若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

税金支出を増やす名誉市民 ~ 他人の金でパトロン気取り2 ~

2016年12月29日 | 政治
タダより高いものはない ~ 他人の金でパトロン気取り ~ - 若年寄の遺言

の続編。
今年の最後に、私にとって最大級の馬鹿馬鹿しいニュースが飛び込んできた。

増田美術館:公設へ 館長が行橋市に土地・建物を寄贈 /福岡 - 毎日新聞
======【引用ここから】======
 行橋市は26日、同市行事5にある増田美術館の館長、増田博さん(93)=同市神田町=が、同美術館の土地・建物を市に寄贈したことを明らかにした。増田さんは約60年間にわたって収集してきた横山大観や東山魁夷ら著名作家による日本画など194点(購入時総額約4億4600万円)を7月に市に寄贈し、22日の定例市議会最終日に同市の名誉市民第1号に決まっている。【荒木俊雄】
 増田さんは30歳ぐらいのころから美術品の収集を始め、建設会社経営の傍ら、2005年に増田美術館を開設。近代日本画では九州有数の展示内容・保管数を誇り、同美術館を管理する公益財団法人「増田美術・武道振興協会」(理事長=増田さん)所有の約150点を除く個人分を7月に市に寄贈していた。
 今回の寄贈は法人所有部分を除く、三つある展示室のうちの一つと事務室を含む鉄筋コンクリート造2階建て(延床面積約360平方メートル)と、駐車場を除く敷地約500平方メートル。関係者によると、同物件の今年の固定資産税評価額は建物が2850万円、土地が1370万円とされる。  増田さんと親交のある松本英樹副市長によると、土地・建物の寄贈を思い付いたのは美術品を寄贈したころから。「市民に気軽に美術品に接する機会を増やしてほしい」という気持ちからだという。
 増田美術館の運営は当面現状のままで、松本副市長は「大変ありがたい贈り物。早ければ来年3月議会に公設施設として使用するための条例案を提案したい」と話している。 〔京築版〕

======【引用ここまで】======

このニュースの登場人物に対し、「タヒねっ」をはじめ、思いつく限りの悪罵を投げかけたい。
一つ一つ見ていこう。

======【引用ここから】======
 行橋市は26日、同市行事5にある増田美術館の館長、増田博さん(93)=同市神田町=が、同美術館の土地・建物を市に寄贈したことを明らかにした。
~~~~(中略)~~~~
 増田美術館の運営は当面現状のままで、松本副市長は「大変ありがたい贈り物。早ければ来年3月議会に公設施設として使用するための条例案を提案したい」と話している。
======【引用ここまで】======

地方消滅、人口減少社会、インフラ老朽化など、地方公共団体は様々な問題を抱えている。右肩上がりの高度経済成長、人口増加時代に作った施設やインフラを全て現状のまま維持することはできない。地方公共団体は、今後の人口推移や税収見込み、維持管理経費の発生時期を勘案しながら、残す施設、解体する施設の選別や、残す施設の改修のタイミングに頭を抱えていることだろう。公営施設を指定管理にしたり、民間へ売却するという選択肢も考えなければならない。

そんな中、この市は、わざわざ民営施設を譲り受けて公共施設を増やすというのだ。時代の流れに逆行する狂気の沙汰である。

公設施設とすることで、市は既存のインフラや公共施設の維持管理費に加えて、この美術館の維持管理費をも負担しなければならなくなる。
美術館の光熱水費、空調やら放送設備やら自動ドア等の機器類の保守、美術品の保険、清掃業務委託、雨漏りや外壁の修繕、そして施設に駐在する職員の人件費etc・・・いったい幾らかかることやら。

しかも、

======【引用ここから】======
 増田さんは30歳ぐらいのころから美術品の収集を始め、建設会社経営の傍ら、2005年に増田美術館を開設。近代日本画では九州有数の展示内容・保管数を誇り、同美術館を管理する公益財団法人「増田美術・武道振興協会」(理事長=増田さん)所有の約150点を除く個人分を7月に市に寄贈していた。
 今回の寄贈は法人所有部分を除く、三つある展示室のうちの一つと事務室を含む鉄筋コンクリート造2階建て(延床面積約360平方メートル)と、駐車場を除く敷地約500平方メートル。

======【引用ここまで】======

お分かりいただけるだろうか?
記事によると、この建物は

「増田氏個人名義(展示室一つ+事務室)」
「増田美術・武道振興協会名義(理事長=増田氏)(展示室二つ+駐車場)」

で構成されているのだが、これを

「市名義(展示室一つ+事務室)」
「増田美術・武道振興協会名義(理事長=増田氏)(展示室二つ+駐車場)」

にするというのだ。

従来は理事長名義の部分と法人名義の部分だったので、実質的には建物全体を同一人が所有していた。これであれば一括して管理運営できる。ところが今後は、市と法人の名義の部分が同一建物内で混在することになる。管理運営が複雑になるのは間違いない。
例えば、展示室と展示室の間の壁の補修はどちらがするのか。利用方法によっては、建物の維持管理経費に加え、法人に対し二つの展示室や駐車場の賃借料まで払うのか。また、建物全体の修繕が必要となった場合に、その費用分担はどうなるのか。

======【引用ここから】======
 増田さんと親交のある松本英樹副市長によると、土地・建物の寄贈を思い付いたのは美術品を寄贈したころから。「市民に気軽に美術品に接する機会を増やしてほしい」という気持ちからだという。
======【引用ここまで】======

などと言っているが、個人名義の部分を法人に譲渡せず市に寄付し、法人名義のものはそのまま残すあたり「高齢の理事長の相続税対策なんじゃないの?」という下衆の勘繰りをしたくなる。通常、こんな込み入った寄付を役所は受け付けないだろうが、何せ、市の副市長が「増田さんと親交のある」人なのだ。副市長が知恵を貸し、市職員に指示して便宜を図った・・・と疑われても無理はない。実際に、市に寄付した場合と法人に譲渡した場合とで、税金に幾らの差が出るか計算してみたいところだ。

増田氏と親交のある松本英樹副市長が、死ぬまで法人と交渉を担当し、複雑な権利関係を整理し続けるとともに、自腹で維持管理経費を払うなら、市にとってありがたい贈り物と評価できるかもしれない。
しかし、維持管理経費は役所持ち=住民負担。当の本人は、副市長の任期を終えれば無関係で、残された市職員が法人と交渉しなければならない。住民が美術品に接する機会は、民営であろうと公営であろうと変わらない。市に美術品展示のノウハウが無いのだから、美術品展示の質は落ちるだろう。

こんな無責任な話があるか。

======【引用ここから】======
増田さんは約60年間にわたって収集してきた横山大観や東山魁夷ら著名作家による日本画など194点(購入時総額約4億4600万円)を7月に市に寄贈し、22日の定例市議会最終日に同市の名誉市民第1号に決まっている。
======【引用ここまで】======

「市民に気軽に美術品に接する機会を増やしてほしい」という建前のもと、節税対策に成功。美術品や建物の維持管理経費を住民に押し付けた。おまけに、名誉市民第1号の称号まで得たという。

死ぬまで民営の美術館長だったなら、「民間の立場から、芸術作品に触れる機会を市民へ提供してきた」ということで表彰しても構わないが、現状では「税金負担を増やした公務員の共犯者」でしかない。

これで、副市長が辞任後にこの法人の理事や美術館の館長などに就任したり、副市長の身内がこの法人から利益を得ていたりしようものなら、住民や職員はこの二匹の狐に一杯食わされたということになる。




~~ 追記(2017年2月) ~~

この名誉市民第1号については、市議会が全員一致で可決している。甘いというか、人がいいというか、節穴というか。

~~ 追記(2021年2月) ~~
訃報:増田博さん 97歳(ますだ・ひろし=増田美術・武道振興協会理事長 /福岡 | 毎日新聞
======【引用ここから】======
増田博さん 97歳(ますだ・ひろし=増田美術・武道振興協会理事長)15日、死去。死因は非公表。葬儀は17日午後1時、行橋市南大橋4の2の24の行橋斎場。自宅は行橋市神田町6の24。喪主は養子の林剣司郎(はやし・けんじろう)さん。
======【引用ここまで】======

墓標の候補 ~ 行橋市図書館等複合施設整備事業 ~

2016年12月27日 | 政治
先日書いた記事の、

タダより高いものはない ~ 他人の金でパトロン気取り ~ - 若年寄の遺言
======【引用ここから】======
時の総務部長が交渉担当者となり、市は土地・建物(ミラモーレという元・宴会場)を公益財団法人から無償で借りることとなった。ところが、市が調査したところ建物には違法建築部分が含まれるということで、一時的に物置として使っただけで終わった。最終的には、建物は取り壊わされ、市がわざわざ補正予算を組んで土地を1億2千万円で買い取るようになった、というものである。
(現在、この土地に25億円かけてハコモノを作ろうとしているが、これについては今回触れません。)

======【引用ここまで】======

このハコモノというのが・・・

「行橋市図書館等複合施設整備事業」
~~~~~(ここまでの経緯)~~~~~
・平成25年3月:土地購入費用として1億2千万円の予算を計上。
(教育文化施設整備という理由で、防衛省から7000万円の補助金あり)
・平成27年2月:建物の建設費用25億円という見込みを示す。(パブリックコメント)
・平成28年3月:駐車場用地購入費用として5億円の予算を計上。
・平成28年9月:建物の整備費用として25億円。建物完成後15年間の運営費用として24億4500万円の債務負担を計上。
(建物の整備費用に対し、11億円の国庫補助金あり。9億9000万円は地方債として30年で返済。)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○疑問その1
事業の中身を何も決めていない段階で、川と一方通行の隘路に囲まれた不便な土地を先に買ってしまったのはどういうことか。なぜ買ったのか。しかも、「教育文化施設整備」を目的とした国の補助金がついている為、建てられるのが図書館や博物館といったものに限定されている。

○疑問その2
図書館、小規模交流空間、スタジオ、カフェ、赤レンガ館、託児機能、有料駐車場を併せた複合施設とすることを決める前に、建設費用25億円という規模を決めていたのはどういうことか。

○疑問その3
一般会計250億円~270億円、自主財源99億円~102億円という規模の地方公共団体が、年間約1億6千万円×15年=24億4500万円の維持費、30年返済の9億9000万円の地方債を背負うこととなるが、今後の財政運営は大丈夫なのか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

平成28年6月の時点では、この図書館等複合施設の具体的な中身は未定だった(議会での副市長答弁より)。庁内で関係部署の幹部職員が検討部会をして、図書館、小規模交流空間、スタジオ、カフェ、赤レンガ館、託児機能、有料駐車場を併せた施設とする実施方針、要求水準書(案)を固めたのは、平成28年7月。

ところが、である。

建設用地の購入を決めたのは、平成25年3月。
建設費25億円という事業規模を公表したのは、平成27年2月。
駐車場用地の購入を決めたのは、平成28年3月。

この市役所は、何を建ててそこで何をするか決めていないのに、建設用地を買い、建設費25億円という事業規模を決め、駐車場用地を買っている。しかも、「教育文化施設建設」という名目で国から補助金を貰っているため、これ以外の用途で土地を使うことができない。
仮に、

「あの場所だったら、アパートを建てて定住人口を増やした方が、商店街を歩く人、買い物をする人が増えるのではないか」
「今の商店街にはトレーニングジムといったものが無いから、こういったものが商店街利用者の増加に最も効果的だ」

といった分析結果が出たとしても、これを採用することはできない。教育文化施設という手枷足枷が事業の大前提として存在するのだ。「行橋市図書館等複合施設整備事業実施方針」という資料の中の
一年を通して恒久的な集客力があると同時に、対象として子どもから大人までの幅広い年齢層が利用できる教育文化複合施設であること。
という条件は、まちの活性化を考えに考え抜いた上での結論ではなく、補助金を国から貰う時の縛りなのだ。これが補助金行政の悪弊である。

さてさて。

人口減少社会が始まっており、今後、インフラや箱物を維持管理する税収も人手も不足することが予想される。インフラやハコモノを整理縮小し、将来発生する維持費を抑制していくことが求められている。こうした文脈から、全域に満遍なくインフラやハコモノを整備していくのではなく、整備するエリアを絞っていこうとするコンパクトシティ化が盛んに言われている。

ところが、この市では、市役所の真横という市の中心部に既に図書館があるにもかかわらず、駅周辺に図書館を新設しようとしている。市役所横から駅周辺に図書館を移転させて、どのあたりがコンパクトシティになるのだろうか?市中心部への人口誘導が進むだろうか?現図書館を別の施設に変え、新たな図書館を建て、維持費、地方債を増やしていけば、人口減少と重なって将来の市民一人当たり負担は大幅に増えるだろう。コンパクトシティの理念に逆行するものだ。

長期的な生活水準の向上は、効率性・生産性を高めることのみによって実現する。非効率な処理を効率化し、不便なところを便利にし、規制を緩和し、新しい技術を取り入れ・・・この小さな積み重ねでしか達成することはできない。公共工事で業者を潤わせたとしても、効果は一時的でしかない。この新図書館建設は、長期的な生活水準の向上には何ら寄与しない。

○なぜ「箱モノ行政」は批判されるのか?その理由と失敗の本質を見てみよう - オワコン
======【引用ここから】======
以上を踏まえて、今後行政が箱モノ開発を考えるにあたって必要なのは、主に以下。

・きちんと収支計画を立て、せめて赤字運営にならない施設を作る
・と言っても、開発のプロじゃなきゃまず無理なので、実力のある民間事業者に頼るべき(PPP―PFI等を検討する)
・役所や出張所など、利益を生まない施設への投資は極力しない(そもそもの必要性と、必要最小限を考える)

決して「絶対に箱モノは作るな」という訳では無いのですが、必要最小限に留めるべきです。
ムダな施設開発が進むほど、建築費や維持費に税金が飛んで行って、公共サービスが低下しますから。
公共サービスが低下したら住民の満足度が下がって、みんな外へ出て行っちゃいますよ。
施設利用(商圏)人口の少ない田舎では、行政は新たな投資はせず、無駄な出費を極力抑える。
そして、商業やら観光やらは、民間の自由な競争のもとに任せて行けば良いと思いますよ。

======【引用ここまで】======

ということで、ハコモノ行政でムダな支出を重ね地域を衰退させるよりも、新図書館建設計画を全て白紙にし、議決した債務負担を廃止し、防衛省に頭を下げて補助金を返還し、建設用地を民間に売ってしまうのが、現時点での最善の策だ。

行橋市:複合文化施設計画 「建設まった」の会結成 9市議と市民有志ら 来月3日 /福岡 - 毎日新聞2016年11月16日 地方版
======【引用ここから】======
 行橋市の新図書館を核とする複合文化施設の建設計画に異議を唱える市議9人が、問題点を話す報告会を市内六つの中学校区で重ねている。14日夜に今元公民館(同市今井)で開かれた会合では、市民有志と連携し「『図書館建設まった!』の会」を12月3日に結成し、計画の白紙撤回を求める請願の署名運動を始めることが報告された。【荒木俊雄】
======【引用ここまで】======

ところで。

憲法の議論の中で、二重の基準論というものがある。

二重の基準論とは -意味/解説/説明 | 弁護士ドットコムで法律用語をわかりやすく
======【引用ここから】======
第二の根拠として、経済的自由の規制については、社会経済政策の問題と関係することが多く、その合憲性を判定するには政策的な判断を必要とするが、裁判所はそのような判断能力に乏しいため、立法府の判断を尊重すべきであるということである。
======【引用ここまで】======

これについて、前々から不当な議論だと思っていた。なぜなら、裁判所同様、立法府も行政府も社会経済政策の問題に関する判断能力に乏しいから。今回のハコモノ事業は、地方行政の判断能力の無さを示す好例となるだろう。

【地方創生】公共事業を「墓標」から「稼ぐインフラ」へ転換する方法 木下斉さんに聞く地方の未来
======【引用ここから】======
■公共事業の失敗「墓標」シリーズの衝撃
−−失敗事例といえば、木下さんが指摘する「墓標」ですね。木下さんは過去の中心市街地活性化の失敗事例をまとめた『あのまち、このまち失敗事例集「墓標シリーズ」』で、「スカイプラザ三沢」(青森県三沢市)や、「ココリ」(山梨県甲府市)などの実例7つを解説したところ、大きな反響を呼んでいます。なぜ、この墓標シリーズを調べようと思われたのでしょうか?

やはり、このようなことを言えるのは、柵のない民間だからこそできることだと思っています。しかも、別に個別都市を攻撃しようという趣旨ではなく、どこの地域も「自分の地域をよくしよう」みたいな話から結局、失敗します。国からも多額の予算をとり、自治体も、地元経済団体も投資したりしています。けど、失敗する。

======【引用ここまで】======

このままいけば、新たな墓標が追加されるだろう。

爆破予告を受けて、脅迫された側に「謝れ」という議論なき議会

2016年12月09日 | 地方議会・地方政治

福岡・行橋市役所に爆破予告 容疑で滋賀・米原の少年書類送検 : 京都新聞

======【引用ここから】======
 福岡県行橋市議のホームページに市庁舎の爆破を予告する書き込みを送ったなどとして、同県警行橋署は8日、職務強要と威力業務妨害の疑いで、滋賀県米原市の無職少年(17)を書類送検した。
 書類送検容疑は9月8日午前8時ごろ、行橋市の男性市議のホームページに「行橋市役所を爆破する。阻止したければ市議を辞めることだ」とのコメントを送信し、同日午後4時20分ごろには行橋市役所に「爆破する」と電話し、市職員らの業務を妨害した疑い。
 行橋署によると、少年の好きなブログ開設者がこの市議に言及しており、少年は「開設者に対してブログの更新を促すためにやった。大ごとになるとは思わなかった」と話しているという。
【 2016年12月08日 23時09分 】

======【引用ここまで】======

爆破予告電話:市役所に 容疑で少年を書類送検 行橋署 /福岡 - 毎日新聞
======【引用ここから】======
 同署などによると、少年は9月8日午前8時ごろ、行橋市議会の小坪慎也市議(38)のホームページに「行橋市役所を爆破する。阻止したければ市議を辞めることだな」とのコメントを送信。さらに同午後4時20分ごろ、市役所に「市役所を爆破する。阻止したければ、ヘイト議員、小坪を辞めさせろ」などと電話したとされる。
 少年は小坪市議と面識はなく、別人のブログで小坪市議が市民団体から「ネットで差別的言動があった」と抗議されたことなどを知り、小坪市議に関心を持ったという。 〔京築版〕

======【引用ここまで】======

日本では、表現の自由が保障されている。本の出版、テレビの放映、ブログの発信、様々な媒体を利用して自分の意見を表明することができる。一方、この表明された意見に対し、賛意を示す、あるいは批判することも表現の自由の一環である。ある意見を表明した場合に、当然ながら批判、反論は生じる。表現の自由は、批判を受けない自由ではない。私有財産に基づき、自分の持つ手段で主張を交わすのが表現の自由である。

主張Aに対し批判Bが生じ、この批判Bに対し反論Cをする。この自由な言論と言論の戦いを繰り返す中で、主張の正当・不当が浮かび上がってくる。主張Aのある部分が正当で、残りの部分は不当だったというような評価が可能になる。どれだけ不当に見える意見であろうと、これを「不当だ」と評価するためには批判という言論が必要である。

必要なのは、自由な言論と言論を戦わせることである。上記記事のように爆破予告という暴力をちらつかせて言論を封じようとする行為は、まさに論外である。

さて。

上記の爆破予告があった直後、対象となった議員が所属する市議会では奇妙な事が起きた。

行橋市議会 平成28年 9月 定例会(第3回)-09月28日-05号
======【引用ここから】======
決議第1号
      小坪慎也議員に対する決議

会議規則第13条により、別紙決議を提出します。
 平成28年9月12日
  提出者 市議会議員 德 永 克 子
  提出者 市議会議員 二 保 茂 則
  提出者 市議会議員 大 野 慶 裕
  提出者 市議会議員 藤 木 巧 一

 行橋市議会議長 諫 山 直 様

      小坪慎也議員に対する決議
 9月8日に、行橋市役所に脅迫の電話があった。この事により、市民に対し、また、市当局や議会においても多大な迷惑を及ぼした。この「脅迫事件」は決して許されるべきものではない。
 これは、小坪慎也議員が、平成28年4月に熊本地震が発生した際、差別的にとらえられるSNSでの意見発表を行った事を発端としている。
 公人である市議会議員は、住民を代表する立場にあり、議会外の活動であっても良識ある言動が求められるのは当然である。
 市民・国民に迷惑を及ぼすような意見の表明は、行橋市議会の信用が傷つけられたものといわざるを得ない。
 行橋市議会は、小坪慎也議員が品位を汚すことの無いよう、公人としての立場をわきまえる事を求めると共に、謝罪及び必要な行動を自ら行うことを求めるものである。
 以上、決議する。

平成28年9月12日
            行 橋 市 議 会

======【引用ここまで】======

この決議が、賛成多数で可決されたのだ。
この決議については、改めていくつか物申したい。

その1。
脅迫の電話があった。この事により、市民に対し~多大な迷惑を及ぼした
という箇所では、「脅迫の電話」という犯罪行為が市民に対し迷惑を及ぼしたことになっているのだが、
市民・国民に迷惑を及ぼすような意見の表明は、行橋市議会の信用が傷つけられたものと言わざるを得ない
という箇所では、市民に迷惑を及ぼしたのは「意見の表明」になっている。「脅迫の電話」と「意見の表明」を同列に扱っているのだ。

「意見の表明」に対し反論が生じるのは、通常予測しうることである。この反論が殺到し、市役所の業務が停止する騒ぎ(役所の全電話回線が反論電話でパンク、等)になったのであれば、
市民・国民に迷惑を及ぼすような意見の表明
という見方も成り立ちうる。しかし、「意見の表明」に対する「脅迫の電話」は犯罪であり、通常予測しうるものではない。犯罪の結果生じた市民への迷惑を、「意見の表明」に端を発したとすることは妥当でない。
あくまでも、市民に迷惑をかけたのは「脅迫の電話」という犯罪行為であり、17歳無職の幼稚な犯罪者である。

この市議会では、今後、所属議員の政治的発言に対し反感を持つ者からの爆破予告があった場合に、その都度「○○議員に対する謝罪を求める決議」を出すのだろうか。例えば、

○○市議が「自衛隊の訓練反対!」と言う。

頭の悪い右翼が「○○市議が辞めなければ役所を爆破する」と脅迫する。

「○○市議が市民に迷惑をかけた。謝罪せよ」と決議……するのだろうか?


その2。
決議文中には
差別的にとらえられるSNSでの意見発表
とあるが、具体的にどこがどう差別的なのかを示していない。ある言論に対しその正当・不当を明らかにするためには主張・批判・反論を積み重ねることが必要だが、この決議文に対し反論することはできない。具体的に何も書いていないからだ。

これでは、「バーカバーカ」と喚く子供の悪罵と大差ない。これが市議会の公式文書というからガッカリである。また、議事録を読んでみても、この決議文がどうしてこの文面なのか、どういう過程でこれが出てきたのかが全く分からない。提案理由もほとんどないし、賛成討論も反対討論もない。

犯罪者に脅されて、意見表明した者に謝罪と「必要な行動を自ら行う事」を求める市議会。しかも、議場でも決議文でも、どこがどう差別的で不当だったのかを一切述べない。市議会の特別委員会で調査したわけでもなく、爆破予告直後の本会議で緊急動議・一発採決では、「テロに屈した」としか言いようがない。

「議会の信用が傷つけられた。」と言うのであれば、密室でなく議場で議論する慣習を根付かせ、議事機関としての信用と実績をつむことが重要なのではないか。



私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。
というヴォルテールの言葉が思い出された、今日のニュースでした。

税金依存症の合言葉 ~部活動と「行政の責任」~

2016年12月08日 | 地方議会・地方政治
とある市議会での、議員と行政当局とのやりとりをご紹介。

一般質問・備品の充実は行政の責任で。 - 飯塚市議会議員「上野伸五(うえのしんご)」の活動記
======【引用ここから】======
上野伸五
 それでは次年度の各学校の部活動に対しては、十分な予算措置が確保できるというようなご答弁と受け取っていいですか。

教育部長
 十分といえるかどうか、それはそれぞれの置かれた状況もあるかと思いますが、私どもとしてはできるだけ、そのように配慮をしていきたいということでございますので、ご理解をよろしくお願いいたします。

上野伸五
 本来であれば、部活動にするための備品は、行政が用意しなければならないものです。しかし現状は、PTAや各家庭の負担に大きく頼ってらっしゃるんですよ。

~~~~(中略)~~~~
上野伸五
 財源には限りがあるので、何もかも全部というわけにはいかないと思いますが、3月議会でも言わせてもらいましたけども、貧困家庭の子どもたちが部活動に加入できない。備品が買えないから。

======【引用ここまで】======

市議会での一般質問なので、公立の小中学校を対象とした議論であろうと思われる。
以下、公立小中学校におけるクラブ活動、部活動について考えてみよう。

部活動は、体育や音楽、美術等の授業の時間とは別物の、生徒が自主的に参加する任意の活動である。顧問として付いている教員は、基本的にボランティアという形で従事している。生徒が自主的に参加し、教員の勤務時間外で行われている、任意の活動である。その点では、個人で通っているスイミングスクールやピアノ教室、地域のソフトボールクラブと同じものだ。

この部活動に対し
本来であれば、部活動にするための備品は、行政が用意しなければならない
というのは全く意味が分からない。真逆である。
(そもそも公教育が不要だか、百歩譲って授業自体は良いとしても)部活動は教育課程外であり任意の活動なのだから、生徒本人とその保護者が必要経費を負担するのが本筋。備品も各家庭の負担で用意して当然である。PTA会費や税金を通して、部活動に参加していない生徒の保護者にまで負担を押し付けるのは容認できない。自治体が小中学校に対し「部活動振興対策事業補助金」などを支出している現状が、筋論から外れているのだ。

水泳部が無い学校に在籍し「水泳をしたいから」と自費でスイミングスクールに通っている生徒や、バイオリンを弾きたいのに学校に楽器が無く自費でバイオリン教室に通う生徒がいる一方で、野球部やブラスバンド部には高価な備品がPTA会費や税金で提供されているとしたら、不公平を通り越して特権である。部活動への行政の支援は、特定の趣味を税金で優遇するという著しい不公平を生み出している。

部活動へ行政は関与を強めるべきではない。むしろ、行政と学校から部活動を切り離していかなければならない。これは、いじめ対策という観点からも重要である。いじめは、学校という閉鎖的な人間関係の中で起きる構造的な問題という側面がある。学校でいじめが発生した場合に、学校の閉鎖性を保ったままその延長として部活動をしている限り、部活動でもいじめが継続してしまう。

部活動は、学校単位でなく地域単位でやりたい人が集まってやればいい。学校の枠を越えて、年齢層の壁を越えて参加できるようにすればいい。学校単位でなくなれば、「経験したことがないスポーツの顧問を押し付けられた」という教員も減るだろう。逆に、部活動の顧問に生きがいを感じている教員は、地域単位の部活動の顧問に就任すればいいだけの話だ。

行政の関与の強化、学校単位の部活動の枠組みの強化は、部活動に参加していない生徒との不公平をさらに拡大することになり、同時に、学校の閉鎖性に端を発するいじめを温存してしまうことになる。また、学校単位の枠組みがある限り、教員に対し「各教員は必ず部活の顧問を務めるように」という圧力はかかり続け、暗黙の義務が強化されていくことだろう。

なお、部活動は、生徒を貧困家庭から抜け出させることに寄与しない。「貧困家庭の生徒が部活動に加入できない」というが、生徒の全ての趣味・関心事に合わせて部活動を創設し備品を税金で賄うことはできない。趣味は自分の金でやるものだ。

「各学校の部活動に対し、行政の責任で予算を確保すべき」というのは、不公平を助長するとともに、いじめ問題や「ブラック部活」といった部活動の負の側面を全く踏まえていない稚拙な主張である。ここには、保護者票が欲しい議員の、浅はかな魂胆が透けて見える。「行政の責任」というのは、他人の負担で自分が美味しい思いをしようとしている者が使うマジックワード。税金で今以上の利益を得よう、新たに税金からの支出メニューを作って美味しい思いをしよう、その対価として票を稼ごうとする時、政治家は「行政の責任」「政府の責任」といった言葉を使うので注意が必要だ。

行政が現在行っている税金からの支出を、直ちに全て廃止することは不可能だ。しかし、税金に依存する人をこれ以上増やしてはならない。税金による施策を新設しないことと、税金による施策を減らしていくことが、自由主義の視点からの現実的な道ではなかろうか。

「行政の責任」という言葉が出てきたら、税金依存症の発想が潜んでいないか注意することが必要である。

反「スーパー公務員」論 第4 ~ 公務員と起業家精神 ~

2016年12月03日 | 政治
第4弾となった、反「スーパー公務員」論。

ネット上では「スーパー公務員」に対し批判的、懐疑的な意見ばかりかと言えばそうではなく、むしろ「スーパー公務員」礼賛の声の方が多い。例えば、↓こちら。

地方公務員になったからには、スーパー公務員を目指そう! - being qua being
======【引用ここから】======
過疎地域を切り捨ててしまうのは効率的な資源配分の視点から言えば全くもって妥当である。老人ばかりの過疎地域には経済的な価値がない。すべて都市に集積した産業で効率的に生産を行ったほうがいいからだ。わざわざ数件しか住んでいない山奥まで水道、ガス、電話、道路、医療サービスを提供するのは大変なことである。

しかし、人がいる限り必要なのだ。そういった市場効率的なシステムからは見向きもされない地方だからこそ、公務員が地域の人々や企業を巻き込んで再生する必要がある。

======【引用ここまで】======

タイトルからして「スーパー公務員」全面肯定のブログ記事。
このブログでは、「スーパー公務員」の事例として羽咋市職員高野氏の例を取り上げている。そして、米のブランド化とともに、高野氏の

いてもいなくてもいい公務員、役所の職員ですね、いては困る職員、いなくてはならない職員、選択肢は自分にあるということです。そして職員というのはこれは民間のアントレプレナー精神を全く持っていません。もらっている給料の3倍以上働かないと会社がつぶれるということを分かっていないのです。これがないと普通は倒れるのです。

という発言を紹介している。
この発言、私はサッパリ理解できない。

アントプレナー(起業家)精神という言葉が出てきたので、これについて考えてみる。

起業家は、利潤を求めて新たな事業を生み出す。過疎地であっても、そこに経済的な価値を発見することで、利潤を生み出す。過疎地にあった既存の何かを加工し、あるいは既存の物同士の新たな組合せを発見し、あるいは新しい技術を適用して、他の人を満足させることができるようになる。新しい価値を提供し対価を得て、利潤が生じる。事業が対象者を満足させ生活を改善するとともに、その利潤が新たに人を呼び込む事業の元手となる。利潤があるからこそ、地域は活性化する。利潤を追求する起業家精神を持っているからこそできることである。

起業家精神を持った人は、日本の中ではそう多くないだろう。この起業家精神を持つ人の中で、わざわざ地方公務員になろうとする人はさらに少数だ(利潤を「金儲け」と蔑み、綺麗ごとを好む情熱家なら、地方公務員には掃いて捨てる程存在するが)。利潤こそが、起業家の行動原理である。

一方、地方公務員の行動原理は何か。役所は、強制力を背景にした税金の徴収によって成り立っている。成功した起業家に寄生し、起業家の生み出した利潤を横から奪うのが役所であり、地方公務員だ。税金を奪い、ピンはねし、残りを配るのが公務員だ。役所は強制力で成り立っているので、地方公務員が起業家精神を持っていなくても残念ながらつぶれない。

起業家と地方公務員は、拠って立つ原理原則が全く異なる。税金による役所運営から足を洗い、任意の寄付や契約相手から貰う対価で役所運営するように提唱するなら大いに賛成する。しかし、役所の強制力を放置したまま「給料の3倍以上働かないと会社がつぶれる」と言うことに何の意味があるだろうか。地方公務員が強制力を保持したまま今の3倍働いたら、収奪が増えて住民が困るだろうに。

次に。

地方公務員になったからには、スーパー公務員を目指そう! - being qua being
======【引用ここから】======
与えられた業務が「地域活性化」ならば、予算をどう消化するかではなく、どうすれば地域活性化につながるかを考えなければならない。そのために必要な資金は作り、多くの人の協力を得て、もっとも効果的に目的を達成する方法を実行するのが公務員である。そこに無駄な予算は生まれようがない。
======【引用ここまで】======

そこに無駄な予算は生まれようがない」!?!?!?!?!?
もうドン引きである。
メディアに取り上げられる「スーパー公務員」は、ごくごく稀な成功事例である。その背後には、情熱を持った公務員が手がけた無駄な事業がたくさんある。羽咋市の高野氏の場合ですら、氏の手がけたコスモアイル羽咋は典型的な箱物行政として負の遺産になりつつある。

羽咋市財政再建緊急プログラム
======【引用ここから】======
歳出では同時期の比較で逆に3.5億円が増額しました。主な要因は、「これまでの大型事業(コスモアイル羽咋等の公共施設、小学校等の学校整備、道路・橋など)による借金の返済額の増」であり、このことが本市独自の財政難に大きく影響を与えています。
======【引用ここまで】======

「スーパー公務員」として広く賞賛されている人物でさえ、手がけた全事業が地域活性化につながっている訳ではなく、自治体財政を悪化させた事例だってある。これに満たないプチ「スーパー公務員」やバッタ物「スーパー公務員」が地域活性化目的で補助金を獲得し必要な資金を作り、多くの人の協力を得て事業を実行したところで、見込みが外れて活性化しないまま、後に残るは負債のみというのが関の山だ。

どうすれば地域活性化につながるかを考え、効果的に目的を達成する方法を立案したところで、必ずしも目的達成できるとは限らない。これは公務員でも会社員でも同じ。異なるのは、事業の成功・失敗の判別があいまいで無駄な事業であっても税収がある限り継続できてしまう役所の体質。さらに、地方公務員の人事評価・人事異動システム、途中で使途を変えにくい補助金制度、特定集団への利益誘導が票になる民主制、これらが重なって役所は無駄な予算を次から次へと生み出してきた。会社員よりも公務員の方が無駄な事業を生み出しやすく、継続しやすいというのが現実であって、これは「スーパー公務員」であっても変わらない。無駄を排除する機能が、役所には弱いのだ。

はんわしの「評論家気取り」: スーパー公務員にはご用心
======【引用ここから】======
振興担当公務員は何でがんばるかというと、どれだけ予算を多くとったか、どれだけ目玉になるような新事業を作ったか、どれだけ多くが利用(参加)したか、など短期的に結果が見えやすい手法でがんばろうとする人が必ず出てきます。
----(中略)----
バッタ君が去った後は焼け野原が広がり、肝心の地元住民から、「役所にはさんざん振り回された。もう協力はしない。」と言われるのがオチだったりします。
 このようなスーパー・バッタ公務員、カリスマ・バッタ公務員の後日譚をマスコミは絶対に報道しないのです。用心しましょう。

======【引用ここまで】======

バッタ君が去った後は焼け野原」という表現が、公務員による町おこしの実態をよく現している。「スーパー公務員」の成功事例よりも、こうした焼け野原の後日譚の方を紹介する方がずっと価値がある。いかに無駄づかいは生まれ、いかにそれを阻止すべきかを考えた時、「スーパー公務員」礼賛はバッタ物の活動を助長するとともに、住民の行政依存、公務員依存、補助金依存を招く有害なものである。

次。

地方公務員になったからには、スーパー公務員を目指そう! - being qua being
======【引用ここから】======
町おこしは、「公務員が発起人となって周りに人を集めることで、本来なら民間企業に町おこしを頼むことすらできなかった、その無力感に溢れている地域住民を一つにして、その地域が抱えている問題を話し合い、必要であればその問題にたいして適切な回答を導くことのできる民間コンサルの力を借りて、地域を再生させていく」ことである。
======【引用ここまで】======

町おこしの発起人が公務員でなければならないとか、公務員にしかできないとか、公務員が中心となって積極的にやるべきとか、そういうことは間違いである。町おこしは起業家精神のある人がやるべきであり、起業家精神のある人でなければ成功しない。

さてここで。

仮に、過疎化が進む地域で、そこの役所の職員がたまたま起業家精神を持ち合わせていた、としよう。

その役所が町おこしのためにすべきことは、町おこし事業を立ち上げ、その職員にポストと予算を用意して任せること・・・ではない。役所にできることはほとんどない。
役所にできることがあるとすれば、

1.その職員が公務員としてではなく地域の一員として町おこしに取り組み利潤をあげることができるよう、地方公務員法に基づき兼業の許可を出す。
2.町おこしの妨げとなる法律・条例の規制を回避できるよう国や県に働きかける。

くらいだ。

「誰が町おこしをするか」という町おこしの発起人や主体に関しては、次の読み物をぜひ読んでもらいたい。

書評 「利益第二主義~過疎地の巨大スーパー「A-Z」の成功哲学~」小林隆一
======【引用ここから】======
牧尾氏は自動車メーカーの技術者でしたが,家庭の事情で否応なくホームセンターの経営に携わることになり,自らを納得させるために,小売業を「天職」であり「天命」であると定めたとのことです。
天職であれば,損得よりも善悪を優先させよう,過疎地(鹿児島県阿久根市)で不便な生活を強いられている人たちが便利さを享受できるような店をつくろう。そう考えるようになり,いくつもの挑戦が始まった,と創業時の思いを語っています。

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まちおこしがビジネスだって忘れてない!? / 木下斉×飯田泰之『稼ぐまちが地方を変える』刊行記念トークイベント | SYNODOS -シノドス-
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木下 よくわかります。そもそも「お金が好き」というモチベーションで役所に働いている人は少ないでしょう。むしろ、少し苦手だから役所で働いている可能性もあります。

興味があっても、日常で付加価値を生み出し、稼ぎをつくることをしていないため、やはり実際に人件や原材料費みたいなコストを上回る付加価値をつくるという一般的な金銭原則が養われる環境にありません。

そういった方たちに「地域振興」を任せ、無理やり稼ぐことを強要すると、実際には、地域がプラスになることがなく、つかう予算と出てくる効果のプラスマイナスを計算すると、結局マイナスになってしまう。だから衰退しているわけです。

======【引用ここまで】======


ということで、

市場効率的なシステムからは見向きもされない地方だからこそ、『公務員が』地域の人々や企業を巻き込んで再生する必要がある。

は起業家精神や利潤を理解しない雑な意見である。

市場効率的なシステムからは見向きもされない地方だからこそ、『起業家精神を持った者なら』地域の人々や企業を巻き込んで利潤を生み出す可能性がある。

が正解なのだ。


反「スーパー公務員」論 - 若年寄の遺言

続・反「スーパー公務員」論 ~ 役に立ちたいなら起業せよ ~ - 若年寄の遺言

続・続・反「スーパー公務員」論 ~ 叩いても湧いてくる公務員幻想 ~ - 若年寄の遺言