宮内庁の西村長官の発言にはあきれましたね。がちがちの右翼の人は陛下の言葉をないがしろにするなとかコメントしていますけど、報道はなぜ、政治的な発言をした西村長官を非難しないのでしょうか。大変、危険な行為に感じるのは私だけでしょうか。天皇陛下のお言葉となれば、大きな影響力を持ちますし、それに影響される国民は多いでしょう。報道が問題視していないことが、問題の大きさを物語っているのですよ。左翼思想と同じということなのです。
西村長官は警察庁出身でしょう。このような人を人選するのはどうなんでしょうか。宮内庁に行くような人はろくな官僚はいないのですよね。振り返ると、以前、侍従長だかが昭和天皇のお言葉をメモとしていたとかいうのがありました。僭越ですよね。しかも、本人に確認できないことをいいことにねつ造すらうかがわれます。左翼が得意ですからね。
コロナ禍において、天皇陛下はオリンピック・パラリンピックの開催は心配ですよ。しかし、なぜ今、それを拝察し、あたかも天皇陛下の言葉として報道に説明するのかということです。天皇陛下はコロナの終息を祈るのですよ。宮内庁ならそもそも内閣の助言と承認で国事行為をするということもあるのですから、普段の生活でも正しい日本人として振る舞うことができるような雰囲気にすべきですよ。都道府県に天皇陛下がお出ましになる際に宮内庁の関係者が来ると、嫌われているでしょう。虎の威を借る狐そのものですよ。
秋篠宮皇太子殿下の言動もそうですよね。結婚は男女の合意だとか憲法で保障されているとかおっしゃるのは違和感を覚えます。皇族方は国民の象徴としての天皇陛下と同じですよ。国民ではないのですよ。同列にすることが失礼でしょう。だから、天皇陛下と皇族は、国民の支持を得られるように、国家の象徴としての振る舞いを求められるのですよ。
過去において継体天皇の即位では皇統は変わったので万世一系ではないとかの指摘もあります。また、雄略天皇など残虐に描かれている天皇もおられるなど、いろいろな天皇がおられます。しかし、受け継がれてきたものは、天皇を中心とした日本人の心であって、それを国民は受け入れるのです。
今でもそうですが、日本人はいろいろな人がいて、まとまらないのですよね。だから、中心となる何かないとだめなんです。和をもって貴しとなすって、聖徳太子が書いていますが、俺が俺がという人が多いのですよね。都道府県知事を見ているとすごく感じます。国と一緒に国民のために働くという意識ではなく、自分の権力の維持に全力な人が多いのです。もっと、日本の国の幸せを考えて行動してほしいと思います。
私は、昭和天皇が崩御されたときに、すごい喪失感を感じたのです。昭和が終わったというような。歌手が亡くなってもそうですよね。一緒に歴史を体験してきた仲間のように感じるのです。それが象徴である天皇陛下ならなおさらでしょう。
私は、天皇陛下の存在は、日本人の心そのものと思っています。自分の資産も同じですよ。日本のもの、天皇陛下のものと同じですから、執着しなくていいのです。子供が勝手に処分しますよ。 大きな財産があると大変でしょうが、死んだら分かりませんから、大丈夫ですよ。
それより、私は、人生を歩むうちに、自分の子供を守るという覚悟を持つとか、死に直面している子供の代わりになれるかとか、いろいろなことを自問自答しながら生きています。そして、自分はどのような大人を目指すのかを考えるのです。子供達から見ると時代の変化に対応できていないかもしれませんが、自分を見失わずに生きていきたいと思います。