歴史の足跡

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1月30日(火)のつぶやき

2018-01-31 05:59:38 | 現代ニュースのあれこれ

1月29日(月)のつぶやき

2018-01-30 05:55:05 | 現代ニュースのあれこれ

1月28日(日)のつぶやき

2018-01-29 06:05:02 | 現代ニュースのあれこれ

「大阪古社寺探訪」服部天神宮(はっとりてんじんぐう)は、大阪府豊中市の南部、服部に鎮座する神社。少彦名命と菅原道真を主祭神として祀る。関西では「足の神様」として知られている。

2018-01-28 07:58:28 | 例会・催事のお知らせ

「大阪古社寺探訪」服部天神宮(はっとりてんじんぐう)は、大阪府豊中市の南部、服部に鎮座する神社。少彦名命と菅原道真を主祭神として祀る。関西では「足の神様」として知られている。
由緒・御鎮座の時期については詳らかでないものの、帰化人集団「秦氏」が允恭天皇の御世(412年 - 453年)に織部司に任じられ、当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりとされる。この頃はまだ、小さな祠だったという。783年(延暦2年)、藤原魚名は大宰府に左遷され筑紫国へ向かったものの、当地で病没。祠の近くに葬られた(「川辺左大臣藤原魚名公の墓」が今も境内に残る)。約100年後の延喜元年(901年)、菅原道真が魚名と同様、大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。そこで里人の勧めるまま、路傍の祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けた、との言い伝えがある。菅原道真の没後、天神信仰の高まりと共に当社にも菅原道真を合祀することとなり、新たに堂宇が建立された。この頃から「服部天神宮」と呼ばれるようになり、菅原道真の故事にちなみ「足の神様」として崇敬を受けた。近世に入ると、当地が能勢街道の宿場町だったこともあって徐々に門前市を成すようになり、中でも江戸時代後期の文化年間(1804年 - 1817年)、文政年間(1818年 - 1829年)には殷賑を極めたという。
主な祭礼・大祓/茅の輪くぐり・半年に1度行われる大祓。6月晦日と大晦日に行われる。形代に半年間の罪・穢を託し、茅萱で編んだ輪をくぐることにより罪・穢を祓う。足の守護祈願大祭・「足の神様」としての当社の面目躍如たる祭礼。8月25日午前10時より行われ、祭典の後、参列者全員に宮司が特大金幣を授け、神職が形代を以って参列者の足を摩る。大阪近辺の夏祭りとしては最後に当たり、24日25日の夕方からは夜店も並び、「摂州だんじり(地車)囃子」などの奉納がある。この摂州だんじり囃子(地車囃子)が奉納される櫓の周囲には人だかりが幾重にもでき、子供、若衆、そして名物の長老のだんじり踊りや、若衆の太鼓の華麗なバチさばきに大きな拍手・歓声が起こる。例祭・10月25日に例大祭が斎行される。神幸式(神輿巡行)はその前後の日曜日に行われ、本神輿・ギャル神輿・子供神輿や稚児行列が氏子区内を練り歩く。
豊中えびす祭[・境内社である豊中えびす神社の祭。昭和26年から平成14年までは「服部えびす祭」の名で斎行されていたが、平成15年に「豊中えびす祭」と改称された。 1月9・10・11日に行われ、35万人の参拝者で大変な賑わいを見せる。約3分サイクルのエンドレスでスピーカーから流れる囃子は毎年吹き込み直されており、独特の口調に情緒が感じられる。

1月27日(土)のつぶやき

2018-01-28 05:56:30 | 現代ニュースのあれこれ

1月26日(金)のつぶやき

2018-01-27 06:01:12 | 現代ニュースのあれこれ

「仏教史年表故事」1、仏教伝来・仏像礼拝

2018-01-26 15:48:37 | 例会・催事のお知らせ
「仏教史年表故事」1、仏教伝来・仏像礼拝。
○552年(欽明13年)百済の聖明王、釈迦仏・幡蓋・経論を贈る。仏像礼拝の可否について論争起こる。※「上宮聖徳法王帝説」では538年。
※『上宮聖徳法王帝説』(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)は、厩戸皇子(聖徳太子)の伝記の1つ。現存する聖徳太子伝記としては最古のものである。作者、成立年代ともに不詳。全一巻で、家永三郎の分類によれば五部構成となっている。仏教的事績を主な記録とするが、後述するように一部に日本書紀とは異なる記録が見える。
○553年(欽明14年)和泉国茅渟海に浮遊の霊木を拾い仏像を作らせる。
※茅渟海・【大阪湾】より…大阪平野と淡路島によって囲まれた海湾。古名を茅渟海(ちぬのうみ)といい,難波潟,摂津灘とも称した。明石海峡によって瀬戸内海の播磨灘と,友ヶ島水道(紀淡海峡)によって紀伊水道と連絡する。…
○577年(敏達5年)百済王、経論と津師・禅師・比丘尼・造仏師・造寺工を贈る、これを難波の大別王の寺に安置。※比丘尼(びくに)出家して戒を受けた女性,仏教教団の正規の女性出家者。尼僧のこと,単に尼(あま)ともいう。サンスクリットbhikṣuṇī,パーリ語bhikkhunīの音写。日本における比丘尼のはじめは,蘇我馬子が桜井道場で弥勒像をまつらしめた善信,禅蔵,恵善の3人であり,彼女らは神に奉仕する巫女と同じであった。以後,仏教受容は急速に進み,624年(推古32)には尼569人に達した。比丘尼に限らず,古代の僧尼は巫覡(ふげき)的な性格が著しく,仏教的呪力に対する期待から,集団的得度さえ行われた。




1月25日(木)のつぶやき

2018-01-26 05:57:44 | 現代ニュースのあれこれ

1月24日(水)のつぶやき

2018-01-25 06:00:46 | 現代ニュースのあれこれ

1月23日(火)のつぶやき

2018-01-24 06:03:55 | 現代ニュースのあれこれ

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2018-01-23 06:06:51 | 現代ニュースのあれこれ

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2018-01-20 06:01:20 | 現代ニュースのあれこれ

1月18日(木)のつぶやき

2018-01-19 06:01:28 | 現代ニュースのあれこれ