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好奇な鷲

日常の疑問や愚痴、独り言や、旅の思い出などを書いていきたいと思います。

06 ドイツの旅11 ミュンヘン中央駅で

2008年03月23日 14時24分48秒 | 海外旅行 ドイツ06
ミュンヘンからハイデルベルクへは、DBで約3時間。
遅い昼食はこの移動時間を利用すべく、バゲットやジュースを購入して列車へ向かう。
ドイツの新しい大きな駅のホームは、カタカナの「ヨ」の真ん中の横線部分がホームで、その前後の空間に列車が進入してくるような形で、スイッチバック方式というのだろうか。横線であるホームは、20以上あったと記憶している。
ホームの上は、かまぼこ型の非常に高い屋根に覆われていてる。ヨの字の縦棒部分が連絡通路なので、日本のように階段の上り下りはないのが嬉しい。そこはそのまま駅のショッピング街や、レストランに続く。改札がないので、行き来も自由。

我々の乗る列車を案内板で確認すると、一番端だった。荷物を引きずりなが向かう。30分前に到着して、ベンチに腰掛ける。ホームにある案内も、列車番号をきちんと表示していた。が、変だ。人がいないのである。10メートルほど手前のベンチに、同じくアジア系の若い女性3人がいるのみ。
「ねえ、この時間でこんなに人がいないなんておかしいと思わない?」と夫に言うと、「え?だってここのホームって書いてあるから大丈夫だよ」と平和そうに言う。と、そのとき、なにやらアナウンスが、ドームの屋根に反響し、ホームの雑音と共鳴して呪文のように響く。夫の脳のドイツ語領域が反応した。
「ちょっと待って。ホーム変更になってるみたいなんだけど、・・・ん・・聞き取りにくい・・・」ホームを見回して、直接聞こうにも職員の姿はない。
繰り返されるアナウンスを聞いて、何番ホームらしいと言うので、急いで移動することにする。荷物を引きずって歩くと、先ほどの女性3人が、そのまま談笑しているのが見えた。ドイツ語のみのアナウンスが聞き取れず、気づいていないのではと思えた。

日頃、他人にしてもらって自分が嬉しいと思うことは他人にするを信条に、時におせっかいと言われる気持ちが、私に起きる。
「教えてあげたほうがいいんじゃない?」「え?でも、僕の聞いた内容が違うかもしれないから、早く確認したい。」と足早に行ってしまう。
アジア系でも、日本人とは限らない。私はかつて旅行中にアジア系の人が、日本語で話しかけられて露骨に嫌な顔をされているのを何度も目撃している。躊躇したが、思い直して伝えようと足を向けた時、その女性達が、バックからコンパクトを取り出して、化粧直しを堂々と始めた。
その瞬間、私のおせっかい心は消えた・・。公衆での化粧直しは、私の大嫌いな行為なのである。

変更されたホームは、当初のホームからかなり離れていた。すでに列車は入ってきており、あわてて座席へ向かう。腰を下ろしてホッとしたら、先ほどの3人が思い出された。でも、これから戻っては列車は出発してしまう。
「しょうがないさ・・・・」「・・・・うん。」
日本のようなやかましい警報音も、出発を告げるアナウンスもなく、ドイツの列車は静かに滑り出すようにホームを離れた。

06 ドイツの旅10 ノイエピナコテークへ

2008年03月22日 12時46分09秒 | 海外旅行 ドイツ06
8月3日。ガルニの朝食は質素。1,2泊なら大丈夫だが、4泊となるとなかなか厳しい・・・・。日頃、そんなに豪華な朝食をしているわけではないが、人間はわがままなもので、これしかないと思うと、そこにない別なものが食べたくなってしまう。この欲望が資本主義経済を支えているのか???
副菜は貧弱だったが、パンがおいしいのは嬉しい。私は日本のやたらとふわふわしたパンが好きではない。かといって、口内を怪我するほどの皮の硬いのも苦手。以前、スペインのツアーで一緒だったご婦人が、食事中にパンで指を怪我して血を流していたことがあったし。

今日は、チェックアウトでハイデルベルクへ向かうが、ひとまずホテルに荷物を預けて、ノイエピナコテークへ行くことにした。駅の目の前のホテルは、こういうときに大変便利。
ノイエピナコテークは、先日のアルテピナコテークと並んで建っていて、19世紀以降の作品を所蔵している。


エゴン・シーレ 
クリムト

ここの作品で、私が一番好きだったのは、カール・シュピッツヴェークの「貧乏詩人」

06 ドイツの旅9 アウクスブルクにて

2008年03月19日 12時25分57秒 | 海外旅行 ドイツ06
フッゲライを出る頃、また雨が降り始めた。
かなりの土砂降りの中、マクシミリアン通りを聖ウルリヒ&アフラ教会へ向かう。
途中のドイツバロックの美術館でもある、シェッツラー宮殿は時間がなくてパス。
この教会は、キリスト教の新教と旧教の和解が行われて、今も同居するのが珍しいそうだが、宗教の和解とは、存在を認めるってことなのだろうか?
おおくの日本人のような、結婚式は神社か、にわか信者でキリスト教、赤ちゃんが生まれると神社へお宮参りに行き、葬祭は仏教、クリスマスはとりあえず楽しむという宗教観は、おおらかで平和というべきなのか、信仰心の欠如か・・・。
万物に神が宿るという考えは、私は好きだ。
幼い頃に聞いた、祖母の「神様はみんな見ているから、悪いことをしてはいけない」という言葉は、いつも私の心にある。その神様が誰かと特定する必要はないように私は思うのだが・・・・。

聖ウルリヒ&アフラ教会内部
 

地下には、それぞれの聖者の棺らしきものがあった。豪華なカソリックに対して簡素なプロテスタント。対比は興味深いが、気分的に撮影できるものではない。

教会を出る頃には、雨があがっていた。駅へと向かう。

教会前のマクシミリアン通り

ビール工場

アウクスブルク駅


ICEで、ミュンヘンに戻るが、まだ明るかった。マリエンプラッツあたりをうろうろ。どこも混雑。夏休みで各国から観光客が来ている。やたらと耳につくのはイタリア語。この後、あちこちの都市でそれを実感することに。
暗くなってきたので、夕食をとる。市庁舎のからくり時計の前。観光客用のお店だろうが、からくり時計を見るのがメインなので。
夕食&上手に取れない時計・・・
 

06 ドイツの旅8 フッゲライへ

2008年03月18日 15時05分44秒 | 海外旅行 ドイツ06
世界最初の社会福祉住宅であるフッゲライは、豪商フッガー家が1521年に建設した救貧院で、今でも老人専用のアパートになっている。年間家賃は0.88ユーロ・・・。(ちなみに見学のための入場料は、2ユーロ。)
塀でかこまれた広い敷地内に管理事務所、教会や博物館、カフェやショップがあり、現在140のアパートに150人の入居者が生活している。かつては、モーツアルトの曾おじいさんも居住していたそうな。

フッゲライ入り口

街並
 



現在の間取りと実際の部屋の写真

博物館として復元されている部屋の様子
各戸玄関から廊下(1階と2階で2世帯が居住)

居間

食堂

キッチン

寝室(ベッドが小さい)

各部屋の入り口のドアは160センチほど。昔はドイツ人も小さかったのかな?
夫が頭をぶつけないよう心配していたら、私が激突した・・・。


フッゲライ内のカフェで遅い昼食


06 ドイツの旅7 アウグスブルクへ

2008年03月18日 13時46分04秒 | 海外旅行 ドイツ06
8月2日、ドイツ鉄道DB(Deutsche Bahn)でアウグスブルクへ向かう。
ドイツなので、DBの職員も体格の良い方が多く、思わず「デブ」と読みたくなる・・・。
今回は、ドイツ国内での移動が多いので、二人用のジャーマンレイルパス8日間2等ツインパスを利用した。一ヶ月以内で、好きな日にちを8日、別々に選んで使うことができ、特急(ICE)も乗り放題。使用日も、事前に決める必要がないので予定変更もOK。便利な上、安い(当時、二人で¥54400)。座席を確実に確保したいときは、駅の窓口で指定席料金を払えばよい。(数百円程度、ただ窓口は大変混雑している)

ところで、観光立国をめざすらしいわが国はどうなのだろう?
国鉄からJRに移行して、こまごまと分断された鉄道。日本人が旅行するにも不便。部分的に乗り放題パスはあっても、連続使用で毎日移動しないと損、ゆとりある旅など出来やしない。利用者である我々が、声を大にして不満を言うべき!(ここで吠えてもしょうがないけど)

ICEでミュンヘンから35分程度、ローマ皇帝アウグストゥスに由来する街に到着。
市電で、モーツアルトハウス、大聖堂、市庁舎をまわる。市庁舎のペルラッハ塔は階段のみで、断念。

路面電車が通ると、車はどうなるのだろう?と思ってみていたら、舗道に乗り上げたりしながらかわしていた。

モーツアルト生誕250年を祝して製造元?の父の生家へ。

大聖堂(カメラにおさまらない)


市庁舎内の黄金のホール

尼崎市と姉妹都市ということで、交流の様子が展示されていた。
市長からの縦書きの手紙が横向きに貼られていた。


雨が降り始めてきたが、夫が一番訪問したがっていた世界最初の社会福祉住宅であるフッゲライへと歩いて向かう。

06 ドイツの旅6 アルテピナコテークへ

2008年03月16日 16時42分07秒 | 海外旅行 ドイツ06
ホテルに戻ると、シャワーを浴びた夫が待ちくたびれた幼児のような表情で元気そうにしていた。熱は下がったようで安心。ただ、夕方から熱が上がることも考えられる。外は、雨は上がったが、急速に気温が低下しており寒い。
夫は、薄手の麻のカーディガンしか持参していない。

出発前の荷造で、実はひと悶着あった。
夫は荷造が天才的に下手で、いつも荷造は私がする。
今回のドイツは、ネットで天気予報、気温等を見て相当な暑さが予想された。が、過去2000年、2004年の8月に一緒にドイツを旅した際にかなり寒い思いをしていた私は、彼のジャンパーを持参するつもりでいた。しかし、「僕はドイツで6年居住したんだよ!今年のドイツの夏は暑いんだ!必要ない!」と言い張ったのである。
「だから言ったでしょう!!!」病み上がりの夫に勝ち誇って説教する。

外出したいというので、ジャンパーを購入することにした。
ホテルの隣がデパートなので便利。Kappaのジャンパーを買う。3L夫は、コート類は4Lになることが多いが、さすがドイツ、XXL(2L)がジャスト。本人、なんかスマートになったような気になっていた。

火曜日なので、アルテピナコテークは20:00まで開館している。
途中、路面電車が工事中で部分バス乗換があり、私一人では来られなかったなあと、夫の復活が嬉しい。
美術に造詣が深いわけではなく、ここにどんな名画があるかという知識も少ない私は、なるべく先にショップで概略のカタログを購入する。以前は、日本で世界の美術館などとして薄い案内冊子が販売されていたが、レイアウトが変更してることもある。それに、教科書ご用達の名画だけ探すようでさみしいし。
各国語での薄い無料案内でも良いが、海外の美術館のカタログはいつも購入するので、先に手にしながらのほうが語学がだめな私には便利。特にドイツはドイツ語のみキャプションが多く、まったくわからない。(英語ならOKと言うわけではないが)
ただ、せっかくの実物を前にしながら、カタログばかり見ては本末転倒だが。
ルーベンス


ラッファエッロ

ラッファエッロが大好きで、生まれ故郷のイタリア ウルビーノまで行ったことがある。やさしい表情のマリアと愛くるしいイエス。その点、ダ・ヴィンチのイエスは・・・・。

美術館がかなり涼しい温度設定だったため、夫の体調が心配なので、夕食は簡単にというわけで、NORDSEEで購入。・・・・まずい・・・・。

06 ドイツの旅5 一人歩き

2008年03月15日 17時39分15秒 | 海外旅行 ドイツ06
専属通訳兼ボディガードを失った私は、一人で観光しようと雨の中、昨日の帰り道を逆に歩き、新市庁舎の塔へ登ることとする。
国内外問わず、私は初めて訪れた街では、なるべく高いところから街を一望することにしている。そうすると街の概要が見えて、その後の観光に便利だからだ。ただ、階段のみだったりすると、日ごろの運動不足がたたり、翌日から観光どころではなくなるので大変だが・・・。
新市庁舎は、リフトがあるので安心。
あいにくの空だが、景色は良い。


塔を降りて庭あたりをうろついていたら、ギャラリーがあった。
現代美術系の展示をしていた。



古い建物好きの私にはたまらない空間。
展示物より、建物を嬉しそうにみてしまう私は、アーティストに失礼かも・・・。(写真撮影はOKでした)

マリーエン広場からFCバイエルンファンハウスあたりへ。
ビール苦手の私は、ホーフブロイハウスを外から見学。


人が多いが、イタリアの観光地のような治安の悪さがなく、ドイツは私にとっては比較的安心な街だ。お店を覗きながら、一人で歩き始めると結構楽しい。
時計を見ると14時半。夫のお昼用の食料を買って帰ることになっていたので、あわてて食料購入。体調快復してるだろうかと、思い出したように心配しながらホテルに戻る。

06 ドイツの旅4 笑い話

2008年03月15日 16時50分30秒 | 海外旅行 ドイツ06
前回の日付の間違いを修正。(曜日と月日が合わなかった・・)

8月1日の朝、まだ夫は熱っぽい。外は土砂降りの雨。
朝食をとりに、ホテル内の小さなレストランへ向かうが、昨日までとは打って変わって寒い。土砂降りの雨がミュンヘンを冷やしたのか、半袖では肌寒くカーディガンを羽織るが、外気温はもっと寒そう。
食欲のない夫は、ほとんど食べずに部屋に戻る。
夫をベッドに寝かせ、私はガイドブックと地図を見ながら一人歩きの計画を練る。
私にとって、ドイツは5回目だが、ミュンヘンは2回目。
といっても、初回(1993年頃)はツアーだったので、添乗員の後を「ほぉ~~~ん、はぁ~~~ん」と頷きながら付いて歩いたわけで、ホテル周辺(駅前)程度を一人で歩いたにすぎない。おまけにこのときは、ミュンヘンはさらーっとバスで回っただけでとっとと日本人が大好きなノイシュヴァンシュタイン城へ行き、そのままロマンティック街道へ突入した。

そういえば、このツアーのときに、笑い話がある。
そのツアーは、16日間で西欧6カ国を旅するという、ヨーロッパ初心者向けだった。ロンドン2泊、ローマ2泊、フィレンツェ1泊、ヴェネツィア1泊、ウィーン2泊、ミュンヘン1泊、ハイデルベルク1泊、ルツェルン1泊、パリ3泊という内容。
ユーロなんてなかったときなので、その国の通貨と、挨拶の言葉を覚えたら、もう次の国へ移動だった。
メイン通貨は、ポンド、リラ、オーストリアシリング、ドイツマルク、スイスフラン、ルーブルと変化。これに補助通貨がある。
で、ドイツのローテンブルクでのこと。
マルクの補助通貨PFENNIGの読み方を忘れてしまった私は、同じツアーに横浜から定年退職されたご主人と参加されていた上品そうなご婦人に、「これ、なんて読むんでしたっけ?」と尋ねた。
「あら?何だったかしら???」と彼女も度忘れした様子。私の手のひらのコインを眺めながらしばし沈黙。
「・・・・えーーーと、、、、あ!ペ*ス、ペ*スじゃなかったかしら!」(正解はペニヒ)と嬉しそうに大きな声で叫ぶ。なんせ有名観光地につき、まわりには英語圏らしき団体も多数で、いっせいにまわりの視線がこちらに・・・。
それだけは違う!と思いましたが、「それは、お*ん*ん!」と突っ込みをいれられるような方ではなかったので困ってしまい、無言で群集に逃げました・・。

ユーロになった今、懐かしい思い出です。

06 ドイツの旅3 市内観光中異変が

2008年03月14日 14時16分32秒 | 海外旅行 ドイツ06
翌7月31日は月曜日。
朝食後、寝不足ながらも市内観光へ。
図書館大好き夫のために、ミュンヘン州立図書館へ向かう。
晴天で強い日差しのため、日光湿疹が出る私は、晴雨兼用の小振りな傘をさして歩いていると、そばにいたドイツの女の子が、「雨降っていないのに変!」と言っていたそう。
夫は、ドイツに6年居住していたため、ドイツ語に不自由しません。
私は、ダンケ、ビッテ、ブンダヴァーと挨拶語しか言えませんが。

図書館に到着しましたが、いつもなら満面の笑みで嬉しそうにするはずの夫が、なにか変。探していた資料なのに。時差ぼけかしらと思いながら早々に出る。


その後、レジデンツへ。


華麗な丸天井は、アンティクヴァリウムというホールだそうな。
豪華な宝物館の金食器や宝石の数々に見とれながら庭で休憩。
夫が仏頂面なので、ブルジョアの暮らしに憤ってるのかと思ったら、「なんか、具合悪い・・・・・・」
「え???」
ホテルへ戻ろうか?と言ったのですが、昼食をせずにいたため(午後2時)、空腹で具合悪いのかもしれないと(夫は空腹時に不機嫌になる)、食事をすることに。



お湯に入ったヴァイスブルストも食べたのですが、なぜか写真がない・・・。

その後、おきまりの市庁舎を見る。


ドイツ狩猟漁猟博物館前の猪の像と、来年(2007)の年賀状用に記念撮影。

食事していたあたりから、風が強くなりはじめ、雲が出始めてくる。
いつも暑がりの夫が、「寒い」といい始める。冬場は暖房代わりになるほど体温の高い夫なのだが、おでこに手をやると・・・あれ?いつもより熱い・・・。

ホテルの隣の、元ヘルティ?、買収されて今カールホーフ?だかの地下で食料品を仕入れて部屋に戻る。
夕方より、夫は発熱。持参した風邪薬を飲ませ、寝かせる。
葛根湯のせいもあり、大汗をかくので夜中までに数回着替えさせ、洗濯物が・・・。
部屋の小さい洗面台で洗うのですが、3Lサイズのため大変。絞るのもまた大変。
雨が降り始めて、乾燥ドイツもじっとり。洗濯物でますますじっとり・・・・。
ミュンヘンは4泊なので、快復してくれることを祈るのみ。

06 ドイツの旅2 ミュンヘン着

2008年03月11日 17時27分17秒 | 海外旅行 ドイツ06

7月30日、18:20 パリ発で、19:55ミュンヘン着。
サマータイムでまだ明るく、ワールドカップの熱気の残骸か、暑い。
ホテルは駅からの近さで選んだルイトポルトガルニ。
エアコンがないのが不安でした。



案内された44号室の窓は、道路に面しており、多数の飲食店があり、夜通し大騒ぎの宴会。朝までアコーディオンの演奏付きで、かといって暑いので窓も閉められず・・・。
やかましさに寝不足で、翌朝、フロントに話して、裏側の41号室に変更してもらいました。こちらの部屋のほうが明るく、広いのですが、どちらもバスルームが狭いです。
畳半畳ほどのシャワーブースに窮屈なトイレ、小さな洗面台と、体の大きなドイツの人から想像できない狭さ。
183㎝、95㌔の夫は、あちこちぶつかりながら使用していました。シャワーブースを破壊するんじゃないかと心配でした。