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国家の禍は、私欲、私意、朋党(派閥)より起る------水雲問答④

2024-04-23 11:22:01 | 森の施設

 

     国家の禍は、私欲、私意、朋党(派閥)より起る

 

雲   およそ国家の政をするには、公儀というものをたてなければなりません。公儀とは

   私に対する公、部分に対する全体の立場です。国家の禍は、とかく指導者の私欲より

   起り。あるいは大臣の私意より起り、下の者が党を組むから起るものであります。昔

   も今も人の世の中変わりはありません。

 

雲   公儀の論いちいちご尤もでございます。しかし公のないものはありませぬが、人物

   が小さいとか、問題が大きくなりますと、いつの間にか公が私になるものであります。

   人間のことでありますから、機械のように規定はできません。融通変化自在であって、

   公だと思っているうちにいちか私になってしまいます。とくに政局などに当って重大

   問題に直面すると、下手に発言したり、下手に手をうつと、却ってどうなるかわから

   ない。だからしばらく形勢を観望して徐に成り行きを見て善処する、と言いながら結

   局何もできないというのは、公が私になってしまっているのであります。つまり失敗

   したら大変だ、我が国に大きな累を及ぼす、内閣の致命傷になる、わが党の敗北にな

   る、というように公が私になってしまうのは、結局その局に当る人物がずらりと並ん

   で我が国はどうならなければならぬかを究明し腹にすえれば、千年に渡る太平の時代

   をも貫き通すことができると思います。

    ところが、たいていの人間はどこまでが公で、どこまでが私であるかゆかりません。

   とんでもない人間が私をはかりながら、看板に公を振り廻しているのは許せません。

   公私の別がなくて天下国家を叫んでも、世の人心のためなどというてみても、とても

   そういうことは行われません。しかしこの連中に限って、自分のすることはみな公儀

   であると考えているのである。

 

 

 

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