力丸ママの気ままな日記

時々日々の出来事を日記にします。

ケニアの暴動で

2008-01-28 19:55:23 | Weblog

今日もおとなしく家にいた

せっかく治った腰、友達から国立新美術館に行くのを誘われていたけどまだ長くやっているのでパスにした。
結構美術館はしっかり見ると疲れるところなので!

昨日ニュースでケニアの暴動でサファリーも観光客が途絶えていると報じていた。

私は2003年9月にアフリカの動物写真家の平岩道夫雅代親子先生にケニアとタンザニアに連れて行っていただいた。

その時初めてコンパクトデジカメを持っていて普通のコンパクトカメラと二つで出かけた
先生はそれでよいですよ~~と仰ってくださり初めてカメラの持ち方や動物を写すポイントを教えていただいた
今写真を写す楽しみを教えてくださった最初の方でした。

先生はその当時でもうすぐ100回目のアフリカ行きでした。
ケニアの観光親善大使もされてマサイ族の学校を作られ毎年現地の教師の給料、学用品を私財から出していらっしゃる

私はたまたま動物好きで先生の写真展に行ってからのご縁でそのときは旅行者6人先生お二人とまったく個人旅行のような旅になった。

オランダのアムス空港では副社長自らおで迎えして下さりケニアのヒルトンホテルや移動各地のロッジも国境の検閲所も先生の写真が貼られて支配人がお出迎えしてくださった。。

4人サファリーカー1台と言う旅もぜいたくだったし日本の各旅行会社が昼間は動物が寝ていますからと朝と夕方しかサファリーには行かないと言うのは嘘で私たちは2週間近くを毎朝早くから夕方までサファリーカーで動物を見て歩いた
しかも世界一の旅行会社ミカド社の視力4、0のドライバーがいち早く動物を見つけてくれて毎日動物を観察できた。
どこまで行ってサバンナ、地平線に沈む太陽、象のシルエットに感激した。

先生の知名度は高くどこへ行ってもMR・Hiraiwaとダンスやケーキのサービスそしてどこも先生の写真集が沢山おかれてあった。

先生の作られたマサイ族の学校も訪問して2週間のたびをしてきた。

いまだ学校に行かれる子供はほんの一握り、部族間の争いが耐えない!旱魃もあり子供たちの教育がもっとなされて国を考える人々が増えないことにはなかなか発展は難しいだろうとおもう。

こんなことを考える一日になった

もう1度行きたい国はと聞かれたら即座にあのサバンナの動物達と子供たちに逢いたいと答えるだろう


 

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2008-01-24 21:55:34 | Weblog

昨日は2年ぶりの雪になった。
バドミントンも自転車で来る方ばかりなので中止になり雪の公園へ出かけてきました。

いざ出かけるとなると雪道には慣れていないのでキャラバンシューズを取り出し冬山用のウエアでまるで登山のような格好で出かけました。

雪だと汚いものものも隠してくれるけど気づかないもの教えてくれます。

雪の中ぽつんとまだ赤いほおずきがけなげに残っている。

公園の中も人が殆どいなくてし~~んとしている

そんな中でも水鳥たちはせっせとお食事していた。

鳥たちもちゃんと活動していて、し~~んとした公園もちゃんと自然の営みが繰り返されていて人間だけが引きこもっているように見えた
殆ど人がいない公園もなかなか良いものだわ。

思い切って広場の方まで行ってみると紅梅が咲いていて雪の木々に花が咲いてピンクと白とまばゆい景色だ。

帰りがけにもう一度池側に行ったらカモメの集団が来てていてびっくりした。
なにしろ長いこと公園に来ていてカモメを見たのは初めてだったから。
1時間半くらい公園にいたら雨に変わってきて帰ってきた。
久しぶりに足を踏ん張って歩いたせいか年のせいか今日のお昼から腰が痛くなってイテテといいながら炬燵に入っている。

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アルベール・アンカー展

2008-01-19 21:04:23 | Weblog

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでスイスの国民的画家であるアルベール・アンカーの「故郷スイスの村のぬくもり」と題し回顧展が開催されていたので見てきた。

実は私は彼の名前は全く知らなくてお友達が招待券を持っているというので一緒に連れて行っていただいた

アルベール・アンカー(1831-1910)は、スイスの中央部出身でスイスで大変な人気を博した画家で日本ではあまり知られていないが、スイスの人々にとても親しまれ、その作品は国内の多くの美術館に所蔵されており、没後100年近く経ってもその人気は衰えることがないそうです。

モデルのほとんどが10歳前後の少女たちで自分の娘や近所の子供たち「編み物をする少女」「髪を編む少女」「食事をする老人」等など

写実的に清純に描かれてい家族や人と人とのつながりを大切にし、平凡な生活の中に題材があり、愛情あふれていて、見ていて優しい気持ちになれる作品が並んでいました。

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あれから13年

2008-01-18 17:02:46 | Weblog

昨日で阪神・淡路大震災から13年経った

あの日長男は就職一年目で西宮の独身寮にいた。
まさに高速道路が折れてバスが宙吊りになっていたすぐそばだった。
最初テレビをつけてあ~地震があったのねぐらいに考えていたのが時間が経つごとに大変な事態になっていることがわかり息子に電話したがもちろんつながらない。
夫は会社で私は家から電話をかけ続けていたが繋がらなく被害がどんどん拡大しているのがわかった。
会社に電話しても繋がらない状態、私はほんとうに心配で泣きながら電話をかけ続け夕方になってやっと長男から無事と言う公衆電話からの連絡が入った。

ちょうど活断層を境に息子のいるところはみな無事で反対側は軒並み家が倒壊して人々の呆然とした様子が息子にもわかり気の毒だと泣き声になっていた。

息子は4階にいて落下物で怪我もあったが一階の人は外が稲妻のように光ったらしい。
後1時間遅かったら電車の中だったからどんな事態になっていたかもっと被害がでて自分もどうなったかわからなかったと言っていた。
それからは水道ガスも出ないので大阪の建築現場から帰りに大阪市内でお風呂に入り洗濯物も送ってきた。

それを私は大阪の現場に送り返すという日々が続いた
独身寮も二人で一部屋を使うことにして復興の作業員の方に提供して日曜日にはボランティアで働いていた。

もう13年経ち復興も目覚しくても心に傷を負って立ち直れていなくて自殺する人や、独居死去年だけでも60人近くいることを私たちは忘れてはいけないと思う一日。

私ももし長男がどうかなっていたら今の幸せも無かったし可愛い孫にもめぐり合っていなかったわけだから感謝しなければいけない

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冬牡丹と不忍池

2008-01-16 20:03:27 | Weblog

上野の東照宮で毎年冬牡丹が見られる

藤堂高虎が上野の自邸内に創建したもので、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたことにより建立されたもので、現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築し近くには天海の遺髪が収められた塚もある。

去年も行ったので夫にパスされたので一人で三脚も担いで行って来た。不忍池で水鳥も写そうと思って。
意外と寒くなく相変わらず薦をかぶった牡丹が並び祝日後なのでとても空いていたというかここしか開いていない。

今年は去年と違ってなるべくUPの牡丹を写そうと思って三脚を持っていて良かった.空いているので人にも迷惑書けることも無くスムーズに!

今日は一人なので駅中の神戸屋のサンドイッチを買い池の傍のベンチで食べた。

ちょっぴり一人はさびしい。
三脚を組み立てている間に鴨やカモメが群がってくる

私は先日テレビで言っていた今やたらと餌をあげてしまうので渡り鳥が渡りをするときに太りすぎて天敵に狙われやすいと!

だからどんなに集まってきてもあげない
周りではやたらあげる人!掲示板を見なさいと言いたくなる。

さて食事後鴨やカモメが飛び立つところを写そうと思ったがやはりなかなかうまくいかない。
一杯写してまとものが数枚!それでも野生の水鳥が場所争いをしたり周りに群れてくるのを見ていて楽しいものだ。

三脚はまだまだ使わないと使いこなせない

 

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