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あいちトリエンナーレ2019/【対談】ホー・ツーニェン✕浅田 彰

2019年10月14日 00時21分43秒 | つぶやき

長いようで短かった?あいちトリエンナーレ2019の期間中に見れた作品の中で一番のお気に入りが喜楽亭の「旅館アポリア」だった。その作者、ホー・ツーニェンのトークイベントがあったので行って来た。
喜楽亭がある豊田産業文化センターの小ホールで14時からだが12時半に整理券を配布。でも、12時から旧豊田東高で小田原のどかのトークイベントもある。
終わってからでも大丈夫かな?定員200名なのでキャパは十分だろう。

日曜日の今日は豊田市美の周辺は大渋滞。旧豊田東高の臨時Pは満車で童子山小の臨時Pへ向かうも動かねー。ようやく停めて、そこからウォーキングしたので結構疲れてしまった。
お、トリエンナーレカラーのHa:moが居るじゃん。


校庭にはフィナーレへ向けたモニュメントがあり、ちょっとしたお祭りの雰囲気がして盛り上がっていた。


ついでにプールも寄ってみた。これ評判いいらしいね。圧倒的な存在感で見る者を驚かせる作品だった。
思考停止に陥った後に、色んな考えが浮かんで来るインスタレーションだ。


小田原のどかさん、どこでトークするんだろ?スタッフに尋ねてみたら「台風の影響で新幹線が遅れて中止」ってまーじーかー・・
ちょっと早いけれどツーニェンの整理券を貰いに行くか、で会場に到着したらもう行列が出来ていた。人気あるなぁ。


30分程並んで整理券を貰った。この時点で100名以上は並んでいたみたい。動員力あるなぁ。
「番号順に並ぶの?」と尋ねたら「自由席です」ん?するとまた開場前に並ぶの?ヤダなぁ・・


小学校に戻ってこっちに車を移動させたらいい感じの時間。番号に関係なくワラワラと先頭グループで入場出来たのでステージ前に陣取った。
程なくキュレーターの能勢さんが登場して前説スピーチ。
「ツーニェンは1976年シンガポール生まれの作家さん」「大東亜戦争の思想的な支えになったのが京都学派の哲学」「戦後公職を追放されたり糾弾され今では忘れられた存在に」「シンガポールの作家がなぜ関心を持ち作品にしたか」簡潔にツボを押さえた良いスピーチだった。


対談は通訳さんが同席して進行。浅田さん、まずトリエンナーレ全体についての論評から。展示中止を撤回して再開したことを高く評価した。
続いてタイトルの「旅館アポリア」について。「ルカーチがアドルノを批判したGrand Hotel Abgrund」いきなりお得意の論陣に巻き込んで来て、通訳さんのペンが激しく動いていた。いやぁこの通訳さん凄いわ。専門的な用語もバッチリだった。


「旅館・神風・京都学派・映画、どうやって思いついた?」そうそう、これとても気になる。
「作品はいつの間にか始まってることが多い」「キュレーターの能勢さんが喜楽亭で作らないか?と提案」「内容的には昔と新しいアジアの両方を扱った作品を」
そうか、能勢さんがプロデュース的なことをしたのね。ここでようやく気付いた。作中のYokoって能勢「陽子」さんだったのか!

「小津作品は好きでほぼ全部見ていた」「映画の中で戦友と再会するシーンがある」「懐かしくなって歌を歌う」「その中にシンガポールが出て来たのが嬉しかった」「後に小津がシンガポールで生活していたと知った」「それで小津のことをもっと知りたいと思った」「調べる上で神風や京都学派などが織り込まれて行った」

小津安二郎と横山隆一などプロパガンダに協力した人たち。「旅館アポリアは映画のグランドホテル形式の印象」「色んな部屋に色んな人が居る」と浅田さんが指摘。
ツーニェンは小津や横山について詳しく調べたらしい。「小津と横山はシンガポールで対照的な生活をしていた」作品のベースが次第に見えて来た気がした。

浅田さん的に京都学派の印象を論じた。
「ロジカルというよりはレトリカル」
(少し眠くなってきたかも・・)
西洋は対立する思想問題を抱えて行き詰まるだろう。
・全体論 vs 要素論
・全体主義 vs 個人主義
・共産主義 vs 自由資本主義
日本は関係主義・共同主義でそれらを乗り越えるだろう。この思想がベースになって東亜共同体から大東亜共栄圏へ。

浅田さん、西洋と東洋の違いの例としてブルース・リー。「水のようであれ」の論理は最近の香港でも言われていましたね。
西洋の支配と日本の支配は根本の考え方が違うと紹介。まぁ、私的にはいかに日本の上層部が高尚な理念を持っていたとしても、最前線では無茶苦茶なことをする者が居るのが常なので、そのギャップが問題の本質だと思う。


旅館アポリアで語られていた京都学派の問題点にも言及。彼らは部分的には戦争反対の姿勢を示していたが、それは「対アメリカ」に限定されたもの。
アジアの国々に対しては戦争すら成立しないという姿勢で、日本がアジアのリーダーシップを執って当然といった論調。軽視された国に生まれたツーニェンの「憤り」が垣間見えた。

反アジア主義について更に深く話してくれた。植民地主義に反対する国家主義のリーダー達が実は繋がっていた。中国やベトナムなどの国々とも。その矛盾が面白いと語った。

「細雪」に関しての浅田さんの指摘が面白い。1943年1月号の中央公論では「総力戦の哲学」を論じる横で新連載として「細雪」のお気楽な日常が描かれていた。
谷崎潤一郎なりの戦争へのアンチテーゼは速攻で連載中止。その中止のお知らせがまた皮肉たっぷりだった。
「谷崎も旅館アポリアの一部屋に是非入れて欲しかった」浅田さん、グランドホテル形式を推すなぁ。でもツーニェンは既に谷崎を招待していた。二階の扇風機の間で「陰翳礼賛」を引用しているのだから。

内容のお話だけでなく視覚的な手法についても語られた。プロジェクターの位置やスクリーンの高さについての意図を説明。更に会場の設営では似た材質の木を使い、釘は一本も使っていないそうだ。
「能勢さんらスタッフとのやり取りを作品中に再現」「そうする必要を感じたから」
キュレーターと二人三脚で作り上げたことが窺える言葉で、力説するツーニェンからは誠実さが感じられた。


最後に来場者からの質問も受け付けた。「顔が無い表現はどうして?」この問いに「見る人が自由に思い浮かべて欲しいから」
更に「著作権の問題もクリアしやすいだろうから」これはツーニェンなりのジョークだろうな。

浅田さん、質問の中で先生と呼ばれたことに反応。「私は先生と呼ばれるような人間じゃない」「今日の肩書も私は思想家なんて名乗ったことはない」「批評家でも無い。ただの評論家です」聞いてて感じたデジャビュ、まるで宮崎駿みたいな口ぶりだなぁ。


「ボイコット問題であなたも中止を考えなかったか?」この質問も興味ある。
「自分の作品の内容はこの問題にも通じる部分がある」「一人でも多くの人に見て貰うことが自分なりの役目」とても前向きな考えが聞けて大きく頷いた。


ツーニェンのような問題提起は戦後すぐにすべきだった。「あの戦争は一体何だったのか?」「どんな経緯で戦争に突き進んでしまったのか?」国を挙げて再検証してそれを基に反省すべきだった。
でも戦後、GHQによりプレスコードで統制されてしまった。「日本だけが悪かった」としか報道出来ない。主権を取り戻すまでそれを繰り返した。主権を取り戻した時にはそれを信じきっていた。
互いのやった事を全て検証してこそ新たな関係が築ける。でないといつまでも戦後は終わらないと思う。



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