赤ガエルのボンヤリ日記

クルマもカレラ、自転車もカレラ、
すべて前世紀生まれの乗り物を愛する、クルマバカオヤジの中身うすーい日記です。

さよなら、エル・マタドール&余は満足じゃ

2005-07-16 00:06:19 | モータースポーツあれこれ
NHKがWRCの放送をやめて以来、ラリーを見る機会がずいぶん減った。僕がラリーに関わったり番組を見ていたのは80年代末から90年代にかけてだから、最近ではドライバーもすっかり顔ぶれが変わってしまった。
当時好きだったドライバーを挙げるなら、ユハ・カンクネンとカルロス・サインツ。見た目では対照的かもしれないけれど、2人ともすばらしく速いドライバーだった。カンクネンは見た目も走りの印象も豪放磊落な感じでサインツはちょっと気難しそう、が実際には2人ともけっこう神経質で繊細な面があって、クルマのセッティングにはかなりうるさいほうだったそうだ。(北欧系は一般にそうではないと聞いていたが、カンクネンは例外だったらしい)

カンクネンはすでに引退して久しく、サインツも去年限りでついに現役を引退、したはずだったのが不振のデュバルのピンチヒッターとして呼び出されて急遽スポットで2戦に参戦。アクロでは3位表彰台に上がる活躍を見せてくれたのには驚いた。すでにドライバーの顔ぶれは2世代更新されていると思う(サインツ・カンクネンは先々代、マクレー・マキネンが先代じゃないかな?)のだが、チャンピオンを争っていた時代に引けを取らない鋭い速さを見せつけた。
ホントこれには驚いたし感動した。さすが通算最多勝だけあるわい。やっぱり僕にとってのキング・オブ・ラリーはサインツだなあと改めて実感した。

実は僕が生まれて初めて訪れた外国というのはサインツの故郷でもあるカタロニアの首都バルセローナだった。スペインは食事も見どころもいいというので新婚旅行先として選び、2週間自分たちで勝手に巡ってみたが、ほんとに食い物はうまいし見どころもいっぱいでとてもいいところだった。当時(91年)はサインツがセリカGT-FOURに乗っていた時期だったが、スペインでクルマ雑誌を見たらGT-FOURは「セリカ・カルロスサインツモデル」という名前で売られていた。やっぱり地元じゃ英雄なんだなあと実感したものだ。(すっかり気に入ったので、いずれまたスペインに行くと心に決めて、余った通貨ペセタもしっかりキープしておいたのだが、気がついたらユーロに変わっていてもう使えない)ただし当時のスペインではセリカGT-FOURはバカ高いクルマで、円換算で500万超えていたように覚えている。スペイン各地を巡っても「カルロスモデル」には一度も出会えず、フェリーでアフリカに渡ったときにセウタ(スペイン領)の船着場の前にあったトヨタディーラーで展示されているのを見たきりだった。

さらに思い出すこととして、かつて某所にて、「モンテカルロラリーで優勝した際、スペイン国王よりサインツに届いた祝電」と言うのを見る機会があった。スペイン語はわからないが、「Yo ・・・」で始まる文面を訳すと、「余はそなたの大なる功績に対して深く祝辞を述べるものであるぞよ。あっぱれあっぱれ」というような内容だという。タイプされた台紙にはご大層な王家の紋章が付いており、陛下の御名には映画でみるような王様の御璽?も添えてあった記憶がある。

ここでいきなり話は飛ぶが、時代劇などで聞く「余は満足じゃ」の「余/予」という言葉は織田信長が使い始めたもので、南蛮ヲタクだった信長がスペイン国王の親書にあった「Yo」をパクったのだ、という説をどこかで読んだことがあった。この祝電を見たとき、おー、やっぱりスペインの王様は自分のことを「Yo」と言うんだなあと納得したものだった。
ところがどうやらこの「余はスペイン語説」というのはガセだったらしい。日本語に関しちゃちょっとうるさい呉智英の「言葉につける薬」という本によると、「予」という言葉はすでに論語でも一人称として使われていたそうで、どうやら信長輸入説が正解ではなく中国伝来であったようだ。うーん、なんだかとってもうまくできた話だったのですんなり納得してしまったが、ちゃんと調べれば間違いって事もあるわけだ。これも一種の都市伝説になるのかな?ちなみにYoという言葉自体、「余」ではなくふつうの「私」だというから、別に王様でなくてもスペイン人なら誰でも「Yoは満足」と言うらしい。この「言葉につける薬」、近くの市の図書館で不要本としてご自由にどうぞ状態だったのをもらってきたもの。「除籍」という堅苦しいハンコも押してある。タダの本から信長・中国・スペイン・サインツにまで話のネタが広がったのだから、やっぱり本は面白い。

ところでカルロス、今度はパリ・ダカに転身するといわれているが、また呼ばれたらWRCにも戻ってきてくれるのかなあ?

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