北京五輪では高木美帆選手が金メダル、坂本花織選手及びノルディック複合団体選手達が銅メダルをとるなど、正々堂々とした態度の大活躍ですね。女子パシュートでは金メダルを取れそうだったのに銀メダルになった高木選手の妹さんが転倒しましたが、それはそれで感動しました。
それに引き換え、報道関係者の旧態依然とした取材スタイルは、残念としかありません。その根っこにある問題は、報道の高齢幹部達の頭には視聴率を稼ぐことしかなくて、しかも、その取材がテクニックに走りすぎていることにあると思っています。
つまり、選手の気持ちに寄り添えていないし、競技を好きでもないのですよね。好きでないと言うよりも、楽しさや見所を理解して、選手と一緒になって国民に伝えたいという背骨となる気持ちがないと感じるのです。
私の職場でも、若い人は昔の人より学歴も高く、優秀で真面目な人が多いのですが、こうしたらこうなるということがわかりすぎていて、テクニックに走る感じがみえてしまうのです。
本当に相手の気持ちになって対応することは難しいことです。いちいち相手の能力に応じた対応を求められるわけですから。しかし、自分の未熟なことも認めながら、何とか相手の要望に応えようと努力する姿勢であれば、相手も理解しますよ。
ところで、スポーツでいえば、フィギアスケートの坂本花織選手の言葉が印象的です。現在、トリプルアクセルとかの回転が取り沙汰され、注目されていますが、坂本選手は回転より自分の特徴を理解した総合的な演技を大切にしたと言っていました。
まさに、私が感じていたことに応えてくれたと思いました。羽生選手が4回転にこだわる気持ちも理解しますが、羽生選手の芸術性は人格も含めて世界を魅了しています。ですから、総合的なフィギアの美しさや、スピード感などを国民に知らせることを報道はしないといけないと思ったのです。
私は、フィギアスケートでは、公平な採点を求められて、細かく部分を捉えて採点されることに少し違和感を持っていたのです。それで、何かの番組で坂本選手のすごさはそのスピードと演技の流れにあるという解説を聞いて、演技を見てみるとスピード感がすごいと感じたのです。
それで、報道などは、それを感じることのできるカメラワークや他の選手との比較など、その競技の特徴や、選手はどんなところを見てほしいと思っているのかとか、自分がやっていて楽しいときはどうなのかなどを紹介してほしいと思いました。また、苦しい部分の紹介もあってのいいのですよね。その大前提は選手の気持ちだと思っています。
そして、その紹介の仕方が、視聴率を稼ぐために誘導質問のように、記者が仕掛けたと思われるような(上司から指示された内容を)質問しているというように見られることは、報道して終わっているでしょう。
それより、羽生選手が演技が終わって荒川静香さんと出会ったときの瞬間だけを報道してくれても充分なのですよ。私は、ジーンときましたよ。質問なんかいらないでしょう。そして、選手が言いたいのか、言いたくないのかなどを見極めながら、今後の選手の成長に結びつくように取材することが大切ではないかと思っています。
これは、何も報道だけの問題でもなく、高齢者の私は、現在の日本が抱える問題の根本的なものではないかとも思っています。つまり、人のためという背骨がないのですよね。視聴率も人のためですが、テクニックではないのです。
私は、自分の仕事については、背骨をもって取り組めば、結果がどうであろうと受け容れるということで生きてきました。やるかやらないか、自分との戦いだけですから。
北京五輪を見ていて、これまで感じていたことが湧き上がりました。