Diamond Days

13年9月28日富山に引越し!~コーギー時々人間2人~

何思ふ・・・

2015-08-10 08:34:33 | 思い
オハヨウゴザイマス o┐ペコリ


最近よく人間について考えるオイラです(´・ω・`)

人間というよりかは、自分の身近な人たち対オイラって感じです。



相方や母。

義理の両親やその家族親戚。

友人や知人。



あ、別にホームシックというわけでもないんだけど

最近ちょっと色々考えさせられることがあって、各々との今までとこれからを考えたわけで。



人ってやはり難しい生き物で、どこまでが本音で、どこからが建前や社交辞令かがよく分からないときがある(´・ω・`)

平気で嘘をついたりとかもね。



昔、散々友人に翻弄されて、何度となく軽い裏切り?に遭い、頭にきたオイラは

その友人の心理を探りたいと思い心理学を少しでもいいから分かりたいと

大学で心理学を専攻していた別の友人に色々教えてもらった過去があります。

難しいけど、面白い。

人間の感情や潜在意識がどう行動や言葉に表れるのかとかも教えてもらって

改めて人間という生き物は難しく、面白いなと思ったときでもありました。



今もそれが何らかの力になってるのか、はたまたただの憶測でしかないのかは自分でも分からず(笑)




今現在オイラは専業主婦をしながら、相方の実家のお手伝いを時々しているのだけど

バイトやパートなんかもしていないので、お手伝いとか買い物がなければ家にいるわけで・・・。




相方は、そのずっと家にいる状態を心配してるらしく(´Д`)

話し相手はレオしかいない(笑)

近所に友達がいるわけでもない。

富山に友人がいるわけでもない。




引きこもりではないんだけど、はっきり言ってしまえば、近所付き合いはめんどい。

必要最低限でいいと思ってますオイラ。

挨拶とか、あとは町内会の行事(側溝の掃除とか草刈的な仕事)はしていますが

催し物には特に参加したいとも思わず。

年齢差ありすぎてっていうのもあるんだけど、そこまで深く付き合いはする気になれない。



ずっと家にいるオイラを心配してくれるのはありがたいことなんだけど

家事や炊事をやって、ネットで色々見ながらレオと遊んだり

畑に行って草むしりをしてみたり。

買い物に行って、帰りにコンビニに寄って、コーヒー買って「ここのコーヒーうまっ」とか思ったり(笑)



こんな毎日送っても不満もストレスもないです。



外で遊ぶとかが嫌いじゃないし、むしろBBQとか大好きです。

キャンプや海や川なんかで遊ぶのも大好きです。

インドアとアウトドア両方いける派です。



なので、無理にでも近所に友達を作りなさいとか

お茶したりランチしたりする人みつけなさいとか言わないでいただきたい(`・ω・´)

めんどくさいのでお断りします┏○))ペコッ



って、だいぶ話がそれたけども。

38年間生きてきて色々な人と出合ったし別れたし。

その中でケンカしたこともあれば、思い切り裏切られたこともあったし、憎んだこともありました。



「今思い返してみると」ってやつで

あー、あの人あの時こんなこと言ってたなとか思い出して

過去のことながら、今沸点が少し上がったり。




というのも

三重時代に友達をしていた友人と話したのだけど

その人が今頃になって、オイラが仲良くしてた人が、陰で色々言ってたと意味不な報告。

ずっと友達をしてたのに、友達だと思ってたのに

友達と思ってたのは、どうやらオイラだけのようでした。




思い返してみれば、なるほどなるほど

色々出てくる出てくる。

そりゃー友達と思ってないもん、平気で嘘もつくしドタキャンもするわな!と激しく納得。

そうとも知らずに、ヘラヘラ笑って友達と思ってたオイラって・・・

もう笑うしかない(´Д`).∴カハッ



ってか、なんでワザワザ十年くらいった今頃話してきたのか、その友人の配慮?にも沸点上がるわヽ(`Д´)ノ

イラッとしたけど、それと同時に人間付き合いってめんどいと ガッツリ思ってしまったオイラです。

人間不信再発必至だなこりゃ。




今回はかなり重い内容になったー(´;ω;`)

ちょっと今回の件と実家に帰省するので、またしばらくお休みします。

では|Д´)ノ 》 ジャ、マタ


不思議な話 (ちょっと重い内容です)

2014-10-29 14:01:02 | 思い
※重い内容です※


明日10月30日はオイラの息子が亡くなって4年目です。

今から14年前生まれた息子。

生後5ヶ月で「先天性代謝異常」が発症。

家から3時間も離れた大学病院に7ヶ月と少しの間入院していました。

その後、オイラたち夫婦は離婚。

息子は元旦那が引き取る事に。

離婚原因は元旦那でもなく、元旦那の両親。

息子が1歳を過ぎた頃の離婚でした。

離婚してから2年後、オイラは1人三重県へ。

三重県に行ってから数年後、2度目の結婚。

だけど、この結婚生活もうまくいかず、オイラが調停(女性関係と金銭関係)を進めているある日のこと。

不思議な夢を見ました。



夢に色んな人が出てきました。

母親や弟たち。

中学校の友達や高校の友達、先輩、後輩・・・

とにかく色んな人が、入れ替わり立ち代りで出てきました。

その中で、一番衝撃だったのが、おじいちゃんとおばあちゃん。

オイラは小さい頃からおじいちゃんおばあちゃん子だったこともあり、おじいちゃんが亡くなったとき

夢の中でもいいから会いたいと泣きながら願ったこともあるくらいです。

残念ながらおじいちゃんが亡くなってから、一度も夢にも出てはくれませんでした。

それなのに、夢に亡くなったおじいちゃんが出て、しかもまだこの当時なくなる前のおばあちゃんも一緒に出てきたのです。

今でもはっきり覚えてます。

2人の姿は、オイラが幼かった頃のまだ畑仕事をバリバリこなす元気な2人の姿のままでした。

見慣れた作業着。

黒っぽいズボンに灰色のシャツのおじいちゃん。

黒いズボンに青の花柄の割烹着を着たおばあちゃん。

2人して、やたらニコニコしてて。

目が覚めたとき、地元で何かあったのかと思い、様々な人に連絡してみましたが、特に何もなく・・・

なんだったのかな?と不思議に思ってました。



その夢を見たのは息子の誕生日間近の日だったことも覚えています。

それからまもなくして、地元の友達から連絡が入りました。

息子が亡くなったと。

泣き崩れました。

この離れた地で今もう少しで全てが片付き、地元に戻れると思っていた矢先の出来事。

もしかしたら、地元に戻ったら、会えるかもしれないと密かに思っていたのに・・・

それすらも叶わず終わってしまった。

もう会いたくても会えない辛さや、離れてから1度も会えなかったことへの後悔。

すぐに駆けつけたい気持ちはあっても、その当時の旦那が信じてくれず、それもまた叶わず。

そのあと、友達を通じて前の旦那(息子の父親)に連絡を取り、詳しく経緯を聞き

前の旦那が、せめて写真だけでも見たいだろうと生前の画像と祭壇に飾った写真の画像を送ってくれました。

そして、それから数ヶ月して全てが片付きオイラは地元へ戻りました。



戻ってすぐに、息子のお墓参りをしてきたのですが、ここでもまた不思議な体験をしました。

前の旦那からお墓の場所は聞いていたものの、そこの墓地は山を切り開いて作った墓地で、複雑な形状をしていました。

そのためか、中々息子のお墓にたどり着けず、オイラと母で手分けして探すことに。

しばらく探していると、ふっと目の前に大きなトンボが現れました。

オニヤンマかな?と思いつつ、そのトンボを見ていると、そのトンボは空中で羽ばたいたまま飛び去ろうとしなかった。

そのとき、なんとなく「こっちだよ」って言われた気がして、トンボの方へ歩いてみると・・・

トンボは歩道を真っ直ぐ下に下りていき、オイラがついていくと、そのまま左へ曲がりまたしばらく空中で羽ばたいていました。

これは息子かも?と思いはじめると、涙が出てきた。

左へ曲がると、トンボはそのまま真っ直ぐ一直線に進んで行った。

オイラも追いかける。

追いついたところで、トンボが止まった。

ふと墓石を見ると、見覚えのある苗字が刻まれたお墓がそこにあった。

このトンボはやっぱ息子なんだと思ってトンボを見た瞬間

トンボは消えました。

どこかへ飛んだとかじゃなく、ぱっと目の前から消えてしまいました。

今でも帰省すると息子のお墓に行ってます。

オイラが富山に引っ越す前に、息子にも相方を紹介してきました。



そして、去年の夏の話。

オイラがまだ富山に引っ越す前。

相方がオイラの地元に遊びに来ていました。

と、同時に母の姉(伯母)も山口から来ていました。

その伯母から聞いた話です。

伯母がある日夢を見たそうです。

そこには、伯母の父親(オイラの亡くなったおじいちゃん)ともう1人男性。

あとは、小学高学年くらいの男の子。

自分の父親ともう1人の男性には見覚えがあるけど、男の子には見覚えがない。

誰かの子供さんが亡くなったという話も聞いてない。

不思議がった伯母が、オイラの母にそれを話したところ、オイラの息子ではないかと。

そして、伯母は夢の中で3人に向かって「もう行くのか?」と尋ねた。

すると、父親(おじいちゃん)が「おう、もう行くから」と笑顔で答えたそうです。

人の魂は、亡くなってから3年はまだ近くにいたりするそうです。

3年が過ぎる頃、上へあがっていくんだと親戚のおばあちゃん(おじいちゃんの妹)から聞きました。

おじいちゃんは、息子がまだお腹にいたときに(オイラ妊娠6ヶ月)亡くなりました。

あれから14年。

3年はとっくに過ぎているな・・・と思ったけど

ああ、オイラの息子と一緒に上へ行ってくれたのかな

だから息子を迎えに来てくれたのかなと。



息子が亡くなってからほぼ1年後、おばあちゃんも亡くなりました。

オイラが地元に戻ってからは、仕事が休みのときは母と一緒におばあちゃんが入院している病院へ行ってました。

おばあちゃんが亡くなったと連絡が入り、真夜中の国道を車を飛ばして駆けつけた。

最期には間に合わなかった・・・

でもまだ人の温度がかろうじて残るおばあちゃんにしがみついて泣きました。

おじいちゃんが亡くなったときも、妊婦だったオイラは触らせてもらえず、遠くから見るしかできなかった。

息子は、亡くなったことを遠く離れた土地で聞き、何も見れずに終わった。

今思えば、おばあちゃんの最期には間に合わなかったけど、まだ良かったのかなと思う。




お元気ですか。

オイラは元気ですよ。

相方もいい人ですよ。

ここにいる毛だらけは、レオですよ。

もうすぐ家も完成します。

夏になったらまた、行きますね。



厳格だけど、優しかったじいちゃん。

優しくてほんわかしてたばあちゃん。(写真ないけど)

小さい頃からずっとじいちゃんとばあちゃんが大好きだったオイラ。

そして、手のかかる子だったけど、オイラをママにしてくれた息子。


見る人によっては重い内容だったかなー

ばあちゃんと息子の命日がどちらも10月なので、ちょっと思い返して書いてみました。

重くてごめんよー。




オイラと生き物(長文)

2014-10-21 16:27:24 | 思い
今日はちょっと趣向を変えてっていうわけでもないんだけどね。

オイラが今まで生きてきた中で、一度でも家族としていた子たちを残そうかなと。

大昔のこともあるもので、記憶が曖昧だけども覚えてる限りは書き出そう。



オイラが小さい頃、写真で見たのは4匹のシャム猫。

どこからやってきて、どうなったのかはわからない。



小学校入学前、またネコが来た。

たぶんだけど、オイラが拾ってきたんじゃないかな。

名前はチャン。女の子

ホワッツマイケルのあのネコと同じ。

何年一緒に暮らしたのかは覚えてないけど最後は、よそのネコと喧嘩して致命傷を負い出血死した。

しばらく大泣きした記憶もある。



そしてチャンの子供たちもいた。

ケンちゃんとショウちゃん。

やんちゃな時期にショウちゃんが事故に遭い亡くなり、ケンちゃんは失踪。



そのあと、父が犬を連れてきた。

まだコロコロした子犬。

柴犬のヨタロウ。後にヨタ。

父が家族に相談も無しに勝手に連れてきて、世話をするのはオイラと弟2人。

毎朝と夕方のお散歩も3人で交代制で行ってた。

そして、ヨタは数年後に父の知り合いに渡った。



程なくして来たのが、ヤギのメー子とアヒル。

何かもう1種類いたような記憶もあるけど曖昧で覚えてない。

結局メー子とアヒルの世話も、オイラたち子供に押し付け、父は何もせず。

アヒルたちは病死。

メー子は知人に渡った後、加工されたことが後で分かった。



そして程なくしてやってきたのがチビ。

これまたホワッツマイケルのようなネコだった。

オスだけど、温厚なチビは滅多にケンカもしなかった。

チビとは家族みんなで出かけるときも連れていったりしていた。

オイラが中学生の頃、チビは病死。

オイラと両親で獣医さんに行った帰りの車内で、オイラの腕の中で息を引き取った。

可愛がってたこともあり、その事のショックは相当で

硬くなったチビのそばを離れることができず、母から叱られた記憶もある。

ずっと泣いてたら、チビがいつまでも旅立てないからと。


そしてオイラが高校生になり、チビがいなくなってから何も飼わずにいた。

ある日オイラの友達が捨て猫を拾ったと連絡があった。

まだ小さい子猫でダンボールに入れられて公園に置かれていたと。

チビが旅立って寂しさもあり、オイラはすぐ飼うことを決めた。

来たのは、ドロドロに汚れた白猫。

ただその子は、生まれてから母ネコが育児放棄したらしく、目の膜が取られていなかった。

その状態でいたため目の見えない子になったらしい。

うちに来て綺麗に洗ってあげると、全身真っ白なネコだった。

名前は雪。目が見えないせいか、よく扉や冷蔵庫に突撃することも多かった。

そしてしばらくして、雪が子供を2匹産んだ。

雪の遺伝が強かったのか、2匹とも真っ白だった。

1匹はオイラの名前の頭文字を取り「M エム」オス。目が茶色で、物怖じしない番長タイプ。

もう1匹は、弟が何を思ってつけたのか「ガッツ」メス。目がブルーで中々の美人。

3人は3匹を可愛がって育てた。

真っ白なネコ3匹が、当時のブラウン管のテレビ上に横たわる姿は、圧巻だった。

雪を真ん中にしてエムとガッツ。

それぞれの最期は、雪はおばあちゃんになって一生を終え、ガッツは病死。エムもおじいちゃんになり一生を終えた。



オイラが高校生のとき父は単身赴任で県外へ行っていた。

そして久々に帰宅するときがあって、そのとき連れてきたのが甲斐犬のクロ。

このクロの件に関しては、法律が許すならば殺してしまいたい人が2人。

父と父が転職した先の社長。

クロがうちにやってきて、毎度の事ながら世話はうちら3人。

クロも大きくなったある日、弟2人がクロを苛めていた。

クロは怖がって威嚇しつつも小屋の中で丸まっていた。

苛めという表現を使ったのは、クロが悪いことをして怒られたとかじゃなく、弟たちが面白がって苛めていたから。

小屋の奥で小さくなってるクロに、弟たちは鉄の棒を突っ込み激しく突いていた。

牙を剥き反撃体勢に入るも弟たちの苛めの前になす術もなく、されるがまま。

オイラが大声で怒鳴り止めさせて、苛めはおさまった。

そのあと、クロの小屋の傍で暗くなるまで、クロの名前を呼び続けた。

恐る恐る出てきたクロの体を撫でた。

そのまたある日、今度は父が棒を持ち、クロを追い回していた。

弟たちがしたように、父も棒でクロを突き、クロはまた小屋へ逃げた。

そのときばかりは、オイラの怒鳴り声で母が家から飛び出し、2人でクロをかばいオイラと母は声を荒げながら父に怒鳴り続けた。

何をそんなに叩きたいのか!クロが何をしたっていうのか!

クロはたぶん、自分を苛めた人間のことは忘れない。

いつか復讐してやろうと思ってたはず。

この数日後、その復讐は実行された。

数日の間に、弟2人が噛まれ、それから少しして父も噛まれた。

父を噛んだ時、クロは離さなかったという。

それでも、オイラと母には牙を剥くこともなく、いつもの可愛いクロだった。

その復讐劇から少し経ったある日、クロは父の知人に渡った。

オイラと母は猛抗議した。

クロが悪いんじゃない!お前らが悪いんだ!と。

それでもダメだった。

数ヶ月が経過したころ、母から「クロがまた人を噛んだ」と聞かされた。

クロは人間不信になってしまったのか、もしかしたらクロがまた何かされたのか。

真相は分からなかったけど、また別の人のところに移すらしいと。

父に頼み込んだ。「うちに戻して欲しい」と。

だけど、父が言ったのは父が働く建設会社の事務所の番犬として連れて行くとのことだった。

クロが事務所の番犬になってからは、家から近いということもあり時々資材置き場から様子を見ていた。

この頃はオイラも社会人になり、中々クロに行けずにいた頃、資材置き場の真後ろがオイラのおばあちゃんの家だったことから

事情を知っていたおばあちゃんは、ほぼ毎日のようにクロの様子を見たり、パンをあげたりしていたことが分かった。

その時の話の中で、おばあちゃんが言ってたのは「クロ・・・満足にご飯貰ってないんじゃないかな」と。

詳しく聞くと、既にガリガリに痩せており、前の可愛かったクロの面影はなくなっていたという。

その夜、父を問いただしてみた。

すると、「しらねーよ。事務所にいるんだから事務所の人間が世話してんだろ」と言い放った。

それからオイラはおばあちゃんに頼んで、クロに食べ物をあげるように言った。

数日後、母から聞かされたのは

「おばあから電話あって、食べ物あげると社長に怒られるんだって。人んちの犬に勝手に物やるな!って・・・

あの社長だから(元ヤクザ)おばあも怖がって、行きたくても行けないんだって」

人んちって・・・元はうちで飼ってた犬だろうが!ちゃんとご飯あげればこんなことにはならない!

そう・・・ちゃんとご飯さえあげてれば。

おばあちゃんの話だと、ご飯は愚か、水さえもほとんどもらってないらしい。

クロだってご飯がほしいし水もほしい。だから吠える。そうすると社長に棒で殴られる。

おばあちゃんがやめてくれって頼んでも、暴言を吐くだけでやめてくれない。

おばあちゃんが言ってた。

申し訳ないと・・・クロを助けたいけど助けてあげれない。

かわいそうでかわいそうで、毎日クロの悲鳴が聞こえてくるけど、何もしてやれない。

社長に頼んだところで、俺んちの犬だから何しようが勝手だろ!と言われる。

それを聞いたオイラは頭がおかしくなりそうだった。

ボロボロと泣くおばあちゃんの横で歯を食いしばり泣きながら社長を恨んだ。

そしてクロの最期が近くなったある日、クロが事務所の庭で飼ってる鳩を2羽食べたと連絡がきた。

オイラは驚きもしなかった。

当然だろうと、ご飯も水も与えられず極限の状態まで追い込まれていたクロ。

クロだって生きたいしご飯も水も普通にある幸せな一生を過ごしたいに違いない。

それでも現実は非情で、何ももらえない、撫ででもくれない。

たぶんこの時も死ぬほど暴力を受けたんだろうと思う。

それからすぐ、オイラは仕事が休みで、朝目が覚めるとすぐ、物凄く外が気になり、何かあると思いながら玄関の戸を開けた。

門の方向が気になって、その方向を見つめること数秒。

門からクロが入ってきた。

これにはさすがに驚いて固まってしまったけど、すぐにクロ!と呼んでみた。

クロはオイラに向かって走る。オイラもクロへ走り寄る。

数ヶ月ぶりにクロに抱きついた。

クロは大人しくオイラの頭、顔、体の匂いを確かめているようだった。

オイラは泣きながら「もうどこへも行かせない」と言い、クロの体を撫でた。

数ヶ月ぶりにクロの体を撫でると、もう骨と皮だけになってて、それでも撫でられると穏やかな表情でオイラを見てきた。

ごめんと何度も謝りながらクロを車庫に連れて行った。

クロが前使ってた小屋は、クロが連れて行かれてからすぐに父が壊して捨てた。

首輪もしてなければチェーンもリードもない。

またうちで一緒に暮らそうと思った。もう弟たちや父の苛めに遭わないように守ろうと思った。

お昼になり、母が休憩時間に帰宅した。

オイラは車庫から出て行き、母を連れて車庫へ行った。

扉を開けると、クロがお座りをしてこちらを見ていた。

クロの姿を見た母は、何も言わず駆け寄り、クロを撫でながら「よく逃げてきた。辛かっただろうに。」と涙をこぼしながら抱きしめていた。

そして母は「またうちで一緒に過ごそう。クロの首輪も紐(リード)も全部買ってくるから、もうどこも連れて行かせないようにしよう」と。

そしてその日の夜、オイラと母で父を説得して、うちで飼う事を決めた。

もうクロには触るなと。自分たちでやるから何もしなくていいと。

それから少しの間は穏やかに暮らせていた。

だけど、オイラが仕事休みのある日、また何か外が気になって、朝起きるとすぐに外へ出てみた。

すると・・・クロがいない・・・

物凄い嫌な予感がした。不安にもなった。

母に聞いてみた。

クロは?

「う、うん・・・」言葉を濁す母。

どこ行った?

「・・・」何も言わなくなった。

オイラが感じた予感や不安が的中したと直感で思った。

クロは!!どこ行った!!

大声で問いただすと母は泣きながらこう言った

「クロ、また連れて行かれた・・・」

誰に!?社長か!?

「・・・」何も言わない。

どこだよ!

まくし立てるように問い詰めると

「クロはもう戻らない・・・」と言い「あんたには言うなって黙っておけって言われたんだけど・・・」と続けた。

また連れてくればいいだけの話だろうが!また事務所か?電話してくる!

電話口に向かったオイラに母が言ったのは

「違う!事務所じゃなくて!!・・・」

気付いた・・・気付いてしまった。

恐る恐る聞いてみた。

もしかして保健所・・・?

声も出さずに頷く母。

その直後の記憶はない・・・だけど、残ってるのは、「電話しろ!!やめさせろ!!」そう叫んでたこと。

母が最後に言ったのは「社長が保健所に連れていって、朝一番でやってもらうからって、お父さんと外で話してるのが聞こえた・・・」

クロが何をした!!クロは悪くない!!

たしか保健所の近くまで車をぶっ飛ばしたような記憶もある。

この日の記憶はここまで。もうそれ以降の記憶は残ってない。

ただはっきりしているのは、父と父が当時働いていた会社の社長は、今でも殺してやりたいほど憎い。

(オイラが20歳のとき両親は離婚しました。)




そして年月が流れ、レオと出会った。

最近思うことは、今まで一緒に過ごしてきた子たちは、実際実家にいたときに親の力もありながら育ててきた。

でも今は違う。

自分たちで生活をしてる中でレオがいて、レオを見て育てていくのはオイラと相方しかいないわけで。

レオも頼るのはオイラと相方で。

昔一緒に過ごした子たちは、自分の生涯に満足していない子もいただろう。

事故で命を落とした子に、なんでもっと気付いてあげれなかったのか

病気で亡くなった子に、なんでもっと手をかけてあげれなかったのか

老衰で一生を終えた子に、うちに来て幸せだった?とか

クロは・・・未だに悔しくて涙が溢れるけど、もっと自分にもできることはあったんじゃなかったのか

人間の手で、人間の勝手な行動で・・・

今まで一緒に過ごしてきたのに、なんで救えなかったのか。

自分と一緒に過ごしたのに、なんで気付いてやれなかったのか。

力の足りなかった自分を責めるしかないけど、だからレオとオイラとを考える。

この先、今までみたいなことを繰り返さない、そんなつもりもないけど、全身全霊でレオを守っていこう。

今まで一緒に過ごしてきた子たちの生涯を思うと、後悔とか自責とか色々あるけど

正直に言えば、レオほど対等に密度の濃い子は初めて。

だから本音はレオが最期を迎えたとき、どうなるのか全く予想もつかない。

レオが好きなこと、レオが楽しいと思えるようなことたくさんして

レオが生涯を閉じる時、楽しかったなって思って旅立ってくれるように。



前記事

2014-08-01 10:07:31 | 思い
前記事の東日本大震災に関して。



私の実家のある場所は日本海側で、太平洋側のような甚大な被害は免れました。

津波の被害もありませんでした。

でも、停電に遭い、情報はラジオのみ。

仕事で出かけてた母と連絡が取れず、母が時間になっても帰らず。

母はというと、職場で避難勧告が出され、帰宅の許可ももらえず。

実家が古いため、母は私と犬2匹は家が潰れて下敷きになっているのではと生きた心地がしなかったと言ってた。

スーパーやコンビニの食料のほとんどがなくなり

車にガソリンを入れたくても長蛇の列。

リッター制限で1人20Lまで入れれないところがほとんど。




太平洋側の被害に比べれば・・・

比べるようなものでもないけど、私たちの被害なんてまだマシ。

同じ東北だけど、一番被害の大きかった岩手・宮城・福島のことを考えると本当に辛い。

関東でも被害はあり、交通機関や信号が麻痺し帰宅できずに寒い中ずっと歩いたとか。

交差点では1時間に動ける車が1台とか。

でも、こんな状況でも譲り合いの精神で動く人たち。



渋滞にはまっても、誰一人クラクションを鳴らす人はいなかった。

山手線を待つ人たちが、列を乱すことなく並んでいた。

一般家庭の方が、自宅のトイレを開放してくれた。

パン屋の方が無料でパンを配っていた。

スーパーのレジで、お菓子を持ってきた子供が、お菓子を買う予定だったお金を震災募金に入れ、お菓子を棚に戻した。

企業の方が道端で暖かいスープを配っていた。

日本から遠く離れた場所で「JOIN US」日本の力になろうとしてくれた。



あの動画を見つけたときは感動しました。

震災から三年。

まだ復興途中の被災地。

段々風化されて忘れられてしまわないように、あの動画を載せました。

RISING SUN!JAPAN 日出国日本

2014-07-31 22:36:42 | 思い
この記事の一部に東日本題震災の内容があります。

精神的ストレスを感じる可能性がある方は読むのを中止してください。







先月のこと。



ある人と久しぶりに電話で話した。

その人は、私が三重県に住んでた時の職場の人。

彼女は、日系ブラジル人。

働き者で日本語も上手で。

私も彼女を信頼し、彼女も私を頼り可愛がってくれた。

彼女は私のことを苗字や名前で呼ぶことはなく、「おねえちゃん」と呼んでいた。





いつだったかもらったはずの彼女の携帯番号が書かれた紙をなくしてしまった。

番号の紙をもらってすぐに登録すればよかったのに、していなかった。

それに気付いたのは、三重県での仕事を辞めてしばらく経ってからのこと。

何人かに聞いてみたけど、電話番号は分からず、私が辞めてから部署も分裂。

連絡の取りようがなくなってしまった。

その数年後、私は三重県を離れ地元に戻った。




地元へ戻って4日目の3月11日 14時46分

「東日本大震災」発生

あの長い揺れの中レオを抱え、壁にへばりつき泣き叫んでいた。

壁が波打っていたようにも思う。

停電にも遭った。

揺れがおさまってすぐに、涙を拭いレオと母の愛犬を連れ車に逃げた。

まだ雪が降っていた3月。

暖を取れず、電気も使えない。

余震も続いて常に怯え、寒さに震えていた。

ろうそくに火をつけ、缶詰をおかずにご飯を食べ、いつでも避難できるようジーンズにダウンジャケットで布団に入った。

服を何枚も重ねても体が冷える。

眠りも浅く、すぐに目を覚ましてしまう。

あの日のことは、未だに鮮明に覚えてる。

一生忘れられないと思う。





先月彼女と連絡を取れたのは、私がある人に電話したことから始まった。

ある人とは、三重県の時の会社の上司。

この上司には、かなり助けられたこともあり、入籍の連絡をしようと思ったから。

この上司のことを私は「おとん」と呼んでる。




今は富山県に住んでることと、入籍することを話した。

ものすごい喜んでくれた。

一通り報告を終え、上司の体調を聞いてみた。

年も年なんだから、無理したらダメと。

上司は66歳で毎週日曜日はゴルフに通ってるから大丈夫だと。

すると、上司が「ちょっと待ってて」と誰かを呼びに行った。



電話口に出たのが、日系ブラジル人の彼女だった。

はじめ、彼女は誰だか分からない様子で、上司に誰だか聞いていた。

私が「おねえちゃん」と言うと、思い出したようで、泣き声に近い声を上げた。



「おねえちゃん、どうしたの!?大丈夫だったの?」と言われ、何のことか分からず聞いてみた。

彼女が言うには

「大きな地震あったでしょ?あの時、ブラジルにいる両親と何人もの友達が連絡してきたのよ!日本は大丈夫か!?って。

地震のあとアメリカの友達が言ってた 何か力になれることはないか?なんでも言ってくれ!って。

アメリカから祈ってる! PRAY FOR JAPAN!」





知り合いも津波にのまれた。

同級生も津波にのまれた。

友人宅もお店もなくなった。

まだ連絡がつかない人もいる。

家族を亡くした人もいる。

何もかもなくなった。

怖かった。

辛かった。





彼女の言葉と、彼女の友人の言葉がありがたかった。

電話口で我慢できず泣いてしまった。







頑張れ日本!負けるな東北!

RISINGSUN





本音を言うと、震災のことは書かないつもりでした。

でも、彼女と彼女の友人の言葉が嬉しかったのと、下の動画を見て何か一連の事が繋がるような気がして書いてみました。

相方や親友にもしてない話で、話すとまた泣いてしまうと思ったから、ブログに更新しました。