れきしぱうち

日本史を、まんが入りでノートにしました。
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平安中期 12章-7 「人頭税から、土地税へ」☆

2013-12-07 | 平安時代
(1)公地の税収の変化
人頭税から、土地税への変化

【班田収受の崩れ】
・荘園の増加で、公地そのものが減少した。
・戸籍制度が崩れ、税をかけるべき労働年齢の男子の数が把握できなくなった。

【公営田・勅旨田】
荘園の増加で、残った僅かな公田からの収入だけが、国司・朝廷の財源となった。
口分田からの税収が入らない為、823年に国の直営荘園が設置された。
それを公営田、官田という。

それとは別に、天皇家の荘園として勅旨田があり、
荒廃した土地を開墾し、国司が管理、経営していた。

【土地税への変換】
公地公民制では、男子への課税であったが、土地に課税することで、
老若男女全ての人から、徴収することができるようになった。

土地に税をかけるにあたって、「名」と「田堵」制度ができる。

田堵(たと) -----土地にかけた税の負担責任者で、指導的立場の農民。
       次第に、一族が世襲した口分田を集めて、農業経営をするようになる。

名(みょう) -----土地税をかける田の単位
      
大名田堵(だいみょうたと) ----大規模な「名」の代表田堵で、有力農民。
              大規模荘園内にも、大名田堵はいた。


受領は、地元の有力農民である田堵(たと)に、受領が管理する土地の耕作を
請け負わせ、租庸調に匹敵する、独自の税を徴収した。

国司が、祖の税率を高めて徴収し、それで庸・調を買って調達し、
中央朝廷に、租庸調として収めていた。

税-----官物(かんもつ)または年貢(ねんぐ)
庸役---臨時雑役(りんじぞうやく)

しかし、僅かな口分田・直営田から、国の税を取ろうとする為、
国司からの厳しい税徴収に耐えかねた農民が、どんどんと荘園に逃げ込む
悪循環がおこった。

(2)荘園内の税制
荘園内にも、独自の税収制度が成立していく。

名(みょう)--------土地区分の単位

名田(みょうでん) -------荘園内の、農民自身の名前をつけた土地

名主(みょうしゅ) -------名田を持つ農民

大名主 -------農民である名主の中でも、大規模な土地経営する名主のこと

「荘官」---------荘園内の名を管理、徴税する役人

藤原北家←荘園主←荘官←大名主(大規模小作人)←名主(小地主)←小作人(農民)

また、荘園内でも、荘民に対して租庸調に匹敵する、独自の税を徴収するようになる。
年貢(ねんぐ)・・・租と同じ、米を出す
公事(くじ)・・・・調と同じ、特産物を出す
夫役(ぶやく)・・・雑徭と同じ、労働力を出す


(3)王朝国家への変換
大化の改新以来、戸籍台帳を元に、男子に対して税を課していたのが、
国司の怠慢や荘園への逃げ込みで、戸籍の虚偽が横行し、役に立たなくなった。

農民の人数を把握して、税を課すこ人頭税に無理が生じた為、
平安中期には、土地面積に対して課税する土地課税体系に変わっていった。

こうした階級的な支配体制を、「律令国家」と区別して王朝国家とよぶ。

(3)武装化する農民
国司が仕事をしなくなり、私腹の為の取り立てに耐えかねた農民が、
荘民になったり、盗賊になったりし、地方の治安が悪化していった。
治安が悪化すると、ますます中央貴族は、自分で赴任せずに、受領まかせと
なり、地方政治の乱れは加速していく。

荘園の奪い合いや、盗賊からの自衛の為、郡司や荘主が、一部の農民に
武器を持たせて自衛団をつくっていった。


それが、武士団となり、次第に由緒ある家に武力が集結していくようになる。


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