東日本大震災と福島原発事故から1年。
あまりにも事が大きすぎて、本当は語る言葉が見つからないのですが、それでも語るべきなんだと思います。
生きていることの奇跡や素晴らしさを痛切に感じた一年でしたが、それを、絆、とか、がんばろう日本、とかいう言葉に押し込めてしまいたくない。
それでも、人って素晴らしいと思う。
うちのおじさんによると、阪神大震災の後、倒壊の被害が最もひどかった、ここ神戸市東灘区(私の事務所があります)の住職が、「あのころ、誰も彼もが皆、仏さんやった」とおっしゃっていたそうです。
まわりの人には仏さんに。
でも、悲惨な状況が続いているのだから、被災者を遺棄している国や責任を取ろうとしない東電など大きな力に対しては、心を鬼にして異議申立をしていかなければなりません。
実は、毎週のようにブログに震災や原発事故のことを書いている私でさえ、なんだか、津波や水素爆発直後の切迫感のようなもの、差し迫った危機感が薄れていっているのを感じます。
あんなにひどい事故が起きても、まだ原発を再稼働せよとか、放射線は怖くないとか言う人が増えている気がして、呆れてしまうし、あきらめてしまいそうにもなります。
でも、今の自分なりにできることを精一杯しなければ。
たまたま、今回の地震は東北で起こり、原発事故は福島で起こっただけ。日本に住む、そして生き残った誰もが命を拾ったのです。亡くなった方々は私たちの代わりに命を失われた。
津波や地震で亡くなった子どもたちよ。大人達よ。
原発事故から避難して亡くなられたご老人達よ。
安らかに。
おとうさんやおかあさんを亡くした子どもたちよ。
大切な人を失った方々よ。
こうして遠くから皆さんの幸せを祈り、皆さんのおかげで今日も精一杯生きようと感じさせて頂いている人間がいます。
ありがとうございます。
今日一日、心穏やかにお過ごしになられますように。
明日へ向かって少しずつ幸せになられますように。
ちょっとずづでいいから、誰もが幸せになっていく世の中にしたいです。
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記事を読んで、また写真を見て、改めて涙がこぼれました。
ほんとうに、幸せに向かって歩めたらなあと思います。
私は聴覚障害があり、聴覚障害団体とちょっとだけ関わりがあります。あの日、津波を知らせる音声は、聞こえない人に届かなかっただろう。それで逃げ遅れた人もいるだろう。その後も、必要な情報は受け取れただろうか、などなど、障害者の課題もたくさんありました。募金運動に参加もしました。
テレビ報道で手話通訳をつけるように何回もお願いしたろうあ者のお話もありました。官房長官の横で手話通訳をしていたテレビ画像がありましたが、手話通訳の人が画面に入らないときがあり、こうなると聞こえない人は何を言っているのか分かりません。
聴覚障害というマイナーな分野ではこういう切り口で防災を考えているのですが、東日本大震災全体を、私なりに見ますと、実に大きな課題が投げかけられ、それにきちんと、真摯に誠実に対応した一年であったかどうか?とも思います。
被災者の方々が、一日も早く、心安らかに過ごせる日が来ますように。誰もが安心して幸せに暮らせる日本でありますように。
不謹慎と思えるので間を空けます。
日の丸教員は災害時役に立つのでしょうか?自分で考え行動する能力がなければ、酷ですが、自分の身も守れないでしょう。
亡くなった方々が、こう言い続けているように思えてなりません。
被災しなかった者、生残った方々が、呆れても、あきらめず、声を上げ続けていきましょう。
わすれないあなたのことを。
PS.rayには「希望の光」という意味があるのですね。reiと書くべき所をこう表記した「ray」さん、語れ。