goo blog サービス終了のお知らせ 

吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています

池上彰氏の番組 その8

2014年06月12日 06時25分01秒 | インポート

   日本でも近年になってこのATLSを手本にして、救急医療関係者が中心となりJATECという外傷初期治療習得コースが全国で開催されるようになった。これらコースは学生時代のカリキュラムにはない実践的な講習である。内容は、重症外傷の「初期段階における救命処置」とその直後における「各科的専門治療の必要性の判断」、そして「転送の判断とその手段の考慮」まで含まれている。受講対象者は、自分がインストラクターをしていた当時は、以降インストラクターを引き受けてくれるような者を対象にしていたが、基本的には「どんな病院」に勤務している医者でも、「何科の医者」も問わないのがコンセプトである。どんな小さな地方の中小の病院でも重症外傷はくるのである。少なくとも初期対応さえ誤らなければ、本来死ななくていい傷病者を死なせることはない。大分いまではJATECも日本全国に講習展開されてきているし、講習回数も年を重ねかなり開催されるようになった。うれしい限りである。<o:p></o:p> 


池上彰氏の番組 その7

2014年06月11日 06時15分03秒 | インポート

 交通事故の重傷者は、たとえば頭部や胸部や腹部や、そして四肢などの多部位にわたって損傷されることが多い。日本の病院の多くは、頭部は診れても胸部損傷があると収容できませんとか、四肢の骨折は診れるけれど、頭を打って血を流して意識がなければうちでは診れませんという各科別の診療体系である。これはシステムがそうであるというばかりではなく同時に多科にまたがる傷病形態の教育を今まで受けてこなかったからであるからである。日本ではそのような教育がなかったということは、そのようなことを教える人の人材も育つわけがない。当然足の骨折の治療中に患者の心臓が止まっただの、頭部外傷でCTスキャンの検査中に呼吸が止まってしまったなどとのトラブルで亡くすことがよく聞かれた。このような患者では治療の順番を一つ間違えただけでも助けることはできない。まさに応用問題を解くようである。1980年代当時から米国では多部位にわたる複数外傷をもつ重症患者の初療を習得する講習にATLSというコースがはじめられていた。<o:p></o:p>

 


池上彰氏の番組 その6

2014年06月10日 06時30分09秒 | インポート

   ICUで集中治療を続けていると1週間目以降は感染症、敗血症との戦いとなることが多かった。外傷を契機に起こる種々の感染症は、特に体力が低下した傷病者では多かれ少なかれ必発であった。そしてこの感染症は敗血症にすすみ、最後は多臓器不全になっていったのである。我々の「抵抗」もむなしく入院後数週してから亡くなることもままあった。交通事故で死亡した場合、必ず所轄の警察の担当者に連絡をして検死にきてもらうのが常であった。しかしこの24時間ルールをとうの昔にクリアしてしまったせいか、「えっ? 検死ですか?でも交通事故死亡じゃなくて『病死』ですよね? 検死は必要ないんじゃないですか?」とあからさまに断ろうとする警察官もいたのである。しかし警察での興味の対象である24時間ルールはクリアしても、死亡原因となった契機はまちがいなく交通事故なのである。「24時間を超えて死亡したものは交通事故者数にカウントされない」という単なる事務手続きが、現場の若い警察官に「24時間を超えて死亡したものは交通事故ではない」と誤解されていたようなのである。何でその説明を部外者である我々がしなければならないのか複雑であった。


梅雨入り

2014年06月09日 05時28分47秒 | インポート

 関東の梅雨入り宣言から4日が経ちました。この宣言から、ずっと断続的に雨は降り続いています。先週の猛暑日と異なり一挙に気温は肌寒くなりました。この気温差で風邪をひく人がとても多いようです。外来は風邪の患者さんも多く発熱をきたす方もおられます。予防はやはり嗽と手洗いに勝るものはありません。まだまだ不順な天候は続きますがご注意ください。


池上彰氏の番組 その5

2014年06月07日 06時04分12秒 | インポート

    もちろん警察の仕事は激務である。そして責任が重い。所轄の警察では交通事故死亡を1名でも減らすことは命題であったのだろう。死亡者数が1名でも増えるときっと担当者の業績にマイナス評価がつけられたのであろう、とにかく「24時間ルール」という言葉すらかわされることがあった。彼らにとってこの24時間を1秒越えるか超えないかということは、とても重要な関心事であったのである。もちろん今の時代ではこんな勤務評定などはしていないとは思うのだが。ところで、かなりの重症者でも救急医療や集中治療などにおける努力で、比較的「24時間」はクリアできるのである。しかし我々のゴールは警察と異なり「24時間」ではなく「社会復帰」なのである。24時間をこえて亡くなっていく傷病者を経験するにつけ、虚しさや悔しさの残る複雑な毎日であった。それでも失った患者に引きずられている暇もなく、次から次へと交通事故患者は運び込まれてきたのである。<o:p></o:p> 


池上彰氏の番組 その4

2014年06月06日 05時59分41秒 | インポート

   交通事故死亡者数のカウントにからくりがあると知ったのはその時である。年間死亡者数は1万何千人などと発表されていたがあれは氷山の一角だったのである。実は交通事故の死亡にカウントされるのは「事故がおこってから24時間以内に死亡した者」だけがカウントされるのである。つまり事故が起こって病院に入院し24時間を1秒でも過ぎた者は「交通事故死亡」として発表されないのである。警察の交通関係担当者は、管内で交通事故が起こり救命センターに傷病者が搬入されると当時よく病院に来た。傷病者の容態確認なのであるが、時にあからさまに言うものもいた。「先生~、あのーご存知と思いますが、傷病者をなんとか24時間お願いします」と・・・。つまり重症だろうとなかろうと、意識があろうとなかろうと、24時間生きていれば交通事故死にならないのである。警察からの安否確認も24時間をすぎるとピタリとなくなったような記憶がある。若かりし頃の思い出であり記憶違いもあるかもしれないが、なんだか世の中の仕組みを見たような感じであった。<o:p></o:p> 


業務連絡

2014年06月05日 06時11分39秒 | インポート

 シリーズの途中ですが業務連絡です。さてところで6月になりました。26年度の特定健診が始まりました。今年からは豊島区民で20歳と40歳のかたには「胃がんリスク検診」というものが追加されます。20歳の方にはピロリ菌抗体を、40歳の方にはピロリ菌抗体とペプシノーゲン検査が行われます。陽性者のかたは胃がんのリスクが高くなるので精密検査が勧められます。最近では胃がんの原因でピロリ菌が占める割合はかなり高いと分かってきました。しかもピロリ菌に感染している期間が長いとより胃粘膜の荒廃が進むそうです。したがって若いうちに撲滅するという観点から20歳の方も検診対象になりました。すすんで受けるようにしてください。


池上彰氏の番組 その3

2014年06月04日 05時20分12秒 | インポート

    このように交通法規を厳しくしたり、交通マナーの啓蒙をしたり、あるいは信号機を増やしたり、歩道を整備したり、いろいろな取り組みで少しは交通事故死亡がへりつつあった。ちなみにこの「交通戦争」という言葉は日清戦争の死者数よりも多いというところから「戦争」といわれるようになったのだと解説された。しかしこれら取組でも交通事故死亡者は年間1万人を切ることはなかったのである。昭和50年代になって自動車にはシートベルトが設置されるようになったが、その使用は任意であったので装着されることはまだまだ稀であった。交通事故死亡の減少は頭打ちであった。自分は昭和60年より大学の救命センターに勤務を始めたが、その頃でも毎日、重症の交通事故傷病者が搬入されてきたのである。いわゆる運転者がハンドルで胸部や腹部をうつハンドル外傷が多かったのである。多発肋骨骨折や腹部腸管破裂はいつものことであり、毎日が緊急手術であった。<o:p></o:p> 


池上彰氏の番組 その2

2014年06月03日 05時19分16秒 | インポート

    最初から国民の共通認識的マナーというものさえ存在すれば、自動車運転においてわざわざ交通法規をつくらなくとも事足りるのである。ところが、携帯マナーと同様で、高度経済成長期において自動車台数の増加があまりにも急激だったため、マナーだけでは抑えきれず法規で縛るしかその暴走を止められなかったのである。とはいうものの日本では同時並行で法規によらない交通マナーというものも徐々に当たり前のように定着してきた感もある。たとえば「手をあげて横断歩道を渡ろうよ」などという標語は今でも記憶にあり、また当時横断歩道の横には黄色い旗が設置されており、それを持って横断した記憶もある。このように運転者だけではなく歩行者のマナーの徹底にも日本では市民レベルで取り組んできたのである。最近日本人とはマナーのいい国民だと思うようになった。諸外国人が国内に多くなってきたが、金さえ払えばマナーなどお構いなしと思えるような行動をするどこかの外国の旅行者をみると、これもお国柄に違いというか民度の違いと感じざるを得ないのである。<o:p></o:p> 


池上彰氏の番組 その1

2014年06月02日 06時21分37秒 | インポート

   少し前のこと、TV東京で池上彰が昭和のいろいろな出来事を解説する番組があった。その中に「交通戦争」というテーマを掘り下げて解説するコーナーがあった。昭和の高度成長期はモータリゼイション(この言葉も死語であるが)で交通事故死亡者がうなぎのぼりの時期であった。年間交通事故死亡者が16000人以上にもなり、これを減らすことが当時の命題となったのである。歩道を整備したり、信号機をふやしたり、あるいは交通法規を厳しくしたりしたのである。昭和30~40年初めごろまでは確か飲酒して自動車を運転することは違反ではなかったと記憶にある。後年、自分が自動車運転免許を取得した時であるが、免許の学科試験で「私はお酒が強いので飲酒して運転をしても構わない」などという選択肢がでたのを覚えている。今ではそんな選択肢など「引っかけ問題」にもならない。<o:p></o:p>