(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第十四章 親と子 七

2008-05-14 20:58:32 | 新転地はお化け屋敷
「ねえ、孝一くん」
 ここからどう話を繋げるべきか悩んでいると、栞さんから再度声が掛かる。微笑みは微笑みであると判断できるギリギリまで薄くなっていたけど、それでもやっぱり微笑んだまま、その顔は真っ直ぐにこちらを見ていた。
「もしも、だよ? もしもこの先『どうしても』って事があるなら、その時は遠慮無く言ってね? 辛いだろうけど、それは仕方ない事だから」
「どうしても」の内容は言わないし、「遠慮無く言う」の内容も言わない。僕にこの先何があって、その時何を言うのか、その言葉だけでは判断ができない。……だけど、
「僕としては、『どうしても』なんて事は無いと言うしかないですよ。そんな事言われても」
 言葉だけじゃなく話の流れも加味して考えれば、栞さんの言いたい事は分かってしまう。分かれなかったほうがまだマシだったのかもしれないけど。
 なんて考えた結果、今どんな顔をしているかあまり考えたくない僕へ、それでも栞さんは構わず続ける。
「今日、清さんと明美さんとか成美ちゃんから、子どもがいて嬉しかったり楽しかったりした話、たくさん聞いたでしょ? そういうのを取り上げちゃうのは、絶対に良くない事だろうし」
 ――今だと言うのだろうか。もっとずっと先の話だと思っていたのに、今、ここで、「子どもがどうたら」を考えなければいけないのだろうか。
 ――さっき答えたじゃないですか。今はそういう事をまだ考えてないって。
 ――どうして笑顔のままそんな事が訊けるんだろう。栞さんだって辛いだろうに。
 ――今、僕、嫌そうな顔になってないだろうか?
 ――子ども。そう言えば、身寄りのない幽霊の子どもって普通はどうしてるんだろう。
 ――今は今はと逃げるのはもしかして、宜しくない対応だったのだろうか。
「えっと――」
 どうしよう。どれを言おう。思いついた事はたくさんあるのに、どれを言っても駄目なような気がする。どうしてそう思う? どうして……………あ。
 そうか。どれも訊かれた事に答えてないんだ。全然関係の無い話もあれば、答えてるようで結局逃げてるだけの話もある。でも、「はい」も「いいえ」もないのか。そもそもの質問である、「その時は遠慮無く言ってね?」に対して。
 じゃあ僕はそれに、どう答える? 「はい」か「いいえ」の二つに一つで。そしてその頭に、今は、を付けてはいけないとして。今ではなくその時、いつか自分の子どもが欲しいと思ったその時、僕は栞さんをどんな目で見る? なんて声を掛ける?
「僕は――」
「うん」
 正直、決断力のある人間とは言えないです。だから、
「分かりません」
「――やっぱり?」
 期待されては、いなかったようで。もちろんその事を憤れるほど、僕は自分に自信が無いんだけど。
「どうしても今ここで答えられない僕は、駄目な奴なんでしょうか?」
「そんな事は無いと思うよ。そう言って欲しくて訊いた栞のほうこそ、駄目な奴なのかもね」
 栞さんは、くすくすと笑う。
 そう言って欲しくて? こんな曖昧以前なレベルの返答を、言って欲しかったって? ――そう思ったのが顔に出たのか、こちらが尋ねる前に栞さんは答え始めた。
「お料理する時、楓さんが一緒に失敗してくれたらなんだか安心するんだよね。それと似たような感じ。栞も、今は答えが出ないの」
「それで僕が答えを出せないなら、自分と同じだから安心できるって事ですか?」
 確認を取ろうとすると、栞さんは肩を縮こまらせる。左右から見えない何かに押さえ付けられていると思えるくらい、本当に肩の幅を小さくしてしまった。
「……うん。ごめんね、本当に駄目な奴だよね」
 下を向き、まるで僕が言葉で攻め立てていると錯覚してしまうほど萎縮する。こっちにそんなつもりはなかったけど、声色がちょっと荒くなっている気がしないでもないから、そのせいなのかもしれない。だけどやっぱり僕にそんな気はないので、
「……ど、どうかした?」
「いえ――」
 下を向いたまま、栞さんが恐る恐るといった調子で僕を見上げる。それは僕が何も言わず、何もせずにいたため、妙な間が生まれてしまったからだろう。
「今その、栞さんに抱き付きかけました」
 僕にそんな気はないので、怒るだとか苛立つだとか、栞さんが考えているであろう類の事とは懸け離れた事を考えていた。小さくなってしまったその肩を、思い切り抱き締めたいと。
「手擦りが邪魔だったんで諦めましたけど」
 こちらのベランダの手擦りと、あちらのベランダの手擦り。それさえなければ、ベランダとベランダ間の隙間なんて歩いて越える事ができる。その幅は「電車とホームの隙間が広くなっています。お降りの際はご注意ください」ぐらいのものでしかないのだから。
 だから、それがなければ。栞さんが手擦りを無視すれば。
「こっちに来て欲しいところですけど、ルールですもんね」
「そうだね、残念。……それと、ありがとう」
「僕は何もしてませんよ?」
「結果だけ見ればそうだけどね。でも、ありがとう。凄く嬉しいよ」
 栞さんが何を言っているか分からない、と僕の頭は計算結果を弾き出す。本当に分からないのか、それともそう思っておく事で何かから目を背けようとしているのかは、やっぱり分からない。だから僕は、「そうですか」と曖昧かつ万能な返事を返しておく。
「あ、そうだ。そう言えば」
「ん?」
「家守さんから言われてたんですよ。昼間の大吾と成美さんくらい仲良くしておきなさいって」
「も、もう。楓さん、またそんな事を……孝一くんも、今言わなくていいじゃない。『手擦りが邪魔で無理だ』って、今言ったところでしょ?」
「だからですよ。もう一押しってやつです」
「駄目だよ、ルールだもん。ここは絶対に越えませんからね」
 逆効果だったようで、手擦りをすり抜けるどころかその上を体の一部が越える事すら避けるように、栞さんは一歩、身を引いてしまう。しかもそのうえ、
「バリヤー!」
 そう声を上げながら両の手の平をすっすと上下左右にスライドさせるという、小学生相手のようなジェスチャーまでされてしまう始末。いや、栞さんまで小学生レベルですが。
「あの、さすがに手擦り乗り越えてまではそっちに行きませんから」
「こういう時の孝一くんってあんまり信用できないもん」
 ぬぐ。
「栞さんの髪、綺麗ですよね」
「ふぇ、そう? ――じゃなくてっ、急に何?」
「触らせてもらってもいいですか?」
「あうう、だ、駄目だよ。行くのも来るのも無理になったら、今度は引きずり込むつもり?」
「そんなホラー映画みたいな事しませんよ。腕力に自信も無いですし。それにもしそうなっても、引っ張り込もうとする僕の手をすり抜ければいいだけでしょ?」
「そ、そうだけど……本当に、髪の毛触るだけ?」
「ええ」
 ここまで警戒されるとそれはそれで悲しい気もするけど、まあ気にしないでおこう。こういう展開の時に散々喚き散らしたのは自覚のあるところだし。
 と言うか栞さん、「手擦りを越えない」がいつの間にか「僕に触らない」になってませんか? そりゃ、意味するところは似たようなものですけど。
 ――なんて言ってる間に顔をしかめたままの栞さんは、一歩下がった分だけまた一歩、こちらに近付く。そして僕は自分で言った通りに、室内からの明かりを透き通らせているその栗色の髪へ、側面から手を伸ばす。
 触れた瞬間、栞さんはくすぐったそうに目を閉じた。でも、僕の手から伝わる髪の感触はとても柔らかく、それでいてさらさらと指の間を抜け、逆にこっちが優しく撫でられているような感覚にすらなる。
「栞さん」
「ん?」
 言ってみればただ髪の毛を触っているだけに過ぎないこの感触を心地良く感じるという事は、どれだけ自分が栞さんを特別な女性だと思っているのかを、如実に表している。だから、
「それでも僕は、栞さんと一緒にいたいです。少なくとも、今はそう思います」
「栞もだよ。少なくとも今は、ね」
 少なくとも今は、なんて言葉、栞さんにしてみれば不安の塊のようなものの筈だ。少し頭を働かせれば分かる通り、「その時」になって僕と栞さんのどちらの意見が重きを占めるかを考えれば、それは当然、まだ生きている僕の意見という事になるのだろう。要は、僕が子どもと栞さんのどちらを望むかという話になるのだから。……栞さんは結局、その判断に身を任せるしかないのだから。
「予知能力者とかじゃないもん。それでいいと思う」
 それでも栞さんは笑いかけてくれる。明確な答えを先延ばしにして、確実に自分を追い詰めるものでしかない僕の身勝手な答えを、「それでいい」と認めてくれる。
 頭が、勝手に下を向いた。
「どうかした?」
 謝るつもりだったのか、それとも身勝手な自分が栞さんと目を合わせているのを恥ずかしく思ったのかは分からない。とにかく僕は、首を垂らした。
「……もしかして、泣いてるの?」
 泣いてはいない。虚勢でも何でもなく、僕は涙を流していない。だけど、それこそが虚勢だった。
「まだ泣いてません」
 今は、まだ。泣いてもおかしくないような精神状態だけど、ここで泣いたらそれこそ情けなさ過ぎて涙が出る。今でさえ栞さんの優しさに乗っかってるところなのに。
 ――いや。いっそこのまま涙を流して情けないと思われたほうが、かえって気が楽なのかもしれない。
「じゃあ、できたらそのまま泣かないで欲しいなあ」
 でも栞さんはそう言い、そしてその髪にあてがわれていた僕の手に手を重ね、ゆっくりと降ろさせる。それに反応してまだ泣いていない僕は顔を上げ、するとそこには、
「……どうして?」
 こんなに近くない筈の栞さんの顔。そして次に僕は、その肩越しに、誰もいない202号室のベランダを眺める事になった。
「栞が泣いちゃったら、孝一くんはこうしてくれると思うから。あ、ルール破ったのは内緒にしてね?」
 自分の側の手擦りを越え、こちらの手擦りと重なって、栞さんは僕をふんわりと包んでくれていた。
 これは、この状況は、ほんの少し前の僕が望んで、そして栞さんに拒否された状況だ。だというのに栞さんの側からそうしてくれて、なのに僕は抱き返せない。一方的に抱かれたまま、再び顔を下ろして、栞さんの肩に顔をうずめる事しかできなかった。
「ん? もしかして、逆効果だった?」
「まだ泣いてません」
 でも、逆効果です。その優しさが辛いんです。僕の身勝手さが切り出されるんです。本当なら、思い切り抱き締めたいのに。「好きです」とでも囁いて話を誤魔化すのも簡単なのに。
 そんなに優しくされたら、やる事成す事全部が、虚しくなるだけじゃないですか。だから、何もできないじゃないですか。
 肩に顔を押し付けた真っ暗な視界の中、耳のすぐ傍から声がする。
「そのまま泣かないでね。もし泣かれちゃったら、きっと栞、釣られちゃう。二人とも泣いちゃったら、どうしようもなくなっちゃうよ」
 ……どうしてそこまで。
「まだ泣いてません」
 そうして虚勢を張り続ける僕を、同じく虚勢を張り続ける栞さんは、僕が顔を上げるまでの数分、黙って抱き続けてくれた。その間、情けない情けないと自分を卑下し続けた僕の頭には、その対極にいるあの人が。
 ――まだまだ、あなたのようにはなれそうもないです。家守さん。


「ねえねえ、清一郎さん。寝る前にちょっと訊きたいな」
「ん? 何でしょうか?」
「こんな事訊くのはごめんなさいかもしれないけど、清明くんに会えなくて、寂しくないの? お昼は楽しそうにお話してたし」
「んん、『まあちょっとは』ってところでしょうかね。妻から話も聞けますし、それに……」
「それに?」
「親子の関係は無くなりませんからね。サンデーだってそうでしょう?」
「あ、そっか。ボクもお父さんもお母さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも死んじゃったけど、親子なのはずっと変わらないもんね」
「今になって寂しいとも思わないでしょう?」
「うん。最初は、そうじゃなかったけど」
「意外と慣れるものなんですよねえ。私も初めは随分と落ち込んだものですが、幸運な事に妻が私を見てくれましたから」
「ボクにはみんながいたしね。くっ付いちゃったから、ずっと一緒だよ」
「ですねえ。ただ……」
「ただ?」
「ああ、いえいえ。なんでもありませんよ。ではそろそろお休みなさい、サンデー」
「おやすみなさい、清一郎さん」
「……『親』になれない、かと言ってそれぐらいの年頃な子達は、辛いでしょうねえ……」


 その時、僕がどんな顔だったかは分からない。
 顔を上げた僕にふっと微笑み掛けると、栞さんはもう一度手擦りをすり抜けて自分の部屋のベランダへ。
「それじゃあ、また明日ね。お休みなさい、孝一くん」
 窓に手を掛け、カラカラと開きながら、いつもと変わらない別れの挨拶をしてくれた。本当に、いつもと全く同じだった。
「お休みなさい、栞さん」
 僕がした事は、栞さんに言った言葉は、「その時」の栞さんへの裏切りに等しい。このまま許された気分になって、それで終わりでいいのだろうか?
「栞さん」
「なに?」
 呼びかけると、部屋の中へ半歩進み入った状態で上半身をこちらへ覗かせる。
 僕は今、どんな顔をしているのだろうか。こんな事しか言えない自分に対して、呆れて笑っているだろうか。それとも、怒っているのだろうか。
「もし僕がこの先、子どもが欲しいだとか言い出した場合は、思いっきり引っぱたいてこっぴどく振ってやってください。自分で殴っても、ただの馬鹿ですから」
「またそうやって変なこと言う……」
 栞さんは、露骨に嫌そうな顔をした。うんざりだ、という意味に捉えても差し支えない種類の表情だった。
「今の孝一くんは、ちょっと嫌かな。自分に対して卑屈過ぎるよ。栞には凄く優しくしてくれるのに、どうして自分にはそうしないの? 孝一くんが自分の事を悪く言ってるところなんて見ても、栞はちっとも嬉しくないよ? 孝一くんだってそうでしょ?」
 返事はできない。
 栞さんは大きく息を吸い、そして吐き、さっきまでと同じように、にっこりと微笑んだ。
「だから、ね。自分の悪口言うくらいだったら、栞を頼って欲しいな。大した事はできないけど、さっきみたいな事くらいはできるから」
 自分が悲しいのを押さえ込んでまで僕を優しく抱いてくれていた、さっきまでと同じように。
「だから、泣かないで」 言われ、慌てて目元に手を当ててみる。しかし涙が出ていた形跡は無い。指は幾分も濡れなかった。
「……分かりました。もう、泣きません」
 だけど多分、僕は泣いていたんだと思う。痛いのを我慢して「痛い」と言わなくたって、それはやっぱり痛い。同じように、いくら涙を流さなかったとは言え、今の僕はそれを我慢していただけで、結局のところは泣いていたんだろう。栞さんに悟られまいと形の涙だけは堪え、そのくせあっさり見破られて、挙句に抱かれて慰められて。
 ――どれだけ、情けないというのか。
「明日も一緒に大学行こうね。色々な話聞いてるのって、なんだかんだで結構面白いし」
「ええ、もちろん。……話を覚えなきゃならない側としては、面白いなんて言ってる余裕なんてまるで無いんですけどね」
「ふふ、そうだろうね。――それじゃあ孝一くん、今度こそ、お休みなさい」
「お休みなさい栞さん。すいません、引き止めちゃって」
「あはは。そもそも最初にお話しようって言ったのはこっちだから、それは全然構わないよ」
 そして、構うところは今はっきりと言ったというわけだ。言われた僕は、いっそ清々しい気分でさえあるけど。
 今の僕は、どんな顔をしてるんだろう?
 去り際にこちらへ目配せをし、にこやかなまま部屋へ戻っていく栞さんを見て、あんな顔ができてたらいいなあと思いつつ、僕も部屋へ入る。余分に着ていたトレーナーを脱ぎ、適当に床へほっぽって、電気を消し、布団に潜る。まだ冷たい。
 その冷たさが影響したのか、浮付いた頭が急激に鎮静されて、今回の流れを一から詳細に回想し始める。そこに僕の意思は殆ど関係してなくて、まるでビデオを見せられているような感覚だった。それを見て改めて思うのは、
「浮き沈み激しいなあ」
 というものだった。
 するとその事がちょっと、というか相当恥ずかしくなり、僕は何を思ったか、仰向けからうつ伏せになって枕に顔を突っ込む。いくら相手が栞さんだったとは言え、浮かれ過ぎて沈み過ぎて曝け出し過ぎて甘え過ぎだ。これじゃあまるで手間の掛かる子どもとお母さんじゃないか。
「……………」
 とまあ、今回の一件に無理矢理関連付けようなどとしてみて、それに意味なんてありはしない事を自覚すると、僕の頭は再び落ち着きを取り戻した。結局、今でも浮き沈みは激しいようで。
「親と子、かあ」
 僕はそのうち、子にだけ属している。誰だって誰かの子なんだから、それは当然だ。そして大抵の人は、親にも属する事になる。でも僕は、今の時点では、その可能性を放棄している。
 ――すぐ隣の壁へ目を遣る。当たり前だけど、何も起こらない。
 その可能性を放棄して、この壁の向こうで同じく横になっているであろう女性を選んだ。今の僕は、それで満足している。壁の向こうの人も、それでいいと言ってくれた。そして最後に、泣くなと。
 ――すぐ隣の壁へ手の平を押し当ててみる。当たり前だけど、何の反応も返ってこない。
「肝に銘じます」
 泣きたかった筈のものを堪え、その上で僕に泣くなと言い放った栞さんの気丈さは、普段の様子からはなかなか窺えないものだった。それこそ僕は、栞さんの泣くところを何度か見ていたから。
 ……だと言うのに、度々涙を流していたと言うのに、僕を励ますというただそれだけのために、栞さんは涙を堪えた。それがどれだけ困難な事か、そしてそれがどれだけ感謝すべき事か、今までの涙を見てきた僕には胸が苦しくなるほど理解できた。
 ――壁から手の平を離し、寝る体勢に入る。
 栞さんの言った通り、僕は予知能力者でもなんでもない。だから今のこの判断が正しいものかどうかなんて分かりっこない。だけど、そして、だから。

 お休みなさい栞さん。明日からも、僕はずっと――


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