歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

横浜でも・・・~関東大震災100年

2023-09-12 15:31:14 | 歴史 本と映画
今年は、関東大震災から100年。

地震の発生した9月1日の9月中に、どうにか
辻野弥生『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房)を
読み終えることができた。
今、公開されている話題の映画、森達也監督「福田村事件」
史料になった本だ。



福田村事件については、既に過去記事「関東大震災100年に」
詳しく書いているので、ここでは、ざっくりと。

福田村事件とは、
関東大震災から5日後の、大正12(1923)年9月6日、
千葉県の東葛飾郡福田村(現野田市三ツ堀)で
香川県からの行商人一行15人が朝鮮人と間違われ、
うち9人が自警団に殺された事件だ。

断っておくが、朝鮮人と間違えられて殺されたことを
悲劇と見ているのではない。
それでは朝鮮人なら殺されても良かったことになってしまう。
国籍を問わず、人が殺されて良いはずがないではないか。

わたしが注目したいのは、流言飛語に惑わされた結果、
暴力に奔る狂気の恐ろしさだ。



さて、筒井功『差別と弾圧の事件史』(河出書房新社)から
事件の流れは知っていたのだが・・・

本書を読んで、詳しく事情を知り、さらに衝撃を受けている。


まず、「朝鮮人による暴動説」というデマを打電していたのは
内務省であり、千葉県行田の船橋海軍無線送信所からだったこと。
このため、頻発する余震と、迫り来る火災の恐怖にデマを見抜けず、
自警団を組織、あちこちで暴行が加えられた。


本書では、当時の庶民や作家の記録ともとに、
そのあたりが丹念に追われており、
読んでいるうちに、恐怖で心がブルブル震えるのがわかった。



余談だが・・・
引用されていたなかに、壺井繁治の詩「十円五十銭」があった。
繁治は、わたしの大好きな作家・壺井栄の夫で、プロレタリア詩人だ。

香川県出身の繁治は、お国訛りのため、
朝鮮人と間違えられそうになったという。
「ジュウエンゴジッセンと言ってみろ!」と武器を突きつけられ、
鋭く迫られたそうだ。

この詩が良い。
さすが壺井栄の選んだ人だ。
読んでいて泣けた。
原詩を読まなくちゃ!


話しを戻す。


とにかく、当時は公然と殺戮が認められていたようなものだ。

福田村事件の犯人は「罪の意識もなく、
むしろ英雄のように振る舞った」という。

また村でも、逮捕された犯人の家族に、ねぎらいのための見舞金を出し、
農業の手伝いまでしていたそうだ。

これが、働き手を欠き困っている村人に対し、
村落共同体として手を差し伸べていたのなら問題は無い。

そうではなくて、よくぞやってくれた、
自分たちの代わりに行動をしてくれたと、見なしているからの
村人達の行動であるのだから、たまらない。
それが、当時、犯人の強気な供述から、うかがえる。


そういった凶行が、関東大震災の恐怖の中、
あちこちで行われていた。

けれど、光もある。

たとえば、福田村事件で生き残った少年は、
お巡りさんから、優しい声をかけられ、
しばらく、その家で厄介になっていたという。

また朝鮮人だって、被害者になるばかりではなかった。
「鮮人『只で働く』」の見出しで、東京市(当時)の救援復旧作業を
買って出たと書かれている。今で言うボランティアだ。
恐ろしい想いをしていただろうに・・・



そして、我が横浜、鶴見での事件。
あわやの凶行が、一警官によって止められたのだという。

神奈川県警・鶴見分署長を勤めていた大川常吉(1877-1940)は
朝鮮人・中国人301人を、日本人の狂気から救ったそうだ。

震災当時、保護を求めて、301人が警察署に逃げ込んできた。
それを追って猛り狂う群衆は叫ぶ
「朝鮮人を殺せ!味方をする警察などたたきつぶせ!」と。

大川は体を張って叫ぶ。

「君らがそれまでにこの大川を信頼せず、いうことを聞かないのなら
もはや是非もない。朝鮮人を殺す前に、まずこの大川を殺せ!」

さらに続ける。

「朝鮮人が毒を投入した水を持ってこい、私が先に諸君の前で飲むから、
異常があれば朝鮮人は諸君に引き渡す。異常が無ければ私に預けよ!」と
落ち着いて、興奮した群衆を説得したのだそうだ。(188頁)



現在の鶴見警察署に近い、
東漸寺には、今も大川の記念碑があるとのこと。
調べてみると、寺は真言宗、しかも智山派のお寺だ。

もしや、と思って確かめると、
わたしは、案の定、このお寺へお参りしていた。

平成23年6月、2011年、
「玉川八十八ヶ所霊場」めぐりに必死だった頃だ。

大病後、不安でたまらず、少し時間ができると、
霊場巡りをしていた。
東漸寺も、そんなお寺のひとつだった。

でも・・・
本堂のすぐ下にあるという記念碑に全く気づかなかった。
画像で見ると、かなり大きいのに!

・・・それも衝撃。

見ているようで見ていない。
見たいものしか見えないのだな、ということだろう。



あれから10年以上、
おかげさまで元気にしている。
この機会に、もう一度お参りをして、記念碑を確かめたいと思う。

もちろん、映画も観たいのだけれど・・・

この暑さに、すっかり出不精になっている。
レギュラーの外出以外は、家にこもりきりという体たらく😓 

お寺にお参りをした暁には、
是非報告をし、関東大震災についても、また考えてみたい。

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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

以下の資料を参考にまとめましたが、
勘違いや間違いもあることと存じます。
素人のこととお許し下さいませ。

◆参考
辻野弥生『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房)


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