若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

お上のお触れに楯突くとは何事か ~消費税還元セール禁止~

2013年04月30日 | 政治
消費者は、
「消費税還元セール実施中!」
という文字が出てくるたびに思い出す。

「セールが終わったら、増税分、値上がりするんだよね」
ということを。


○FNNニュース 消費税還元セール禁止法案批判に甘利大臣「税は納めるもの」(04/12 17:06)
=====【引用ここから】=====
「消費税還元」と銘打ったセールを禁止し、増税分の価格転嫁をうながす法案に対して、流通業界から批判が出ていることについて、甘利経済財政担当相は、「消費税は還元するものでなく、納めるもの」と反論した。
甘利経済財政担当相は「消費税還元セールということはやめてくださいというお願いをしているのであって、消費税は還元するものでなく、納めるものでありますから。消費税はちゃんと納めてくださいと」と述べた。
政府は、消費税を増税した際に、スーパーなどが「消費税還元」と銘打ったセールを実施することを禁止する法案を国会に提出し、12日から審議が始まった。
商品を納める中小企業が、増税分を価格に転嫁できず、経営が圧迫されるような事態を避けるための措置だが、流通大手各社から批判が相次いでいる。
これに対して、甘利経済財政担当相は「消費税は還元するものでなく、納めるもの」とくぎを刺したうえで、「どういう価格設定するとか、いくらで売れということは申し上げてない」と反論した。

=====【引用ここまで】=====


(「消費税は還元するものでなく、納めるもの」という、トンチンカンな反論は放置するとして、)消費税還元セールをされると、政府にとって格好が悪いのだろう。政府の悪政が知れ渡り、人々は改めて「政府が消費税を上げたんだよね」と思い出す。政府の面目丸つぶれである。

だからといって、消費税還元セールを禁止して良いということにはならない。セールをどんなタイミングで、どのような広告を打って実施するかという営業の中身を、政府が取り締まるというのは、表現の自由、経済活動の自由を制限する悪手中の悪手である。

しかも、どういったセールが規制されるのかという政府見解が、法案提出後にコロコロ変わるというお粗末さ。政府の解釈がコロコロ変わるということは、法律の文言の幅が広いということだ。どこまで規制されるかという法律の幅が広いと、官僚の裁量が増える。法案成立後、小売店は、監督官庁の顔色を窺わなければならない日々が続くことになる。これは自由を守るという観点から見た時、危険であると言わざるを得ない。

法律の文言が曖昧だと、セールをしようとする業者は、当局に「このチラシのこの文言は、新法の規制に引っかかりますかね?」と伺いをたてるようになる。当局は、政治家とつながりのある小売業者Aには「うん、その表現なら大丈夫ですよ」と言ってやり、当局の施策に非協力的な小売業者Bには「うーん、どうですかねぇ。法律に抵触するかどうか、判断に迷うところですねぇ」と脅しをかける。そして、後になってからBだけ摘発する、なんて朝飯前だ。

さて。

政府は、
「商品を納める中小企業が、増税分を価格に転嫁できず、経営が圧迫されるような事態を避けるための措置」
を立法理由、建前としている。納入業者に値下げを強要し経営を圧迫するのは良くない、ということだ。しかし、消費税の増税はそもそも、消費者に値上げを強要し家計を圧迫するものだ。立法理由を正しいものとして貫徹するなら、消費税増税を否としなければ話が矛盾する。

中小企業の経営を圧迫してはいけないのに、消費者の家計を圧迫しても構わない。このダブルスタンダードがあるから、人々は政府の建前を信用していない。だから、次のようなことが言われるのだ。


○消費税セールは禁止? 値上げに悩む小売業 | 産業・業界 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト 2013年04月28日
=====【引用ここから】=====
仕入れ側が納入業者の転嫁を拒否するのを防ぎ、納入業者への税負担押し付けを回避するのが立法目的とされるが、「政府、日銀の物価上昇率の目標2%を達成するため、何が何でも増税分を価格転嫁させるのが本当の狙い」(業界関係者)とも揶揄される。
=====【引用ここまで】=====


政府、日銀の物価上昇率の目標2%を達成するため、何が何でも増税分を価格転嫁させるのが本当の狙い

はははっ、こりゃ傑作。

デフレ憎けりゃ消費税還元セールまで憎い。

まるで、「党の中でリフレ政策を推進する影響力を確保するため」消費税増税法案への賛成討論を行った、リフレ派エコノミスト議員・金子洋一のようだ。

補助金行政の視線

2013年04月09日 | 政治
「農業共済」というものをご存知だろうか?

○農業共済制度の基礎
=====【引用ここから】=====
*農業共済制度の基本
- 恒久的な農業災害対策 -
農業はその生産過程で自然の影響を直接的に受け易い。近年、栽培、防災技術の進歩により、生産の不安定さは克服されてきたが、それでも回避できない被害に対し、農家の経営を安定させ、農業生産力の発展に資するため、恒久的な農業災害対策として、農業災害補償制度が設けられています。
*農業共済制度の特徴
- 国の政策保険 -
この制度は、農家が共済掛金を出し合って共同準備財産をつくっておき、災害があったときは、被災農家に共済金を支払うというもので、農家の自主的な相互扶助を基本にした制度であるとともに、国の災害対策としての公的救済制度でもあります。
また、次のような措置がとられています。
1 組合は農作物共済、家畜共済について、共済事業を行わなければならないことになっています。
2 農作物共済においては、一定規模以上の農家の加入が強制されています。
3 農家が支払う共済掛金のうち多くの部分を国が負担しています。
4 事務費のうち多くの部分を国が負担しています。
5 政府は、農作物共済、家畜共済、果樹共済、畑作物共済及び園芸施設共済について、再保険を行っています。
=====【引用ここまで】=====


このように、農作物が災害に遭った場合の保険制度が用意されており、共済掛金と事務費の多くを、政府が肩代わりしている。その額は、毎年900億円以上。政府が肩代わり=納税者から収奪した金で穴埋め、ということだ。


○12年度予算概算要求 NOSAI関係予算は909億円(2面・総合)【2011年10月2週号】
=====【引用ここから】=====
 農林水産省が9月30日に財務省に提出した2012年度予算概算要求のうち、NOSAI関係予算は、前年度比1億5900万円(0.2%)減の909億4500万円となった。このうち、農家の共済掛金の一部を負担する共済掛金国庫負担金に、前年度同額の501億1千万円を計上。NOSAI団体の事務費の一部となる農業共済事業事務費負担金も、前年度同額の402億8500万円とした。
=====【引用ここまで】=====


そして政府は、一定規模以上の農家に農業共済への加入を義務付けるとともに、農業共済への加入を政府からの補助金交付の要件に組み込むなど、農業共済を財政面・制度面の両方から支えている。

多くの企業は、事故や商品価格の変動のリスクを、保険や商品先物取引でカバーしている。農家も、災害や豊凶による価格変動のリスクを同様の方法でカバーするのが筋だ。
ところが、
農業は食料を生産するだけではなく、国土・環境保全や水資源の涵養、文化・伝統の継承など多面的な機能を有しています
という大義名分を付けて、農業共済への公金支出、特別扱いを押し通している。

農業共済はほんの序の口。農業の世界には、無数の補助金、交付金、負担金が存在する。ちょっと思いついただけでも、農業関係で政府が出している金は、青年就農給付金、農の雇用事業、経営転換協力金、規模拡大加算、米の直接支払交付金、農地・水保全管理支払交付金、中山間地等直接支払制度、土地改良施設維持管理適正化事業・・・・・・などなど、項目も金額も山のようにある。

人は、金をくれる人の所に視線が向く。サービス提供に対する顧客からの対価で経営している企業では、視線は顧客へ向く。顧客の要望、不満を意識する。その結果、サービスの質は向上する。というか、向上させなければ生き残れない。

一方、政府の補助で運営している団体では、視線は政府に向く。政府の動向、施策を意識する。例えば、戸別所得補償制度では、給付を受けるためのQ&Aだけで、こーーーーーんなに項目があるのだ。また、その年度の補助条件の公開は、申し込み期日の1週間前とかザラ。内々に農水省・都道府県庁・市町村役場から情報を得ていなければ、事実上、補助申請は不可能。そのため農家は、行政から情報を得て、補助条件を満たすことで頭は一杯。補助を受ける農家にとって、最優先は行政からの情報収集であり、品質改良や消費者の嗜好把握は二の次、三の次。サービスの質は低下、良くて横ばいだろう。

営農組合などの補助金団体が、春祭りや収穫祭と称して地域物産のPRイベントをすることがある。宣伝や消費拡大を図るなら、地域のスーパーの店長や駅・空港・SAの関係者を呼べば良いと思うのだが、実際に呼ばれているのは国会議員や県議、市議、市長や県農林事務所長など、補助金を渡す側の人ばかり。補助金団体の視線は、ブレることなく、行政を向いている。
「政治家のみなさん、県庁や役場のみなさん、今年も補助金をくれてありがとう。来年も補助申請の時にはお手伝いよろしく。選挙の時には応援するからね」
ということだ。

政治や行政との距離が鍵である。政治家や官僚、自治体職員と親密であれば、公開前に情報を得ることができ、滞りなく補助を申請することができ、補助金を受けられる。一方、日頃からの付き合いがないと、補助に関する事前の情報提供はない。申請締め切り直前に情報を得て慌てて申請して、職員から重箱の隅を突かれて却下されるか、締め切り後に情報を得て文句を言って、職員から「締め切りは締め切りですから(フフン」と冷笑されるか、のどちらかだ。

政府から支援を受ける団体や業種が増えると、様々な物やサービスの質が低下し、人々の暮らしのレベルは落ちる。政府からの特別扱いは無いに越したことはない。だが、特別扱いが一つあると、「うちの業界も、政府から特別扱いしてもらいたい」という声が上がる。徒党を組んで大義名分を掲げ、政治家に圧力をかける。その結果、そちらには交付金、こちらに補助金、あちらには新規参入を制限してあげましょう・・・こうしたことを様々な分野でし続けた結果が、今の有様だ。

総合計画を廃止しよう ~ 藤沢市の快挙 ~

2013年04月09日 | 政治
当ブログでは、過去2度にわたって、地方自治法の改正に伴う総合計画のあれこれについて取り上げてきた。

○総合計画の基本構想のみを議決対象としたい自治体へ - 若年寄の遺言
○議決事件として「総合計画の策定」を挙げている議会基本条例、自治基本条例 - 若年寄の遺言


この中で、

総花的な総合計画を作る必要があるのかどうか、疑問は多々残る
作るだけ作ったけど、実際には職員も議員も首長も誰も見ないような計画なら、自治法改正を機会に策定を止めてしまった方が良い

と述べてきた。
そんな私の想いが届いたのか、遂に、総合計画を廃止する自治体が登場したのだ!!!(拍手っ)


○藤沢市:「総合計画」廃止へ 市長任期ごとに指針策定 /神奈川 毎日新聞 2013年02月19日 地方版
=====【引用ここから】=====
 藤沢市の鈴木恒夫市長は18日開会した2月定例市議会で、長期的な市政の方向性を示す「総合計画」を廃止する方針を示した。代わりに4年単位の「指針」を策定する。総合計画をやめる自治体は珍しく、鈴木市長は「総合計画と予算の乖離(かいり)、事業の総花化、計画の形骸化の問題を解決したい」と説明した。
 総合計画は自治体の計画の最上位に位置づけられ、藤沢市では1957年以降、市長が交代する度、7回にわたって策定された。現計画は海老根靖典前市長時代に策定され、30年度までの20年間を対象にしている。12年に就任した鈴木市長の下で計画の在り方を検討し、11年の地方自治法改正で基本構想策定義務が無くなったことで廃止を決めた。

=====【引用ここまで】=====


総合計画を廃止し、代わりに4年単位の指針を作るということで、計画が全く無くなる訳ではないが、まずは一歩前進。


上記引用箇所で書かれているように、「総合計画と予算の乖離」は様々な所で長く指摘されてきた。

「総合計画に書いてあることは実現しなければならない。総合計画に書いてない事業は実施してはならない」
という拘束力は全く無い。そのため、総合計画を作ったけれども、予算に反映されないということが発生する。
一方で、総合計画は、場当たり的な職員の思いつき事業や、議員や地元有力者がねじ込むバラマキ事業を食い止める防波堤にもならなかった。

総合計画は、
「ここに書いてあることだから、実施して悪いことは無いんじゃない?総合計画は議決されてるんだしー」
程度のもの。既存の事業に、薄っすらとした正当性、お墨付きを付与させる位の役割しか無い。

藤沢市では、「総合計画の仕組みに替えて、新たな市政運営の総合的な指針を策定」し、この中で3-4年での重要性や緊急性の高いものを挙げることとしている。

この動きに対して、次のような懸念が提示されている。


○政策シンクタンク PHP総研 藤沢市が総合計画を廃止へ
=====【引用ここから】=====
 一方で懸念される点もある。まず、「市政運営の指針」は条例で規定されてはおらず、議会のチェックを受ける仕組みが確立されているわけではない。公約が必ずしも妥当な政策ばかりとは限らないので、費用対効果がよく吟味されていない公約などについて、歯止めをかける仕組みが必要となろう。
=====【引用ここまで】=====


この懸念は、ちょっと私の感覚に合わない。

チェック機能を持った議会であれば、議決を経て策定される総合計画が無くても、予算案に計上された個別事業の費用対効果を分析するであろうし、著しく妥当性を欠いた事業なら予算修正案で削除しようとするだろう。

逆に、チェック機能を失ったシャンシャン議会であれば、総合計画を議決事項としていても、そもそも総合計画がフリーパスで可決してしまう。また、上述のように、総合計画は行政に対する「お墨付き」にはなっても「歯止め」とはなりえない。

であるならば、

市長が、自分の選挙公約に基づき4年間の重点箇所を挙げた指針を作る。指針に基づき予算案を編成する。議会は、市長から提出された予算案について、個別事業の費用対効果をチェックする。

これ↑で良いじゃないか。
総合計画が出てくる幕は、どこにもない。


市長が、「5年後の市役所をこんな風にします」というのは分からなくもない。市役所は市長が率いる組織だから。市長自身が率いる組織の有り方や、市役所が所有している建物、施設、道路、橋、上下水道管などの維持管理計画を定めておくことは必要だろう。(最終的には市役所が所有する建物等はゼロに限りなく近づけていくのが望ましいが、所有する限りは効率よく管理し、無駄な追加費用が生じないようにしていかなければいけない。)

だが、市長が総合計画で「10年、20年後の将来都市像はこうです。市をこうします。」というのは筋が違う。市は市長の所有物ではないのだから。
「あれもしよう、これもしよう、全部計画に盛り込んで、農家も漁師も商店街も酪農家も子どもも高齢者も障がい者も生保受給者も教員も職員も社協も議員も自治会長も首長もJAも建設業も、みんな、ハッピハッピハッピー♪」
という、実現不可能で総花的な総合計画を作る時代は終わったのだ。