若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

格差と貧困と学力、それホント?

2015年03月04日 | 政治
○「相対的貧困率」による統計マジック - 開米のリアリスト思考室
======【引用ここから】======
A国とB国に国民がそれぞれ11人ずついるとします。
A国の所得分布が10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,  そして100ドル、
B国の所得分布が5,10,20,30,40,50,60,70,80,90,  そして100ドルだったとします。
最上位の「100ドル」が1人いるのは両国とも同じですが、それ以外の分布が全然違っていて、A国は「大金持ち以外みんな貧乏」型、B国は低所得から高所得までまんべんなくいる国です。
どちらの国が格差が大きいか。明らかにA国です。A国ではトップの一人以外は全員がB国の下から2番目の所得以下です。 ところが相対的貧困率はどちらが高く出るか。B国のほうなんですよ。
A国の所得の中央値は15ドル。相対的貧困率は中央値の半分以下の所得の人という定義なので、15ドルの半分=7.5ドル以下の所得の人が「相対的貧困」に該当しますが、A国では該当者ゼロです。いっぽう、B国の所得の中央値は50ドル。その半分の25ドル未満が「相対的貧困」とみなされますが、該当者は20ドル以下の3人です。
つまり、「中間層が多い」国のほうが、「一部の大金持ち以外はみんな貧乏」な国よりも相対的貧困率は高く出ます。そして日本はまさにそういう国に該当するため、「相対的貧困率」の数字は当てになりません。

======【引用ここまで】======

はい、ここ大事。テストに出ます。

「『相対的貧困率』の数字は当てになりません。」

具体的に、
「可処分所得が○○万円を下回っている世帯が増えている。これでは子供を塾に通わせられない。子育てに支障が出る。」
といった議論であれば、まあ意味があるが
「日本では格差が拡大している。6人に1人が相対的貧困となっている。」
といった議論に、何の意味があるというのだろうか。相対的貧困率を算出したところで、その相対的貧困に該当した者がどのくらいの貧困レベルなのかは、具体的な金額で見てみないと分からない。具体的な収入と支出を論じていく必要がある。生活に要する費用と可処分所得とを見比べた中で貧困を定義することで、はじめて
「じゃあ所得を増やすためにはどうしたら良いか?」
「物価が高いのが問題なのではないか?」
といった議論がスタートできるのだ。

さて。

ピケティブームで、派遣村ブームの時と同じように「格差」という単語を頻繁に見かけるようになった。
「『r>g』すなわち資本収益率が経済成長率を上回る場合に格差が拡大する。だから国際的に資産課税を強化しなければならない。消費税よりも資産課税だ」
「感覚的に格差が広がっていると思っていたけど、ピケティがこの感覚に理論的裏づけをしてくれた」
なんて持てはやされているが、私はこの議論が日本に当てはまるのかどうか疑問に思う。
それより、今の日本にとって問題なのは

・「祖父と孫では受益と負担で1億円の差がある」と言われる、社会保障の世代間格差
・一度正社員になれば解雇規制と年功序列賃金と福利厚生で守られるが、正社員になるタイミングを逃して非正規になると雇用の調整弁としてシワ寄せを食らう、身分格差
・金融緩和を実施するたびに、目減りする前の通貨を受け取れる者と目減りした後の通貨を受け取る者の格差


であって、これらを資産課税の強化で解消できるとは思えない。
これらの格差は、規制そのものによって、あるいは公共事業の発注や社会保障給付を行う中央省庁、地方公共団体との親疎によって生じる。このような、個人の才能と努力によって挽回することが不可能な格差を問題とすべきである。

では、学力格差はどうか。
この問題については、次のような言説がまことしやかに言われている。

○子供の貧困
======【引用ここから】======
貧困家庭の子どもは学力でも大きなハンディキャップがあります。
2008年に実施した全国学力テストの結果によると、保護者の年収と小6生の正答率は正比例しており、保護者の年収が増えるに従って、子どもの正答率も高くなっています。

======【引用ここまで】======

パッとこの文章を見ると
「保護者の年収が高いから、子どもの学力が高い」
「保護者の年収が低いから、子どもの学力が低い」
という因果関係があるように読める。この手の論者は、おそらくこの因果関係を暗黙のうちに共有しているのだろう。

しかし、因果関係の流れについては、次のようにも考えられないだろうか。
「保護者の学力が高いから、保護者の年収が高い。また、遺伝により子どもの学力も高い」
「保護者の学力が低いから、保護者の年収が低い。また、遺伝により子どもの学力も低い」
というようにだ。
教員が話したことを、一度で理解し、一度で記憶できる子供。同じ事柄を何度聞いても理解できない、あるいはその場では理解しても直ぐには記憶できない子供。この積み重ねが学力格差になると考えた時、これを親の所得で逆転させることはできない。

また、上記サイトでは次のような記載もあった。

○子供の貧困
======【引用ここから】======
②児童虐待について
子どもの虐待と貧困の間には関係があります。
2002年、児童虐待として保護された501のケースにおける家庭の状況を分析すると、生活保護世帯が19.4%、市町村民税非課税・所得税非課税世帯が26%で、合わせると半数近くになります。また、母子世帯が30.5%と、ひとり親世帯の割合が高くなっています。
子どもに関心を持たない親も多く、貧困は子どもへの期待や愛され方にまで格差を作るのです。
青砥恭さんはこんな例をあげています。
規則的な生活、衣服の着がえ、入浴、歯磨きといった基本的生活習慣は親が伝えるものですが、それをしない親がいる。おむつの交換をしない、排泄訓練をしない。料理を作らないので、パンやお菓子を与えるか、せいぜい惣菜をならべるだけ。
保育園の子どもを連れて飲みに行ったり、カラオケに行ったりする。親の生活時間で子どもも暮らしており、大人と一緒に夜の11時、12時まで起きている。親が夜遅くまで遊んでいるので朝起きれず、子どもたちは朝ご飯を食べない。

======【引用ここまで】======

貧困は子どもへの期待や愛され方にまで格差を作るのです。
という記述から、貧困を格差の原因と理解しているようだ。しかし、これも相関関係と因果関係を取り違えている。因果関係を取り違えてしまうと、対策を間違えることになり、問題の所在が見えなくなってしまう。
「貧困だから子供の虐待が起こるんだ。貧困を解決すれば、虐待は減らせる」
という対策を当局に求めるようになる。また、
「貧困だから虐待をしてしまったんだ。貧困を放置した社会や行政が悪い」
といった議論になる。そして、これをテコに、新たな福祉メニューや社会保障給付を作ろうといった話になるかもしれない。

しかし、貧困が虐待の原因なのだろうか。上記引用の中で、不思議な点、理解できない点は多い。例えば、「保育園の子どもを連れて飲みに行ったり、カラオケに行ったりする。」という記述があるが、子どもを連れて飲みに行ったりカラオケに行ったりする金銭的余裕、時間的余裕があって、貧困というのはどういうことなんだろう。貧困が原因というより、親として子供をしつけをする意識を欠いていることがそもそも問題なのだ。

子供のしつけ、子供の生活時間の管理をする能力、意識のない人は、虐待を生じさせやすい。同時に、こういった人は自分の時間管理もルーズなので収入も低くなる傾向にある・・・というところが、実際のところではなかろうか。ここら辺は、厳密な因果関係というものではなく、あくまで傾向といった感覚だが、貧困に原因を求める考え方と比べて、より説得力があるのではなかろうか。