我が町の発展の原点は
この場所から始まります
江戸時代の初めに
奉行の野中兼山がここを掘り
井筋すなわち用水路を作ります
今の町内全体がこの水で発展
田畑がたくさんになった他に
この用水路を利用して
高知城下迄荷物を輸送しました
それまでは太平洋経由でしたが
海が荒れた時などは大変だったそうで
この川から浦戸湾の内海に入りました
当時に賑わった街並も残っています
映画館の他歓楽街もありました
当時の人口の10倍になって
今は1万5千人くらいいますが
子供が少ないので限界集落も多く
この後が心配なことです
我が家の前にもこの水が来ます
すぐ上流に井流(ゆる)があります
井流とは用水路の水門です
分岐点でもあるわけです
何時も通る道ですが
たまには停めて写真です
でも四国では通じると思います。
井筋(いすじ)は用水路、井流(ゆる)は水門を言いますが用水路の分岐点でもあります。
ため池などでは水門を開けて放流時はゆる抜きと云います。
長雨の後なのでもっともっときれいな水なんですが・・・
真っ青な水がきれいですね!
その体験をしていたとは凄いです。
今は組合で用水路を管理するようになりましたね。
全国各地で利用されました。
今日は今年一番暑かったです。
今日は一番暑かったように思います。
何処でも用水路を中心に発展してきました。
井筋、井流どう読むのでしょう。
前橋にも江戸時代開削の用水が今も健在で時の藩主秋元家は前橋の偉人として前橋四公祭(松平大和守家、酒井雅楽頭家、秋元越中守家、牧野駿河守家)などで顕彰されています。
水路の奪い合いですが体力の弱いものが勝つんです。なぜかと言うと殴られて倒れる時水路に横たわり、その間に水の流れを自分の田に流すんです。
今は共有のため池や水路なるもの出来て平和になりましたが・・・
野火止用水もそうかな
その昔 の交通機関として利用されていた
河川は在りますね。
考えた先人の知恵に今も恩恵を受けているんですね。
今日も暑くなりそうです。
さすがは水の四国ですね。
現時点28℃、今日も蒸し暑くなりそうです。
でも昨夜はエアコンなしで寝ました。
この言葉、初めて聞きます
いつまでも、一生勉強ですね。。。。。
(^^♪(^^♪(^^♪。。。
地元の方に聞かないと歴がわかりません
東京もその昔家康が水道を基礎を作ったそうです
江戸は井戸を掘っても塩辛くって飲料水には向かなかったと
聞きました。