昨年からやっと同じ病院に新しい在宅透析仲間が増えた。
今までは私を最後に7年間一人も増えず、自分を含めてHHD仲間はずっと3名のみだった。
それが7年経った今、ようやく4名。

ちょっと胸熱

指導内容(覚えることや手技)が膨大で難しく、私自身も当時はかなり苦労して
それでも何とか卒業テスト間近まで行ったにもかかわらず、介助者のダンナと相談し、
「もうやめます。」と病院にギブアップ宣言をした。
実際、1日おきに介助者と指導を受けるため、介助者は週3日(しかも平日)仕事を
休まなければならず、経済的にも限界だった。
いくら在宅透析は素晴らしい!と言っても、経済的に苦しくなってしまえば何の意味もない。
所詮この世はお金。汚い言い方だけどマジでカネ。
生活の基盤が成り立ってこそ色々チャレンジできるのであって、お金がなければ何もできない。
当時、やめると言った時はすでに卒業テスト間近ということもあって、主治医の先生が
「じゃあとりあえず卒業テストだけすぐにやってみよう。」と言ってくれて、看護師さんの実技と筆記・
技師さんの実技と筆記を確か2日かけて受けた記憶がある。
そして何とか合格をもらい、念願の在宅透析を導入することができたけど、それは当時(2005年)
だからできたことであって、今この不景気でお金のない時では絶対にできない。
まず第一に、仕事が1日置きになってしまうので 単純計算で収入が半分になってしまう。
私の場合、2月3月はダンナが忙しくてどうしても仕事を休めなかったので、この2か月間は
私一人で指導を受けた。
でも介助者も同じ知識を求められるので、実質この一人で通った2か月間は何の意味もなかった。
月収が半額なのが1~2か月ならともかく、かれこれ半年間も続いたので貯金も底をつき、
卒業テスト間近(やめると言った時)は介助者のダンナも私も精神的にボロボロで、
夜中、私が泣きながら「もうこのままじゃ生活できないし、さすがに疲れた。在宅透析は私が
言い出したことで本当に申し訳ないけど、もう限界。無理。」と訴え、ダンナも同じ思いだったらしく
「うん、いいよ。もうやめよう。」と言って翌日病院側に伝えた。
あの時主治医の先生が譲歩案を出してくれなかったら、今頃きっと元のクリニックに戻って
週3回通っていたと思う。
そして第二に、自宅の透析室のリフォーム費用。
床を補強し、エアコンを設置して配管工事をして、あと医療用ベッドや机を買い、トータルで
100万くらいかかった覚えがある。
当時は景気も悪くなく、ちょうど取引先の銀行がお金を借りて欲しいと言ってきたので、
お金を借りて何とか無事在宅透析導入。
銀行からお金を借りなかったら、指導中の生活費やリフォーム代にも困ったと思うので、
ちょうどいいタイミングで営業に来て、お金を貸してくれた信金さんには今でも感謝している。
2009年の半ば頃までは景気も悪くなかったので、そのお金もすぐに返済することができ、
経済的には本当にいい時にHHD移行できたと思っている。
(本当に2009年の政権交代後から昨年12月までの3年半は地獄の日々だった。)
まぁ長くなってしまったけど、「とにかくお金」というのはこういう過程を経ての教訓。
私がHHD移行後も、何人かが在宅透析の指導を受けていたけど、みんな挫折してやめていってしまった。
でもそのやめていく気持ちが、挫折を経験済みの私にはよくわかる。
そして話は戻って今のHHD指導。
今回の新しいHHD仲間の方は、介助者は開始操作と終了操作のみ覚え、後は患者本人が覚えるという
流れだったらしい。
実技もずいぶん簡素化されて、約1か月でマスターできるように変わったらしい。
てかさー、最初からそうすべきだったんだよ。
透析するために生きてるわけじゃないんだし、生きるための透析じゃん。
経済的に負担がかかれば透析どころじゃなくなるんだよマジで。
半年に一度の手技チェック(テスト)は相変わらず継続中だけど、内容もこの数年でだいぶ易しくなった。
その違いはまたそのうち書いていこうと思ってるけど、とにかくもっと在宅透析仲間が増えてほしいと思う。