境界例と闘う銀子

6月21・22で過去1年の日記を書いた。最初のページを読んでもらえると嬉しい。

私は私の感じるまま進む。

2006-11-09 01:46:51 | Weblog
私が名古屋から帰ってきて4年半。
私はずっと、「感情を吐き出すこと」
だけを続けてきた。

20年間押さえ込んでいた感情を、吐き出す。
それだけは、絶対にいつも心に言い聞かせていた。

親に理解してもらうまで、本当に長かった。
でも、私の病気の原因を作ったお父さんは、
元々お父さん自身も病気だったせいか、
めまぐるしく変わって行った。
その点私は恵まれていると思う。

ここ4年で、自殺未遂した事は、もう数え切れない。

お父さんは言ってくれた。
「梨乃はこんなに必死で
自分を痛めつけて
教えてくれた。今の家庭があるのは
梨乃のおかげだよ。妹と弟との修復も出来てきたし
梨乃が体を張って家庭を変えてくれたんだよ。
それは、誰にでも出来ることじゃない。
利のは1番大切な事をしてくれた。
それは凄いことなんだよ」


確かに私が、訴え続けて、家庭は徐々に
変わって行った。全然お父さんと話さなかった
妹と弟も、今話すようになった。

今、私の家庭は、
狂った家庭から普通の家庭に変わろうとしている。

それがとても嬉しくて、
温かい。

私は家を出た方がいいと思っていたけど、
この家庭でおきた悲劇は、この家庭で
修復していくのが大事だと思う。
私は赤ちゃんに帰って、
もう1度やり直したい。
幸いそういう環境が、今出来るようになった。

「甘え」との区別は良く分からないし、
どんなやり方をしたら、病気とうまく付き合って
行ける様になるのか分からないけれど、
私は私の感じた道を選ぶ。

23歳。










私は今産まれたんだ。

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-11-09 21:26:31
>この家庭でおきた悲劇は、この家庭で
修復していくのが大事だと思う。
なかなか言えない言葉ですね。若いのに凄いな、と思う。23のころ自分はここまで考えられなかった。

 お父さんも素敵です。銀子ちゃんがまっすぐぶつかっていくから何かが変わるんだね。

 出来そうでできないことだとほんとに思う。
 
 北の街は突然紅葉になりました。
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Unknown (銀子)
2006-11-09 23:27:36
こちらもすっかり寒くなってきました。

もうここまで来たら、
徹底的に本当の家族を体験して行きたいと
思います。

うちの父も境界例だったのかもしれません。
今になって考えると、言動や育ち、
父は繰り返したのだと思います。
もうここで終わらせないと、
私まで繰り返してしまいます。

今は父も、表情が穏やかになって、
本当の人格が出てきているような気がします。
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Unknown (Unknown)
2006-11-10 13:02:18
銀子ちゃんのまっすぐな心が何かを変えるんです。

 お父さんも多分そうだったのかもしれませんね。
 自分のことで精一杯だったのかも。

 ひとりで闘っているあなたの姿に、リアルな感情を感じます。
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