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真実と事実とは

2006-09-06 | 駄文ぼやき
 真実と事実。この2つは似たような意味だけどどこか違う。また,言葉とは人によって解釈が様々だけども,この2つの意味ほど曖昧なものもないんじゃないかとも思う。

 以下は辞書的な意味の真実と事実だ。
真実 -
(1)うそいつわりのないこと。ほんとうのこと。また、そのさま
(2)〔仏〕 絶対の真理。

事実 -
(1)現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと
(2)〔哲〕 時間空間内に現に存在するものとして我々に経験される出来事や存在。現実的・実在的なものとして想像・幻覚・可能性などに対し、また経験的に与えられている現象として理想・当為・価値に対する。

三省堂提供「大辞林 第二版」より
 こういった辞書で意味を定義されているものの,そもそも本当のことや存在する事柄というのはどこか曖昧で,結局十人十色の解釈がされるように思う。

 どこぞのマンガでは「真実はいつも一つ」とか言ってたり,かと思えばどこかでは「事実は一つ,真実はたくさんある」みたいなことを言っている。またあるところでは,「真実も事実も一つじゃない」とか。何がなんやらである。では,真実や事実は一つなのかそうじゃないのか。それらは真実と事実をどう捉えているか,見る場所によって変わってくる。

 真実というのは,ある人が事実の全体か一部分を切り出してきて,取り出された事実を下にしてその人なりの経験や考えから,"何故,何が,誰が,どこで,いつ,どのようにして"といった5W1Hを分析し,答えを導き出した結果であるということ。それが真実であり,その真実はその人にとって唯一無二のものである。

 今こうして僕が言ったことは,僕にとっては真実であり,唯一無二のものだと思っている。しかし,真実とは何か? という一つの問いという事実に対しては,数多く存在する,それこそ人の数だけ存在するであろう真実の中の一つに過ぎないのである。つまり,ある側面から見れば真実は一つであり,また別の側面から見れば数多くある中の一つにすぎないということだ。ここで大事なのは,真実はあくまでも人が認識することが出来た事実の範囲で導き出され,人によって作られたものであるということだ。

 事実というのは,その時その場所であった出来事の記録であると思う。それは,人が認識できなかったこと――例えば,今この瞬間にもどこかのジャングルで虫が死んだとか,起こってたことを人が知ることができないようなもの――も含まれるということ。つまり,事実とはあったことの記録にすぎず,それは唯一無二の存在と言えるのではないかと思う。

 しかし,事実は模造や改竄もできるともいう。しかし,例え事実を模造や改竄したとしても,「事実を模造/改竄したこと」,「模造/改竄したものが存在する」という事実が生まれるだけで,どれだけ事実を偽り,人々に認識されても事実になることはなく,ただ人によって作られた嘘に過ぎないのである。


 なんだか急に思い立って書いたので滅茶苦茶っぽいが,言いたいこととしては,真実や事実という言葉はすごく曖昧で,人によってはまるで違うものとして考えれているのだろうということ。僕が「真実や事実はこうだ!」と言ってても,「それは違う!」と言われるのは当然であり,じゃあなんでこんなこと書いたのかっていうと,他の人はどう捉えていたりするのかなぁ? とか思ったので,この記事から「自分にとっての真実や事実はこうだよ」みたいのがボコボコと見られたらええなぁくらいの軽い気持ちで書いたわけである。


 てか,べ,べつに書いて欲しいとかなんて思ってないんだからね!(ぶっちゃけ,書かれたからといって食いつく保証ないし,ね。)

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2 コメント

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ボコりに来ました (わたりとり)
2006-09-07 10:08:48
「真実」と「事実」か。おもしろいですね。

単独の定義は横においといて、二つを並べてその違いはなんだろうと考えて、私はこんなふうに感じました。

「事実」は、具体的に発生した行動や現象のこと。いくつかを並べて因果関係や相関性を見たとき、そのあいだに整合性がなくともよい(「事実は事実」)。ニュース記事などを転載するさい、「書き手の主観が入り込む余地のない客観的事実の表記」は著作物にはあたらず転載しても問題ないとされているそうですが、そうなると「事実=データ」、もしくはデータをパッキングしたもの(情報)とも言えるのかなぁ。

「真実」は「正確かつ過不足のない情報」に合理的な解釈を与えたもの。「情報の選別」と「解釈」という人の作業が入り込むので、onoxさんが仰るように、人によって「真実」は異なると私も思います。ただし、解釈といってもどんなんでもいいわけではなくて、「真実」という言葉には重みがあって、事実(情報)間に整合性があること、体系立てて説明できることを使い手に厳しく要求する、だから軽々しくは使えない、そういう言葉なんじゃないかな・・・と考えました。



コメント長くてすみません(←言ってるだけ。こういう記事が来たらまた長文コメントすると思います。してよければ。にゃは。)
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うーん (onox)
2006-09-07 18:18:20
>わたりとりさん

「真実」って,わたりとりさんの言うようなものが理想ではあると思うのですが,現実には違うと思うのですね。



仮に,onoxというHNでわたりとりさんところのブログに「つまらない記事ですね」とか書いてあったとしたら,



「これは偽者だろう。onoxさんはこういうことは書かないはずだ」

「onoxってやろうは何様なんだ!?」



という2つの捉え方がある。

僕としては,そんなコメント書いたことねーよって思ってても,事実としてあるのは「onoxというHNで,わたりとりさんところにつまんねーってコメントが書かれていた」ということであり,そのコメントを複数の人が見て,2つの「真実」が生まれた。

重みもへったくれもなく,それが誤解だろうとなんだろうとその人にとってはそれが「真実」なんだと思います。



一つの表現にしたって,本人が中傷する意図で書いていなくても,中傷されたと感じる人もいるわけで,理論的な説明がない,感情的な判断によるものでも「真実」というものになるんではないかなと思います。
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