歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

藤田嗣治「秋田の行事」を訪ねてⅡ~古代の風

2023-09-03 04:51:39 | 秋田県
先月の秋田への旅、
秋田市内での目的は、秋田県立美術館の
藤田嗣治「秋田の行事」だった。(→前記事

十余年ぶりの鑑賞、
記憶以上にすばらしいと感動した。

(まだ著作権があり、残念ながら、アップできないので
「秋田の行事」はコチラをご覧下さい。
平野政吉美術財団「秋田の行事」


さて、今回、私が強く惹かれたのは、
画中に描かれた「香爐木橋(コウロギバシ)」
(一部なので、著作権問題は、お許しいただけるだろうか)



絵では、「橋を境に祝祭と日常が対照的に展開」している。

橋の右手は祝祭、秋の山王祭に、梵天奉納、
そして「東北四大夏祭り」の竿燈までが描かれる。
季節は夏と秋。

ところが、この橋の左手は、雪の「かまくら」と
秋田の働く人びとが描かれる日常だ。
こちらは冬。

橋は、文字通り、秋田の非日常と日常の架け橋になっている。

・・・と、ここまでは絵を見れば、わかる。

しかし、どうやら、藤田は、
この橋に、もっと意味を持たせていたようだ。

それを確かめたくて、
実在する「香爐木橋(コウロギバシ)」橋を観に行った次第である。



「秋田の行事」鑑賞の翌日、土崎へ向かう途中に探してみた。

レンタカー1台が通るのも緊張する住宅街の細い、
明らかに生活道路と思しき道を下っていくと・・・
谷の底に当たる部分に、橋が見えた。

「これ?」
「え、『きゃらはし』って、書いてあるから、違うんじゃない?」

…と言い合っていたら、
「きゃら橋」「こおろぎ橋」の表示があった。



まちがいない。
藤田が描いた橋は、これだ。

壁画制作のために、藤田が秋田で取材を重ねたのは、
昭和11(1936)年8月から11月のこと。

でも、橋には「昭和15年」(↓)と刻まれている。
月は書かれていない。


皇紀が刻まれてもいた。
(↓)「皇紀二千六百年」、神武天皇が即位して2600年とする
昭和15年は、お祭り騒ぎの年だった。

そのノリのまま、翌年の真珠湾攻撃、
一般庶民も浮かれちゃったんだろうなぁ~。
あの時代に生きていたら、わたしも同じことをしちゃうかなぁ・・・



話がそれたが、ともかく、藤田が取材してから間もなく、
橋は架け替えられたのだろう。

でも、あたりの風景は、そう変わらないはず。

この橋を渡ってすぐのところは共同墓地で、
(↓)江戸時代の紀行家・菅江真道の墓の案内があった。

先を急ぐので、墓参はできなかったが、
この階段を上った墓地の一角に、真道は眠るのだろう。



菅江真道(すがえ ますみ)。
三河出身の武士ながら、博覧強記が高じて、
人生の半ば以後は秋田・久保田城下に移り住み、各地を旅して回る。

菅江の眠る、この奧がポイントだった。
地図上では、この奧を進めば、秋田城歴史資料館にぶつかる。


つまり・・・
ここは高清水の丘を中心とした出羽柵、
後に秋田城と呼ばれた古代の城柵の一部だったらしいのだ。

城柵とは、大和朝廷が東国を支配するための拠点とした
いわば、役所を兼ねた軍事施設のこと。

近くには、江戸時代に福島から秋田を縦断し、
青森へと至る「羽州街道」も通っていた。
羽州街道どころか、それ以前の街道が通っていたとする説もあるそうだ。

また「高清水霊泉」もあり、
古えの旅人が喉をうるおしたのかもしれないとされる。



この地を訪ねた藤田は「古代の香りがする」と喜んだという。

「橋は古代の城柵・秋田城が築かれたこの丘を暗示し、
画面の奥に奈良時代からの時間が流れ、
香爐木橋の上で秋田の時空が交差する」 
   ー「公益財団法人 平野政吉美術財団 解説資料」よりー

橋の由来と土地感覚を知ると、
絵に対する見方も変わってくる(気がするw)



この日、ここへ来る前に、秋田城歴史資料館を訪ね、
秋田城跡史跡公園(↑↓)も歩いた。



秋田城跡で、もっとも有名で、1番印象に残ったのは、
古代水洗厠舎(こだいすいせんかわや)
つまりは水洗式の手洗い所だ。

掘立柱建物と水洗施設が一体になった、
都にも例を見ない、立派なトイレ。
近くには迎賓館もあったので、
相当な重要人物が使ったと、考えられている。


藤田の頃は復元されていない。
まだ彼は知るよしもなかっただろうけれど・・・


でも、それほどの施設をもった古代の城柵。

今でこそ、広々と重なる緑の丘だが、
かつては、この地の守りの要であり、通商の場として
にぎわっていたことだろう。

藤田もそんな時空の広がりとつながりを感じたに違いない。



前回は、この橋のことなど気にしていなかった。

年齢と共に、自分の興味はは変わっていくが、
今回の「秋田の行事」は、まさに、その典型だったなぁと
感じている。

***************************

おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
記事は、以下の資料を参考にまとめましたが、
間違いや勘違いもあることと存じます。
素人のことと、どうぞお許し下さいませ。

📖参考
●公益財団法人平野政吉美術財団
 「藤田嗣治≪秋田の行事≫」「藤田嗣治 年譜」
●秋田県立美術館「平野政吉コレクション展Ⅱ」

📷「秋田の行事」の画像は
 『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』(講談社 2002)を使用。


この記事についてブログを書く
« 藤田嗣治「秋田の行事」を訪... | トップ | 横手・金沢柵は日本初の・・・ »
最新の画像もっと見る

秋田県」カテゴリの最新記事