若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

藤田氏の「労働組合のおかげ」説を疑いの目で眺めてみる ~ 久々の『ヒューマン・アクション』から ~

2019年04月16日 | 労働組合

【藤田氏の労働組合信仰】

前回、藤田孝典氏の労働問題に関する主張は説得力を欠く、ということを述べました。
この人は私と同様自分に甘く、私と違って自身の理論を労働組合にとって都合の良い形に捻じ曲げてしまう傾向にあるからです。
そういう不信と懐疑の目で、次の文章をご覧ください。

「月に行くなら社員の給料を増やせ」は的外れ、というのも的外れー企業に対する労働者の要求は自由であるー
======【引用ここから】======
「子どもが生まれたら働き続けられないから退職」「時短勤務などでは企業に迷惑がかかるから辞めてほしい」が当たり前という慣習を打ち破ったのは先輩の労働者たちである。
子どもを育てながら働きたい。それは当時の企業社会において荒唐無稽な暴論と評価された要求だった。
もっと歴史を遡れば、1日13時間労働の短縮、労働組合など団体交渉権の確立、労働基準監督署の設置、週休2日制、有休休暇制度、残業代の支払い義務など、あらゆる労働者をめぐるシステムが労働者の要求によって確立してきたことを知ることが出来る。
どれもこれも当時の社会では存在しなかったり、禁止していないことが当たり前、当然とされてきた仕組みだった。
わたしたちは現在、先人が権利を主張して確立してくれて、その変化した仕組みのなかで恩恵を享受しているに過ぎない。
このように、先人の労働者が自由な要求を繰り返すことで、制度やシステムが整備されてきて、いまの私たちの働き方が確立している。
自由な要求なしには、働きやすい環境や処遇は得られないのである。

======【引用ここまで】======

「先輩労働者たちが労働運動(たたかい)で勝ち取った労働者としての権利があるから、お前たち今の労働者の生活があるんだ」
「労働者の要求によって週休二日制といったシステムが確立した」
という、労働組合の組合員向け政治パンフレットのような内容。

こうした意見はこの人に限らず様々なところで見られます。
例えば、

児童労働の原因と解決策ーNGOの役割ー

というレポートでも、児童労働の原因を述べる中で

======【引用ここから】======
なぜ子どもたちが労働者として容易に搾取の対象となるのだろうか。主な理由として,子どもたちが大人の何倍も安く使えることが挙げられる。これはほとんどの子どもたちが労働組合の援助を受けることができないためである。また,子どもたちは恐くて不満や文句を言わず,組織的に仕事の環境改善を要求することがほとんど不可能であるため,雇用者側にとっては使いたい放題である。
======【引用ここまで】======

と、子どもは労働組合の援助を受けられない、組織的に仕事の環境改善を要求できないという点を児童労働の問題点として挙げていますが、こうした見方は藤田氏と共通しています。
労働組合があるから今日の労働者の生活と権利があり、子どもは労働組合を作れないために搾取されるのだ、ということのようです。
こうした藤田氏らに見られるような「労働組合のおかげ」説は、果たして事実に基づいているのでしょうか。

【死と隣り合わせの貧しさの中で、労働組合にできることはあるか】

さて、上記レポートには、次のような文章が続きます。

======【引用ここから】======
 他にも多岐にわたる分野において,児童労働の原因となる背景がある。これからその5つについてあげたいと思う。
 児童労働の根本的な問題は貧困にあるといえる。特に農村が最もひどく,家族を養うために子どもたちが都会に出稼ぎに行く例が多い。そのため多くの貧しい家族は子どもの収入に依存しているといえる。

======【引用ここまで】======

児童労働の根底には貧困があります。

家庭が貧しくて、仕方なく働きに出ています。
あるいは、貧しさから子どもが親に売られてしまうという事態が生じています。
こうした貧しい農村で家族を養うために子どもたちが働いている状態(今でもそういう国・地域は存在します)において、藤田氏的発想に基づき

「児童労働は残酷だ。労働者は団結し児童労働禁止を勝ち取ろう」

と児童労働の禁止を労働組合が政治的に働きかけ、これが実現してしまったらどうなると思いますか。

日本の児童労働 ―歴史に見る児童労働の経済メカニズム―
======【引用ここから】======
実際、12世紀ごろから日本において、労働力の供給、取得を目的として、子どもの誘拐や子どもの売買が盛んに行われ、組織化されていた。人身取引(人身売買)は、日常茶飯事であったと見ることができる。不作や飢饉の難を逃れるため、親が子どもを売るというとこも少なくなかったようである。
======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
江戸時代後半、すなわち18世紀後半になると、度重なる飢饉などで、人々の生活が困窮していくと、堕胎や間引きや嬰児の遺棄が広まっていった。この時、女子が犠牲になることが多く、特に生活水準の低い東北地方においては顕著に出生比に偏りが見られる。つまり、女子よりも男子が多いのである。しかし、ある特定の地域、すなわち、遊女として娘を売ることが可能な地域にあっては、堕胎や間引きは少なかったとされる。
======【引用ここまで】======

貧しい状態で生活の糧を得る手段を禁止してしまうと、そこでは飢饉や遺棄による死が待っています。
洋の東西を問わず、時の権力者が禁制を繰り返しても児童労働の禁止がなかなか徹底されなかったのは、そういう背景があります。

労働者が政治活動によって権利を獲得しても、それに見合うだけの豊かさが確保されていないとかえって生活が行き詰まってしまうのです。

【社会より先行した労働組合はかえって有害】

こうした状態を、ミーゼスは次のように述べています。


ヒューマン・アクション―人間行為の経済学― ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス (著), 村田 稔雄 (翻訳)2008
======【引用ここから】======
649頁
彼(賃金生活者)は毎日の労働時間を短縮し、妻や児童たちを勤め人の労苦にあわせないようにしようと必死である。しかし、労働時間を短縮し、工場から既婚婦人と児童たちを引き上げさせたのは、労働立法や労働組合の圧力ではない。賃金生活者が非常に豊かになり、彼自身や扶養家族のために、もっと余暇を買うことができるようになったのは、資本主義のお陰である。おおむね十九世紀の労働立法は、市場的要因の相互作用によって既に生じていた変化を法的に認めたものにすぎなかった。労働立法が産業の発達よりも先行したこともあったが、そのような場合には、富の急増によって、間もなく事態が正常に戻った。いわゆる労働者優遇的法律が、既に現れていた変化ないし直近未来に起こると思われる変化の予想を承認した措置の命令にとどまらなかった場合は、労働者の物質的利益を害した。
======【引用ここまで】======

ここで大事なのは2点。

まずは、労働者が豊かになり余暇を得ることができるようになり、児童が労働しなくて済むようになったのは、市場的要因の相互作用によって生じた産業の発達のお陰であり、労働立法や労働組合の圧力によるものではないという点があります。
貯蓄し、起業し、分業を進め、自発的な交換を繰り返し、各個人が主観的な満足を増やしていく一連の過程をミーゼスは重視しています。
この一見遠回りに見えるプロセスが豊かさを実現するのですが、労働立法や労働組合の要求は時として省力化を拒み非効率化を求め、規制をかけて起業や自発的な契約の成立を阻害する等、豊かさの実現を遅らせてしまう方向に作用します。

そして、労働立法や労働組合の圧力によって、近い未来に達成できるであろう産業の発達度合いを超えた高水準の労働者優遇措置を作ってしまった場合、そのことがかえって労働者の物質的利益を害してしまうという点も重要な指摘です。
実情に合わない労働者優遇措置を作ってしまったことによって、労働者の物質的利益を害してしまうというこのくだり、解雇規制や派遣3年ルールを作ってしまった人達にとっては耳の痛いことでしょう。
高すぎる最低賃金を設定して失業率を跳ね上げてしまった韓国の当局担当者は、一度、『ヒューマン・アクション』を読んでみるといいでしょう。


ということで、おさらいです。

「1日13時間労働の短縮、労働組合など団体交渉権の確立、労働基準監督署の設置、週休2日制、有休休暇制度、残業代の支払い義務など、あらゆる労働者をめぐるシステムが労働者の要求によって確立してきた」

という藤田氏の労働組合への評価は、事実に基づかない過大なものです。

労働者をめぐるシステムは資本主義のお陰です。
市場における貯蓄、起業、分業、交換を通して実現した豊かさがあるからこそ、労働者をめぐるシステムを定着させることができたのです。
他方、労働者が、市場において成立している(あるいは成立しつつある)豊かさの水準を超えた要求をし、これが制度化されてしまった場合、更なる生活の困窮を招きかえって労働者の利益を害することになります。

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