力丸ママの気ままな日記

時々日々の出来事を日記にします。

あれから14年

2009-01-17 13:49:58 | Weblog

やっぱり毎年同じこと書いちゃう
阪神・淡路大震災から14年経った。
あの日長男は就職一年目で西宮の独身寮にいた。
まさに高速道路が折れてバスが宙吊りになっていたすぐそばだった。
最初テレビをつけてあ~地震があったのね!ぐらいに考えていたのが時間が経つごとに大変な事態になっていることがわかり息子の寮に電話したがもちろんつながらない。
夫は会社で私は家から電話をかけ続けていたが繋がらなく被害がどんどん拡大しているのがわかった。大阪支店に電話しても繋がらない状態、私は本当に心配で泣きながら電話をかけ続けた。
夕方になってやっと長男から無事と言う公衆電話からの連絡が入った。携帯電話もなかったし!
ちょうど活断層を境に息子のいる所はみな無事で反対側は軒並み家が倒壊して、人々の呆然とした様子が息子にもわかり気の毒だと泣き声になっていた。
息子は4階にいて落下物で怪我もあったが一階の人は外が稲妻のように光ったらしい。後1時間遅かったら電車の中だったからどんな事態になっていたかもっと被害がでて自分もどうなったかわからなかったと言っていた。

それからは水道ガスも出ないので大阪の建築現場から帰りに大阪市内でお風呂に入り、外食して、洗濯物は我が家に送ってきた。 それを私は洗濯をして大阪の現場に送り返すという日々が続いた。
独身寮も二人で一部屋を使うことにして復興の作業員の方に提供して日曜日にはボランティアで働いていた。
もう14年経ち復興も目覚しくても心の傷なんて癒えてなんていない。自殺する人や、独居死去年だけでも60人以上居る。
そんな中で皆頑張って生きて来た事に私たちは忘れてはいけないと思う一日。
私ももし長男がどうかなっていたら今の幸せも無かったし可愛い嫁のよしえちゃんや絵里子にもめぐり合っていなかったわけだから感謝しなければいけない 。

朝に心電図の検査結果を聞きに行ってきたら、上室性期外収縮と心室性期外収縮とがあるが心配なものはないそうで明日は江戸東京博物館と上野の寒牡丹見に行かれそう。
うれしい。

写真は我が家の雪割り草です。

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