「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

指定国立大学法人

2017-07-01 | 2017年イベント
東北大学、東京大学、京都大学が指定国立大学法人になりました。
指定国立大学法人の掲げる「世界のトップ大学と伍して戦える大学になろう」という意気込みはもちろん支持したいのですが、具体的にはどうすべきなのてしょうか?
評価項目としてそもそも世界大学ランキングとやらで高い評価を受けることが本当に良いことなのか。

欧米の世界大学ランキングには必ず留学生比率、外国人教員比率が項目に挙げられており、英語を中心とした国際化をある意味で強制するような評価姿勢が見えます。たしかに留学生は国際交流の担い手ではありますが、うがった見方をすればスパイでもあります。留学生に対する指導は、ある意味、ライバルを支援しているといえます。日本の大学でわざわざ他の競争国から来た学生さんを積極的に指導して育成する必要があるのかどうか、一度ちゃんと考えるべきなのかもしれません。鎖国する必要はありませんが、ランキングのために、外国とくに中国をはじめとするアジア諸国からの留学生を無理してまで集める必要があるのでしょうか?
もともと日本の大学には中国、韓国、台湾などのアジア諸国以外の留学生はほとんどいませんでしたし、その数も多くはありませんでした。つまり、日本語で講義をして、日本語で研究をして、それでも独創的な成果を生んできたのです。日本は欧米と比較して、良くも悪くも日本固有の学術風土がありますから、それを活かす方法もありなのかもしれません。個人的には、私自身が留学生ではありますが、留学生の多い大学が必ずしも良い大学だとは信じていないのです。
私には日本初の高水準の研究を展開するのに「日本語で学び、日本語で考えること」が必ずしも不利になるとは思えませんし、その言語的障壁が他国からの留学生を妨げたとしても、日本の科学技術の質を向上させることは可能なのではないかと疑っています。

日本の大学の存在感低下が、留学生比率だけではなく、純粋な学術成果の低下によるものだとしたら心配です。それを示唆するデータも見たことがあります。

しかし、手直しすべきは、そもそも「大学」なのでしょうか?

私は、特定の大学の学部レベルを強化するよりもむしろ全国の義務教育課程の数理科目の指導をもっと強化してボトムアップを図る方が効果的かもしれないと思います。
小中高の先生方のレベルは、失礼ながら、諸外国に比べて卓越しているとは思えません。もっと教員の質や教育体制の見直しが求められるのではないかという印象も私の中にあるのですね。とりわけ理系の教育については、小中学生の段階で、もっと改善の余地があるのではないか。

日本が科学技術立国を目指すならば、国際競争力を保つために色々とテコ入れが必要なのは確かです。しかし、それらは言葉遊びで終わるのではなく、中身が伴われなければなりません。従来の指標では、おそらく米国や中国にはもう物量で勝てないでしょう。

それならばどうするか?
日本独自の指標というか、日本語、日本文化の強みを活かす方法を模索すべきなのではないか。指定国立大学法人もあってもいいのでしょうが、そもそも日本の科学界の短所と長所を把握して、国全体で取り組んでいくことを考えるべきなのではないかという気がします。

「大学ランキングが低いならば大学に予算を投入すればいい」という発想は、正直、すこし稚拙ではないでしょうか?