若年寄の遺言

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日弁連「生活保護Q&A」を批判的に眺めてみる ~プログラム規定説の再評価を~

2020年07月02日 | 政治
前回記事

制度を利用しても構わないけど、制度を基本的人権と勘違いしてはいけない ~生活保護水準を巡る訴訟で請求棄却~ - 若年寄の遺言

を書く際にいろいろ読んだのですが、その中で、

『Q&A 今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?』日本弁護士会連合会

というパンフレットがありました。
今回のお題は、このパンフへのツッコミです。

〇納税者の不満に向き合っていますか?

『Q&A 今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?』日本弁護士会連合会
======【引用ここから】======
Q1 生活保護利用者が過去最高になったと聞きますが?
A1 人数は最高になりましたが、利用率は減っています。

Q2 それでも生活保護の利用率は高いのではないですか?
A2 日本の生活保護利用率は、先進諸外国とくらべると極めて低い数字にとどまっています。むしろ、数百万人が保護から漏れています。

======【引用ここまで】======

この日弁連パンフレットは
「生活保護へのバッシングは不当だ、生活保護制度を擁護しよう」
という趣旨で作成されています。

欧米の生活保護利用率を挙げていますが、欧米では生活保護へのバッシングはないのでしょうか。

生活保護制度へのバッシングという観点からは、
保護を受けるに際して扶養できる親や子の調査
資産状況の把握
保護受給後の生活状況や支出の指導管理
・・・等を通して、不正な受給や不当な使途を制限されていれば、
「納めた税金が適正に使われている」
という納税者の納得感が醸成され、生活保護の利用率が高くても納税者は強い不満を抱かないということは考えられます。
(移民・難民への各種支給に対する不満はどこの国でも根強いようですが)

支出の管理という点で、家や家具をほぼ現物支給の形で生保受給者へ貸し与え、現金では食費くらいしか支給しないという運用も考えられるでしょう。
現金なら受給者の裁量で消費できるわけですが、元手となる税金は納税者の自由・財産権を制約して行政が強制的に集めたもので、納税者の義務と引き換えに受給者の裁量を大きく認めろという主張は、反感を煽る要素になると思います。

納税者の反感を煽る要素の一つに受給者のギャンブルがあります。
そもそも、日本の他、田舎でもギャンブルができるほど津々浦々にパチンコや公営ギャンブルの場外販売所がある国はあまり例がなく、そのため他国では、保護費をギャンブルに突っ込むようなケースをあまり考慮しなくて良い、というのもあるでしょう。

〇「捕捉率」の怪

なお、日弁連パンフにある
数百万人が保護から漏れています。
というのは、「捕捉率」の議論になります。

捕捉率とは、保護を受けられるはずの人、生活保護を受給する水準以下の生活をしている人が全体で何人存在し、そのうち何人が実際に生活保護を受給できているかの割合を指します。
この率は、分母にあたる保護の対象となるべき水準の設定によってどのようにも変わってきます。
生活困窮者の定義や支給条件はバラバラで、この状態で国ごとに比較して意味があるのでしょうか。

資産額の多寡や扶養可能親族の有無を問わず、単に収入額だけで保護を判定する仕組みであれば捕捉率を算出できるでしょうが、資産や親族も考慮する制度を採用している国において、保護を受けられるはずの人の総数をどうやって把握しているのかどうか疑問です。
イギリスの捕捉率「47~90%」という幅の広いいいかげんな数字が、この捕捉率の曖昧さと困難さを物語っています。
計算した人の数だけ答えが違う、それが捕捉率です。

日弁連パンフでは、他に捕捉率として64.6%、91.6%等々の数字が並べられていますが、この高率が
「政府が、生保申請していない国民の収入・資産・家族の扶養能力まで事細かく把握している」
ことの現れなのだとしたら、非常に恐ろしい。
そこまで国民の情報を収集・把握しているということです。
日弁連はマイナンバーによる全ての預貯金口座の付番制度化に反対していますが、捕捉率の議論とどう整合性を図るつもりなのか、見解を問いたいところです。

(なお、私は
「生活保護の捕捉率は無用の概念」
「あくまで申請者に対し受給要件を満たしているかどうかを個別に判定すれば足りる」
「全預金口座をマイナンバーに紐付けするのは反対」
という立場です。)

〇不正受給に不当な使途が入っていない制度の在り方を問う

『Q&A 今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?』日本弁護士会連合会
======【引用ここから】======
Q3 不正受給が年々増えていると聞きますが?
A3 不正受給の割合は保護費全体の0.4%程度で大きな変化はありません。しかも、その中には、悪質とはいえないケースも含まれています。

Q4 お金持ちの家族が生活保護を受けているのは「不正受給」ではないのですか。家族が扶養できるかどうかは徹底して調べるべきでは?
A4 「不正受給」ではありません。また、徹底調査が行きすぎると、本当に生活保護を必要とする人が利用できなくなってしまいます。

======【引用ここまで】======

法律・基準に違反した受給、収入や資産を過少申告し福祉事務所職員を欺いた受給という意味での不正受給は少ないのは、これは確かにそうです。
実際のところ、生活保護へのバッシングを招いているのは、不正受給よりも、保護費の大半をパチンコに突っ込んで残りの金で生活するような
「保護費を支給しなくてもパチンコ止めれば生活できるんじゃね?」
といったケースが大きな要因です。

生活保護を受ける人は大きく分けて2種類います。
失業や病気、家族構成の変化といった要因によって保護を受けるようになった人と、そもそも金の使い方が杜撰で生活を維持管理できないから保護を受けるようになった人です。

前者のケースの場合、保護費を支給することに反感を持つ人は少ないでしょう。
失業した、離婚して身寄りのない母子家庭になった、重病を患って今までのように働けなくなった、そうした人に対する保護の支給に文句を言う人はあまりいないでしょう。

しかし、後者の、金の使い方の杜撰なケースについては、保護費を現金で支給しても問題は解決しません。
穴の開いたバケツに水を注ぐようなものです。
金の使い方の杜撰なタイプは、別に制度に違反しているわけではないし、福祉事務所を騙したわけでもないので、0.4%の「不正受給」にはカウントされません。
しかし、このタイプの人が、納税者の不満を煽る存在なのです。

金の使い方が杜撰で生活困窮に陥るタイプの人に必要なのは、現金支給よりも、使途の調査や指導管理です。
ここを改善しないと、制度としての信頼が揺らぎます。
ところが、保護受給者への調査・指導・管理を強めようとすると
「保護受給者への不当な抑圧だ」
と反対するんですよね、左派が。

社会運動家や地方議員が役所窓口に同行し保護受給をできるよう働きかけ、その見返りとして団体や政党へ加入させ、保護費から団体へのカンパ・党費・機関紙購読料を払わせているケースがあるとしたら、保護費の使途調査は面白くないんでしょうね。

〇最低賃金や年金との比較

『Q&A 今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?』日本弁護士会連合会
======【引用ここから】======
Q6 生活保護基準が最低賃金や年金より高いのはおかしくないですか?
A6 最低賃金や年金が低すぎることが問題です。

======【引用ここまで】======

例えば、左派が主張するように最低賃金を1500円に引き上げれば、今まで時給900円で働いていた人の大半は仕事を失い、残った人が新たな最低賃金1500円を得るとともに重労働に晒されることになります。
最低賃金の上昇は失業者の増加につながります。

税収は増えず、他の社会保障給付や教育予算は維持維持しなければならない・・・となると、生活保護総額を増やす事は難しく、生保受給者の数が増えれば、一人当たりの生保受給額は今以上に減らされるかもしれません。

賃金は、長期的には労働生産性で決まります。
ほっとプラス藤田氏が
「(この業界の賃金は)だいたいこんなもんです
と述べたように、賃金は、業種や職種・業務内容、従事しようとする労働者の数、景気、といったいろんな要素を総合して、時間を経ていく中で
「だいたいこんなもんです」
という相場が決まります。

また、年金については、田中角栄の頃に積立方式から賦課方式に切り替えてしまった事によって、少子高齢化の影響をモロに受けるようになりました。
賦課方式の下で、保険料を支払う現役世代の減少と年金を受け取る高齢者の増加が同時に進めば、当然ながら高齢者一人当たりの受け取る年金は減らさざるを得ません。

賃金も年金も、それぞれ別の要素や事情に基づいて決まります。
賃金は長期的には労働生産性で決まり、賦課方式の年金は現役世代の負担と高齢者のバランスで決まります。
これらを踏まえながら、「最低限度の生活」が今はどのくらいなのかを政府当局が判断することになります。
賃金が上がらず、年金額は上げられず、物価上昇や税金・公共料金による圧迫が強まれば、当然ながら国民全体の生活水準は上がらないわけで、「最低限度の生活」の水準が下がるとしてもやむを得ないだろうと思います。

〇納税者の負担は下がる

『Q&A 今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?』日本弁護士会連合会
======【引用ここから】======
Q7 生活保護基準が引き下げられても、非利用者には関係ないのでは?
A7 いろいろな制度に影響します。あなたも影響を受けるかもしれません。

======【引用ここまで】======

いろいろな制度に影響する例として、

①住民税の非課税限度額が下がり、今まで無税だった人が課税される。
②非課税だと安くすんでいた負担が増える。
 ・介護保険料、医療費上限、保育料、一部自治体の国民健康保険料など
③保護基準に基づいて利用条件を設定している施策が利用できなくなる。


が挙げられています。
これらは殆どが所得税・住民税が非課税となっている人・世帯を対象とするものです。
所得税や住民税を払っている人には関係ありません。
むしろ、①~③の各種支援制度は納税者の負担で成り立っていることから、生活保護基準が引き下げられることによって納税者の負担は軽くなる可能性すらあります。

〇財政への圧迫

『Q&A 今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?』日本弁護士会連合会
======【引用ここから】======
Q8 財政破綻を防ぐには生活保護を減らせばいいのではないですか?
A8 誤解です。

======【引用ここまで】======

これについて日弁連は
日本の生活保護費(社会扶助費)のGDPにおける割合は0.5%。
OECD加盟国平均の1/7にすぎません。諸外国に比べて、極端に低いのです。
生活保護費が財政を圧迫しているとはいえません

と説明していますが、これはおかしい。

すぐ上の箇所で、当の日弁連自身が
「(生活保護基準は)いろいろな制度に影響します
と述べているじゃないですか。

生活保護を受けていない非課税者に対して、諸々の行政サービスを挙げて
「生活保護基準を引き下げるとあなた達への行政サービスに影響が出ますよ!他人事じゃないんですよ!」
と煽っておきながら、財政への影響を述べる際には生活保護費だけを挙げ、生活保護基準に関連する他の行政サービスの費用に触れないのはフェアなんですかね。

生活保護に連動する(非課税世帯向けの)サービスにも影響があると日弁連は述べているので、日弁連には、そういう連動する部分も込みで財政への影響を検証すべきです。

また、日本の場合は労使折半や解雇規制などを通して、社会保障の役割の相当な部分を企業に負わせています。
生活保護をはじめとする社会保障の費用を増やすのであれば、その分、企業の社会保障負担を軽くしたり、解雇規制を廃止し正社員であっても金銭解雇できる仕組みを採用すべきです。
(そもそも、不況期に非正規労働者を犠牲にして正社員の雇用を守る事を裁判所が積極的に勧めるという、露骨な身分制を採用している国は他にあるでしょうか?)

〇プログラム規定説の再評価を

日弁連の主張をざっくりとまとめると、
「生活に困った方はどんどん生活保護を申請していただきたい。役所は困っていそうな人を漏れなく把握し保護費を支給しろ。利用率を欧米並みに上げるべきだ。保護基準も下げるな、上げろ。申請に対する審査や支給後のチェックを細かくするな。そもそも最低賃金や年金を上げろ。」
ということになります。
給料で生活する労働者をはじめ、多くの納税者の負担が全く考慮されていません。

困っている人に注目して
「困っている人がいるぞ!助けろ!」
と言うのは簡単ですが、それを制度として組み立てて運営するのは大変です。
誰かに追加の負担を強いるのか、他の制度をどこか削るのか、他の制度とのバランスをどう図るのか、そういったお金のやり繰りをしなければいけません。

生活保護は、立憲主義的な意味での基本的人権と呼ぶのはふさわしくなく、納税者の負担・義務の上に成り立つ給付制度の一つにすぎません。
憲法に書いてあることから予算編成の際に一定の配慮が求められるとは言え、生活保護の権利性を強調する事はその分納税者の義務強化につながります。
憲法を「自由の基礎法」と考える立場から、こうした納税義務の強化につながる主張は受け入れがたいものがあります。

憲法上の基本的人権、特に自由権については、政府の権力行使を制限することで国民の権利を守る「国民 対 政府」の構図となっています。
国民の権利が政府の義務となっています。

ところが、生存権規定については、政府が国民に給付するためには、その裏で政府が国民から税金を徴収せねばなりません。
政府は徴税をする媒介・代理人に過ぎず、実質的には「国民 対 国民」の構図となります。
生存権規定における「国民 対 国民」の関係を考えた時、生存権を基本的人権と呼ぶのは抵抗があります。

憲法第25条の生存権規定については、その法的性質についていくつかの見解があります。
その中で、
「生存権規定は国家の政治的・道徳的義務を明らかにしたものであり、個々の国民に具体的権利を保障したものではない。生存権の具体的な実施に必要となる予算は、国の財政政策の問題であり、それは政府の裁量に委ねられる」
とする考え方を、「プログラム規定説」と呼びます。

日弁連や共産党、左派の活動家からは非常に不人気な「プログラム規定説」ですが、自由権規定との相性の悪さや、生存権規定を実現しようとした時の「国民 対 国民」の構図を考えた時、むしろ肯定的に傾聴すべき説だと思います。

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