『ぼくの帽子』 西條八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ
母さん、あれは好きな帽子でしたよ
僕はあのときずいぶんくやしかった
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね
紺の脚絆 に手甲をした
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね
けれど、とうとう駄目だった
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と
その裏に僕が書いたY・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく
初めて全文を読みましたが、胸にぐっとくるような、そんな感じになる詩です。
4月2日(日)よる9時から、テレビ朝日ドラマスペシャル「人間の証明」がある。
40年の時を超えて、不朽の名作が蘇るを楽しみにしています。