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若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

嫉妬・強請り=介入主義 vs 自由主義

2011年07月07日 | 政治
『経済ってそういうことだったのか会議』佐藤雅彦・竹中平蔵 著 99頁~
======【引用ここから】======
著者はランズバーグという数学者なんですけど、すごくシンプルに見ていくと、今の税はおかしいと言うのです。彼はそれをこんなふうに表現しています。
 子供たちが砂場で遊んでいるんです。ある子はオモチャをたくさんもっている。その子はお金持ちの家の子なんですよ。もう一人の子は家が貧しいからオモチャを一個しかもってないんです。しかし、だからといって、自分の子に向かって「○○ちゃん、あの子はオモチャたくさんもっているからとってきなさい……」などと言う親がいるかというわけです。

======【引用ここまで】======



普通に考えて、そんな親がいるわけがない。
そんな常識知らずな、恥知らずな、図々しい馬鹿がいるわけがない。
いるわけがない、いるわけがない、いるわけが・・・・



○スマップ中居がプレゼントしたゲーム機、石巻市が慰問の子から取り上げる…被災保護者からの抗議受け
======【引用ここから】======
石巻市の門脇中学校の避難所で26日、慰問に訪れた人気グループ「SMAP」のメンバー、中居正広さんが子供たちに配ったゲーム機を、市職員が、クラシックバレエの披露のために同校にいた子供たちから「避難所外の子供」を理由に回収したことが分かった。

市は抗議を受け、返却することにしたが、市の対応に批判の声も上がっている。
市などの説明によると、中居さんは同日、被災した子供と一緒に、市内のバレエ教室の子供に人形や1台数万円のゲーム機を配った。中居さんから「頑張ってね」とプレゼントを手渡された子供たちは大喜びした。

ところが、被災者の子供の保護者らから「ボランティアで訪れた子供が高価なプレゼントを受けるのおかしい」と市職員に抗議。これを受け、市職員はバレエ教室の子供に返還を求めた。ゲーム機を回収された小学4年生の女児は「中居さんからもらったと、友達に自慢しようと思っていたのに」とがっかりしていたという。

一方、市には「子供たちの心を傷つけた」などと対応を批判する苦情の電話が相次いだ。市避難所対策室では「配慮に欠けた」と陳謝。ゲーム機をバレエ教室を通じて子供たちに返すことにした。

http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20110627ddlk04040032000c.html
======【引用ここまで】======




このニュースを見て、茫然自失。



個人が、別の個人に対しプレゼントをする。
プレゼントを受け取った側が、「ありがとう」と喜ぶ。
すると、これに不快感を受けた傍観者が、
プレゼントした人ではなく、市役所に対し
「あの人がプレゼントを受け取るのはおかしい」と抗議し、
市役所がプレゼントを受け取った人からプレゼントを回収する。


・・・終わってる。
日本は本当に終わってる。



プレゼントを贈る。
プレゼントを受け取る。
双方合意の上で受け渡しが行われ、双方満足する。


これに第三者が口を挟む余地はないのだが、これを眺めていた馬鹿が、妬みに駆られて介入してきた。しかも、この馬鹿親が市役所を使って介入してきた点で、悪質の度合いは倍増。

この馬鹿親の頭にあるのは、
「なんでこの人がプレゼントを貰えるの!」
「この人が貰うと私の取り分が減る!」
「本当なら私だけが貰えて、優越感に浸れるはずだったのに!」
「私より裕福な人がプレゼントを貰えるのはおかしい!」
という、不快感、妬み、欲だけ。

しかも、これを市役所に抗議し、この抗議に沿って職員がプレゼントを(後に返還したとはいえ)回収してしまったのだ。この職員に、回収してまわる権限なんて有るわけがない。越権も甚だしい。この職員も、本当にどうしようもない。他人があげたプレゼントにいちゃもんを付けて回収するなんて、これはもはやヤクザの所業。

抗議した馬鹿親の頭にも、市の馬鹿職員の頭にも、自由、財産権、私的自治という概念はこれっぽっちも存在していなかったのだろう。こういう馬鹿が集まって、あっちに市町村が補助、こっちに県が課税、そっちには国が規制・・・という事を繰り返した結果、今のような日本になってしまったのだ。

「あの人の方が幸せだ、生活が安定してる、稼ぎが多い」
という事をもって、
「だからあの人から財産を取り上げて、私に渡すべきだ」
と主張するのは、泥棒の考え方だ。
社会に泥棒の考え方が蔓延すれば、その社会はダメになる。

欲しけりゃ稼げ。
稼げなければ施しを乞え。
生存権?所得再配分?奇麗事言ってんじゃないよ。
タダのものは存在しない。誰かがその分を負担している。
貰えて当然なものは存在しない。誰かが無理やり金を払わされている。

嫉妬にかられた馬鹿な泥棒と、行政機関というヤクザが大手を振って歩く。
税金はヤクザのショバ代、みかじめ料と何ら変わらない。行政が暴力団追放の旗を振るのは結構だが、その行政が私人間のトラブルに介入したら暴力団そのものじゃないか。

泥棒とヤクザが結託することで、自由主義は後退していく。

公営・補助制度で見えなくなる、損得計算

2011年07月07日 | 政治
ある公立保育所では、児童一人あたり年間150万円の費用がかかるそうな。

もし、150万円の費用が全額利用者負担だったら、
「パートで103万円の収入を得るために、子供を保育所に預けよう」
とは思わないはずだ。
47万円の損失が出るのは、誰が見ても明らかだ。

ところが、公立保育所では自治体が運営費を出しており、利用者負担は低く抑えられている。私立でも、自治体が補助金を出して利用者負担を抑えているところもある。

ここで、利用者負担が月3万円、年間36万円に抑えられてるとしよう。
「103万円のパートで働くために、子供を保育所に預けよう」
と思う人は当然出てくる。

児童一人当たりの費用は同じ。パートで得られる収入も同じ。
なのに、間に「公立」「補助金」という制度が入ることで、人は行動を一変させる。
そして「公立」「補助金」という制度が介在することで、利用者が負担すべき「収入-費用=損失」は、納税者に転嫁されることになる。

児童一人当たりの費用が明示されていても、明示されていなくても、利用者は公立保育所を利用するだろう。むしろ、明示されている方が、
「本当は150万円かかるのに、36万円しか払わなくていいなら利用しないと損」
と、利用を促進することになる。

しかし、利用者が増えれば増えるほど、実は損失は拡大しているのだ。


「○○への公費負担を導入せよ」
「△△への補助を拡充せよ」
「□□は自治体直営で行うべきではないか」

といったセリフを、ミニにタコ・・・耳にたこが出来る位に聞いた。
このセリフが出てくる度に、世の中は、少しずつ貧しくなる。
しかし、このセリフを言う人の大半は、そのことに気づいていないように思う。