goo blog サービス終了のお知らせ 

楽器を始めよう

葦笛工房の楽器
Qホイッスル(ホイQ)
片手オカリナ
ニンジン・ちくわ笛
面白楽器
ハープ・ケーナ

アンデスよもやま話②~ヤットサン

2012-04-06 17:37:06 | アンデスよもやま話
ペルーでは現地の県庁のようなところにいて、土木技術協力を名目に働いていたのです。月曜にトラックに乗って工事現場に入り飯場生活、金曜に町に戻ってくる、と言う生活を続けていました。そのトラックが、スゴイのです。日産のダットサントラックなのですが、まずスピードメーター等の計器がほとんど壊れている、サイドブレーキはワイヤーが切れたまま、方向指示器作動せず、ギヤチェンジは3速目が壊れていて入らないので2速と4速をチェンジしながら、上り坂はグウィ~~ン・ガチャ・ドドドddd・・・・部品が無いのです。お金も無いから修理ができない、しかたがない、としか言えないのです。んで、前がなぜかシャコタン、つまり沈んでいる、わけを聞いたらバネが折れちまった、との事。板バネなら溶接も可能ですがコイルバネなので折れたらおしまい。そんなトラックで50キロの未舗装のがたがた道路を20キロくらいのスピードで行くのです、ああ、気が遠い。そんな車でも帰りはよいよい、アンデスの山々を眺めながらドライブ気分、そして途中で客を乗せていくのです。そのアンデス山中はバスもろくに通らないので人々は道行くトラックを乗り合いバス代わりにしているのです。同乗者はペルーの公務員、公用車に人々を乗せて、運賃を取って荒稼ぎ、町に入るとそのトラックのまま飲み屋に直行、運賃はピールセン・カヤオ(ビール)に化けるのです。ダットサンは昔、ヤットサンと呼ばれていたそうです。おんぼろトラックでいつもヤット走った、からだそうです。ペルーのダットサンはウサギにも追い越されそうなヤット亀サンだったのです。

アンデスよもやま話①~ご婦人優先

2012-04-05 21:12:46 | アンデスよもやま話
新しいシリーズです。20数年前アンデスの山岳都市に2年間住んでいたときのお話。
あちらでは日本人も朝鮮人も「チーノ」つまり中国人と呼ばれるのです。日本韓国中国の区別もつかないのか!と憤るのは勘違いというもの、自分だって以前はペルー、ボリビア、コロンビア、エクアドルの区別がつかなかったのだから。人々は先住民系、スペイン系、その中間に分かれるのですが、スペイン系のご婦人方には憤慨させられた経験が何度かあるのです。長身の、もちろん足も私よりもずっと長いスペイン系の別嬪さんが街中ですれ違いざま「チーノ」というのです。この場合の「チーノ」は『目が細くてうだつのあがらないトーヨージン』といった意味合いなのです。あ~、ちくしょう言いやがったな!と憤慨する、こんなことで憤慨するのもアホなのですが。もう一つ厄介なのがレディーファーストというやつなのです。なんでそんなことに気を使わにゃならんのだ、と意に介せずにいるとヤバンジンのレッテルを貼られるので、ヘイヘイどーぞお先に、とやるわけです。落とし穴でもあれば先に落っこちてくれるのでまあいいか、くらいの意識でなければやってられないのです。ところが、です。先住民系の人々にはそんな概念はさらさら無いのです。歩くときもバスに乗るときも男が先でも女が先でもお構いなし、手や肩を組んで歩くこともしないし、人前でチューをすることもなし、押し付けがましいところがないし、ついでに顔つきもわれわれと似ているし、そんなところに感じる親近感は並ではなかったのです。あーあ、スペイン人さえこの地にやってこなければ・・・と空想ばかりするペルー滞在だったのです。それにしても先住民系の女性はたくましいのです。大荷物を背負ってすたこらさっさ、逆に亭主は酔っ払いが多かったなあ。