池田大作名誉会長は最高権力者にならないままでいいですから創価学会には、一刻も早く解散してもらいたいものです!!
面白いブログを見つけました。
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池田大作
2012/06/20 14:06
http://money321.blog122.fc2.com/blog-entry-42.html
宗教法人・創価学会の名誉会長
信長並みに天下を取りたい男。創価王国をつくりたい男
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
評論家・高瀬広居のインタビューにおいて、自らを
「本当は、全体主義は一番理想の形態だ。」
(第六十一回社長会での池田大作発言・昭和四十七年六月十五日)
創価王国
「創価国、創価王国を地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう」(第2東京本部最高会議=昭和50年6月10日)
「創価学会さえ健在であれば、全て守られる。日本、世界も・・・。その大前提に立って、世界観、創価学会観を築け。一閻浮提(全世界のこと)の広宣流布のため、世界にも手を打っている」(第1回本部中央会議=昭和50年6月16日)
「本当は全体主義は一番理想の形態だ」 (第61回社長会=昭和47年6月15日)
「68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だな。そうすれば文部大臣は森田さん。大蔵大臣、中西さん。外務大臣、小島さん。軍需大臣、木村。運輸大臣田中。建設大臣、杉本。宣伝大臣横松。北条さんは警視総監、全部いるよ」
「9月の初めに、3泊4日で霧島へ行こう。歩いたら大変だ。65万坪、文京区位あるんだから。独立国を作ろうか。帷幕の内に謀りごとをめぐらそう、ゆっくりやろう」 (第51回社長会=昭和46年7月20日)
「創価学会は国連の人口統計からいうと、世界で21位の国家となる」(高瀬広居編『創価学会』)
政治 公明党 について
「天下を取れることが少し私には見えて来た。天下を取らない党ならやる必要はない、私が控えているから心配するな」
「同君(池田のこと)は常に言う『天下を取ろう』と。」(『聖教新聞』報道記事・昭和二十七年三月十日付)
学会・公明党は政教一致
「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である。ともに日蓮大聖人の教えを奉じ、王仏冥合をめざす同体異名の団体である。」 (「池田会長全集」第一巻)
「日本の中で公明党の占める位置が、誠に重要になってきた。ある意味でいえばキャスチング・ボートを握る立場になり、事実上、自民党が二百数十議席あろうと、最後に参議院の二十議席の公明党ですべての重要法案が決まってしまう。現実に今、そういう事態が起こっている。しかも、そのバックに創価学会がある。日本の命運を決していくのが創価学会・公明党である。創価学会・公明党によって、がっちり握られているのが今の日本である。(中略)そう見ると、日本を挙げてその焦点は、すべて池田名誉会長のところに集まる時代になってきている。大聖人御在世当時のことを考えるのはもったいないことだが、大聖人お一人に、日本全国が宗教界も権力者も注目をして、それで日本の動向が決まるという状況にあった。現実に広宣流布がそういう段階に入ったのだ。」 (平成6年・幹部指導用の学会内部文書)
「広宣流布(国民のほとんどが学会員となる状態をいう)の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも十万や二十万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、ひとつ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布できゃしませんよ。ひとつ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行して行きなさいよ。」聖教新聞 昭和三十二年九月六日付
「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」(『現代』昭和45年7月号)
「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ。(中略)中曽根康弘は心配ない、こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。ケネディきどりだ、坊やだ」(第6回社長会=昭和42年11月25日)
「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」(第13回社長会=昭和43年7月8日)
「公明党と学会との関係は、絶対にこちら(※学会)が上だ。世間は馬鹿だから、議員が偉いと思っている。」(第五十回社長会での池田大作発言・昭和四十年七月八日)
「(言論妨害といっても)たいした妨害ではないよ。どこでもやっている事だよ」(第32回社長会=昭和45年2月27日)
「竹入に、今まで以上に王仏冥合。政教一致でゆけ、と云おうか。(中略)ざまあ見ろ、と云うには10年かかるな、でもやろうよ」(第34回社長会=昭和45年5月5日)
「すごい時代に入りました、ねー、そのうちデエジン(大臣)も何人かでるでしょう、ねー、ね、もうじきです、あしたあたり出るから、あのー、あの、みんな、みんな皆さん方の部下だから、そのつもりで」
(平成5年8月8日 第69回本部幹部会/内閣発足前日に公明党獲得大臣ポストを正確に発表してしまった池田大作)
独裁者に
「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」と1983年6月ニコラエ・チャウシェスクと会談の賛辞を贈る。しかしこの6年後ニコラエ・チャウシェスクは長期にわたり独裁政治を行ったとしてルーマニアの人民裁判で死刑判決が下り死刑。ルーマニアの独裁者、国民は餓死、貧困をもたらし、自分は贅沢三昧した人。