![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/b2/651d702eabbac4ca4607d02d58774a2a.jpg)
「あしたのジョー」の丹下拳闘クラブは、泪橋の橋の下にあったわけですが、、、
実際の泪橋は、明治通りと日光街道のかなりでかい交差点で、丹下拳闘クラブの面影は全くありません。
ジムがあったのではと思われる場所は、桃太郎急便さんのビルになっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/5c/b652505af99bc0be2762ee968c03ec4c.jpg)
かつてこの場所には、石神井川から北区王子で分岐した音無川から、台東区三ノ輪でさらに分岐した思川が流れていました。実際に泪橋はあったわけです。でも、かなり早い時点(多分戦前)に暗渠化されており、少なくともあしたのジョーの連載時(1968年12月~)にはもうなかった。
原作者の高森和夫(梶原一騎)さんは、1936年の台東区浅草の生まれだとか。丹下拳闘クラブのロケーションは、原作者の子供の頃の原風景なのかもしれません。
あしたのジョーといえば山谷のドヤ街なのですが、そういう雰囲気の場所ももう見当たらない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/09/7e6e5ff514a3ecd990d9edaa6a864d91.jpg)
一泊2000円くらいの簡易宿泊施設が、一時は外国人のバックパッカーに人気だったみたいですが、今やコロナで閑古鳥。
一時はあしたのジョーの故郷ということをアピールしていた商店街も、シャッター街と化していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/97/71aa1e5b345882371d89cf403f262166.jpg)
商店街の日本堤通側の出口に、ぽつねんとジョーの像が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/dd/e6ff63b0cd2ccb7fab5e4f6a4b1c0b34.jpg)
あしたのジョーも今や昔、なのかな。
実際の泪橋は、明治通りと日光街道のかなりでかい交差点で、丹下拳闘クラブの面影は全くありません。
ジムがあったのではと思われる場所は、桃太郎急便さんのビルになっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/5c/b652505af99bc0be2762ee968c03ec4c.jpg)
かつてこの場所には、石神井川から北区王子で分岐した音無川から、台東区三ノ輪でさらに分岐した思川が流れていました。実際に泪橋はあったわけです。でも、かなり早い時点(多分戦前)に暗渠化されており、少なくともあしたのジョーの連載時(1968年12月~)にはもうなかった。
原作者の高森和夫(梶原一騎)さんは、1936年の台東区浅草の生まれだとか。丹下拳闘クラブのロケーションは、原作者の子供の頃の原風景なのかもしれません。
あしたのジョーといえば山谷のドヤ街なのですが、そういう雰囲気の場所ももう見当たらない。
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一泊2000円くらいの簡易宿泊施設が、一時は外国人のバックパッカーに人気だったみたいですが、今やコロナで閑古鳥。
一時はあしたのジョーの故郷ということをアピールしていた商店街も、シャッター街と化していました。
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商店街の日本堤通側の出口に、ぽつねんとジョーの像が。
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あしたのジョーも今や昔、なのかな。
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