若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

「紅の豚」にみるゴロツキ政府

2021年02月12日 | 政治
どうもこんばんは、若年寄です。
今回、悲しいお知らせが届きました。

森山周一郎が死去、「紅の豚」ポルコ・ロッソ役など声優としても活躍 - コミックナタリー
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俳優・声優の森山周一郎が肺炎のため2月8日に死去した。86歳だった。

俳優のほか、映画「紅の豚」で主人公のポルコ・ロッソ役を演じ、アニメ「ルパン三世」「ヨルムンガンド」「残響のテロル」や、映画「ドラえもん」シリーズに出演するなど、声優としても活躍していた森山。

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めちゃめちゃ渋い声で、子供の頃にテレビ番組でナレーションの声を耳にして
「あっ、豚の人だ」
と気づいたのを覚えています。
ドスが効いていて、時におどろおどろしく、だが頼りがいのある声。
自分がおっさんになった今、改めてこの渋い声の良さに気付かされます。

心よりご冥福をお祈りいたします。



【共産主義の話?】

さて、森山氏逝去の報をうけ、久しぶりに『紅の豚』を観ました。

「おっさんによる、おっさんの為の渋いアニメ作品」として名高い『紅の豚』ですが、この映画については、公開時期がソ連崩壊直後の1992年、タイトルの「紅」、劇中歌「さくらんぼの実る頃」、そして加藤登紀子氏の起用などから

紅の豚は政治の季節を生きた | ウディすすむの不思議エンタテインメント探訪
======【引用ここから】======
「紅の豚」はタイトルからしてあからさまです。「赤い豚」ですから。
「赤い豚」は、言うまでもなく、共産主義者や社会主義者に対する蔑称です。

======【引用ここまで】======

と、共産主義・労働運動に関連付けて解釈されてきました。
共産主義を連想させる要素は確かにあります。

ただ、主人公ポルコの振る舞いは、どうも共産主義っぽくない。まわりに人を集めて「諸国の労働者よ団結せよ!経営者と闘おう!」とアジったりもしません。元軍人ですが、今は用心棒として働いており、仕事の内容に応じて値段交渉をしたりと、資本主義におけるフリーランス的な生き方にこだわります。私有財産と契約自由の権化と言って良いでしょう。

また、ポルコ以外の登場人物達も、例えば、

武器商の小僧「親方戦争と賞金稼ぎとどう違うの?
武器商の親方「あぁ?そりゃあ戦争で稼ぐ奴は悪党さ。賞金稼ぎで稼げねえ奴は能なしだ。

というやり取りがあったり、請求書とローンとギャンブルの話題で盛り上がったりはしていますが、政府の手による再分配を求めたり、経済体制の変革を求めたりする場面は、どうも見当たりません。

【用心棒と警察】

ところで、この映画では、空賊に襲われた時に海軍や警察の出動するシーンがありません。ある時はフリー契約の用心棒であるポルコが襲撃地点に駆けつけて空賊を蹴散らし、またある時は大型客船から専属の用心棒が出撃します。警察や軍隊が民間船を保護しようとするシーンは皆無です。

襲撃された船に用心棒が現れた際、乗員乗客が
「なんで警察が来なくて用心棒が来たんだ?」
と不審に思っている様子は見られず、
「賊はあっちへ逃げたぞー頼むぞー」
というリアクションをしています。
そして、新聞やラジオの記者もそうした用心棒の活躍をしきりに取り上げています。

じゃあ政府は何をしているのかというと、秘密警察を使い、政府軍に所属せず愛国債権も買わないポルコを尾行し捕まえようとするだけなのです。ポルコを捕まえようとする一方で、政府内は臨時政府派と王党派に分かれており、空賊連合という見たまんまのゴロツキを抱き込み自勢力の拡大を図っています。

唯一、政府軍が出動したのが、ポルコとカーチスの決闘にかこつけたギャンブルの取締り。そう、政府もまた「俺の縄張りで何やっとんじゃい!」と縄張り争いに勤しむゴロツキの一勢力なのです。

【政府とは何か】

さて。

「政府は何のためにあるのか」「なぜ政府は必要なのか」
という議論があります。

国民の生活を守るためにあるのか。
外国からの侵害を防ぐためにあるのか。
貧富の格差を解消するためにあるのか。
いわゆる「社会契約」に基づいて成立したのか。

否、世の中に幾つかあるゴロツキ集団の覇権争いの結果として政府は勝手に出来上がる。
そこに設立目的なんてものはない。
既存の政府を無くしても、別のゴロツキ集団が覇権を握って新たに政府を自称するだけ・・・と私は考えています。

リバタリアンの最右派たる無政府資本主義者の言う「政府を無くすべきだ」という主張は理解できるのですが、しかし、無くせるものではないだろうと考えています。仮に国内のゴロツキを根絶・無力化できたとしても、隣国から新たなゴロツキを招き入れることになるでしょう。

例えば、日本の戦国時代。堺の町人衆が将軍や守護大名の影響力を排し一定の自治を行っていましたが、これも、より強力な軍事力を持つ戦国大名・織田家というゴロツキによって自治を奪われ矢銭を課されました。

他の例としては、アラブの春が当てはまるかもしれません。独裁政権を打倒・追放したと思ったら、別の軍事組織の台頭や外国勢力の介入を招いてしまいました。

人間の悲しい性質で、いつの世にも真っ当な生産・商業活動で生活の糧を得ようとせず腕力で解決するゴロツキは発生してしまいます。このゴロツキが覇権争いの結果、政府を自称する・・・というのを繰り返してきたのが人類の歴史です。無政府状態が一時的に成立しても、これを長期的にキープするのは難しいのです。

他方で、政府に国防・治安の役割を正面から認めてその機能を独占させよう、という気にもなれません。あくまで、政府もゴロツキの一種ですから。

政府というゴロツキは、その性質上、自己の縄張り内で他のゴロツキが勢力を伸ばそうとするのを阻止しようとします。また、面子がありますから、自組織の構成員に対する殺人や盗みを全くの野放しにはしないでしょう。ただ、その保護の濃淡は一様ではありません。警察官が巻き込まれた事件と、一般国民の巻き込まれた事件とでは、警察の捜査への力の入れようは大きく異なります。

政府による保護が不十分であり安全が確保されていないと考える人に対して、契約すれば、ポルコが賊の襲撃に対処してくれるという選択肢もあって然るべきです。また、政府がその警察力をもって国民生活を制限・弾圧しようとした時に、武器を持つ私人や私企業の存在は抑止力となります。政府というゴロツキを圧倒的強者にしない事が、自由を守るうえで重要になってきます。そういう意味で、
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を所有しまた携帯する権利は侵してはならない
と規定しているアメリカの憲法は秀逸だと思います。

ゴロツキ政府を憲法で縛り、議会で政府支出や規制、課税、派兵に歯止めをかけ、それでもゴロツキ政府が個人を抑圧しようとした時に反撃・抵抗できるよう武器を持つ。それが私の考えるベターなあり方です。


・・・とまぁ、いろいろ述べてきましたが、共産主義だファシズムだ無政府資本主義だと無粋な事を考えず、頭を空っぽにして、青い海・青い空を自由に舞うポルコを眺め、その声の渋さを堪能し、ジーナの歌声に聞き惚れる。
それが『紅の豚』のあるべき鑑賞の仕方なのかもしれません。


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