ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

卑弥呼の日食

2012-05-21 07:58:40 | 歴史
うーん、今朝方の金環日食の写真、のつもりだったのですが、やっぱり写ってないか。

妻と娘と3人で、交替でひとつの遮光グラスで日食を見てたのですが、薄曇りであったため、見てはいけないと言われていた肉眼でも日食の様子が観察出来ました
もっと暗くなるのかなと想像していたのですが、太陽の恵みは月の影程度ではあまり影響がないみたいですね。

金環日食が見られると聞いた時に頭に浮かんだのが「卑弥呼は日食のせいで殺された」という説。
卑弥呼の死の前後、西暦247年と248年に、北部九州で皆既日食に近い日食があったらしいです。
卑弥呼=日御子、日巫女として銅鏡を用い太陽光を巧みに利用した彼女の呪術が、日食によってその力を失ったとされ殺害されるに至ったという説で、「逆説の日本史」の井原元彦さんもこの説を取っています。

一方で天照大神(あまてらすおおみかみ)の天岩戸神話というのもあります。
天照が弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴な行為に怒り天岩屋にこもると、世の中が真っ暗になり、困り果てた神々が相談して、一計を案じ、岩戸を開けて大神を外へ連れ出すと、世の中がもと通り明るくなった、という物語が古事記や日本書紀に書かれており、これをもってして卑弥呼と天照大神は同一実人物であるという説も広く流布されています。

それでは本当に247年と248年に北部九州(または近畿地方)で皆既日食があったのかというと、これが簡単ではない。
大昔のいつ、どこで日食が見られたのかということは、地球の自転のスピードの誤差とか、いろんなことを加味して計算しなければならないらしい。
最近では、卑弥呼は皆既日食に遭遇していないというのが、天文学的にみた定説になりつつあるようです。

ということは、卑弥呼・天照大神同一人物説も、卑弥呼=皇祖神、邪馬台国=大和説も、ここからでは展開できないということになる。

でも、もし仮に卑弥呼や天照が今日のような日食に出会ったとしても、それがゆえに卑弥呼は殺されたとか、世の中が真っ暗になり神々が困り果てたとか、そんなことにはならなそうです。
もちろん時間帯や気象条件によっても、見え方は変わってくるのでしょうが。。。

「こりゃ、あの説は間違いだな」
そんなことを思いながら今日の金環日食を見てた人、私以外にもいたのかなー。



コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三鷹から小金井公園往復 | トップ | 「遠回りする雛」(米澤穂信) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事