パリのオリンピック関係では、開会式のキリスト教を冒涜したというバチカンなどの抗議や、韓国の国旗を間違えるといった関係者の不手際、柔道やサッカーを始めとする審判を巡る疑問など、様々なことがSNSで発信されています。私の感覚では、暇な人が過激な意見を発信して暴走させているとしか思えません。ヤフーニュースでもその割合が多くなっています。
開会式では、私も不審に思ってたことは過去のブログで書きました。東京オリンピックでは国を挙げて日本に対していろいろないちゃもんを付けていたし、それを報道が後押ししていたのにのに、パリではそうでもないではないかとも思っていました。
私は、これがフランスの実態なのだとおもいます。また、それも受け入れなければいけない事実なのですよね。
ところで、日本のマラソン大会など各種大会では、開会式で主催者や来賓の人がしゃべっているのに、私語をしている選手や見学者が多いですよ。この人達は、日本人の気持ちを捨ててきたのだろうとか思います。それぞれの国ではいろいろな実態があるのですよね。
疑惑の判定の件ですが、私が田舎の街の柔道大会に息子を参加させたときも、おかしな判定が多かったですよ。大きな市の大会でも時々ありますよ。審判にもよるでしょう。高校野球なども劇的な展開は審判が作っているのではないかとも思います。
私が言いたいのは、スポーツ大会でも、政治でも、完璧なことは出来ないし、人の感情が入り込んでいるということですよ。このことは、何年たっても変わらないこととして続いていくことでしょう。
それを工夫をしながら、きちんとしていくという意欲を持ち続ける人がいればいいのですよね。私は、昔よりはオリンピックでプレッシャーを与える関係者の人は少なくなってきたのではないかと思います。しかし、柔道の斉藤選手に申し訳ないと言わせてしまう雰囲気を周囲が作っているのではないかと思うのです。
個別にプレッシャーが必要な選手もいるのでしょうが、練習は苦しいのでしょうから、野球の大谷選手が言動で示しているように、いかにその競技が好きなのかを大切に出来ることが重要なのだと思います。
これは何もスポーツばかりでなく、仕事も同じですよね。楽しいばかりの仕事などないでしょう。現実として、違法行為すれすれのケースを味わうこともあるでしょう。
その時に、自分を見失うことなく、基本的な姿勢ということを思い出して、自分が行く道を選択してほしいものです。最悪の場合は、別の道を行くことも考えればいいと思います。
世界中に変な思想がはびこっていることも受け入れながら、気をつけて生きたいものです。