セリカ魂

「初代セリカに乗りたい!」
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十角館の殺人(ネタバレ注意)

2024年03月25日 22時57分30秒 | つぶやき

Huluで実写ドラマ化されたのを機にKindleで購入。蔵書(殆ど漫画)が溢れて困っているので電子書籍を導入したいと思っていた。
記念すべき最初の電子書籍は読みやすいね。文字は拡大縮小自由自在でスマホスタンドに置けばハンズフリーで読めて凄く楽!あとは「次のページ」「戻って」なんて音声で操作出来たら最高だね。

十角館の殺人/綾辻行人(¥946)


空き時間に読み継いで2日で読了。面白い!
「あの1行」が余りにも有名なミステリ界の傑作だが、その1行が具体的に何かは知らなかった。そのトリック故に映像化は不可能と言われ続けて来た。
「いつか読みたい」と思っていたが、今回Huluで実写ドラマ化されて遅かれ早かれどこかでネタバレを目にしてしまうと危惧して遂に読んでみることにした。

物語の舞台が大分県だってことにまず驚いた。
そうか、綾辻行人の奥さんの小野不由美って大分の中津出身だったな。国東半島の背中辺りで育った彼女に、大分のことを教えて貰いながら執筆したのだろう。もしかするとアプローチのきっかけにしてゴールインしたのかも?

十角館はS町のS半島J崎の沖、約5キロに浮かぶ小さな島・角島(つのじま)にある。モデルは佐賀関町(現大分市)の佐賀関半島の突端・地蔵崎沖の高島(たかしま)だそうだ。

O市=大分市か。K**大は京都大学?大分市に京都大学並みの優秀な大学がある設定なのだろうか。浪人して入るくらいのレベルなのだし、別府には立命館だってあるのだから。綾辻行人が当時京大生だったので舞台は大分だけれど通う大学は描きやすい京大にしたのかな。

別府、鉄輪、鶴見岳、国道十号線、別府湾、宇佐市、安心院、摩崖仏、国東半島などなど、国東市に生まれ育ったのでそれらの地名や景色の描写が出て来るたびに嬉しくなった。

読了したら「これをどうやって実写化?絶対ムリだろう」って疑問と興味が湧いて「Huluの月額¥1,026で全5話を視れるのなら安い。一ヵ月で退会すればよいのだし」と自分を納得させた。まぁ、実のところは「我慢できんわ!」が本音なのだ~。

「なるほど!こういう手法か!」
その正攻法な演出に驚いた。
真正面から難題に挑んで、見事にやり遂げて見せたスタッフに拍手を送りたい。

キャスティングもかなり良い。
特にコナンと島田はバッチリ適役だった。
長濱ねるがアガサかぁ・・もっとシャープな綺麗系を想像していたのだが、次第に壊れて行く演技なども上々でしっかり務めてくれたと思う。
オルツィは想像よりかなり可愛いかった。だって原作だと「小柄・太めの体格・暗い色調の服・臆病そうな目をいつも伏せている」なんだもん。

そして迎えた第4話のラスト、遂に「あの1行」が登場。

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以下ネタバレ。

―警告―

既読・視聴済み以外はここまで。
この作品のオチを先に知るのは人生の損。

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ。
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原作を読んだ時は「あの1行」はラストなのだと思い込んでいたので読んでもしばらくは気付かなかった。

「ヴァン・ダインです」

意味をすぐには理解出来なかった。
K**大ミステリ研では欧米の有名作家の名にちなんだニックネームを先輩から後輩へ代々引き継いでいる。島に居るのが現ヴァン・ダインで本土の守須は先代のヴァン・ダインなのだと解釈した。
卒業する時に指名して名を譲るのが常だが、何か理由があって現役メンバーの守須から譲られたのだとか色々な解釈が頭の中を巡って守須=ヴァン・ダインを受け容れられないでいた。見事に筆者の仕掛けたトリックに陥っていたよ。

ヴァンが島と本土を行き来していて二人は同一人物だった。こんなオチは小説だからこそ成立する。この難題にドラマスタッフは原作の「角島のヴァンは風邪気味を装う」という設定を活かし、「マスク」「髪はボサボサ」「メガネなし」「弱々しい口調」とすることで本土の守須と別人に描き分けた。

ただ自分的には「メガネ」による描き分けが逆なのでは?と感じた。だってルックスを気にしてコンタクトにするのが一般的だと思うから。
健康を装った本土ではルックス優先のコンタクトで、風邪気味を演じる島ではコンタクトが面倒でメガネ姿になっていてこそ別人に描いた演出になるのでは?
或いは自分を知的に見せるための伊達メガネだったのであれば、「風邪気味で余裕がないから島のヴァンはメガネなし」って設定もアリだがそういうセリフも無かった。

「あの1行」を言う時に突風で埃が目に入って痛そうな素振りをしたが、あれは「コンタクトをした上での伊達メガネ」だと暗示していたのだろうか。

ドラマでこのトリックが成立するのは今だけ。
ヴァン役が有名だと成立しない。
「まだ広く顔を知られていない無名の実力派俳優」
実は実写化での一番のハードルはそこだった。


原作は守須の犯行動機が弱いと思う。
「きっと、彼女は奴らに殺されたのだ」
え?「きっと」って何だよ・・
死亡現場に居合わせた誰かから決定的な告白を聞いたのならまだしも、思い込みで6人を罪人と決めつけて殺す姿勢には感情移入出来なかった。
ドラマの制作陣も同じモヤモヤを感じたらしく、原作にはなかった「人工呼吸が行われなかった」エピソードを新たに加えて犯行動機を補強していた。

原作だとラストで瓶を拾ってしまっただけで神の審判だと受け止めて罪の告白をしてしまうが、その諦めの良さが余りにもあっさりしているように思えた。しかも、そこにコナンが居なくて何とも物足りなかった。
ドラマの方はちゃんとコナンが居て千織の「指輪への想い」を守須に告げるエピソードまで追加されていた。結果、「千織がお酒を飲んだ理由」に気付いてしまう守須。激しく動揺して「6人のせいじゃなくて僕が千織を殺したのだ」と猛烈な罪悪感に苛まれている所へタイミング良く投げ捨てた瓶が登場、「これぞ神の審判」と悟って自首を選ぶ。うん、この流れなら自然だわ。とてもよく練った脚本だと思う。

不満は別府と大分を行き来する場面。
国道10号線を通る訳だけれど、あそこは別大マラソンの中継で分かるように開けた海岸線なのだ。ところがドラマでは島田の車はずっと山の中を走っていた。海岸線以外の山道での会話シーンだったという理屈なのだろうが、あの描き方は大分県人には違和感だらけなのである。

とまれ小説もドラマもとても良かった。
この傑作のどちらも知らないのは人生の損だ。
読むなり視るなり、どちらかだけでもよいので是非!

まぁ、どちらもまだなのに警告を無視して
ここ読んでる時点でアナタ終わっているよ。



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