若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

地方自治体における「同一労働同一賃金」をどう考えるか

2020年01月23日 | 労働組合
今回のテーマは、地方自治体における「同一労働同一賃金」をどう考えるか、です。

【同一労働同一賃金とは何か】

同一労働同一賃金とは、一物一価の法則を労働に当てはめたものとされます。
「同一『価値』労働同一賃金」と呼ぶこともあります。

一物一価の法則とは、
「同一の財は同じ価格で取引される」
という経済学の考え方です。

同じ物、似たような物を、わざわざ高い所から買う人はそうそういないでしょう。
取引が繰り返される中で、この商品やサービスならだいたいこんなもんだろうという値段の相場が成立していきます。
取引が自由で流動性が保たれた環境であれば、長期的には、似たような商品・サービスには同じ位の価格が成立する傾向にあります。

ただ実際には、同じ商品やサービスであっても、輸送コストや立地条件、情報の非対称性などによって違う価格が付くことが多々あります。
取引の中で一物一価の法則が成り立っていない分野はいくつかあるわけですが、労働市場、特に日本におけるそれは顕著であると言われます。
同じような仕事をしている人に対し、支払われる給料に大きな差がある状態が、至る所で見られます。
日本の労働市場は規制が過剰で流動性に乏しく、労働における一物一価、すなわち同一労働同一賃金とは縁遠い状態にありました。

【自治体における賃金格差】

民間はもとより、県庁や市町村役場など地方自治体の労働環境でも、同一労働同一賃金とは程遠い格差が蔓延しています。

非正規職員が半数以上の自治体「ボーナス支給も月給減」懸念、実情とは 1/14(火) 7:30配信 京都新聞
======【引用ここから】======
京都府南部(山城地域)の12市町村のうち7市町で、全職員数に占める非正規職員の割合が5割を超えている。この大半が、「同一労働同一賃金」の実現を目指して2020年度に新設される「会計年度任用職員」の身分に移行する。非正規職員である嘱託職員と臨時職員なしには住民サービスが成り立たないのが実情で、期末手当(ボーナス)の支給など待遇改善が進む見通しだが、正規職員の給料との差が埋まるのか懸念する声が上がっている。
======【引用ここまで】======

正規職員の給料との差が埋まるのか懸念する声」とあるように、正規職員と非正規職員とでは、同じような事務仕事でも賃金や手当の面で格差があります。

同じような事務仕事でも、非正規職員では昇給なしでいつまでも最低賃金付近。
正規職員は、仕事の出来の良し悪しを問わず勤務年数の経過によって賃金は上昇していきます。
年齢高めの正規職員(ヒラ・事務職)と、事務補助で採用された非正規職員とでは、責任も業務内容も大差ないにも関わらず年収で4~5倍の差がある・・・なんて自治体はざら。

具体的な額については、こちら↓を参照。

時給900円の非正規公務員が増加の訳 正規職員を増やす負担は若年層へ - ライブドアニュース
2020年1月10日

======【引用ここから】======
例えば、「一般職非常勤職員」として事務補助に就いている職員の平均時給は919円、「臨時的任用職員」だと845円だ。その時点での最低賃金は全国加重平均で798円(東京都は907円)だから、最低賃金並みの報酬だ。
しかも、全体の3分の1である20万2764人はフルタイム、さらに20万5118人は正規の4分の3以上の時間、勤務している。公務員の所定の労働時間は年間1850時間程度とされているから、フルタイムで働いたとして、臨時的任用職員だと平均で160万円程度の年収にしかならない計算になる。
一方、総務省の調べでは全自治体の平均給与月額は40万円余りなので、ボーナスを含めると660万円になる。その格差たるや歴然としている。しかも、仕事の内容は正規の職員と大きく変わらないケースもある。

======【引用ここまで】======

(余談ですが、年齢高めのヒラ正規職員と若い管理職との間では、年功賃金によって責任の軽いヒラの方が給料が高くなってしまう逆転現象も生じています。これも全国的に見られる問題であり、解消するために取り組んだ自治体はごく少数です。有名なところでは大阪府箕面市が挙げられます)
○【箕面市長 倉田哲郎氏:第4話】平社員の給与が部長を上回るケースが存在する

【正規職員の身分保障】

正規・非正規の話に戻り。

正規職員に対し、能力不足を理由とする解雇(分限免職)は一応存在しています。
制度上は。

ただ、分限免職の実施に至るまで長期間を要すること、また、裁判所が自治体の判断を覆し処分を無効とする例もあって、実質的には、正規職員には、犯罪行為をしない限り定年まで解雇されず定期的に昇給していくという身分が保障されています。

※参考
「仕事ができない」公務員、クビにならないのはなぜ? 分限免職の仕組みと裁判例 - 弁護士ドットコム

正規職員には身分保障があります。
簡単にはクビにできません。
では、部署の中で人員が余剰になった場合はどうなるでしょう。

例えば。

 A課:正規職員5人

という構成の課があったとします。
A課の業務が3人で足りるようになったため、組織改編をして課の人数を減らすとしましょう。
この余った正規職員2人を直ちにクビにできるかと言えば、そうではありません。
クビにしたとしても、裁判所は「配置転換でクビを回避できないか検討せよ」と言って処分無効とするに違いありません。

じゃあ、A課で余った正規職員2人を配置転換でB課に回しましょう。
B課の現状は

 B課:正規職員4人、非正規職員3人

とします。
ここに、A課で余った正規職員2人をB課に配置すると、翌年度はたぶん、

 B課:正規職員4→6人、非正規職員3→1人

となります。
「正規が2人増えるんだから、非正規はその分不要でしょ?」
という理屈です。

非正規職員がこうした扱いを受ける状態を指して「雇用の調整弁」と呼ぶことがあります。
このように、正規職員には手厚い身分保障がある背後で、非正規職員にしわ寄せがいく構図となっています。
非正規の解雇で調整を図ることは、悲しいかな、裁判所が公認している手法です。

この時、正規職員よりも非正規職員の方が仕事を覚えていてテキパキできる人だったとしても、結論は変わりません。
判断基準としては、仕事ができる・できないよりも、正規職員という身分を有していることが優先されます。

【賃金格差の原因は身分保障】

先ほどは人員が減る場合を考えました。
次は逆に、人員を追加したい場合を考えましょう。

権限移譲や新規事業などによって自治体の事務量が増えた場合や、
新規採用した正規職員が使えなかった場合、
あるいは人事異動によって使えない正規職員が特定の部署に集まってしまった場合、
正規職員が産休や病休などで長期の休みに入った場合、
こうした場合に、その部署の管理者や人事担当課はどうすれば良いでしょうか。

上述のとおり、正規職員の分限免職は困難なので、正規職員を直ちにクビにして出来そうな人を雇い直すという選択肢は現実的にはありません。

では、既存の正規職員をクビにすることなく、新たに正規職員を雇う方法はどうでしょうか。
人件費総額や職員定数を考えた時、正規職員を増やして不足分に対応するのはなかなか難しいものがあります。
また、正規職員としての採用は「生涯賃金2億円を賭けて使えるか使えないか分からない人を雇う」という危険なギャンブルであり、更に使えない正規職員を引き当ててしまった場合は目もあてられません。
莫大な負債を背負うのと同義です。

正規職員の雇用ではなく配置転換で対応することも考えられますが、使えない正規職員は組織に残ってしまうため、部署間で使えない正規職員の押し付け合い、ババ抜き状態となります。
この調整もまた一苦労です。

正規職員が身分保障されている反動で、様々な問題が起きています。
どうしたら良いでしょうか。

ここで、非正規職員が登場します。
正規職員の身分保障には手を付けず、正規職員の人件費総額を確保し年功序列賃金体系を維持しつつ、別枠でかき集めた予算を元手に、最低賃金付近で労働市場から非正規職員を募集する・・・そんなことを全国の自治体が繰り返してきたわけです。

全国の自治体が、バイトやパートタイム的な位置付けで身分保障の無い非正規職員を大量に雇ってこの問題に対処してきました。

自治体の職員の半数近くが非正規職員となり、官製ワーキングプアが問題となり、働き方改革や同一労働同一賃金が騒がれるようになり、総務省が指示を出して、ようやく自治体が問題を認識するようになりました。
いや、まだ、
「総務省が言うから形だけ対応しとこ」
という自治体が多いような気もします。

【解決策は?】

この問題について、正規職員の側はどう見ているのでしょうか。
冒頭の新聞記事を再び拝借。

非正規職員が半数以上の自治体「ボーナス支給も月給減」懸念、実情とは 1/14(火) 7:30配信 京都新聞
======【引用ここから】======
 各自治体は現在、同職員に関する詳細な給与条件や規則などを策定中だ。自治労京都府本部は「ボーナスを支給する一方で、月額の給料を減らすことで、年収アップにつながらないケースなどが出てくる可能性がある」と指摘。「財政悪化などを理由に、処遇改善が進まないのは、会計年度任用職員の制度の目的に反する。各自治体は、職員間で格差が生まれないよう取り組むべきだ」とする
======【引用ここまで】======

ピントがぼけてる、と言いますか。

正規・非正規の格差問題は、身分保障と年功賃金が根底にあります。
裁判所の判断を後押しに、身分保障を頑なに擁護し要求してきた正規職員の労働組合が、

職員間で格差が生まれないよう取り組むべきだ

だなんて、ちょっと笑ってしまいます。
他人事じゃありません、労働組合が繰り返し主張してきたことが格差の大きな原因なんです。

人口減少社会、社会保障給付の増加、財政悪化を考えた時、職員総数は増やせないし人件費総額も増やせません。
全体のパイが減っていくのですから、職員総数も人件費総額も減らさなければなりません。
そんな中で正規・非正規の格差是正を図るべしという要請に応えるのであれば、正規職員、特にヒラ職員の人件費抑制は避けて通ることのできない道だと、私は考えています。

地方自治体は、
「正規職員の給料は据え置く。非正規職員の待遇改善を実施する費用は国が負担すべき。」
と考えているようですが・・・

国の新制度で非正規職員にもボーナス 財源は? 東北の自治体に危機感 | 2019年08月16日金曜日 河北新報オンラインニュース
======【引用ここから】======
2020年4月に制度が始まる会計年度任用職員の人件費負担に自治体が戦々恐々としている。制度導入で非正規の地方公務員が期末手当(ボーナス)などの支給対象となって人件費が大幅に増えるのに、国と自治体の負担割合がいまだに決まっていないためだ。
======【引用ここまで】======

自治体は国に甘えすぎなんじゃないか、と思うんですがねぇ。
まずは、ヒラ正規職員の給与を非正規職員のそれに近づけ、そこで浮いた人件費を非正規職員の賃金改善に充てることを考えるべきです。

そして、地方公務員法を改正して分限処分要件を緩和・明確化し、金銭解雇も可能にし、正規職員の雇用を流動化することで、身分格差の解消を図っていく必要があります。
根本的な解決としては、職員増員の口実となる新規事業の抑制、そして、絶対的貧困の解消に繋がらない蛇足の事業や規制行政の縮小・廃止が必要になります。
役所が少人数でも運営できるような業務内容、事業数に絞っていくべきです。

これらの作業を、まだ余裕のあるうちに着手するか、財政破綻待ったなしの状態でハードランディングするかは、あなたのお住まいの自治体次第です。
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最近の関心事(備忘録

2020年01月12日 | 政治
補助金行政の非効率さ、誤投資誘発による人々の困窮化。

国債増発によるインフレ誘導の時間的影響と増発紙幣の経路。

公営社会保障制度の廃止に向けたソフトランディング路線は可能か。

離婚後共同親権の国際的な動向と、同意なき連れ去りの違法化。

ゴーン騒動に見る、いつまでも改善されない人質司法。
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「人権」を口実とした行政の介入と立憲主義の後退 ~ 川崎市ヘイトスピーチ禁止条例雑感 ~

2019年12月25日 | 政治
立憲主義、という言葉があります。
分裂した旧民主党の一派が、立憲民主党を結党する際に盛んに言及していました。
しかし、当の立憲民主党にすらあまり理解されていない理念です。

【立憲主義】

さて、立憲主義とは何でしょうか。
そのものズバリの記事があったので、ご紹介します。

立憲主義とは何か? | ハフポスト
======【引用ここから】======
憲法は、権力者をしばるためのものです。国民の基本的人権、生命や財産を守るためにあります。憲法99条では、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と書いてあり、国民には憲法を守る義務はありません。守られるのは国民なのです。
======【引用ここまで】======

このとおり、憲法とは、権力を縛るためのものです。

憲法に書かれた基本的人権は国民の権利なのですが、ではその権利の名宛人として義務に縛られ制限される対象は誰かというと、立法権・司法権・行政権に携わる議員・裁判官・大臣その他もろもろの公務員、その総体としての政府です。
(政府を国家と呼ぶ慣習がありますが、国家と呼ぶとイメージとして国民や領土も含まれてしまいピントがボケるので、できるだけ国家という文言は避けるようにしています。)

政府を縛るのが憲法です。
政府を「~~をしてはならない」という義務で縛り、政府の強制力に制限を課すことで、その裏返しとして国民は政府に対し「政府の強制や介入はお断り」と拒否することができるようになります。
こうした、政府の義務と、その裏返しに行使できる、国民の妨害排除請求権を、自由権と呼びます。
憲法によって政府を縛り、これによって自由権を守るのが立憲主義です。
立憲主義の中心にあるのは、自由権すなわち「権力からの自由」です。

『シリーズ憲法の論点⑧』人権総論の論点 高橋和之 2005年3月
======【引用ここから】======
しかし、それ(引用注:デモクラシーと「権力への自由」)がどれだけ重要視されるにいたろうとも、権力の他者性が存在するかぎり、憲法構造を「権力からの自由」から「権力への自由」に転換することは許されない。あくまでも自由権が基本であり、民主主義の名において自由権を制約するならば、それは立憲主義の死を意味する。
======【引用ここまで】======

こうした立憲主義の考え方を踏まえつつ、今回のテーマである

『川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例』

通称、川崎市ヘイトスピーチ禁止条例を眺めてみましょう。

【川崎市ヘイトスピーチ禁止条例は立憲主義的か】

条例の前文には、次のように書いてあります。


令和元年第5回川崎市議会定例会議案概要

議案第157号 川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例の制定について
======【引用ここから】======
前文
 川崎市は、日本国憲法及び日本国が締結した人権に関する諸条約の理念を踏まえ、あらゆる不当な差別の解消に向けて、一人ひとりの人間の尊厳を最優先する人権施策を、平等と多様性を尊重し、着実に実施してきた。
 しかしながら、今なお、不当な差別は依然として存在し、本邦外出身者に対する不当な差別的言動、インターネットを利用した人権侵害などの人権課題も生じている。
 このような状況を踏まえ、市、市民及び事業者が協力して、不当な差別の解消と人権課題の解決に向けて、人権尊重の理念の普及をより一層推進していく必要がある。
 ここに、川崎市は、全ての市民が不当な差別を受けることなく、個人として尊重され、生き生きと暮らすことができる人権尊重のまちづくりを推進していくため、この条例を制定する。

======【引用ここまで】======

「日本国憲法・・・の理念を踏まえ」と言っているのに、ここに出てくる「人権」は、憲法上の基本的人権や憲法の中心概念たる立憲主義の考え方に合致していません。

市民と市役所の関係で見た時、憲法上の基本的人権、立憲主義的な自由権は、権力(=市役所)を制限し拘束することによって守られる市民の権利です。
市民が持っている、市役所に対する妨害排除請求権です。
市民と市役所は、人権を間に挟んだ局面においては対立する立場にあります。
人権を間に置いて、全ての市民が権利者、市役所は義務者となるのが、立憲主義です。

ところが、この条例では

市、市民及び事業者が協力して・・・人権課題の解消に向けて、人権尊重の理念の普及をより一層推進

として、人権課題を解消するために市役所と市民が協力することを規定しています。
こうした姿勢は立憲主義からかけ離れており、人権保障のあるべき姿を歪めています。

川崎市の条例が立憲主義と人権を歪めている様子は、次の条文からも見てとれます。

======【引用ここから】======
(市民及び事業者の責務)
第4条 市民及び事業者は、市の実施する不当な差別を解消するための施策その他の人権に関する施策に協力するよう努めなければならない。

======【引用ここまで】======

行政権を行使する市役所が市民に対し

協力するよう努めなければならない

と努力義務を課すのは、立憲主義の考え方とは真逆です。

こうした市民の努力義務規定は、自治体の条例に頻繁に見られます。
例えば、市役所が環境保護条例を制定した場合、その中に

「市民は、環境保護に関する市の施策に協力するよう努めなければならない」

といった規定を設ける、そんなケースが多く見られます。
これはこれで問題だと思うのですが、特に人権については、この書き方をしてしまうと憲法上の基本的人権・立憲主義の考え方と矛盾を生じさせます。

市役所が市民に対して努力義務を課すことで守られるものを人権と呼ぶことは、立憲主義に照らして不適切です。
言葉の濫用です。
人権のインフレ化と呼ばれる現象であり、本来の基本的人権の保障の程度を弱めてしまう危険な用法です。
この条例に出てくる「人権」は、憲法上の人権とは違う何か別物であると疑ってかかる必要があります。

【人権擁護局は憲法上の基本的人権を擁護していない】

この条例中で「人権」という単語を見て、しかも条例前文の

日本国憲法及び日本国が締結した人権に関する諸条約の理念を踏まえ

との記述をパッと見れば、ここでいう「人権」が日本国憲法における基本的人権だと多くの人が思ってしまうことでしょう。

しかし、それは勘違いです。
今回川崎市で成立した

川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例

と、そして、これに先立って国会で成立した

本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)』

の背景には、これを所管する法務省人権擁護局の事業である人権教育、啓発活動があります。

ちょっと立ち返って見ましょう。
憲法上の基本的人権に照らして、法務省が関与し、あるいは解消すべき課題はたくさんあります。

例えば、代用監獄。
例えば、違法な捜査や取調べ。
例えば、入管における外国人の収容。

いずれも、政府の強制力行使のあり方が疑問視されている「権力からの自由」の問題であり、法務省は当事者・関係者として速やかに解決しなければなりません。
憲法の人権規定に照らして法務省や警察、裁判所の公権力行使の在り方を自己点検し、不当な強制力の行使があれば速やかに是正、廃止すべきです。
その法務省が人権教育、啓発活動の事業をやっているのですから、当然、これらの解決を目指す取り組み内容が中心である・・・はずです。

ところが、法務省人権擁護局が人権啓発活動で取り挙げている人権課題を見てみると・・・

法務省:主な人権課題
======【項目ここから】======
主な人権課題(1)女性

主な人権課題(2)子ども

主な人権課題(3)高齢者

主な人権課題(4)障害のある人

主な人権課題(5)同和問題

主な人権課題(6)アイヌの人々

主な人権課題(7)外国人

主な人権課題(8)HIV感染者・ハンセン病患者等

主な人権課題(9)刑を終えて出所した人

主な人権課題(10)犯罪被害者等

主な人権課題(11)インターネットによる人権侵害

主な人権課題(12)ホームレス

主な人権課題(13)性的指向

主な人権課題(14)性同一性障害者

主な人権課題(15)北朝鮮当局によって拉致された被害者等

主な人権課題(16)人身取引(トラフィッキング)

======【項目ここまで】======

とあり、そのほとんどが

 「 私人 対 私人 」

の配慮不足、揉め事、争い事、犯罪です。

多くの人の理解や配慮によって解消されるのが望ましいもの、あるいは警察や裁判所によって解決されることが望ましいものが多く含まれていますが、これらは憲法上の基本的人権と直接関係があるわけではありません。
この16課題のうち、立憲主義に照らして、憲法上の基本的人権の課題(「権力からの自由」の問題)と呼べるのはハンセン病患者や拉致被害者の問題くらいでしょう。

法務省の人権感覚は、憲法上の基本的人権とはズレています。
法務省の人権啓発標語を見ても、

法務省:啓発活動重点目標
======【引用ここから】======
みんなで築こう 人権の世紀 ~考えよう 相手の気持ち 未来へつなげよう 違いを認め合う心~
======【引用ここまで】======

と、立憲主義や「権力からの自由」に基づく視点は皆無。
法務省人権擁護局の「人権」は、「道徳」とでも読み替えた方が実態に近いと言えます。

法務省は、自分達が憲法上の基本的人権を侵害する制度運用をしておきながら、そこには一切触れることなく、本来の趣旨を無視して私人間のトラブルや犯罪に「人権」という呼称を付けて啓発活動をして回っています。

こうした法務省の動きの背景には、何があるのでしょう。
一つには、所管分野に旨みのあるものが少なく、ろくな天下り先の無い「弱小官庁・法務省」という他所からの評価、待遇への不満があります。

法務省が様々な私人間トラブルを指して

「それは人権課題ですよ!」
「人権課題となれば、我ら法務省人権擁護局の管轄です!!」

と叫ぶことで、外務省や総務省、厚労省、経産省などなど、他所の官庁が管轄する分野に介入し口を出すことができるようになります。
そのためにせっせと「人権」の仮面を付けて回っているわけです。

法務省は私人間トラブルに「人権」の仮面を被せ、これを他省庁の分野に介入するための口実として利用しています。
同時に、私人間トラブルに介入する口実を増やし、私人間トラブルを「人権」課題として多く認定することで啓発事業予算を膨らまそうとしています。

【行政介入の口実としての「人権」】

川崎市の条例に戻りましょう。
川崎市の条例には、三つの問題があります。

(用語上の問題)

まず一つは、ここまで述べてきた立憲主義との兼ね合いです。

立憲主義は、権力に縛りをかけ、政府が私的領域に介入するのを防止することで人権(≒自由権)を守ろうとするものです。
他方、この条例は、市役所が私人の行為のあり方に介入することで、第三者の何らかの利益を守ろうとするものです。
こうした第三者の何らかの利益を、法律上保護すべきとする要請はあるかもしれませんが、これを「人権」と呼称するのは不適当です。

(司法プロセスで足りる)

二つ目は、無用な司法プロセスへの介入、お節介であるという点です。

川崎市の条例で禁止されている事項を確認してみましょう。

======【引用ここから】======
(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の禁止)
第12条 何人も、市の区域内の道路、公園、広場その他の公共の場所において、拡声機(携帯用のものを含む。)を使用し、看板、プラカードその他これらに類する物を掲示し、又はビラ、パンフレットその他これらに類する物を配布することにより、本邦の域外にある国又は地域を特定し、当該国又は地域の出身であることを理由として、次に掲げる本邦外出身者に対する不当な差別的言動を行い、又は行わせてはならない。
 ⑴ 本邦外出身者(法第2条に規定する本邦外出身者をいう。以下同じ。)をその居住する地域から退去させることを煽動し、又は告知するもの
 ⑵ 本邦外出身者の生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを煽動し、又は告知するもの
 ⑶ 本邦外出身者を人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱するもの

======【引用ここまで】======

居住する地域から退去させることを煽動または告知
生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを煽動または告知
著しく侮辱

これらはいずれも、既存の強要罪、脅迫罪、侮辱罪などに当てはまる行為であろうと思います。
刑法犯に該当する行為であれば、警察が捜査し、検察が起訴し、裁判所が刑を確定させるという通常の司法プロセスで足りるはずです。

そこに、「人権」という仮面を口実に市役所が介入する・・・という構図は、法務省の手口と同じものです。
通常の司法プロセスで足りる所に行政が口を挟んでくるのは、蛇足です。
要らないのです。

(法内容の平等に反する)

そして三つ目が、この条例の禁止行為は、「本邦外出身者」に対する退居や危害の扇動・告知、侮辱に限定されており、日本国民に対する同じ行為は対象外となっていることです。

例えば、日本国民Aさんが現在住んでいるマンションでは、Aさんの他はほとんどが外国出身者だとします。
そんな中、外国籍Bさんが
「このマンションから日本人を叩き出そう」
「ゴキブリ日本人を駆除しよう」
というビラをマンション内の郵便受けに一斉配布したとします。

Bさんの退居扇動や侮辱は、川崎市条例の適用外です。
それはそれで良いんです。
そもそも川崎市条例は蛇足でしかありません。
AさんはBさんを相手に損害賠償を請求したり脅迫罪などで訴えるなどの方法があり、それは川崎市条例があろうが無かろうが、最終的には変わりません。

しかし、同じ行為をしても、逆にAさんが退居や危害の扇動・告知や侮辱をした場合は条例の対象となり、川崎市役所が介入してきます。
この状態は、憲法の平等原則で言われるところの
「法内容の平等」
に反しています。

条例前文では
あらゆる不当な差別の解消
を掲げていますが、こう書いた立案者本人が心底そう思っているのであれば、対象を本邦外出身者に限る必要は無いはずです。
条例で一定の行為を規制する高度な必要性が本当にあるなら、「本邦外出身者」に対する退居や危害の扇動・告知や侮辱に限定せず、全ての人を対象とすべきです。

実際のところ、この条例は、退居や危害の扇動・告知や侮辱に対する司法プロセスに行政が口出しする道を付けた蛇足でしかなく、条例化する高度な必要性があるわけではありません。
市役所が介入したいところに介入するための条例であり、今回の場合、その介入したいポイントが「本邦外出身者」への差別言論だったからそれを条例化したに過ぎません。

条例提案者たる市長や議決権者たる議員に「法内容の平等」という義務を課し、恣意的な条例立案から市民を守るのもまた、立憲主義からの要請です。
こうした点から見ても、この条例は立憲主義に反したものと言えましょう。

【立憲主義の死】

私は、いわゆる保守派の主張するような
「川崎市条例によって外国人がやりたい放題になる」
といったことが起きるとは思っていません。

他方で、いわゆるリベラル派が言うような
「外国人へのヘイト言論がこの条例で抑止される」
といった効果も期待していません。

ただ、「人権」という言葉の濫用と恣意的な内容の条例が増え、行政による介入の口実がどんどん増え、その都度、立憲主義が後退していくのが残念で仕方ありません。

民主主義における勝者が多数派を構成して権力を握り、多数派の意向に沿って適用対象を恣意的に取捨選択する条例の横行する現状は、まさに

民主主義の名において自由権を制約するならば、それは立憲主義の死を意味する

と言えましょう。
コメント

真逆の同期・同級 ~ 田中角栄と中曽根康弘 ~

2019年11月30日 | 政治
中曽根康弘元首相が101歳で亡くなりました。

この訃報を受けて、私のネタ供給源こと、ほっとプラス藤田は・・・

藤田孝典さんのページ - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
中曽根康弘元総理大臣は、アメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相と同時期に施政に携わり、足並みを揃える形で、福祉国家方針や福祉政策推進路線を修正、後退させた人物でした。
労働組合への敵視もあからさまに見られ、国営分野の産業を民営化する路線も強く進めました。
それ以降、労使関係は崩れ、社会保障は拡充されませんでした。
労働者の処遇や個人消費は伸びず、将来不安も広がったため、未だに経済低迷から抜けられない素地を作り上げてしまいました。

======【引用ここまで】======

藤田孝典さん/ Twitter
======【引用ここから】======
中曽根康弘元総理大臣にお悔やみくらい言え、というリプがやたらくる。
あの権力者のせいで、どれほど下の世代、後世の子孫は負の遺産と向き合わなければならなくなったことか。
地獄に落ちろ、とまでは言わないが、お悔やみなど口がさけても言えない。

======【引用ここまで】======

と激しく批判しています。この、
「福祉国家方針や福祉政策推進路線を修正、後退させた」
との批判は、おそらく、

1973年:田中内閣が老人医療費を無償化。
1983年:中曽根康弘内閣が老人医療費を一部有償に戻す。

を指していると思われます。
これを見たあなたも、

「福祉を後退させた中曽根康弘は地獄に落ちろ!」

って思いますか?

【田中角栄の負の遺産】

田中角栄が「福祉元年」を掲げた頃、人口構成から考えて、少子高齢化となることは既に分かっていました。
分かっていたのに、老人医療費無償化や老齢福祉年金といった老人票目当ての大盤振る舞いをしたのです。

年金については、それまでは積立方式だった年金制度を、

「この積立金を年金支払い時まで寝かせておくのはもったいない。あるなら使ってしまえ」

と、掛け金を払っていない当時の高齢者にパアッと配ってしまったのです。
将来の年金給付を、給付時点の加入者の掛け金で払うネズミ講に変えてしまったのが、田中角栄の「福祉」です。

2019年現在の高齢者に払っている年金は、当該高齢者がまだ若かりし1970年代から払っていた保険料の積立金から支払っているのではありません。
2019年現在の高齢者は、2019年現在の若年層、現役世代が払っている保険料から年金を受け取っています。

この仕組みは、新規加入者が増えないと破綻します。
ネズミ講と同じです。
後世の子孫に膨大な負債を背負わせ、労働者の首を絞めているのは、田中角栄の福祉路線です。

「あの権力者のせいで、どれほど下の世代、後世の子孫は負の遺産と向き合わなければならなくなったことか。」
というほっとプラス藤田の主張は、そのまま田中角栄に当てはまります。

【老人医療費も負の遺産】

老人医療費無償化も弊害の大きい制度でした。

自己負担がある場合、費用に見合ったサービス利用をしようとするため、不必要なサービス利用が抑制されます。
ところが、医療費の自己負担がゼロになると、

「タダで診てもらえるなら、体調悪くなくてもとりあえず診てもらおう」
「タダで貰えるなら、飲み残しを気にすることなく薬を貰っておこう」

といった状態になります。
このため、病院が高齢者のサロンと化し、医療に係る人材や資源が幾らあっても足りない状態となりました。
自分で健康を維持しようとする意欲が失われる、モラルハザードが生じます。
青天井で膨らんでいく老人医療費は、税金と社会保険料で賄わなければなりません。

中曽根内閣は、この老人医療費無償という異常事態を、少しですが常態に戻しました。
中曽根内閣の功績の一つと言って良いでしょう。

【社会保険料の増加】

さて。

社会保険料負担は、年々増えています。
次の表をごらんください。

平成の 30 年間、家計の税・社会保険料はどう変わってきたか


1988年から2017年の間に、勤め先収入に占める税・社会保険料負担が20.6%から25.7%に増えています。

中曽根内閣は、老人医療費を無償から一部有償に戻しました。
ただ、その後も少子高齢化の傾向自体は変わっていません。

また、老人医療自己負担の引き上げも遅々として進んでいません。
未だに後期高齢者の医療費自己負担は原則1割で据え置きが継続しています。

このため、勤め先収入における税・社会保険料の負担は年々大きくなっています。

仮に、老人票の取り逃がしを恐れた中曽根内閣が、老人医療費を無償のまま先送りにしてしまい、今日まで老人医療費が無償のままだったらどうなっていたでしょうか。

もう悪夢です。
税・社会保険料の負担は、25%なんかでは済まなかったでしょう。
医療の高度化が進み単価が上昇するのに並行して、老人による際限なき医療需要に対応していけば、老人医療費の負担の重みに耐えかね、現役世代が潰される事態になっていたかもしれません。

少子高齢化の中で福祉拡大を主張するのは、無益を通り越して有害なのです。

労働組合の講演などによく呼ばれるほっとプラス藤田は、労働者に寄り添っている雰囲気を出していますが、『下流老人』等に見られる彼の主張は現役世代を苦しめる危険なものです。

歳入に見合った支出、身の丈に合った福祉に留めなければなりません。
求められるのは、増税よりもまずは医療費や年金支給も含めた支出削減。
そして支出削減の結果、可能であれば減税や社会保険料の引き下げをすべきです。
これこそが、現役世代の重荷を軽くする唯一の道です。

『下流老人』よりも参考にすべきは、こちら↓の一冊。

市場と会計: 人間行為の視点から | 吉田 寛 |本 | 通販 | Amazon

【角栄と中曽根】

1918年に生まれ、1947年に衆議院議員に初当選した二人。
片や高等小学校卒、片や東京帝国大学卒という経歴も対照的ですが、その事績もまた対照的です。

片や福祉バラマキで票を買うという禁じ手を解禁し、片や福祉バラマキに待ったをかけました。

片や日本列島改造論で鉄道を含む利益誘導の見返りに票を得る構図を確立し、片や国鉄を民営化し赤字路線の拡大を防ぎました。

同期の桜の田中角栄と中曽根康弘。
後世の人間にとってどちらの方が好ましい政治家だったかを考えた時、私は迷わず中曽根氏の方に軍配を上げます。
自民党的改憲論の先頭に立っていた点は評価できませんが、それでも、どちらと言われたら中曽根氏です。

謹んでご冥福をお祈りいたします。
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生活給と補助金と障害者雇用

2019年11月23日 | 政治
農水省が近年「農福連携」という旗を振って補助金を撒いている話を聞いて、

「こうやって省庁は権限を拡大して肥大化していくのかぁ」

と、変に感心してしまった若年寄です。
どうもこんばんわ。

さて、農福連携に関して、こんな記事を見つけました。

時給100円という賃金差別構造 農福連携というきれいな言葉の陰で
======【引用ここから】======
「ニッポン一億総活躍プラ ン」は2016年6月に閣議決定されたもので、その中に「障害者等が、希望や能力、 障害の特性等に応じて最大限活躍できる環境を整備するため、 農福連携の推進」という内容が盛り込まれました。続いて、「障害者基本計画 (第4次)」 (2018年3月 閣議決定)や「経済財政運営と改革の 基本方針(2018年6月 閣議決定)でも農福連携による 障がい者等の農業分野における就農・就労の促進が位置づけられました。
======【引用ここまで】======

今回は、雇用についての雑感です。

【雇用の成立】

雇用は、
事業をやって利益を出そうとする経営者と、
自分はその事業の下の業務を出来るという労働者が、
労働市場においてその業務内容を金額換算すると幾らになるかを踏まえ、
それぞれが合意することで成立する契約形態です。

利益の出ない状況であれば、経営者は事業を開始・継続しません。
労働者の数が少ないのに安い賃金を提示している経営者の所に、労働者は集まりません。
労働市場に最低賃金規制を敷けば、最低賃金未満で成立していた雇用関係は駆逐されます。

【労働市場と相性の悪い生活給】

さて、賃金についてあれこれ考える学問領域には、

「経営者は、労働者とその家族の生活を維持できるだけの賃金を支払うべきだ」

と要求する考え方があります。
この考え方を生活給と言います。

この考え方は、労働市場とは異質のものです。

パンの購入で考えてみましょう。

あなたがパンを買う時、
パンの旨み、
食感、
栄養素、
腹持ち、
お手軽さや便利さ、
他の店では似たパンが幾らで売りに出されているか、
等を踏まえ、幾らまでなら代金を払えるかを考えるでしょう。

その際、

「このパン1個を作るのに要した労働時間や、パンを作る人、パンを売る人、その家族の生活維持を考えたら、500円でも足りない。1000円払おう。みんなも払うべきだ」

と思って、130円の値札が付いていたパンに870円上乗せして払う人はあまり居ないはずです。

労働市場も同じことです。
経営者にとって、その労働者を雇うことで得られるメリットと、今の雇用環境下で似たような能力・性質を有する労働者を雇うのに幾ら必要かを考慮して

「この業界でこのくらいの能力の労働者なら、だいたいこんなもんだ」

と賃金を設定し、求人を出すわけです。
ほっとプラス藤田が良い例です。

「月給20万円、時給換算すると1200円前後、ここから税金と社会保険料が天引きされて、従業員と家族の生活が維持できるだろうか。もっと必要じゃないか」

と考えて、業界水準の倍を出す経営者はあまり居ないわけです。
ほっとプラス藤田が良い例です。

こう書くと、

「労働者をパンと同視するなんてとんでもない!」

と反発する人もいるでしょうが、労働の成果を買うことと、労働力そのものを買うことに大差ありません。

【生活給の仕組み】

生活給をガチガチに制度化するとどうなるでしょうか。

生活給制度の下では、労働市場の中でその業務についた値段とは無関係に、生計を立てるのに必要な費用を計算して賃金が支給されます。
賃金決定が、労働市場におけるその業務への評価から切り離され、対価性が失われます。

生活給は、

「子供が何人いたら生活に幾ら必要」
「障害があると生活に幾ら必要」
「高齢者なので生活に幾ら必要」

といった、その人の属性によって左右されることになるでしょう。

生活給を制度として運用する際には、労働者の業務内容や成果から切り離し、属性ごとに段階を設定しその段階に応じた賃金の額を定めることになります。

【生活給は障がい者雇用の障壁となる】

さて。

あなたが経営者だとして、障がい者を雇いますか?

まず、規制が少なく流動性の高い労働市場において、業務ごとに値段が付いている場合を考えてみましょう。

障害の性質に照らしてその業務を遂行することのできる障害者であれば、あなたは雇用すると思います。
障害の性質に照らして、業務上必要な処理をできないのであれば、雇用しないでしょう。
雇用した後で問題が生じたら解雇すればいいですし、問題なく業務遂行していれば雇用契約は継続しwin-winな関係が維持できます。

他方、生活給制度ではどうでしょうか。

一つの業務の求人に対し、二人が応募したとします。
1人は高校卒業直後の健常者A。
もう1人は中年で配偶者のいる障害者B。
どちらも当該業務を遂行する能力はあります。

医療費や世帯人数から生活給を計算すると、AよりBの方が高い賃金設定となりそうです。
あなたはAを雇いますか、Bを雇いますか。

【最低賃金が雇用の障壁となる】

あるいは。

今いる従業員にやらせてもいいけど、ぼちぼちで良いからやってくれる人手があったら楽になるな、という業務があったとします。

最低賃金が無い中であれば、例えば

「時給400円で良ければこの業務やってくれる人いませんか?」

と募集をかけることができます。

ところが、生活給理念と歩調を合わせて

最賃はすべての人に保障しなければいけない”生きる権利”のはずです。

と最低賃金制度が施行され、最低賃金未満の雇用契約が禁止されると、この業務は成立しません。

「ぼちぼちで良ければやろうかな」

と思っている障害者や高齢者、あるいは副業探しをしていた人がいたとしても、彼らに雇用は発生しません。
時給2500円の熟練した従業員に、時給400円相当の軽作業をさせることになってしまいます。
障害者や高齢者、副業探しをしていた人にとっても、今働いている従業員にとっても、最低賃金は望ましい結果をもたらさないのです。

【理想が与える悪影響】

生活給や最低賃金の理想は、一見すると素晴らしいように思えます。
しかし、実際には雇用総数を減らし障害者等の雇用の妨げとなります。
最低賃金制度を敷くよりも、雇用を自由化し流動化するほうが、かえって障害者雇用の道を拓くことになります。

雇用や賃金設定は、あくまで経営者と労働者の合意にのみ基づいてなされるべきです。
そのうえで、賃金収入では絶対的貧困から抜け出せない状態が続く時、初めて他者からの支援の手が入る・・という順序が望ましい。

このとき、支援の手は政府、自治体に限りません。
歴史的に見て、あるいは他国の例を見ても、困窮者の支援は宗教団体、慈善団体、民間企業、様々な主体が行ってきました。
政府が旗を振らなければならない、というのは誤りです。

【補助金雇用が招く悲劇】

政府が税金でどうにかしろ、という声は様々なところで見られます。
例えば、

時給100円という賃金差別構造 農福連携というきれいな言葉の陰で
======【引用ここから】======
知的障がい者にも、最低賃金を保障することが必要です。最賃はすべての人に保障しなければいけない”生きる権利”のはずです。事業者が払えないのであれば、国、県、市町村が上積みすべきです。財源は、史上最大になった防衛費を削れば出てきます。
======【引用ここまで】======

こうした、生活給的発想に基づきその不足分を政府が補助金で上乗せするやり方は、実際のところ上手くいっていません。

食い物にされる“福祉” 障害者はなぜA型事業所を解雇されたのか - 記事 | NHK ハートネット
======【引用ここから】======
“就労継続支援A型”と呼ばれる福祉サービスです。A型事業所では、一般企業への就職が難しい障害者でも職員のサポートを受けながら働くことができ、最低賃金が保証されます。そして事業所には、職員の人件費や事業の運営経費をまかなうため、国や自治体から給付費が支給されます。その額は障害者1人につき、1日およそ5千円。さらに、3年間で最大240万円の助成金が得られます。
-----(中略)-----
・・・実は今年に入ってから、岡山や北海道などでA型事業所の閉鎖が相次いでいます。その背景には、一部の事業所が“福祉”を食い物にしている実態が見え隠れします。
======【引用ここまで】======

補助金目的「障害者ビジネス」が横行する理由 | 政策 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
======【引用ここから】======
報道によれば、「不祥事」を起こした事業所は仕事とは名ばかりのきわめて付加価値の低い単純作業しか障害者に与えておらず、事業収支は大幅な赤字状態だったとされる。
======【引用ここまで】======

賃金は、
「誰に賃金を払うか」
ではなく
「何の業務を行ったか」
によって本来なら決まります。

ところが、このように補助金が入ると、

「補助金が貰えるから障害者を雇用する。業務内容は後から決める。補助金を貰えるなら正直なところ業務内容はどうでもいい」

と事業収支を考えず、補助金を貰うことを目的とする事業者が当然出てきます。
事業や雇用が継続できるかどうかは、経営者の能力よりも、政府の制度設計に依存するところが大きくなります。

補助金が続くなら経営も続く。
制度改正で補助金を障害者賃金に充当できなくなったら事業が終わる。

本来、雇用は事業遂行のための手段であるにも関わらず、政府が補助金によって雇用増加を目的にしてしまいました。
そのツケは、当事者たる障害者、そして全国の納税者が払うことになるのです。
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