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旅のお誘い ~今日の一枚~ redchilipadi

思い出の写真とともに旅の足跡をプレイバック。
撮影場所のGoogle Mapを見てたら、きっと行きたくなります!

#208 キャラバン・サライの昼下がり フェズ

2016-07-26 | ★中東・アフリカ


2003年9月撮影

フェズには、1200年の歴史を持つモロッコの芸術と精神と知性の都で、 中世と現代が奇妙に混ざり合う。(中略) 昼間は市街を離れて、スルタンの宮殿だったバーサ博物館へ。 午後は、バルバイオークの木陰で、琴に似たカヌーンが伴奏するアラムコの歌や、 遊牧民トゥアレグの音楽 ~ を聴いていると、おとぎ話の世界に迷いこんだ気分になる。 モロッコの文化と精神が息づく町で、いろいろな音に耳をすませてみよう。(p66)



#054 Bab Boujloud Fes El Bali MO

フェズはサハラ交易の拠点。昔から(キャラバンサライ(隊商宿)で栄えた町。

旧市街(Fes El Bali)は壁で囲まれていて、8か所の門があります。
アラウィー朝の首都だったメクネスに向かうブー・ジュルード門は「青い門」と呼ばれ
一番賑やかな界隈です。

門をくぐり、城壁の中に入ると、迷路のようなスーク(市場)が
広がっていて、何回か角を曲がると、方角が分からなくなり、
路地の道幅も人がすれ違うのがやっとの1mほどに。
両側の家の壁は高く、目印だったモスクの塔も見えなくなってしまいます。
足場の悪い石畳の路地は、意外と高低差もあり、
驢馬が道を塞いでいたり、おまけに袋小路もあります。
あてもなく、迷路を彷徨うのも異国ならではの旅の楽しみ。
疲れたら、カフェでミントティを飲んで一休み、二休み。



My record ・・・次の旅のために・・・


  撮影場所は、旧市街フェズ・エル・バリ by Google Map
  南スペインのアルヘシラス(Algeciras)からフェリーに乗り対岸のタンジェへ
  タンジェでレンタカーを借りてFesへ。300㎞(4時間)
  Sheraton Fes (現在のPickalbatros Royal Mirage)
  (advice) 市場は、観光客用の店というより、何を商っているのか
   わからないストールが多い。鍋、ヤカン、木工、彫り物、布。
   生鮮の野菜、果物、肉を売る界隈もあります。
   買い物の目的がなくてもただ迷い込むのが楽しいものです。
   地図を片手に持っていても、すぐに使えなくなります。
   果てに、怪しい場所に迷い込むのでは? との心配もふとよぎりますが、
   実際はそんなことはなさそうです。
   ホテルは城壁の外かもしれませんが、とにかく手持ちの地図に
   ホテルの場所だけ大きく印をつけてもらい、
   スークの中で道迷ったら、地図を見せてホテルの場所を示すとよいかも。 


#201 オリエント文明の食糧庫、肥沃な三日月地帯、ハマ

2016-07-19 | ★中東・アフリカ

2001年8月撮影

#201 Noria Fertile Crescent Hama in West-central SY


中東といえば、草木も生えない、乾いた砂漠をイメージしがちですが
レバノンの北部から、西へチグリス・ユーフラテス川に沿って
「肥沃な三日月地帯」と呼ばれるエリアがあります。
農業が盛んな穀倉地帯です。
数年前にGoogle Mapに見たときには、ハマの付近には湖沼がたくさん見られました。

ハマは、シリアの二大都市、ダマスカスとアレッポを結ぶ線上の
ほぼ真ん中に位置する町。
オロンテス川の水を汲み上げ、農業用の灌漑に
16基の大きな水車が動いています。
少し前までは、現役で活躍していたようです。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、 ハマの大水車 by Google Map
  日本からフランクフルト経由ベイルート
  ベイルートから旅行社の車で240km(4時間)
  Four Points By Sheraton Le Verdun
  (advice) シリアの旅行社の車で、レバノンを北上し、
   国境を越えて、シリアの観光地、十字軍の砦である
   クラック・デ・シュバリエをめざしました。
   そこから東のパルミラへ向かう途中に、ハマがあります。
   レバノンからシリアへの国境での手続きは、ドライバーさんにお任せすればよく、
   スムーズでした。
   シリアやヨルダンでは、他国の旅行社のスタッフは、2日以上
   ガイドしてはいけない、という規則があり、
   複数の旅行会社のガイドさんにバトンタッチしてもらいながら
   案内してもらいました。 
   西遊旅行のスタッフに事前にしっかりと相談、アレンジしてもらいました。
   短い日程で、個人旅行は無謀か?と諦めかけていたのですが、
   西遊旅行社さんに感謝!


#173 朝陽に、バラ色に染まる宝物殿 ぺトラ

2016-06-21 | ★中東・アフリカ


2001年8月撮影

#173 Al Khazneh Petra JO

ぺトラは、ヨルダンの南、死海とアカバ湾の間の渓谷の奥深くにある古代王国の首都。
BC1C頃、アラビアとギリシャを結ぶこのあたりにはナバティア王国があり、
砂漠を旅するキャラバンの中継地として栄えました。

辺りは、大岩や、深く切り立った崖が自然の要塞となり、外敵の侵入を防ぐだけでなく、
都市の滅亡後、何千年もの間、地元の人以外には知られない存在として
守られてきました。 ぺトラは、ギリシャ語で崖という意味なのだそうです。

ぺトラの都市遺構は広大で、宝物殿、修道院、劇場、アーケード跡など
さまざまな構造物が残っています。
エル・カズネ(宝物殿)は、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のロケ地。

砂岩の切り立つ岩壁を削って造られた宝物殿には、
朝陽がピンク色に岩肌を染め、バラ色の神殿と呼ばれているそうです。

Wikipediaに岩の陰影がくっきりとした美しい宝物殿の写真と、
夜、キャンドルに照らされる素敵な写真がありました。星空も美しい!



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、ぺトラ遺跡、Siqから宝物殿あたり by Google Map
  帰路は、アンマン空港(クィーンアリア)からフランクフルトへ
  200㎞(2時間半)
  Mövenpick Resort Petra 
  (advice) ぺトラ遺跡全体の地図(Wikipedia)。
   地図右のVisitor Centerから馬に乗って出発。
   馬を降りて、岩の裂け目Siqを歩いて進む。Siqを抜けたところに宝物殿khazneh。
   私たちは、今回の見学は、宝物殿の裏手の円形劇場のあたりまで。
   裏に広大な(発掘済みの)遺跡が広がっていたことにびっくり。
   さらに現在も発掘調査は進行中で、未発掘の遺跡が90%以上も残っているのだそうです。


#152 乾いた大地の丘に綿の城、パムッカレ

2016-05-31 | ★中東・アフリカ


1997年8月撮影

#116 Hierapolis-Pamukkale, Denizli ili TK

パムッカレはトルコ西部、エーゲ海から200㎞ほど東にある石灰華段丘。
丘の上のヒエラポリスという古代遺跡とあわせて世界遺産に登録されています。
パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」。 綿(パムック)と城(カレ)。

辺り一面、緑の丘陵地をバスで走っていると、丘の斜面に、
真っ白な部分が目に飛び込んできます。
そこだけ、雪が積もっているような? 綿を敷き詰めたような?

このあたり石灰岩の台地に弱酸性の雨が降ると、雨水が岩の中に浸透し地下水となります。
この炭酸カルシウム(石灰)をたっぷり含む地下水が
地熱で温められ、地表の斜面に湧き出します。
温水の中の石灰は沈殿しつつ、水分は崖の下へ流れ、
最終的に棚田のような景色となったとのこと。
石灰棚の境界線は、やはり石灰質の化学沈殿岩で、トラバーチンと呼ばれているそうです。

ヒエラポリスは、ローマ時代の都市、紀元前1世紀頃の遺跡、
立派な円形劇場、住居、道路、墓地(ネクロポリス)などの跡が確認できます。
ヒエラポリスは、聖なる都市という意味。
数度の大地震で、廃墟と化し、全景が残っているのは円形劇場ぐらいですが、
ばらばらながらもたくさんのパーツが残っていて、
ガイドさんから説明を聞き、いろいろと想像しながら見学するのも楽しいものです。

Wikipediaに素敵な写真がありました。



My record ・・・次の旅のために・・・

  撮影場所は、 ヒエラポリス パムッカレ遺跡 by Google Map
  日本からアンカラまで(今回はソウル経由)
  アンカラからアナトリア地方を周遊し、パムッカレへ
   この後パムッカレから次の観光地エフェソスへ。180㎞(2時間半)
  イズミールのホテル(宿泊先の詳細紛失)
  (advice) ヒエラポリスから真西へ200㎞のところに
   世界遺産エフェソス遺跡があります。
   これも紀元前1世紀の遺跡。7 Wondersのひとつ、巨大な図書館跡があります。
   海に近いので、真夏でも観光しやすいです。


#145 日の没するところ、マグリブの神学校 マラケシュ

2016-05-24 | ★中東・アフリカ


2003年9月撮影

#145 Ben Youssef Madrasa Marrakesh,

ベン・ユーセフ・マドラサは、マラケシュにあるイスラムの神学校で、
モロッコで最も大きく、北アフリカでも有数の神学校のひとつなのだそうです。
ベン・ユーセフは、12世紀のスルタンにちなんだ名前で、時のスルタンによって14世紀に創設、16世紀に完成。

神学校の中央の吹き抜けの中庭(パティオ)には、大きな水盤があり、
その周りに回廊と130の寄宿生の部屋が取り囲んでいます。
床は大理石が敷き詰められ、壁はアトラス山脈の杉とセラミックと漆喰で作られ、
繊細な幾何学模様と、アラビア文字の碑文の彫り物で埋めつくされています。

マグリブ地方のイスラム建築の傑作として知らるとのこと、
ごちゃごちゃとしたスークから、建物の中に入ると、静寂に一変。
肌に触れる空気も冷んやり感じます。水盤に注がれる細い水の音が耳に心地よい。
天井から漏れるやわらかな光。
なんといっても、室内の色彩が落ち着きます。
腰高のセラミックの鮮やかな青と、天井近くの重厚な濃茶色、
それに挟まれたオフホワイトの柔らかな質感の壁、めりはりがあります。

今は、神学校としての機能はなく、観光の施設として公開されていますが、
卒業生は900人ぐらいいるそうで、
このように整った環境でストイックに研究に集中できるのは
素晴らしいことです。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、マラケシュのベン・ユーセフ神学校 by Google Map
  マラケシュからフランクフルト経由で日本へ帰国
  空港まで10km弱(20分)
  広場から徒歩圏内だったのだけれど、ホテルの名前、思い出せず
  (advice) 未知の部分が多いイスラム世界、マラケシュはコンパクトに
   イスラムのエッセンスを体感できるお薦めの観光地かな、と思います。
   アクセスも悪くなく、遠いようで近い国かも。


#138 フェニキアの香り漂う、レバノンのビブロス

2016-05-17 | ★中東・アフリカ


2001年8月撮影

#138 Byblos Mediterranean city in the Mount Lebanon Governorate LB

フェニキアは、現在のレバノンの地中海沿岸に、紀元前15世紀頃から栄えた都市国家。
レバノンの特産である貝紫染料とレバノン杉をエジプトへ輸出。
地中海世界との交易の中で重要なポジションを占めてきました。
フェニキア人が発明した文字は、現在のアルファベットの祖先。
オリエント文化の中心的存在でした。

レバノン中部、地中海に面したビブロスは、
エジプトへレバノン杉を運び出す積み出し港として繁栄。
エジプトから戻る船には、パピルスを積んで戻り、
ギリシャへ中継したことで、パピルスは本やバイブルの語源となり、
また、ビブロスの名前の由来になったのだとか。



My record ・・・次の旅のために・・・ 

  撮影場所は、ビブロスの旧港 by Google Map
  日本からフランクフルト経由ベイルートへ
  ベイルートから40km(40分)、タラーブルスからも約40km(40分)英語名:トリポリ (Tripoli)
  Four Points By Sheraton Le Verdun
  (advice) 中東=イスラムとイメージしてしまいがちですが、
   ビブロスは、聖ヨハネ洗礼教会があり、キリスト教の香が強い町。
   港の近くには、ローマ遺跡、円形劇場もあり、
   地中海沿岸のほかの町とは、少し違った印象があります。 


#117 青い民ベルベル人の砦 アイット・ベン・ハドゥ

2016-04-26 | ★中東・アフリカ


2003年9月撮影 More photos⇒①土壁の家 ②砦とモスク ③幸せなロバ ④羊飼い小僧 ⑤砂嵐 ⑥ワジ(枯れ川)

#117 Aït Benhaddou Ouarzazate MO

モロッコの背骨、アトラス山脈。4000m級の山々が北東から南西にかけて横切っています。
さらに内陸部には、アトラス山脈に平行してサハラ砂漠が、
モロッコとアルジェリアの国を分けています。

山脈の麓には、昔からキャラバンの交易路があり、
ところどころ中継地点に要塞化された集落(カスバ)が点在、
エル・ラシディアからワルザザートに続くこの交易路は、
ベルベル人が生活し、カスバ街道と呼ばれています。

カスバ街道の中でも特に有名なのが、アイット・ベン・ハドゥ。
交易で財をなしたハドゥ族が、集落の周囲に城壁を築き、盗賊の略奪から自衛しました。
城砦化された集落は、ピラミッドのように丘をなし、
日干しレンガ造りの赤茶けた建物が密集して建てられています。
篭城にそなえて、頂上部にはかつては食料が備蓄されていたのだとか。
カスバへの出入り口は一か所に限られ、集落内は迷路。
徹底した守りが随所に見受けられます。



My record

  撮影場所は、アイット・ベン・ハドゥ by Google Map
  ワルザザート(Ouarzazate)から25km(30分)
   付近の大きいオアシス、エル・ラシディア(Errachidia)からは300㎞強(5時間)、
   ティネリエール/ティンジル(Tinghir)から200㎞(3時間)
  Ouarzazateのホテル(宿泊記録紛失でホテル名わからず)
  (advice) アイット・ベン・ハドゥは、世界遺産に登録されていて、立派な観光地。
   駐車だの買い物だのお宅見学だのと、商魂たくましい地元民といちいち交渉するのは
   めんどうだけど、それもまた旅の思い出。
   辺り一帯は、バラで有名なところ。エル・カーラ・マグーナ(El Kelâat M'Gouna)で
   バラの香水や芳香蒸留水をお土産にするとよいかも。
   モロッコはアルガンオイル(エッサウィラ産)も有名。 
   ロッククライマー憧れの地、トドラ峡谷(Gorges du Todra)や
   ダデス峡谷(Gorges du Dadès)など再訪に機会があれば、立ち寄ってみたい!


#110 ライオンの樋嘴 ローマ遺跡のバールベック

2016-04-19 | ★中東・アフリカ


2001年8月撮影

#110 Ba‘albakk Beqaa Valley LB

レバノンの国土の中央を縦に走るレバノン山脈。
その山脈に平行して、シリアとの国境を走るアンチ・レバノン山脈。
その二つの山脈の間の回廊にベッカー高原があります。

ベッカー高原の真ん中にあるバールベック。
1~3世紀にかけて土着の神バールの信仰の地に、
巨大な神殿が建てられ、ローマの三神、最高位のジュピター(ユピテル)、
愛と美の女神ビーナス、お酒の神バッカスが祀られました。
現在も、天を仰ぐジュピター神殿とバッカス神殿は、石造りの構造物がしっかりと残っています。

両神殿の間には、ところどころ見事な装飾が残っています。
写真のライオンは、バッカス神殿の雨樋の彫刻なのだそうです。
(フランス各地のノートルダム寺院の怪物、ガーゴイル gargoyle、グロテスク (grotesque) と同じ働き)

レバノンといば、中東の国。
中東といえば「アラブ」、アラブといえば「砂漠」や「イスラム教」
という勝手なイメージが私の中にはありましたが、
レバノンは、夏は避暑地、冬は雪が積もりスキーリゾートで有名。
古代よりレバノン杉の森があったり、ローマ遺跡が残っていたり、
と、いろいろな意味で想像が覆される、わくわくする旅でした。



My record ・・・次の旅のために・・・

  撮影場所は、 バールベックのローマ遺跡 by Google Map
  日本からフランクフルト経由ベイルート空港
  90㎞ (2時間) ベイルートからバールベック迄
  Four Points By Sheraton Le Verdun
  (advice) こんなに大きな遺跡があるとは、
   来てみるまで全く知りませんでした。 
   レバノンは長らく内戦が続いていたので、観光地としての知名度は低く、
   知る人ぞ知る、という遺跡です。
   造られてから2000年もの歳月がたつというのに、堂々たる姿で、
   巨大というだけでなく、細部まで彫り物が凝っていて、見どころ一杯です。 
   近くにアンジャル遺跡(世界遺産)もあります。   


#089 宇宙を想わせる深い青 ブルーモスク内部

2016-03-29 | ★中東・アフリカ


1997年8月撮影

イスタンブールは歴史のるつぼであった当時の活気を今に残す。
4つの海、2つの大陸にまたがり、3つの帝国の首都であったイスタンブールの多様性は、
ほかに類を見ない。
驚くほど美しいアヤソフィア寺院、ローマ時代のヒポドローム、ブルーモスク、
そしてトプカプ宮殿を見学したら、グランドバザールで買い物を。(p203)

 

いつかは行きたい 一生に一度だけの旅BEST500コンパクト版
イアン・アレクサンダーほか
日経ナショナルジオグラフィック社
2009-12-10



#053 Sultanahmet Camii Istanbul TK

イスタンブールはボスポラス海峡をはさんで、ヨーロッパとアジアの二大陸にまたがっています。
この海峡は、黒海と、エーゲ海や地中海に続くマルマラ海を結んでいます。
東西文化の交わる位置にあるイスタンブール。

昔、ここはコンスタンティノープルと呼ばれていて、東ローマ帝国の首都が置かれていました。
十字軍による首都陥落のあと、14世紀以降オスマントルコの拠点となりました。

このブルーモスクは、オスマン帝国のスルタン・アフメト1世によって、
17世紀初めに造られた、「世界で最も美しい」といわれるモスクです。
日本ではちょうど江戸開幕の頃。

外観はくすんだグレーで地味なのですが、建物に足をふみ入ると一瞬息を呑むほどの美しさ。
高い天井からイスラム教の大きなシャンデリアが光を放ち、
優美なアラビア文字が空中に浮かんでいて、
ブルーモスクの名前の由来である鮮やかなブルーのタイルが壁を埋めています。

建物の周囲には、ミナレットと呼ばれる尖塔が6本。
通常のモスクは4本なのですが、このモスクは別格であることが知られています。
Wikipediaに美しい(ほぼ)全容が掲載されています。



My record

  撮影場所は、ブルーモスクの入り口近く by Google Map
  日本からソウル経由でアンカラ空港
   中央アナトリア観光のあと、ツアーバスでイスタンブールへ
   Sheraton Istanbul Maslak Hotel 現Steigenberger Hotel Maslak Istanbul
  (advice) イスタンブールの町は想像以上に大きい。
   金角湾エリア、中心の商業地区、アジア地区など、見どころがかなり離れています。
   また、中心部は坂道も多く歩きまわるのも大変。
   宮殿やモスクの見学がすんだら、遊覧船に乗って町全体をつかむこと、
   そして時間があればガラタ塔に昇って、町全体を見渡すことをお薦めします。


#082 死者の広場で毎晩お祭り騒ぎ マラケシュ

2016-03-22 | ★中東・アフリカ


2003年9月撮影

モロッコは庭園のような国だ。マラケシュへ向かう道すがら、我々の眼前には
その庭を囲む壁が立ちふさがる。3700メートルもの高さがある壁、アトラス山脈だ。
平原から突然立ち上がり、頂上は雪に覆われている。
山脈の向こうはサハラ砂漠だ。その手前に、途方もなく雄大な背景の前に置かれた
小さな舞台のように、マラケシュの町がある。(p121)

 

一生に一度だけの旅 GRANDE 極上の世界旅行 新装版
マーク・ベイカーほか
日経ナショナルジオグラフィック社
2014-09-11



#082 Jemaa el Fna Marrākish MO

ジャマエル・フナ広場(Jemaa el Fna)というのが正式な名称。
マラケシュの中心にある広場で、11世紀ころから毎日人々が集まる場所。
広場を作っていた王様が建設途中に亡くなり、フナ(終末)の広場と呼ばれるようになった、
とか、昔、公開処刑場があったから「死者の広場」と呼ばれるとか
名前の由来は諸説あるようです。

この広場はマラケシュのスークの入り口。
昼間はがらんとしていて、人が足早やに広場を横切る、という感じ。
ところが、夕暮れになると、どこからともなく、人がわらわらと涌いて出て、
屋台の煙が立ち込めるなか、
大勢のパフォーマーや、地元の人、観光客でごった返し、
まるでお祭りのよう。

私はコブラの大道芸人を、ここで初めてみました。
アクロバティックなダンスを披露するグループとか、占いをする人とか
もういろいろで、混沌とした雰囲気は旅ならでは。



My record ・・・次の旅のために・・・

  撮影場所は、 死者の広場 by Google Map
  翌日にマラケシュからフランクフルト経由で帰国予定
   (モロッコ入りはスペインのアルヘシラスからフェリーで)
  ワルザザードからマラケシュまで200㎞(約4時間) 途中オートアトラス越え(標高2000m超)
  広場から徒歩圏内だったのだけれど、ホテルの名前、思い出せず
  (advice) 夕食は広場の屋台で。
   衛生面は問題ないと思うのだけれど、串の生焼けのお肉には注意!