若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

鳩山首相のガンジー信奉~資産家の迷走~

2010年02月01日 | 政治
ガンジーの言葉に「七つの社会的大罪」というものがある。


「原則なき政治」
「道徳なき商業」
「労働なき富」
「人格なき教育」
「人間性なき科学」
「良心なき快楽」
「献身なき信仰」



鳩山総理が、施政方針演説の中でこれを引用したらしい。

総理「演説にガンジーの『七つの社会的大罪』を引用しようと思います」
閣僚「『労働なき富』というのは、大丈夫ですか?」
総理「自分のことを言われるのはわかっている。だからと言ってガンジーの言葉が間違っているんですか?」


・・・個人の生き方の指針、自己への戒めとしてこれらの言葉を胸に刻んでおく分には問題ない。「ご勝手にどうぞ」で終わる。

しかし、これらの言葉を一国の首相が施政方針の中に盛り込むとなれば、間違っている。問題がありすぎるのだ。政府代表として、個人の自由な活動と私有財産に対して「道徳なき商業」「労働なき富」と攻撃し、人格・人間性・良心・献身といった徳を強調する。恐怖政治でおなじみ、ロベスピエールの演説のようだ。

ロベスピエールの論理的支柱となったルソーは、自己の欲求を満たそうとする個々の意思を排し、一般意思(個別的利害を越えた共通の利害、間違うことのない道徳的意思)への一致を求めた。個人は一般意思への服従によってのみ社会的自由を得ることができる、という論理を展開した。ルソーの論理は、統治論というよりも、あるべき道徳的人間を作り出す、人間改造論とでもいった方が良いかもしれない。

ルソーは、一般意思を発見、確認するための方法論をすっ飛ばした。「私の主張が一般意思に沿っている!」と言う者に対し、その真偽を確認する術がルソー理論には欠けている。そのため、ルソー理論を用いた後世の指導者達は「私達が一般意思・一般的利害を代表している。私の掲げる道徳論が正しい。個人的な利害にとらわれた人民が道徳的にあるべき姿に気づくよう、私が導いていかなければならない。そのためには強制もやむを得ない」として、人民に対して様々な規制・強制をかけ、敵対する集団に対しては攻撃・弾圧を加えた。これが完成すると、「われらが偉大なる将軍様は~」というお隣の世界となる。


だいぶ話が脱線。


ガンジーのような「共産主義者の中の共産主義者」から見れば、「道徳なき商業」「労働なき富」は社会的大罪だろう。しかし、私はそうは思わない。

まず「道徳なき商業」については、道徳を欠いた商行為(たとえば詐欺)が契約当事者間で問題になり、個人的法益を侵害する犯罪となることはあるだろう。しかし、これが「社会的」な罪になるというのは飛躍のしすぎだ。大抵の問題は、きちんと調べていけばその問題に係る人間は特定できる。これを「社会的」として名無し扱いする必要はない。「社会」や「国民」といった集団は行為しない。個人が行為する。

次に、「労働なき富」については、そもそも個人的な罪ですらない。単なる嫉妬でしかない。妬む暇があったら起業せよ。株主になれ。配当は度胸と才覚、先見の明への対価として与えられる。贈与・相続はそうして得られた私有財産の処分だ。何ら非難される筋合いのものではない。

私は、鳩山総理が親から億単位のお小遣いを貰っていて、その出所が株式の配当であることは非難しない。私が非難したいのは、その軽々しさだ。鳩山総理は軽々しくも「自分の政治理念と非常に重なる」と言っているが、そのガンジーは次のように述べている。

○ガンジーの言葉の窓 質疑応答 その3 平等の強制ではなく
社会全体が私のような考えに変わっていくまで待つつもりはありません。そうではなくて、自らが直ちに第一歩を踏み出したいのです。言うまでもないことですが、もし私が自動車を50台所有していたり、2.5ヘクタールほどの土地を持っていたのでは、私が考えるような経済的平等を達成することは、望みようもありません。そのような点については、私は貧しい人々の中でも最も貧しい人の生活レベルにまで、自分の暮らしを簡素にする必要があります。それこそ、過去50年あまり私が努力してきたことです。私こそ共産主義者の中の共産主義者と自認しています。

ガンジーという「共産主義者の中の共産主義者」の言葉は、鳩山家の存立基盤そのものを否定するものとなる。「七つの社会的大罪」を引用した総理本人はこれに気づいているのだろうか。もし気づいた上で引用しているのなら、馬鹿か、病気か、あるいは理念達成のため全財産を投げ打って暮らしを簡素にする覚悟があるのか、いずれかだろう。

○鳩山演説「労働なき富」にヤジ、「それはあんただ」(読売新聞 - 01月30日)
 昨年12月30日、インド訪問から帰国した鳩山首相は、松井孝治官房副長官に「自分の政治理念と非常に重なる」と告げ、インド建国の父、マハトマ・ガンジーの言葉を演説に盛り込むよう求めた。
 ニューデリーのガンジー廟で見た「七つの社会的大罪」だった。
 だが、26日の閣議で演説全文を目にした閣僚たちは、仰天した。「七つ」の中には、「労働なき富」という言葉があったのだ。首相が実母から毎月1500万円もの資金提供を受けていた問題を想起させないか――。
 「『労働なき富』というのは、大丈夫ですか?」。閣僚の一人がおそるおそる切り出すと、首相は「自分のことを言われるのはわかっている。だからと言って(ガンジーの言葉が)間違っているんですか?」とむきになった。
 この場で演説を読み上げた松井氏は「途中で感極まって涙を流した」(閣僚)といい、手直しを求める雰囲気ではなかったという。
 閣僚らの不安は的中した。参院本会議場で首相が「労働なき富」と読み上げた瞬間、野党席からは「それはあんただ」と激しいヤジが飛び交った。
 それでも、首相の危機感は薄い。「国民の心に響いたらと思っている。批判も覚悟で思い切ってやらせていただいた」。29日夜、首相は満足そうに語った。




○参考
ロベスピエール・・・理想と政治理念と民衆・・・第3章 理想と現実