の頃の透析はそのくらい大変だったと聞きましたけど、現在の透析は個人差は
ありますが、終了後にそこまで疲れることはまずありませんよ。」とまた返答。

「じゃあ透析後も全然疲れないんですかぁ??」と、またまたとんちんかんな質問。
ここでさすがに私もイラつき、「疲れませんね!!」とちょいキレた。←超大人げない
つうか、こういう会話自体がマジイラつく。
大変じゃない病気や治療なんてあるわけないし、ちょっと考えればわかること。
透析室行って直にスタッフに聞いてこいよ!って。

ベスト2
血圧測定でのこと。取り出した副甲状腺は 一部を右腕に移植するため、右腕は
もちろん、シャントのある左腕でも血圧は測れません。
なので足首で測定するのですが、透析の外来時、「手術前に腕と足で測ってどれくらい
誤差があるのか調べて覚えておいて。」と、先生に言われました。

実際 足で測定するほうが、上腕で測定するよりもかなり高く表示されます。
私の場合、腕で130だとしたら 足首で170~175と、40~45くらいの差がありました。

なのに透析日の朝(透析に行く2時間前)に看護師が血圧を測りに来て、足首で
測ったら、上が180・下が130という結果が出た。
単純に40引いたとしても、140/90という数値。
こんなもんかなと思っていたら、「おかしい!!こんなに高いなんて絶対変!!」
と言われ、再度測定。 でも何度測っても結果は同じ。

もうすでに3回は測っていたので、「あの~・・・足で測るほうが 腕よりも40くらい
高いんですけど。。」と言ってみた。
そしたら、「それでも高すぎる!血圧の薬飲んでないなら今すぐ飲んで。」と
また無茶を言われた。
「あと少しで透析に行かなきゃならないので、血圧の薬飲んだら透析中血圧下がり
すぎちゃうし、透析前に血圧の薬は普段飲まないんですけど。。」とちょっと反論。
「透析すると血圧下がるの?」とまたまたバカなことを言われ、「ハイ・・・。」と
呆れて返事した。

それでも180は高すぎるから!と言われ、今度は違う血圧計で何度か測定。
もう好きにしろよと思い、私も無言だったけど、5回目くらいに158という数値が
出て、「せめてこれくらいだよね!180なんてやっぱりおかしいもん。」と、
勝ち誇ってカルテに記入してた。。(↑つうか、お前がおかしいよ!)

ちなみに看護師が出て行った後、自分でもう一度測定したらやっぱり180。
その後透析に行き、透析の看護師さんに話したら、「え~?だって足のほうがかなり
高く測定されるよね??」とやっぱりおんなじことを言っていた。
あの思い込み(つうか頑固さ)にはもう呆れてモノも言えない。

ベスト1
これも血圧測定。オペが終わって病室に戻ってからのこと。
麻酔も覚め、体調最悪で死にそうだった時、若い看護師が血圧を測りにきました。
看護師が手動で測る血圧計を、足首ではなく太ももに巻かれた。←アリエナイ・・・
そのままシュッシュッと加圧を始めましたが、もう血圧計の巻くやつ(なんてゆうか知らない)
自体に空気が入って、膨らんじゃってる状態。
自分も自宅で測ってわかってるけど、こうなるともう一度巻き直さないと絶対測定
できません。

なのにムキになってずぅっと加圧し続けて、もう完璧うっ血している。
たまらず、「痛いのでやめてください!」と、術後でまだせいせい出ない声で
一生懸命拒否。
「いつも足首で測るんですけど。」というと、今度は足首に巻きつけて加圧。
でもさっきと同じように空気が入っているのがわかるので、もう1回巻き直さなきゃ
ダメに決まってるじゃんと思いながらも そのまま我慢。
そしたらもう足首がちぎれるくらい加圧してきて、思わず「痛い!!!」と叫んで
「もうやめて!!」と怒鳴って血圧計を蹴飛ばした。←マジ殺されると思った

声を出すのも大変なのに、怒鳴ってしまい、余計にノドが痛くなってもう涙目。
「そこの引き出しに自分の自動血圧計が入ってるので、それで測ってください。」
とゼイゼイしながら懇願。
そしていつもの自動血圧計で測ったらすんなり測定できて、
「この血圧計なら痛くないの?」と若いバカな看護師に不審そうに言われた。

てゆうか、あんなに痛くて死にそうな血圧測定は、何十年と病院通いや入院をしたけど
正直生まれて初めて。傷害罪にあたるんじゃない??ってくらい、虐待に近い行為
でした。大げさに思うかもしれないけど、本当に痛いなんてもんじゃなく、足が壊死するかと思った。


とにかく今回の入院で思ったことは、外科病棟はあくまで外科。
透析のことは全く知らないスタッフばかり。
だから、自分で自分の身を守らなくては何をされるかわからない。
(中堅看護師さんは全然そんなことなく、ちゃんとある程度わかっていたし、無茶も言ったりやったりしなかった。)



<↓副甲状腺の手術で必ず持っていくべき!と、身をもって体験して思った物。>

①自分の自動血圧計 (できれば手首用もあったほうが良い。)
②頭痛薬など、自分が普段処方してもらっているとんぷく薬
③ティッシュ2箱

(ボックスティッシュは必需品。特にオペ直後は痰がひどく、私はうまく痰を
出せなかったので、ティッシュはかなり使いました。)
④割り箸
(箸は割り箸に限ります。術後は点滴を引きずってるし、首に管もついている。
なので使用した箸を洗いに行くのも最初は大変でした。使い捨てならラクチンです。)
④テンピュールの枕
(人によりだと思いますが、術後、私は首の後ろと背骨・肩がとても痛くて大変でした。
病院の枕だと、寝て起きるとさらに痛みが増しました。なのでオペ翌日にはうちの人に、
自分が使っているテンピュールの枕を持ってきてもらいました。
テンピュールに替えてからは、横になった時もちょっとラクになりました。)
⑤タオルケット
(病院で買ったけど、高くてセンスの悪いものばかり。使用しない病院もあるかも
しれないけど、タオルケットが一枚あると重宝するので 持って行ったほうが無難。)


今回、オペを終えて最終的に思ったことは、オペ直後とその翌日はとっても辛かった
ということ。ラクな手術というのはないけれど、PTXは「そろそろやろうか」と 結構
あっさり先生も言うし、看護師さんも「大丈夫だよ。みんなやってるから。」と
言うし、入院の日数も大してかからないとも聞き、結構楽観視していました。

なので正直、こんなに大変だとは思っていませんでした。
オペ自体も4時間半近くかかったみたいだし、(←本人は麻酔で自覚なし。)その後の
首の後ろの痛みや寝返りすら打てないツラさ・翌日起き上がることすら困難だった
ことなど、今まで経験したことのない症状ばかりで 本当に自分の身体が思うように
動かないというツラさを実感しました。

でも取り出された副甲状腺は、4つのうち2つがとても大きかったらしく、一番大きい
ので1cm近くあったとか。
なのでどっちみちやらなくてはいけないオペだったのですが、PTXは 麻酔科・外科・
透析・薬剤師・入院病棟の看護師と、関わる科とスタッフがとてつもなく多い。

オペ前日は薬は全部ストップと薬剤師に聞いていたのに、
「血圧の薬は当日の朝も飲んで。」と麻酔科の先生に言われ、アダラートとディオバン
を飲もうとしたら、今度は入院病棟の看護師が、「薬は外科の先生に相談してからじゃ
ないと飲めないから待ってて。」と、かなり待たされたりしました。(結局オッケーだった。)




ただでさえ手術で気力や体力も低下して、かなり不自由な生活を強いられるのに、
透析だってしんどい体で受けなければいけない。
なのに入院病棟の看護師は透析のことを知らないので、無茶ばかり言う。

ホント、今回は若いスタッフの対応にイラつき、限界を感じました。
やっぱり所詮はお役所病院。カンジもあまり良くなかった。(科によってだけど)
先生は丁寧で腕もいいけれど、スタッフが無知だともうそれだけでかなりのストレス。

HDで通っていた時は、個人病院ということもあり、今の病院では考えられないほど
スタッフも優しかった。今の病院も、透析室のスタッフはカンジいいけど、他は超最悪。
(特に会計受付と病棟の若い看護師)ベテラン看護師はやっぱりカンジもいいし穏やか。

やっぱり入院中は不安も大きいし、体も不自由。
なのでもう少し配慮が必要だと思います。
他の病院はそんなことないかもしれないけど、私が入院した病院に関しては
そう思いました。


副甲状腺オペ日記 4日目(退院日)

2007-07-23 16:13:39 | 副甲状腺オペ

今回はオペ後4日目にして退院という 超スピード退院。
傷跡の回復も順調で、血液検査の結果もよかったらしい。
↑実はまだ血液検査の結果を聞いていない。。一応前日の透析前の結果だけ聞いたけど、カルシウムが
10.2で、リンが3.2だったとか。透析前のリンが4未満というのは確かにスゴイかも。でも肝心なPTHの値を
聞くのを忘れてしまった。


シャワーもオペ後2日目にはできたし、ずっと気になっていた顔や手足のむくみも
ようやく今日良くなってきたみたい。(むくみは点滴の影響??点滴が終了したら良くなった気がする。)


前日に飲んだロキソニンのおかげで、ずっと悩まされてきた 首の後ろの痛みもだいぶ
良くなり、頭痛もない状態。

今朝の朝食も、食欲がわかないメニューだったけど、ここの食事とももう最後と思い、
何とか半分だけ食べた。(←半分が限度。)




↑シャケと炒り卵のようなモノ・あとは焼きのりでご飯を半分ほど食べた。
てゆうか、シャケには塩がかかってないし、海苔も味付け海苔じゃないのに醤油も
付いてない!炒り卵も妙な味付けはしなくていいから、代わりにケチャップをかけて
ほしい。ちなみに右上の物体。多分ナスか何かだとは思うけど、見た目が悪すぎ!
もちろん手付かずだったけど、もう少し改善してもらわないと食欲出ない・・・。
(モス中毒の私は、入院中もモスチーズバーガーが食べたくて仕方がなく、もう超イラついた。)
↑もちろん退院後 すぐモスへ直行。



入院中の食事で、何とか美味しく食べれたのは、計11食中 一食だけ。
20日のお夕飯で、メニューは天ぷらでしたが、あれはなかなかよかった。
(欲を言えば醤油ではなく、塩で食べたかった。。)



外科の先生から、自宅での過ごし方の説明を受け、ようやく退院。
日曜日の退院だったので、後日振込み用紙を自宅に郵送されるらしく、銀行で
振り込むようにとのこと。

モスに寄って帰宅したけど、もうクタクタで、荷物もそのまま玄関に置きっぱなし
で、ベッドで横になり、そのまま3時間ほど昼寝。
モスチーズバーガー(通称モッチ)を食べて、マジ生き返った。

その後2時間ほど起きていたけど、とにかく眠くてボ~っとしてしまい、また
ベッドへフラフラと直行。
結局起きたのは夜の10時で、合計8時間も寝てしまってビックリ!Σ( ̄ロ ̄lll)

入院中はずっと睡眠不足だったので、久々にゆっくり眠れて満足。
毎日夜中は眠れずに起きていたし、まともに寝たのは透析中くらい。
寝る努力をして、頑張って寝てみれば、やっと眠りかけた深夜2時に 見回りの
看護師がノックをして入ってくるし、正直ありえない。。
(ノックなしでそぉっと入ってきたとしても、暗闇の中 懐中電灯で照らされれば起きないほうがおかしい。)


夜の10時に目が覚めて、お腹が空いたので向かいのセブンに直行。
大好きなドリアとガリガリくんを買って帰宅したけど、ちょっとそこまで買い物に
行っただけなのに、帰宅したら超疲れてしまった。
やっぱり、オペや入院で体力落ちてるのかなぁってカンジ。
(でもドリアとガリガリくんはきっちり完食)


結局この日は一日中寝て終わり。
まだ傷も引き攣るカンジがして少々痛むけど、とりあえずあまり無理しないよう、
少しずつ行動範囲を広げて 元の生活に戻れれば・・・と思う。

副甲状腺オペ日記 三日目

2007-07-22 02:20:27 | 副甲状腺オペ

オペ3日目。

とにかく朝から頭痛と首・肩の痛みがひどくて最悪。
朝ごはんも最悪で、温泉卵とおひたし&ご飯なんて、私的にはありえないメニュー。
だったら生卵とお醤油で、シンプルな卵かけご飯を食べたかった・・・。
前日の朝ゴハンは、焼きたてパン2個とジャム・ゆで卵と温野菜で結構豪華だったのに、超差がありすぎ。。


結局 痛みと嫌いな献立も重なり、朝ご飯は手付かずのまま片付け。
そうこうしているうちに回診になり、右太ももの付け根に入っていた点滴の管を
やっと抜いてもらった。
(本当は前日抜くはずだったけど、医師じゃないと抜いてはいけないらしく、今日に延期。)

回診が終わってボ~っとしてたら、昨日のMさんたちが退院時に顔を出してくれて、
その後すぐに同じHHDのHさんもお見舞いにきてくれました。ウルウル。。


9時40分から透析だったので、あわただしく透析室へ。
中一日で、ろくに飲み食いしてないにも関わらず、この日の増えは2.4kg。
ずっと点滴をしていたので、それが大きいんじゃないかとも思うけど、久々の
二キロ超えだった。

この日の透析は自己穿刺させてもらった。
(月曜日からは自宅でしなくてはならないし。。)

この時、先生にロキソニンをお願いしたら、あっさりと処方してくれて一安心。
この日の透析は有無を言わさず5時間透析だったけど、自宅とは自由度が全然
違うし、病院での5時間はもう限界を超えていると思った。
(おまけに術後の透析は2回とも残血が異様に多かった。。)


透析中、外科の先生が退院についてお話に来てくれて、予定通り月曜日の退院で
いいかどうか聞かれた。
でも月曜日だとダンナも仕事だし、一人で退院しなきゃならなくなってしまうので、
日曜日だと助かりますと言うと、「じゃあ明日退院でいいよ。」ってことで、22日
に退院決定。(* ̄∇ ̄*)


透析が終わって部屋に戻ると、朝からの鈍い頭痛が余計悪化して、首の後ろの痛み
もひどくて、もう寝ても起きてもツライという地獄のような状態。

看護師さんがちょうど来てくれたので、ロキソニンを再度頼むと、透析科からすでに
処方されていたらしく、すんなり持ってきてくれた。


そしてビックリしたのが そのロキソニンの効果。
飲んで20分後には、あんなにひどかった頭痛と首の後ろの痛みがスッキリとなくなり、
昨日からの痛みは一体何だったの??ってカンジ。


次回の受診は、外科外来が10日後(31日)の火曜日。
透析科の外来は、そのさらに一週間後の 8/7の火曜日。
それまで何事もなく、普通に過ごせればいいなぁと思う。