境界例と闘う銀子

6月21・22で過去1年の日記を書いた。最初のページを読んでもらえると嬉しい。

戦いは終わらせる。

2006-08-13 01:18:22 | Weblog
今日も1日何もする気力が無くて、パソコンテレビ「Gyao]
を見たりして気をまぎらわせていた。

今、私が原作を読んで何度も涙をした
「スイッチを押すとき」
が放送されている。

とてもダークな話で、あまりお勧めはしないけど、
きっと、少なくとも生と死について深く考える人は、
何かを考えると思う。自殺するのは子供達。

それでもあなたは自殺を否定できますか?
と問いたくなる。

確かに生きていれば「未来」があるのかもしれない。
何か変わるのかもしれない。
でも、病気のどん底に居る時は、そのドラマにも
出てくる子供達ように、「未来」が見えない状態に居るんだ。
考えても考えても、考えなくても考えなくても、
本当に酷い時、「未来」が全く見えなくなってしまう。
本当は誰だって生きれるものなら生きたいんだ。

でも、そのドラマと同じように、「未来」が無く、
絶望を感じた時、自ら命を絶った方が、楽に思えるんだ。


もちろん今、自分自身が「死にたい」とは思わない。
むしろ、生きたくて生きたくてしょうがない。
でも、あの時私が感じていた事、もしかしたらこれからも感じてしまうかもしれない事。其れを一概に否定するのはどうかと思う。もちろん、大事な人がそんな状況に置かれたら、
そんな簡単には割り切れない。


でも、たた「死ぬことは悪い事」と言っている奴が嫌い。
お前は地獄を本当に見たことがあるのか?
未来も何も見えなくて、生きたくても生きれない
状況に置かれた事があるのか?と言いたい。


偽善者ぶってんじゃねーよ。



結局何が言いたいのか自分でも整理は付かないんだけど、
私は今日も思った。結局頼れる人なんて居ないんだって。
理解を求める方が間違っているんだって。
だって人の痛みなんか、その人にしか理解できない。
いくら理解しようとしても、悲しいけど、自分が
経験していないと分からない。


だから分かった振りされるよりも、1人で居た方がいいんだ。
こんな時は携帯も無視。ついつい自分の心を開放しちゃうから。結局「分かっていないくせに!!」と責めてしまうのは自分。だからこんな時は誰とも関わらないで、1人で何とか
過ごすのが、今の私には大事な事のように思える。


寂しくて寂しくて涙がが止まらないけど、
一杯泣いて、浄化してゆくんだ。

誰かに電話して、その人が楽しそうにしていたり
人と一緒に遊んでいると、こんな時は焼きもちを焼いてしまう。だから外をシャットする事も自分を守るための事なんだ。

私は大丈夫。
またいい波が来て、きっとまたすぐ笑っているから^^


でもね、皆には感謝しているんだ。
文章でも私の心は浄化されているんだ。
真剣に心から届くあなた達の言葉。
宝物です。


ちなみに、「スイッチを押すとき」見た人は感想聞かせてください。泣きたい人にはお勧めです。でも、かなりダークなので
余裕が無いか人は、見ないほうがいいかも。


写真 この前の花火大会^^
   妹と♡

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