今日たまたまこの空間でであった見ず知らずのこの7~8名の「在籍者」はしばらくの間は黙って耳を傾けていたのであるから、おそらくは同様の想いでこの時間を楽しみ、なんとなく連帯感に似たものも感じていたのだろうと思っていた。しかしそれは自分の勘違いだったのである。優しく鳴いている鶯に声援を送って何が悪いといわれるかもしれない。しかしながらその音色と薫風を隣で楽しんでいる者にとってはその声援はとんだ迷惑なのである。自分はクラッシック音楽のコンサート会場にいるつもりだったのだが、隣のご婦人はそうは考えていなかったようである。小学生でもわかるだろうが、その美しい名演を奏でている演奏者は人間ではなく鶯なのである。いくら声援を送るといっても、鶯に向かって人間の気配をさとらせるような行為はかえって逆効果になるだろうという配慮は必要である。そして周囲の数名が黙ってこの名演を楽しんでいるという空気も読めなかったのであろうか? このご婦人は、知らず知らずの間にこの半径10mが周囲複数名の共有空間になっていたことに気が付いていないのである。とりあえずお寺の境内ではあるが、まあ天下の往来ともいえる。好き勝手にどう振舞おうとも自由である。しかしやっぱりウグイスへの応援は「無粋」と言わせていただく。残念だ。・・・というか、まあ単刀直入に言えばこのご婦人の悪びれない満面笑顔でのこの行為にイラッとしたのである(溜息)。<o:p></o:p>
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